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zoom RSS 「みんなへのお土産を1人で9割以上食う男」というのは東京人気質なのか?及、「学生相談室」に警戒せよ!

<<   作成日時 : 2017/04/21 19:21   >>

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[第539回]
   桜の季節、もうすぐ藤とか躑躅とかの季節に言うのもなんだが、「紅葉の名所」というと、「京都の高雄、大阪の箕面」というのが定説だった。 どこで定説だったかというと私が子供の頃の我が家においてであったが、東京人は「タカオ」というと、中央線の八王子の西の方の「高尾」は知っていても、京都の神護寺がある高雄はまず知らないと思うし、ましてや、滝があって野生の猿がいて明治の森箕面国定公園の指定がある箕面(みのお)なんて「ぜんぜん、知らな〜い」だろうから、これは、関西限定での説だと思う。
   「高雄」の方は、1960年代後半、カラーテレビが出だした頃、それぞれの電機メーカーが、「◇◇カラー」と自社のカラーテレビに名前をつけて売り出したことがあり、松下は「パナカラー」、日立は「キドカラー」・・・で他はどうだったか忘れたが、三菱の場合、「三菱ってのが作ったんだぜ」なんてことは言わず、「◇◇カラー」という名称とともに、「高雄」という名前をつけて、京都の高雄の紅葉の赤がきれいに映るというアピールをさかんにテレビでしたことから、京都の「高雄」は全国的に有名になり、栂ノ尾 高山寺・槙尾 西明寺・高雄 神護寺という「三尾」とも言われる地域は来訪者が増えた時期があったらしい。又、永六輔作詞・いずみたく作曲でデュークエイセスが歌った「女ひとり」という歌、「京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり・・・」と歌われる歌がリリースされたのは1965年で、この歌を聴いて、大原に行ってみたい〜と思う女性が多かったようですが、2番が「栂ノ尾 高山寺」で、「恋に疲れた」状態であってもなくても、大原の次に栂ノ尾高山寺に行ってみたいと思う人もでてきたみたいで〔《YouTube−デューク・エイセス 女ひとり 2014 》https://www.youtube.com/watch?v=25RJjgKOGdI 〕 〔今、聴くと、デュークエイセス、へたくそですけれども。〕、栂ノ尾・槙尾・高雄は一続きの地域ですから、栂ノ尾・槇尾・高雄は、三菱のカラーテレビ「高雄」とデュークエイセスの「女ひとり」の歌の2つから、1960年代後半から1970年代前半くらいにかけては来訪者が増えたらしい。

( ↑ 「 i 」マークは高雄山神護寺 )
   箕面は大阪市内あたりから日帰りで行くには「ちょうどいい」距離であることから、週末には来訪者は多かった場所で、かつては、駅の前に馬車が停まっていて、大滝まで馬車で行くことができたのですが、自然公園としての滝道を歩いて行きたいという人にとっては、滝道を自動車が通行するのは不適切だということで、馬車もまた、通行不可となったことから東側のハイウェイを通って大滝の上のあたりまで行くようになりましたが、そのうち、見かけなくなってしまいました。 私が小学生の頃、1960年代後半は、阪急の箕面線は、大阪梅田から箕面と有馬という2つの観光地を結ぶということで建設された箕面有馬電気軌道、開業当初は「箕面電車」と呼ばれたりしていたのが阪急電鉄になった阪急としては由緒ある路線のはずが、阪急では一番古い電車が走っていたという路線で、JRの阪和線とか東海道線とか大阪環状線とかの電車、地下鉄御堂筋線とか四つ橋線とかの電車、阪急でも神戸線・京都線や宝塚線の電車は、車内の照明は蛍光灯でしたが、箕面線には白熱灯が車内の照明に使われている電車があって感動したのを覚えています・・・・が、さすがに今は違う。その頃は、週末に箕面に来訪する観光客は「京都」や「奈良」とは違って日本人がほとんどでしたが、最近では外国人の観光客を見ることがあります。

( ↑「自然公園」マークは、箕面大滝)
   「箕面の名物」と言われるのが「もみじの天ぷら」で、箕面駅から箕面大滝に向かう滝道沿いの店で売られています。 福島県いわき市のJR常磐線「湯本」駅の西口の土産物店は夜8時くらいまでは開けている店が多かったのですが、それは、いわき湯本温泉は東京あたりから1泊2日くらいで行くのに「ちょうどいい」距離の場所なので、夜の7時や8時くらいまでは、湯本駅の近くの観光ホテルに宿泊した人が歩きながら立ち寄るからで、栃木県佐野市の佐野厄除大師(春日丘山惣宗寺)の前の佐野物産会館は夜6時に閉めていましたが、佐野の場合、東京あたりから日帰りで佐野厄除大師に行ってラーメン食って帰るという人が多いため、日帰りで帰るには夜6時には帰途についている場合が多く、泊りがけで行く人はあまりないことからでしょう。 箕面の滝道の土産物店は6時だと開けている店が多いかもしれませんが、7時くらいになると閉まっている店が多いように思います。これは、箕面は大阪市内あたりから日帰りで行く人が多い場所だからだと思います。 ですから、これまでは、「もみじの天ぷら」を買いたいと思うと早めの時間に行かないと買えず、箕面から大阪市内に通勤している会社員が帰宅途中に買って帰ろうと思っても買えないことが多かったのですが、最近では、箕面駅前のヤマザキデイリーストアでも売っています。
   その「もみじの天ぷら」というのが、↓
画像

↑ は、300円のもので、駅前のヤマザキデイリーストアで購入しました。 90g入りです。
名称・・・油菓子  品名・・・もみじ天ぷら  原材料・・・小麦粉・砂糖・ごま 植物油脂(菜種油)・もみじ葉
と書かれています。 本物のもみじの葉が入っています。
   大阪の人間は、「箕面のもみじの天ぷら」を知っている人が多いのですが、東京の人間は知らない人が多いので、「もみじの天ぷら」と聞くと、醤油つけて食べようとする人がいますが、ご飯のおかずではなくお菓子で、そのまま食べます。 醤油とか塩とかつけてはいけません。「天ぷら」といっても、一般世間の「海老の天ぷら」とか「さつまいもの天ぷら」とか「レンコンの天ぷら」とかの天ぷらとは意味が違い、そばに入れて天ぷらそばにして食べるものではないので、そばに入れてはいけません。

   [第536回]《淀屋橋から中之島東部、その周辺の建築。及、思考の堅さを「思考の柔軟さ」と主張する慶應ボーイ! 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201704/article_2.html 、[第537回]《大阪と関西人に敵意を持っている東京者の話+「よそ」は構造アプローチはしないと嘘を信仰する住宅営業の話》http://shinkahousinght.at.webry.info/201704/article_3.html で、東京人による関西と関西人に対する誤解、不理解について述べたところで思い出したことがあります。
   1980年代前半、慶應義塾大学に在学していた時、「ステューデント カウンセラーズ」というサークルに入っていた時があり、これは何のサークルかというと、カウンセリングを学ぶサークルであったはずですが、この大学の特徴として、「大学」というものを学問を学ぼうという所ではなくスゴロクとしか考えないという性質があり、又、内部進学独善主義・塾風強姦主義が蔓延している大学ですから、このサークルの「合宿」で、「寸劇」だと称してエロ劇をさせられて、上級生から尻をなでられて退部したという女性部員もおり、はたして、そういうことをやっている連中にカウンセリングなどできるのか? カウンセリングというものは、すべての人が「完全なる機能」をおこなえるように取り組むものであり、すべての人が人間らしい生き方をできるように、その為に1歩でも2歩でも協力できればというものであるはずで、自分たちが、「上級生だから」などと身勝手な思いあがった意識で、下級生の女性の尻をなでまわすなどして、人が困るようなことをして、いったい、どうするのか? そんな人間に「カウンセリング」をやる資格があるのか?  それを実行した者、及び、それに加担した者は全員、即刻、カウンセリング関係から出て行くべきではないのか!?! と私は思ったのですが、彼らの考えはそうではなく、「上級生だからという言い分で女子学生の尻をなでまわす不心得者がいたならば、そういう状況に抵抗を感じる人間を抵抗を感じないように順応させるのが『カウンセリング』だ」という考え方だったようです。
  又、慶應義塾伝統の内部進学独善主義がこのサークルにも存在し、「内部進学の人間は間違っていても正しい」という考え方、「内部進学の人間がやることが正しいことで、『外部の連中』は内部進学の者に服従するのが正しい」という思想が蔓延している大学ですが、このサークルの人間にもそういうところがあり、そういう人達が考えることというのは、「『すべての人間が平等の権利を持った上で平等に意見を述べる』というのは間違った思想であり、『内部進学の人間が《外部の者》を《教育》してやる』というのが正しい思想である」というものです。 「専修念仏のともがらの、我が弟子、ひとの弟子という争論のそうらわんこともてのほかの子細なり。 親鸞は弟子ひとり持たずそうろう」と『歎異抄』には書かれており、弥陀の本願により救いを得ようとして励む者を、自分の弟子だだの言うことからして間違っていると述べられ、プラトンの『ソクラテスの弁明』など読むと、ソクラテスは「産婆術」といってひとの心を開く手助けをするのであってソクラテスが教えるのではないということが述べられていますし、東大などでは講義が休講の場合は「◇◇教授 休講」と書かれて掲示が出されるのに対して慶應義塾の講義の休校の掲示は「◇◇君 休講」と記載して出され、これは、「先生と言われるのは福沢諭吉だけで、他は誰もが塾で学ぶ仲間である」という考え方からだという話ですが(この点については、「その考え方はいいけれども、やり過ぎだと思う」と言われた教授がおられましたが、私は、むしろ、「この私に向かって」だの「この私が」だのとおっしゃるようなそういう姿勢の教授先生のことを、休講の掲示だけ「◇◇君 休講」なんて書いても意味はないのではないか・・・と思いました。教授の中にも「慶應では、教授といっても兄弟みたいなものだ」と言われる方もあるようですから、人にもよるのかもしれません)、中公バックスの『世界の名著 孫文・毛沢東』に「小八路軍に話しかける毛沢東」の写真が出ていましたが、そこでは、毛沢東は10歳にもなるかどうかというくらいの少年にでも、同じ立場で、同じ高さから話しかけている写真が掲載されており、エドガー=スノーの『中国の赤い星』では、それら、小八路軍の少年のことを、「彼らは自分の意志で参加している同志なのです」と紹介され、毛沢東は『人民内部の矛盾を正しく処理する方法について』で、「人民内部の矛盾は、批判、自己批判、説得、討論、学習といった民主的な方法でなされなければならない」と述べており、まず、「教育」というものは、「批判、自己批判、説得、討論、学習といった民主的な方法でなされなければならない」ものだと私は思っていましたし、この点については今もそう思っていますが、慶應の内部進学の人たちはそうは考えておらず、「教育」とは「教育する側と教育される側が分かれており、慶應の内部進学の人間は教育する側であり、外部の者(大学から慶應大学に入った人間を『(慶應義塾の)外部の者』と内部進学の人間は言う)は、内部進学者から教育される存在である、と考えるのが『教育』についての正しい考え方である」と考えるのが慶應の内部進学の人たちの考え方でした。そういう思想の人たちに「カウンセリング」などというものができるのか? まず、その思想が「カウンセリング」に矛盾するのではないのか? もしも、あえて、「カウンセリング」をやりたいと思うならば、まず、自分自身のその精神面の矛盾を見つめ直す必要があるのではないのか? と私は思ったのですが、ステューデントカウンセラーズの人たちの考え方はそうではなく、あくまでも、「上級生から尻をなでられてショックを受ける女子学生がいたならば、上級生が考え方を改めるのではなく、尻をなでられてショックを受ける人間に、そういう状況に適応させるようにするべきだ」という考え方、「上級生だからなどという身勝手な理由付けで、痴漢行為を働くのを正当化しようとする者が間違っているのであり、そういう間違った考え方の人間こそ、考えを改める必要があり、決して、そのような状況に『精神適応』することなく、そのような状況を改めさせるべく『民主主義』を求めていくことが『カウンセリング』の考え方ではないか」と私は思いましたが、それはステューデントカウンセラーズの人たちの考え方とは正反対の考え方だったようです。
    もしも、間違った社会がそこにあるならば、ひとはどうするべきでしょうか? その社会に適応して生きていけるように、「精神適応」するべきでしょうか?  「カウンセラー」とは、ひとに「精神適応」させるのが仕事でしょうか?   そうではあるまい!
    「 『精神適応』よりも、『民主主義』だ! 」
   「教育」とは、人間が「自己飼育」に励むものだろうか?  もちろん、「教育」にもさまざまな場面があり、ごく技術的なものの習得と、文学・哲学などを学ぶ場合とでは同じではないかもしれないが、しかし、どういうものであれ、「教育」とは、「自己飼育」によるものではなく「自主権」によるものであるべきではないか?
   「教育勅語」を、その文面を読んで「それほど悪いものではないじゃないか」などと言う人が時としていますが、そういう人は、「父母に孝に」と父・母を大切にしましょうて何も悪くないでしょ、「兄弟に友に」て、兄弟姉妹は仲良くしましょう、「夫婦相和し」と夫婦は仲良くするべきだというのはどこも間違っていないじゃないかなどと言うのですが、その根性が何より間違っているのです。 夫婦は仲ようせえよお・・・などと、国民は、天皇だの国家だの政府だのに言われる筋合いはないのです。 「仲良くするべきだ」というのが間違いだと言うのか? などと言う人がいますが、そういう問題ではないのです。「仲良くするべきだ」というのが正しいか間違いかという、まず、そこから、ひとりひとりが自分自身で考えるべきものなのです。
   「『自己飼育』ではなく、『自主権』に基づいて考えるべきだ!」
   そして、何より、「人間による人間の加工」というものをおこなうのが「カウンセリング」であってはならないはずである。 「自主権」により、ひとりひとりが、「より本来的なもの」になろうとする手助けをするのが「カウンセリング」であるはずであり、あるべきである。
    「より本来的な存在」に近づくことにより、「完全なる機能」の実現に向かうように、自分自身が努力することにより、ひとにも助力できるようにする、というのが「カウンセリング」なのか、
   それとも、 「人間による人間の加工」をおこない、「自主権に基づく社会を求め、実質的に民主主義を求める」のではなく、「自己飼育に基づく社会に、ひとを精神適応させようとする」のが「カウンセリング」なのか?

   結論として、後者の考え方が「塾風」です。 慶應の「ステューデントカウンセラーズ」にカウンセリングマインドを求めるのは、八百屋で魚を求めるようなものでしょう。

   「クライアント センタード アプローチ」「クライアント中心療法」というカール=ロジャーズの考え方は悪くないと私は思いますが、慶應の「ステューデントカウンセラーズ」には「カウンセリング」は無理だと思うようになりました。
   そもそも、あるサークルに加入したら、そのサークルは「カウンセリング」という真面目な問題を扱うサークルだから、そこに参加している人たちも真面目な信用できる人たちではないかと考えて加入して「合宿」に参加したら、「カウンセリング」や心理学などを少しも学習していない、それまで、ほとんどサークルの運営にも貢献していない上級生がやってきて、「先輩なんだから」と言い出し、そして、カウンセリングの学習など「そんなもの、どうでもいいから」などと言って、「寸劇」と賞するエロ劇を強制して、上級生が下級生の女性部員の尻をなでまわす。そんなサークルのあり方はおかしい。大学というものはそういうものであってはいけないはずだ。慶應大学のあり方は間違っているのではないか!!! と思う者がいたならば、ロジャーズの考え方としては、「それで、どうするべきなのか?」というのは、それは本人が自分自身で考えて決めるべきものだ、という、無責任と言えば無責任かもしれないが、本来的といえば本来的、民主的といえば民主的な考え方をするわけです。 しかし、慶應のステューデントカウンセラーズの人間の思想は違います。 そうではなく、「先輩なんだから、カウンセリングや心理学なんかちっとも勉強していない人間の言うことでも、それまで、そのサークルの活動になんら尽力していない人間でも、ともかく、籍を置いていたというだけの人間の言うことでもきくべきだ」というのが、ステューデントカウンセラーズの思想でした。
    要するに、「上級生なんだから」という言い分で、女子学生の尻をなでまわす男が「カウンセリングマインド」なのか?  それとも、そういうことはあってはならないことだと考えるのが「カウンセリングマインド」なのか? そこなのです。 「上級生なんだから、女子学生の尻をなでまわすのは当然の権利であり、それが塾風で福沢精神で思考の柔軟さで、慶應ボーイで、ギャルにもてもてなんだ」というのが慶應義塾の思想であり、ステューデントカウンセラーズの思想であったわけですが、そういう思想は間違っている、そういうあり方は間違っているとい考える者と、いったい、どちらが正しいのか?
   「反逆は正しく、抑圧は間違っている」
と考えるべきであり、その前提があってこそ、「カウンセリング」というものは成り立つはずであり、自分自身が抑圧する側にまわってしまったのでは、そんな「カウンセリング」はカウンセリングとは言えなくなる。 私はそう思ったが、ステューデントカウンセラーズの人間の思想はそうではなかった。 彼らの凝り固まった抑圧側の思想を改めさせるということは、不可能である。

   私は、高校生の時、「心理学」「精神医学」「心身医学」「精神分析学」「カウンセリング」がどう違うのかよくわかっていなかった。 又、「精神分析学」には、(フロイト・ライヒ・フロムやユングらの)ヨーロッパの精神分析学と(ウェンディジレンマだのピーターパンシンドロームだのといった)アメリカ合衆国の精神分析学がありもともと、「精神病患者」を抑圧して「患者」の行動や主張を無効化するために開発された体制側「精神医学」に対する反逆児として生まれたヨーロッパの精神分析学が、大西洋を渡ってアメリカ合衆国に行くと、体制側に飼いならされて抑圧側のものになってしまったらしく、私が高校生の頃から「胡散臭い」と感じていた小此木啓吾の「精神分析学」というのも、そのアメリカ合衆国型・体制側に飼いならされた方の「精神分析学」であった、ということもよくわかっていなかった。
   「心身医学」は「精神医学」とは異なり、精神面そのものを扱うのではなく、「心で起こる体の病」を扱うものであり、「精神医学」「精神科医」「精神病院」とは違って、「患者」は「精神異常者」と認定された人間ではないので、もし、その「治療」を「患者」が納得いかなければ「患者」は「治療」を拒否することもでき、他の「医者」にかかるべく転院することもできる。 その点で、「心身医学」は「精神医学」よりも民主的で、まともであることが期待できるのだが、しかし、最近では、街中に「精神科・心療内科」とか看板を掲げたり、「患者」を抑え込むものである「精神医学」と「患者」の立場にたって「患者」を助けようという「心身医学」「心療内科」が同居したような「医院」を見かけることがあるが、これは、「精神科にかかりましょう」と言うと嫌がる人を受診させるための「作戦」として「心療内科」とか看板をかかげている「医者」がけっこういるということらしく、「心身医学」としては自殺行為です。
   「心理学」というのは、「精神医学」と違って「ロボトミー」などの「精神外科」や「化学的ロボトミー」と言われる「精神安定剤」の大量投与による「人間による人間の加工」はしないのではないか、その点で民主的、その点で安心できるのではないかとも思えそうですが、実際には、 「心理テスト」などというものは思想調査の一環である場合もあり洗脳の技術でしかない場合もあるようです。
⇒ 《ニコニコ動画 あしたのジョー劇場版 B》http://www.nicovideo.jp/watch/sm2064964
「それとも、愛情とでも答えたら気がすむのかい?」
( ↑ 私は、『あしたのジョー』のこの場面を最初に読んだ時、これは、漫画であって、作者が心理学・精神医学などについてよくわかっていないから、このような話を書くのであって、実際には「心理学者」「精神科医」「カウンセラー」というのは、もっと良心的なもののはずだ・・・と思ったのです・・・・が、実はそうではなく、「よくわかっていない」のはその時の私でした。 実際の「心理学者」「精神科医」「カウンセラー」というのも多くは↑のようなものです。《ウィキペディア−梶原一騎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%8E%9F%E4%B8%80%E9%A8%8E を見ると、『あしたのジョー』の「原作者」の高森朝雄(梶原一騎)は≪ 戦後、川崎市に転居。このころ教護院「新日本学園」で1年を過ごしている≫ ≪ 小学生時代、蒲田に転居した直後から駅前のマーケットで万引きやかっぱらいを繰り返し、たびたび補導されたが改悛の情なく、弟の真土(真樹日佐夫)まで引き込むようになったため、両親の配慮で青梅市の教護院「東京都立誠明学園」に送られ中学相当の3年間を過ごす。≫と出ており、もしかすると、高森朝雄(梶原一騎)自身が、このような「心理テスト」を受けさせられ、優秀とは言い難い(要するに、一般的な)「心理学者」から嫌な思いをさせられた経験があるのかもしれません。 ≪ 小学生時代、蒲田に転居した直後から駅前のマーケットで万引きやかっぱらいを繰り返し、たびたび補導されたが改悛の情なく、弟の真土(真樹日佐夫)まで引き込むようになったため、両親の配慮で青梅市の教護院「東京都立誠明学園」に送られ・・・≫といったあたりも、『あしたのジョー』で矢吹丈が山谷のドヤ街で万引きなどを繰り返した上、近所の小学生を引っ張り込んで廃ビルに立てこもるという場面などに話が投影されているのかもしれませんね。 ≪ 戦中の昭和18年に、父の龍夫が師範科時代に在籍していた学校である私立緑岡小学校(後の青山学院初等部)に入学するものの、朝樹の持つ荒い気質と校風は水と油のようなもので、クラスメートや上級生の子供達とも衝突ばかり起こしていた。この頃すでに梶原は体が大きく太り気味だったので、同級生も敵わぬと見たのか上級生とつるんで逆襲してくるため、梶原はいつも生傷が絶えなかった。その上級生を奇襲し血染めにしたことで、母親が学校から呼び出されることになり、梶原はわずか1年生にして退学。 家の近くの公立小学校に入れられた。その際に担任の教師に叱り付けられ「あなたは、こういう学校には向かない子です!普通の学校に行った方がいいのではありませんか」と罵られ、この言葉に朝樹は子供心にも傷ついた。≫というあたりも、その「後の青山学院初等部」というのが、星飛雄馬が「まったく、父ちゃんのヤツ、なんで、こんな気取った感じの悪い学校に行かせたがるんだ」とつぶやく『巨人の星』の青雲高校とか、『愛と誠』に出てくる青葉台学園とかいう私立の坊ちゃん学校とかに投影されているのかもしれません。『愛と誠』の青葉台学園というのは、慶應の中等部かと思ったら、そうではなく青山みたいですね。名前からして「青葉台」、『巨人の星』の方も「青雲高校」と、青山っぽいですね。さらに言ってしまうと、『巨人の星』で、面接で「父ちゃんの職業は、日本一の日雇い人夫です」と星 飛雄馬が答えたのを聞いた面接担当者たちが、「日雇い人夫のせがれを青雲高校に入れるわけにはいかん」と学科試験はほとんど満点であっても不合格にしようとしたものの、PTA会長の伴大造の息子の伴宙太が「あの星というやつには、ものすごい野球の才能があるんだぜ。 おやじ、伴自動車工業の商売敵の花形モータースの息子がいる高校の野球部にうちの野球部が負けてもいいのか。 そうでなければ、あいつは入学させるべきだぜ」という一言から、「それなら話は違う」と一転して合格になった・・・というあたりも、青山っぽい??? )
   慶應の心理学科とか慶應のステューデントカウンセラーズとかにいたような人間(中には例外もまったくいないことはないかもしれませんが)が、卒業後、職業として「心理学者」とか「カウンセラー」とかになると、↑の『あしたのジョー』に登場する「心理学者」のようになるのだと思います。 現実にそういう「心理学者」とか「精神科医」とかが少なくないと私は思っています。

   ところで、「心理学」「精神医学」「心身医学」「精神分析学」「カウンセリング」の問題点はさておきまして、ここで、それらが「もみじの天ぷら」とどう関係があるかと言いますと・・・・・・・。
   夏休みの後だったか春休みの後だったか、この「もみじの天ぷら」を、ステューデントカウンセラーズに、「お土産」として買って持って行ったことがあったのです。 ↑に写真を出したのは300円で90g入りという最も量が少ないもので、袋入りですが、量が多いものはその量に応じて値段も高く、箱入りになります。 その頃、1980年代前半は、今よりも、いくらか値段は安かったように思います。私が子供の頃、1960年代後半くらいは、最も量が少ないものは100円だったと思うのですが、今は100円のものはありません。 1980年代前半においては、今なら1500円くらいのものが1000円くらいだったかもしれません。 おそらく、今なら1500円くらいのものをそれよりいくらか安い値段で買って持って行ったはずです。
   「もみじの天ぷら をお土産に買ってきました」と言って、日吉キャンパスの2号棟(サークルの部室がある棟)↓

( ↑ 「旗」マークが、2号棟。 )
の部室の机の上に出したところ、どうなったか・・・・。
   東京都の多摩地区の本人が言うところの「ちっとも進学校でない三流高校」という無名校出身で、医者屋の息子のTが、「もみじの天ぷら」の箱を弁当箱のようにつかんで、鬼の形相で食いまくったのです・・・・。
   おい、こいつ、何するんや?  と、びっくりして見ていると、あっという間に、1人で、その9割以上を食ってしまった・・・・・。

    普通、こういうことするかなあ〜あ・・・・?
    「おまえ、何か、親の仇みたいに食ったなあ?」と言うと、「うん」と言うのですが、なんか、変わったことするやつだな、こういうのを「慶應タイプ」とか、「思考が柔軟」とか「福沢精神」とか「独立自尊」とか、「慶大生らしいスマートさ」とか、「ギャルにもてもて」とか言うのだろうか?  こういのが「ギャルにもてもて」なら、「もてもて」になんかなりたくないなあ・・・・と思いました。
    一人用の一番小さい箱を買っていたのではないのです。 みんなで食べられるようにと思って大き目の箱を買ってきたのです。 ところが、医者屋の息子のTは、そんなことおかまいなし。 あっと言う間に、鬼のような形相で、ハコを持ち上げて、唸り声をあげながら、一瞬のうちに、9割以上、食ってしまった!!!
    ・・・・普通、こんなこと、するかなあ〜あ・・・・・。
    普通、「みんなに、お土産に買ってきた」と言って、お菓子の箱を出されたなら、全員の口に間違いなく入るかどうかはともかく、みんなでいくらかずつ食べるものと違うのか?  その箱を弁当箱のように素早く持ち上げて、鬼の形相で、親の仇みたいに、一瞬のうちに、9割以上、食いまくる・・・・て、そんなことするかあ〜あ????

    三流校出身のヤツ てのは、こういうことをするのかなあ?
    医者屋の息子 てのは、こういうものなのか?
    これが、「慶應タイプ」なのか?
    これが、「慶應ボーイ」なのか?
    これが、「福沢精神」なのか?
    これが、「塾風」なのか?
    これが、「独立自尊」なのか???
    これが、「カウンセリングマインド」なのか?
    これが、「クライアント センタード アプローチ」なのか?
    それとも、
    東京人 というのは、こういうものなのか?
    それとも、慶應の内部進学の人には「『三多摩地区は東京じゃない」と言う人がいるのだが、彼は「三多摩地区」の住人で「三多摩地区」の高校卒だったらしいが、「三多摩地区」の特徴なのか???

    なんか、ようわからんが、ものすごいものを見せられたという印象だった・・・・・。

    で、長く忘れていたのだが、東京人による関西と関西人に対する誤解と不理解について、2回にわたって述べたところで、思い出したのだ。
    もしかして、あれは、東京人の特徴だったのだろうか・・・?????
    それとも、医者屋の息子の特徴なのか?????   

    「京のぶぶづけ」というのは好きじゃないというのは、関西人でも大阪の人間は言うことがあります。しかし、大阪の人間は「好きじゃない」と言っても、それで、おしまい。 大阪の人間にいろいろな人間がいるのと同じく、京都の人間にもいろいろな人間がいるし、一方が、あくまで、「おあいそ」のつもりであって本気で言っているわけではないのを他方が本気にしてしまうということは、「あること」であり、そんなことで、いちいち、嫌いになったりする必要もないことだ、と思っている。 「京のぶぶづけ」というのは、私は本で読んだことはあるが、自分自身が京都の人からそういう体験をさせられたということはない。 一回、体験してみたい気もしないではないが、体験してもしなくても、それでその地域の人間全般を嫌いになったりすることはない。
   それに対して、東京の人間が「京のぶぶづけ」の話を嫌う度合は、大阪の人間よりも強いように思ったのです。それは、東京の人間には、関西と関西人が嫌いだから、嫌いな理由を後からつけているのかもしれません。 「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」と、アメリカ合衆国のプラグマティズムの哲学者の誰やらが言ったと思いますが、そんな感じ。 「嫌いな理由があるから嫌うのではない。 嫌いだから嫌いな理由を探すのだ」て感じで、一生懸命、関西と関西人が嫌いな理由を探しているらしい東京もん を見ることがあります。
    しかし、それも、それだけではないのかもしれないと思うようになったのです。 関西出身の人間が東京圏で暮らすと、「こっちの人は、ひとが何度、断っても、断られたと理解しない」と言って気分を害することがあります。 関西人が「それは、難しいですね」と言った場合、「無理です」「できません」「お断りします」の婉曲表現であって、まだ、受け入れられる余地があるというわけではないのですが、東京圏の人間にはそれを理解しない人が少なくありません。
   それで、思い出したのです。 もしかして、「みんなで食べてもらおうと思って、これ、買ってきたんだ」と言って、「もみじの天ぷら」の今なら1500円くらいの箱を、一目、見るなり、箱ごと持ち上げてかかえこみ、鬼の形相で、唸りながら、一瞬のうちに、その9割以上、食ってしまう・・・・というのは、それは、
   もしかして、東京人の特徴?
   もしかして、三多摩地区の特徴?
   もしかして、慶應タイプの特徴?
   もしかして、医者屋の日常? ・・・・かというと、病院の詰め所とかに何か持って行った場合でも、東京圏でも、こんなことする人、あんまり見かけなかったので、「医者屋の日常」というわけでもないように思うが、
   東京人の特徴 なのだろうか?
   それが 慶應ボーイ なのか?
   それが 「思考の柔軟さ」なのか?
   「そういう人間が社会で役に立つ」なのか?
   それが 「カウンセリングマインド」で、「クライアント センタード アプローチ」なのか?
   それよりも、「みんなで食べてもらおうと思って買ってきた」と、ひとことは言ったはずですが、関西人にはそれでよくても、東京人にはそれではだめだったのか? それとも、三多摩人にはだめだったのか? そうではなく、「これは、あくまでも、みんなで、少しずつ食べてもらおうと思って買ってきたんです。 誰か1人にほとんど9割以上、一瞬のうちに食いつくしてもらおうと思って買ってきたわけでは、ずえったいにありません」と、念には念を押すようにして言う必要があったのか。 そう言わないと東京人は理解しないのか? それとも、慶應の内部進学の人が言うように、「三多摩地区は東京ではなく、多摩という別世界」なのか?

   どうも、今もよくわからない。 (株)一条工務店の浜松の人間から、浜松から東京都江東区の木場まで行くのに、「新幹線で東京駅まで行ったらどうしたらいいか?」と聞かれた時、「東京駅で降りていただいて、新幹線の進行方向の北の方に少し歩いていただくと・・・・」と話しかけると、「タクシーに乗ればいいらあ。 東京駅から大手町駅までタクシーに乗れば、それが一番いいらあ」と、過半数の人間は言うのだ。 今どき、こんなこと言う人がいるのかと思ったが、いたのだ。  浜松から東京都狛江市まで行くのにどう行けばいいかと尋ねられたら、「東京駅で中央線の快速に乗りかえて新宿まで行き、新宿で京王帝都電鉄に乗り換えて・・・・」と話しかけると、「東京駅からタクシーに乗れば一番いいですよね」と言われる!  ・・・・それが遠州人にとっては一般的らしいのだ。 今どき、こんなこと言う人いるのかと思ったが、いたのだ。 少なくとも、(株)一葉工務店においては、いっぱいいたのだ。 
   しかし、ひとが「みんなで食べてもらおうと思って買ってきた」という他人数用の「もみじの天ぷら」を、一瞬のうちに、鬼の形相で、親の仇みたいに、貪り食って、9割以上食って残りはほとんどなしにしてしまう・・・・という、そういうことをする人というのは、慶應大学でしか、今まで見たことがない。 あれは、何だったのだろうか?
   やっぱり、医者屋の息子の特徴なのか?
   それとも、それが、「慶應タイプ」なのか?
   それが、東京では「常識」なのか?
   そのあたりが「慶大生らしい思考の柔軟さ」なのか?

   今もってよくわからんが、もしかして、地域性と関係あるのかどうか・・・・・・。

〔「もみじの天ぷら」について 〕 
久国紅仙堂 http://www.hisakuni.net/
箕面市観光ガイド もみじの天ぷら http://midokoro.minoh.net/kau/momijinotempura/
河鹿荘 もみじの天ぷら http://www.momiji-kajikasou.com/f1.html
楓来坊 もみじ天ぷら http://www.k2.dion.ne.jp/~fu-raibo/sub6.html

   かつては、「もみじの天ぷら」は箕面のみの名物でしたが、数年前、京都の高雄に行った時、今は、高雄にも「もみじの天ぷら」が販売されていました。 高雄の方が箕面よりも地名のネームバリューが大きいからか、同じ値段で、箕面のものより、高雄のものの方が、わずかに量が少なかった気がします。 又、高雄のものの方が、いくらか、「薄味」だったように感じました。 個人の好みもあるでしょうけれども、私は箕面のものの方が好きです。
   子供の頃、「もみじの天ぷら」を買うなら、どの店で買うと量が多いだろうか・・・など考えたことがありますが、滝道の店では、その場で「もみじの天ぷら」を揚げていますが、どうやら、あれは、「おいしそう」と思ってもらうための景気づけで揚げて見せているようで、実際に買うと、すでに袋と箱に入れられたものを買うことになりますし、袋には「◇◇g」と量が記載されており、その場で適当に入れているのではないらしいので、どこで買っても、量は同じだと思います。

※ 《Daily motion−あしたのジョー2 「傷だらけの栄光」 前期OP Full》http://www.dailymotion.com/video/xphg6k_%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC2-%E5%82%B7%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%91%E3%81%AE%E6%A0%84%E5%85%89-%E5%89%8D%E6%9C%9Fop-full_shortfilms

☆  このブログを読んでくださっている方で、大学生の方がおられましたら忠告いたします。 大学の「学生相談室」という所には行かない方がいいですよ。もしも、自分の権利を侵害されたということがあったなら、相談する相手は一般的には弁護士です。「学生相談室」に相談してはいけません。どの弁護士に相談するといいかわからないという場合は、各都道府県の弁護士事務所が法律相談をやっているか弁護士を紹介してくれるはずです。有料の法律相談まですることはないと思うなら、都道府県や市町村で無料の弁護士による法律相談を実施していることがあります。 都道府県や市町村の職員が、なんでも困りごと相談を実施している場合があります。
  大学での問題で困ったことがあったという場合、慶應大の場合、私が在学中、ある助教授が、(1年・2年の場合ですが)「もし、何か、困ったことがあったら、遠慮せず、何でも担任に相談すればいいんだよ。『担任』というのは手当なしでやってるのじゃなくて『担任料』として『担任』をする分の手当てをもらっているんだから何なりとするべきで、困ったことは遠慮せずに『担任』に相談していいんだよ」と言われたことがあります。「担任」の先生というのは「担任料」として手当をもらっているそうですから(というより、手当もらってるかもらってないかにかかわらず、学生の力になろうと努力したって罰は当たらんだろ)、遠慮なく相談すればいいそうです。他の大学でもこの点は同様ではないかと思います。
  「担任」というのは、英語の先生だったりドイツ語の先生だったりする方が「担任」になっているのですが、「心理学者」「カウンセラー」の方が専門家だからいいだろうなどと考えてはいけません。「心理学者」「カウンセラー」というのは、「相談者」「クライアント」の精神的な問題を「解決」しようとする存在ですから、相談者の方が問題があると考えます。 自分の方が悪いのではないと思うなら、そんな相手に「相談」するべきではないし、自分の方が悪いと思うなら、自分自身で考えて、悪いと思うところを改めればいいことです。
   もし、大学に入学して、サークルに入ろうと思ったけれども、テニスだのゴルフだのスキーだのの同好会はナンパサークルみたいだしよっぽどバカじゃないかて感じがして気が進まない、体育会は暴力体質が嫌、宗教のサークルは気が進まない、オーケストラなんてやる自信はない、その点、カウンセリングのサークルなんてのは真面目な学問のサークルだし、卒業後、会社に勤めて人事・総務関係の職種についた場合なども、高校や中学校の教諭になる場合も役立ちそうだし、「クライアント中心」という民主的な方法をとるらしいから、そういうサークルなら大丈夫だろうと思って「ステューデントカウンセラーズ」というサークルに入部したところ、合宿に来てくれと言われたから言ったところ、「寸劇」だといってエロ劇をさせられて、カウンセリングとか心理学なんて特に勉強したわけでもない、普段から活動に貢献しているわけでもない品の悪そうな上級生が、突然、やってきて「先輩だよ」とでかいツラして、女子学生の尻をなでまわした・・・・、なでまわされた女子学生は「被害者」だが、それを目の前でやられた男子学生だって「被害者」である。 なでまわされた女に「いいです」と言わせればそれでいいというものではない。 弁護士にも役立たずが少なくありませんが、これを弁護士に相談したとしますと、これは、悪いのは痴漢慶應男だ! という主張になります。 それに対して、「学生相談室」という所に行き、「カウンセラー」を名乗る本職は「心理学者」の助教授に話をするとどうなるか?  「学生相談室」という所に入ったその時から、悪いのは自分です、自分の精神面が不適応だから、痴漢慶應男に悩まされるんです、痴漢慶應男はすばらしいと思えるように、なんとか私を「治療」してください! とそう言っていることになります。
   悪いのは慶應タイプの痴漢男ですか? それとも、痴漢慶應男の跋扈するサークルで苦労させられている人間の方ですか? まず、そこを考える必要があります。
   「『精神適応』よりも、『民主主義』だ」 「『自己飼育』ではなく、『自主権』にもとづく社会を築く必要がある」
   「『人間による人間の加工』を肯定するべきではない。
    『人間による人間の加工』ではなく、『本来的』あり方により、『完全なる機能』を実現すべきである」
   「『狂ってる』のは誰か?」
痴漢慶應男を問題があると考える人間が「狂ってる」のか?  痴漢慶應男を支持し加担する人間の方が「狂ってる」のではないのか?
 
 そのあたりを考えてみるべきです。 痴漢慶應男は「福沢精神」とか称するでしょうけれども、福澤諭吉はそんな人間を支持するような人ではなかったと、少なくとも私は思います。 おのれの身勝手な悪行を福沢諭吉の名前を引っ張り出して正当化しようとする人間が慶應義塾大学には大変多いが、福澤諭吉としては迷惑な話です。
    自分は悪くないのに、「人間による人間の加工」を自分が受けたいと思うのでないなら、「学生相談室」などという所には一歩たりとも入るべきではありません。 これは、慶應義塾大学に限ったことではないと思います。他の大学でも同様だと思います。
    「心理学者」独善主義・「精神医学」独善主義のクズどもは反省するべきです・・・・が、彼らの辞書には「反省」という文字はないと思いますので、相手にしないにこしたことはありません。  「心理テスト」などというものも、受けさせられないように気をつけた方がよろしい。「無料」に乗せられてはいけません。 「タダほど高いものはない」という言葉もあります。 危険です。
   永井豪の『デビルマン』という漫画に、「サイコジェニー」という相手の精神を攪乱するのを得意とするデーモンが登場しますが、「心理学者」とか「カウンセラー」とか称する連中というのは(「精神科医」も)、そんなもんです。 自分がクライアントの精神を攪乱させておいて、相手に問題があると「診断」するのです。怖いですよ! 大学の「サイコジェニー」なんか、相手にしない方がよろしい。

   (2017.4.21.) 

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