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zoom RSS 人権侵害の転勤のさせかたと配慮のない課長、おのれがクルマを運転せず、ひとのクルマに文句言う男

<<   作成日時 : 2017/03/03 03:35   >>

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[第523回] 会社と営業の話(107) 「住宅産業残酷物語」
   私は、会社都合での転勤を何度かしてきた。 慶應義塾大学商学部の卒業証書を受け取った時から、あるのは「総合職」「全国社員」として採用されるか不採用かであって、「一般職」「地方限定社員」としての採用は希望してもないと認識していたので、転勤を求められるのはやむをえないと思っていた。 もちろん、会社都合での転勤を受け入れて移動した人間と、受け入れない人間なら、受け入れて移動した人間の方が会社に協力しているのだから、受け入れた人間はその部分を評価してもらえるはずであると認識していた。 (株)一条工務店の福島県の営業所に在籍した時、三菱系の会社に勤務している人から聞いた話だが、そこでは、入社の際に、「全国社員」か「地域限定社員」かを選べるらしい。 「全国社員」を選んだ人は全国どこでも転勤は拒否できないが、昇進は早く給料も高い、それに対し、「地域限定社員」を選ぶと転勤はないことはないが福島県内とその周辺に限られるそうで、そのかわり、昇進は遅く給料も「全国社員」よりは安い。 私は、どこの会社に入社した時も、「全国社員」として入社したつもりだったし、「地域限定社員」としての採用はたとえ希望してもありえないと思っていたので、転勤は受け入れてきた。 しかし、民法でも、
民法 第1条 第2項  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。  
         第3項  権利の濫用は、これを許さない。

(「民法」http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html )
と第1条の第2項で信義則違反、第3項で権利の濫用について規定されているように、濫用にあたるような権利の行使は認められないし、そうでないものでも≪ 真義に従い誠実に行わなければならない ≫ものである。
 私が勤めてきた会社は、「真偽に従い誠実に」対応してこなかった。

【A】 (株)一条工務店にて。 1993年。
   (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ は1992年、東京都の営業所に入社したが、「転勤はありません」と「ビーイング」に明記して募集していた。この場合、居住地を変更する必要がない移動はありうるが、居住地を変更しないと通勤不可能な場所への転勤はないという意味と考えるのが一般的ではないかと思う。但し、私は、慶應義塾大学商学部の卒業生として、慶應義塾大学商学部卒の卒業証書を受け取った時から、全国企業に勤めたならば、転勤はできませんとは言えないし、ありうるのは「全国社員」としての採用か不採用であって、「地域限定社員」としての採用は希望してもないと思っていたし、大学4年の時、慶應の就職部の方から、「採用される場合は、『慶應義塾大学の卒業生として採用』ということになる」と聞いていたので、そうである以上、ある程度、勤務した後に、転勤してもらえないかという話があってもしかたがないとは思っていた。しかし、入社2年目の1993年に千葉県松戸市の営業所から福島県いわき市の営業所にあたりまえのように転勤してくれと言われたのだが、「転勤はありません」と明記して募集して採用しておいてあたりまえのように言うというのはいかがなものかと思ったが、会社にも都合があるのだろうと思って承諾した。
   この際、営業本部長の天野隆夫が「寮があるので、そこに入ってもらう」と言うので、すでに、30を過ぎて、今さら「寮」に入らないといけないのかと思ったのだが、会社がそう言うなら、まあしかたがないと思い、自分のクルマに布団を積んで、千葉県から福島県いわき市まで高速道路を走って行ったのだ。 「寮」と言っても、「寮」として建てられた建物ではなく、賃貸の家作で、キッチン・ダイニングと洗面・トイレ・浴室に、和室が2間続きで2室ともう1室、計3室の和室(畳の部屋)があって、駐車スペースが2台分という、いわき市でよくある賃貸用の住宅を会社が1つ借りていたもので、そこの従業員3人が入居してもらって、工事課と営業は1室と駐車スペース1台分、設計課の人間は1室を使用してもらおうというものだった。ところが、行くと、設計課で東洋大学の建築学科を新卒で入社して2年目だか3年目だかという春田靖が2室と2台分の駐車スペースを占拠し、工事課のKが1室を使用して、自分のクルマを「持ち込み」で業務に使用しているKはそのクルマを路上に停め、会社の業務でクルマを使用するとは会社は認めていない設計課の春田が、自分が「日常・レジャー」で使用する見るからに遊びのクルマである1台分では停められないオフロードカーをその「寮」の駐車スペースに駐車させていた。そんなクルマは営業や工務課(工事管理)の人間は業務で使用することはできない。営業があまりにもいいかげんなクルマで客宅に行ったなら「帰ってくれ」と言われるおそれがある。ばかでかいオフロードカーは道が悪い所でも走れるかもしれないが、道が狭い所には入れないし、客から「何しに来た」と思われるおそれがあり、工務課の人間も使用できない。(株)一条工務店は「個人のクルマを会社が借りて、そのクルマを会社の業務で使用するためにその従業員に貸与している」という形にして、営業や工務課(工事管理)の従業員には業務をさせていたのだが、設計課の人間は業務にクルマを使用するとは考えておらず、通勤も公共交通機関を使用するという前提であったはずである。だから、設計課の春田は、自家用車を持ちたかったなら自分で駐車場を借りるか駐車場付のアパートを借りるべきであった。又、1人1室と会社が決めて「寮」を無料で使用させていたのに、勝手に2室使用するというのは、これは会社員として社会人として認められるものではなく、会社は春田に対し1室と駐車場を空けさせないといけなかったはずである。ところが、(株)一条工務店は、誰が言うべきかという担当がはっきりしない。一般的には所長が言うべきでしょうけれども、ところが、(株)一条工務店ではその時、企画室長で後に総務部長になった天野雅弘が「所長は売るのが仕事であって、管理するのは社長の仕事と違います」と言うのです。それなら、誤解を招きやすいので、「所長」ではなく「スーパー営業」かなんかそういう名称にした方がよいでしょう。所長は管理するのは仕事ではないというのなら、他の部署できっちりと対応しないといけないことになりますが、浜松の本社の総務ではどういう人がいたかというと、「総務の責任者」は大澄社長の義理の弟である営業本部長の天野隆夫の嫁はんの天野順子で、他に総務にいたのは無能の山本と他は高校でて入社して何年目かという女性社員だけで、まともに対応できる能力の人間はいなかった。私の場合、営業本部長の天野隆夫が「寮に入ってもらう」と私に言ったのだから、言った人に対処を求めたが、何もしなかった。
   最初、3、4日だけ、Kが春田が占拠している2室の方に寝て、普段、Kが使用している部屋を私に、ここで寝てくださいと春田とKが言ったのだが、3日経つか経たないかのうちに、「出てもらわないとこっちも都合があるんだから」と不当占拠している男が言ってきたのだ。そもそも、東洋大みたいなもん卒業させてもらって入社して2年目だか3年目だかの若造に、2室と2台分の駐車スペースを無料で使わせる会社なんて(株)一条工務店以外にない。私はその時の春田と同じ歳の時、夏休みには保養所の「雑務」のアルバイトで6帖の部屋に3人で泊まったものだ。その後、新聞配達の仕事をした時には、隣室との間はガラス引戸1枚、安普請で上の部屋の音は響き放題、夜になると隣の部屋から「そこ、いやだっていってるでしょお〜お」とかいう女の声が聞こえてくる、上の部屋に住んでいる夫婦者の子供が部屋で上下に飛ぶのが趣味らしく、一日中にとんとんとんとん音がする。そういう部屋に住んできた。春田は「2間続きだから」と3部屋あっても自分が2室使うのが当然の権利であるかのようにありえない主張し実力行使で占拠していたが、そう思うなら、実力行使で占拠するのではなく会社に2部屋使わせてもらってもいいですかと申請するべきです。私の経験からすれば想像を絶するあつかましい主張です。2間続きの間のしきりが引戸で鍵もないからというのが2室占拠する大義名分なら、家主に、退去する時には借主の方で建具を新調しますからと話して、その引戸に両側から鍵をつければいいだけのことです。私が新聞配達をして新聞屋のアパートに住んだ時には、隣室との境はガラス戸の引戸があっただけだったし外との間のドアには鍵もなかった。鍵をつけてほしいと言うと、新聞屋の奥さんから「鍵はないのがあたりまえでしょ」と言われた。
   受験番号と氏名さえ書けば合格できてカネさえあれば行ける私立大学のそれもわざわざ学費の高い工学部に行かせてもらって卒業した若造というのは、2室と駐車スペース2台分無料などと、なにゆえにそこまで優遇してもらえるのか。会社には規定があって、規定によって「寮」や「借り上げ社宅」は適用されているはずで、当然のことながら新卒入社して入社して2年目だか3年目だかの若造に2部屋と2台分を無料で使わせるなどという規定はない。又、会社都合で転勤した場合には、「寮」に入ってもらうというのは営業本部長が私に言ったことであり、社長の義理の弟の営業本部長がはっきりと言っておきながら、そこを不当に占拠している者がいて使えないとなると、会社は不当に占拠している者に出なさいと言わないといけないはずである。ところが言わない。 私に「寮に入ってもらう」と言った天野隆夫に電話をし、「どうすればいいですか」と言っても、「寮にとまればいいじゃないか」と言うのだが、「設計課の春田が2部屋占拠していて、『こちらにも都合があるので、出て行ってもらわないと困るから』と言うのです。春田に2部屋使わせるのかどうかは会社と春田の間の問題でしょうけれども、私は『寮に入ってもらう』と言われて来たのですから、私が泊まれる『寮』がないと困るのです。どうすればいいですか」と言うと、天野隆夫は「だから、『寮』に住めばいいじゃないか」と言うので「春田が、『これ以上いてもらっては困る』と言うのです。私は春田の言い分が間違っていると思うけれども、しかし、それは会社と春田との間の問題です。会社が春田に言わないなら、私が『寮』以外で泊まれる所を考えてください。松戸営業所に名古屋の八事営業所から転勤してきた松下さんは1ヶ月以上ものホテル暮らしを会社に費用をだしてもらってしたはずですが、いくらなんでも1ヶ月もホテル住まいをさせてくださいとは言いませんが、アパートを大急ぎで探しますから、それまでの間、ホテル代を出してください」と言うと、「ホテルなんか泊まらなくていいよ」と天野は言う。「それなら、どこに泊まるんですか。ホテルに泊まるなというのなら、布団を持って来ていますから、展示場に泊まってもいいですか」と言うと、「展示場なんか泊まることないよ」と天野隆夫は言う。「それなら、いったい、どうすればいいんですか。私が今晩どこに泊まればいいか教えてください」と言うと、「だから、寮にとまればいいと言ってるだろ」と言う。「ですから、春田に、会社から言ってくださいと言うのにどうして言ってくれないのですか。どうして言わないのですか」と言うと、「春田にお願いしろ」と言うのです。「『お願い』する性質のものと違いますでしょ」と言いましたが、営業本部長はきかず、結局、不当に占拠している不心得者の若造に頭を下げてお願いして停めていただいて、そのすぐ後に借り上げ社宅として借りたアパートに移りました。 春田という男は、いったい、どんな親の息子なんだとも思いましたが、親は中学校の校長先生だと聞いたので、なるほど、それで、本来なら受け取っていい給料で我慢せずに、本来、自分が受けとるべきものでないようなものをたかるのか? とも思いましたが、そういう理由からかどうかはわからない。 しかし、この男はこの後も、会社の忘年会などでも、設計課はカネ払わずに飲み食いする権利があるという主張を押し通し、所長からして、そのあたりについては不快感を持っていたようです。
    私は、いくらなんでもひどすぎるではないかと思いましたが、(株)一条工務店は未成熟な会社、発展途上企業なのだから我慢してあげるしかしかたがないかと思い我慢しました。慶應大学商学部の「経営学総論」という講義で、S教授が「日本の会社では、『ここは泣いてくれ。ほかで必ず儲けさせるから』ということがある」と話されたことがありましたが、それと同様、こういうところで我慢した人間に対しては、会社は、たいへん申し訳ないことをしたと思い、その分、他で考慮するというのが会社なら当然のことだと思いましたが、しかし、(株)一条工務店という会社は、こういう所で我慢すると、逆に、こいつは我慢する人間だ、今後もこいつなら我慢するだろうと考える会社のようでした。 その時は、未成熟な会社、発展途上企業であったとしても、その後、会社はそれまでより大きくなり、社会的にも認知されるようになっていったはずですが、退職するまで、この件について、私に「寮に入ってもらう」と言った営業本部長の天野隆夫からも、その時の「総務の責任者」であった天野順子からも、総務で「主任」という役職をもらっていた無能の山本からも、後に総務部長になった天野雅弘からも、「申しわけなかった」という言葉は一言もきかせてもらえませんでした。 もし「申しわけなかった」という発言があったなら、部長が「申しわけなかった」と言っているのだからということで、いいことにするということもありうるかもしれませんが、今日に至るまで、(株)一条工務店は私にこの件について「申しわけなかった」とも「すいません」ともまったく言わないのです。 そうである以上、こういう対応が(株)一条工務店の経営者の態度であり、今でもそれが続いていると考えるしかないことになります。
   (株)一条工務店の経営者の態度は、その従業員によって対応に差がありすぎます。 会社は従業員に対する処遇は公平であるべきであり、片方で、会社の規定に反して不当に占拠している者を許容し、片方で「寮に入ってもらう」と言って行かせた上、住む場所がない、宿泊する場所がない、宿泊する場所を決めるまでの間、「一番安いビジネスホテル」に宿泊することも認めない、展示場に宿泊することも認めないというのは、これは人権侵害であるとともに公平性の欠如、著しい不公平というものであり、そして、この転勤のさせかたは民法第1条第2項、信義則違反に該当するものです。
   東京大学は農学部の弥生キャンパスに、「弥生講堂 一条ホール」という建物を、香山壽夫(ひさお)という人の設計で、(株)一条工務店が費用を負担して建てましたが〔⇒《東京大学 「弥生講堂 一条ホール」について。不良企業の宣伝広告に加担する東京大学と浜松市と杉山英男 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_6.html 〕、そのカネは、転勤時に私が住ませてもらっていいはずのホテル代をけずってためたカネです。東大の教授・准教授と言う人は「一条工務店に出してもらった」とか「一条工務店の経営者にだしてもらった」とか思っているようですが、そのカネは従業員の人権を侵害してためたカネです。浜松市長の鈴木康友は、(株)一条工務店が防潮堤を作る費用を出したいと言ったことに対し、「一条堤とでも命名して長く記録に残したい」とか発言していたようですが、そのカネは、私に出すべきであったホテル代を出さずにためたカネです。 東京大学農学部と浜松市、浜松市長の鈴木康友、静岡県知事の川勝平太は、この点で、(株)一条工務店による私に対する人権侵害の共犯者です。
   《浜松市防潮堤に300億円ポンと寄付 「一条工務店」とは? 》http://www.j-cast.com/2012/06/12135387.html?p=all には≪ 一企業が防潮堤を整備するのは現実的ではないことから、11年4月頃、自動車大手スズキ(浜松市)の鈴木修会長兼社長に仲介してもらい、静岡県や浜松市に整備計画を打診したという。≫と書かれているが、ということは、(株)一条工務店が、私に支給するべきものを支給せず、人権侵害をおこなったことに対しても、スズキ(株)http://www.suzuki.co.jp/ の代表取締役会長の鈴木修会長という人〔http://www.suzuki.co.jp/corporate/outline/ 〕も無関係ではないことになる。違うか? 「自動車大手鈴木(浜松市)の」などと書かれているが、「大手」の会社の会長がそういうことに無頓着でいいのか?
   静岡県知事の川勝平太は、東電福島第一原発事故の直後、静岡県産茶葉の放射性物質の含有の検査を拒否した上、わざわざ、静岡茶を煎れて飲んで見せて「う〜ん。お茶はやっぱりおいしい」とくさい芝居をやった偽善者だったはずだが、私は、(株)一条工務店が展示場に来客用に送ってきていた静岡県産の川根茶は、たいへんおいしかったのだが、こういう消費者に対して良心的でない態度をとる商品はできるだけ買わない・できるだけ飲まないことにしている。百貨店の中の伊藤園の販売員にきいたところ、伊藤園では、静岡県産茶葉については放射能汚染について自社で検査をしているという話だったが、そうであっても、お茶は静岡県産以外のものもあるし、伊藤園でも静岡県産以外の茶葉も販売しているので、私は他県産の物を買うようにしている。ミカンも静岡県産のミカンは好きだったが、その県の農産物についての放射性物質の検査を県知事が拒否するというような県の農産物を購入するということは、放射能汚染拡大に加担することになる可能性があるので、できるだけ静岡県産以外の物を購入したいと考えている。静岡県の農家は買わない人間に被害にあっているなどと考えるべきではない。害を加えているのは静岡県知事の川勝平太である。

   2002年1月に、嫌がらせで工場に勤務させられたが、これは、権利の濫用に該当するが、同時に、その際の転勤のさせ方もまた信義にもとづき誠実になされたものではなかった・・・が、これは他のところで述べる。


【B】 小堀住研(株)にて。 1990年。
   小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕は、1980年代の終わり、「創業40年少々の会社」だった。だから、1990年代初め、「創業20年未満の会社」であった(株)一条工務店などに比べると、倍の歴史があるだけ整備されていた部分もあったが、「どっこいどっこい」の部分もあった。 「うちの会社は一部上場ですから」とか言っていたわりに、内部に入ってみると「ええ、これが“一部上場”なのお〜お」てところがあったし、「大卒しか採らない会社」と言っていたはずなのに、入社してみると、なぜか、高卒の人がけっこういた。 かつ、同期入社の人間と話をすると、「『中途入社の高卒の人間』がえらそうにしている会社だ」という不満を聞いた。
   
   1990年3月31日に、千葉支店松戸営業課から東京支店自由が丘営業課へ行ってくれと、松戸営業課長の石井から言われた。しかし、それまでの住居から通える場所ではないのだから、1ヶ月以内くらいの予定で転勤の準備を進めてくれというものでしょうから、「いつからですか」ときくと「あしたから」と石井は言うので、「あしたからですかあ?」と言ったのだ。同社では千葉県内の移動ですらもう少し前から言っている。千葉県の松戸営業所から柏営業所へ移る場合、もしくはその逆などなら、「あしたから」でもいいでしょう。 しかし、住居の変更を必要とする転勤において、突然、「あしたから」というのは非常識です。
   私は、今まで勤めてきた会社において、どこの会社においても、できるだけ、法律用語で話すのではなく一般用語で話すようにしてきましたが、[第520回]《「学校」で学ぶものは、「会社」において役に立つのか》http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_14.html で、民法学者の末広厳太郎が『法学入門』(日本評論社)で「法学的の考え方」と言っているものというのは、これは基本的な物事の考え方、「落としどころ」ののことで、柴田孝之が『司法試験一発合格の秘訣』(ダイヤモンド社)附属のDVDで、司法試験は社会人経験のない大学生の方が学習時間を多くとれる点で有利であるけれども、法律とは物事の「落としどころ」であるから、社会人経験がある人の方が社会人経験において「落としどころ」というものがわかっているという点で有利な点があるといったことを述べていたが、民法第1条第2項の信義則違反という規定ですが、住居の変更を必要とする場所への転勤について「あしたから」と言うのは、これは法律用語で言うならば民法第1条第2項の信義則違反に該当する。一般用語で言うと、非常識、人権侵害の転勤のさせかたです。石井さんは松戸営業課長であったのなら、課長として「居住地の変更が必要な転勤を、きょう言って『あしたから』というわけにはいきませんでしょう」と言うべきですがそれを言えないのが石井さんでした。石井さんは千葉県の外房の方の高校を卒業した後、建築の専門学校に行き、その後、設計事務所に勤めて一級建築士の資格を取得した人らしく、営業をしていた人間の中では設計の能力がある人で、私も石井さんから学んだもの・教えてもらったものはあるのですが、一方で、こういった営業課長なら言わないといけないというものを言えない人でした。
   その時、私が住んでいたのは千葉県流山市、最寄駅はJR常磐線「南柏」駅でした。自由が丘展示場は最寄駅は東急東横線の「自由が丘」・「都立大学」、大井町線・目蒲線(現・目黒線)の「大岡山」、大井町線「緑ヶ丘」という4駅の中間のあたりで、どの駅からも歩いてけっこうありました。今、ヤフー路線情報 で検索すると、「南柏」から「自由が丘」ですと、「南柏」〜JR常磐緩行線〜「日比谷」乗り換え〜東京メトロ日比谷線〜「中目黒」乗り換え〜東急東横線〜「自由が丘」まで、駅から駅までで1時間20分前後、その時、住んでいた流山市のアパートが南柏駅から徒歩14分ほどでしたので、5分前に南柏駅に行くとして、自由が丘駅まで流山市のアパートから1時間40分。自由が丘駅から自由が丘展示場まで片道15分として、計1時間55分、片道約2時間の通勤となります。もっと、勤務が楽な仕事ならまだ考えられます。しかし、松戸営業所(展示場)にいた時でも、帰りは終電近くなることは少なくなかったのです。そういうハードな勤務の仕事であったのに、往復で4時間通勤にかかるような所へは通えません。それを翌日から来いと言うのです。これは人権侵害です。千葉支店に「高卒の痴漢人間」の渡邊士直が赴任した時には、何日からということが告知された後、ずいぶんしてから彼は千葉支店に来たはずなのです。それを、私には「あしたから」と言うのです。
   20年以上前の話ですので、細かい部分は忘れてしまったところもありますが、結局、4月の終わり、やっと、転居しました。引越屋もきょう言って明日来てくれるわけではありません。義兄に知り合いの業者に頼んでもらってなんとか引越せましたが大変でした。住民票を移したり、電気・ガス・水道の手続きなども一人暮らしの人間は1人ですべてやらないといけませんから大変でした。

   「自由が丘」駅から南西の方に坂を上がっていくと「田園調布」駅があります。「自由が丘」は「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われた田園調布の隣です。家賃が安いわけないのです。一般の仕事の人は、給料が高い人が田園調布とか自由が丘に住み、給料が高くない人間は、もっと家賃が安い場所に住むのですが、戸建住宅建築請負業の会社の営業の仕事についている人間は、勤務時間も長く仕事もハードで、住宅展示場に勤務する場合、そこから近い場所に住まないとやっていけません。 そうなると「この漫才で田園調布に家が建つ」という田園調布の隣の「自由が丘」と「都立大学」・「大岡山」・「緑ヶ丘」といった駅で囲まれた場所までそれほど遠くない場所でアパートと駐車場を探さないといけない。ここで難しいのは、アパートだけではなく駐車場も探さないといけないという点です。最初、「自由が丘」「都立大学」「大岡山」「緑ヶ丘」のうち、「自由が丘」は「田園調布」の隣なのでこの駅が最寄り駅として捜すと高いであろうと考え、「緑ヶ丘」は「自由が丘」とたいして変わらない、「大岡山」も、昔、慶應大学の学生であった時、家庭教師のアルバイトに行った最寄駅「大岡山」の家は相当の金持ちだったみたいで、やはり、田園調布・自由が丘とともに金持ちの住む所という印象がある。それで、とりあえず、「都立大学」駅の近くの不動産屋に行ってみました。
   そこで何を言われたかというと・・・・・。不動産屋てつくづく感じ悪いなあと思いました。又、レベル低いなあとも思いました。「そんな会社に勤めているような人、大家さんが貸すのを嫌がると思うわ」と言われたのです。「どこがいけませんか」と言うと、「小堀住研なんてそんな会社、聞いたことないわ。建売でもやってんの」と言うのです。「建売はやりませんね。請負だけの会社です」と言うと、「そうなの。知らないわねえ。聞いたことないわ」と言うのです。不動産屋てレベル低いなあと思いました。それで、「どういう会社ならいいのですか」ときくと、「そりぁ、やっぱり、大企業に勤めている人がいいでしょ。大企業が」と言うので、「それなら、うちの会社は、一部上場ですし、従業員数も千人を超えていますし、住宅建築業の業界では施工棟数で見ても上位の会社ですから大企業の中に入るのではないかと思いますけれども」と言うと、「そうなの。知らないわねえ。聞いたことないわ」と言うのです。慶應義塾の経済学部か商学部の学生・卒業生のレベルにおいては、まがりなりにも一部上場の会社、あるいは、その業界で上位10社に入っている会社を「知らないわねえ」だの「聞いたことないわ」だのと言ったのでは、言った人間の方が恥です。上場している会社はいくつもありますし、すべての会社を覚えきらないところもありますが、「名前くらいは知ってる方が基本」なのです。だから、「知らないわねえ」だの「聞いたことないわねえ」だのとは言わないし、言うと言った人間の方が恥です。ところが、不動産屋のレベルにおいては、一部上場でもその業界で上位10社以内に入っている会社でも、不動産屋はアホですから知らないのです。かつ、アホのくせしてずるいですし、えらそうな口をきくと相手は下手に出るだろうというような意識があったり、又、「家賃が高い地域で、なんとか安いアパートを探したい」という人間だと、これは、いくらでもえらそうにするに限ると考えるようでした。不愉快な思いをしました。
   その後、そう遠くない場所で自分が住んでも悪くないと思う土地として「旗の台」のあたりの不動産屋も行きましたが、不快指数が上昇しただけでした。特に、「アパートと駐車場」と言うと難しいようで、「駐車場があるから、その近くでアパートを探してほしいと言うのなら探せるが、駐車場を探してほしいと言われてもなかなかない」と言われたのです。考えてみれば、その駐車場というのは、小堀住研(株)の仕事で使うクルマのための駐車場ですが、それを探すのに会社は何の協力もしないのです。旗の台の方の不動産屋で、西馬込のあたりなら、駐車場があるかもしれないと聞いたので、都営浅草線「西馬込」駅の近くの不動産屋で、西馬込駅から歩いて18分ほどの所のアパートとそこから少し歩いた場所の月ぎめ駐車場を借りました。相当大変な思いをして、やっと、探しました。家賃もけっこう高かったが、なんとか払える所となると、バスはあっても、電車の駅からは18分も歩く場所ということになりました。

   この際、新宿のセンタービルに入っていた東京支店に、普段、大阪にいる人事課長のGさんが来ていた時、Gさんが「町田の寮に住んだらどうや」と冗談か本気かわからないような調子で言ったことがあった。小堀住研(株)は、その前年でしたか、町田市にオリックスからリースという形で寮を持っていました。個室で、食事が出て風呂もありきれいな建物でしたが、自由が丘展示場からはクルマで片道2時間か2時間半くらいかかったような気がします。私は冗談で言ったのかと思い、「町田の寮からではクルマで片道2時間以上かかりますから、とても無理です」と言いましたが、Gさんは「きょうび、東京のサラリーマンは、片道2時間くらいかけて通ってるでえ〜え」などと口にしたので、Gさんは、それまで何でも相談に乗ってくれて、自分が対応してきた新卒入社の人間のことを気を配ってきてくれた人ではありましたが、この発言に関しては馬鹿にされたとよくわかりました。 とても、通勤時間で片道2時間以上かけることができるような軽易な仕事ではありませんし、初めてクルマを運転する人間としては、片道2時間ものクルマ通勤はできません。

    1989年7月に「高卒の痴漢人間」の渡邊士直が千葉支店に赴任した際、7月1日からのはずなのに、彼が実際に来たのはずいぶんと後だったはずです。 それを、私には「あしたから」自由が丘に行ってと要求してきたのです。 小堀住研(株)は。 これは、日常用語で言って、「あまりにも不公平」、「あまりにも公平性に欠ける」ものです。
    それを、私は、特別に文句も言わずに、JR常磐線の「南柏」駅から14分ほど歩いた場所のアパートから自由が丘展示場まで片道約2時間かけて通ったのです。 片道約2時間かけて、ともかく、カネさえかければ借家はあるとしても、そんなカネをかけることができるほど給料をもらっているわけではない、アパートだけ捜すのならまだしも、アパートと駐車場を探さないといけないという点で、勤務時間後と休日に苦労してアパートと駐車場を探しまわっていた私に、自由が丘営業課の営業課長になっていた高橋賢一郎が何を言ったか。 あの男が言ったことは死ぬまで忘れはしないし、死んでも忘れはしない。
「もう、転勤して1週間以上経つのに、まだ、引越もすませていない。 な〜にを考えてるんだ、おまえはあ。」と。
「1週間経っても、転居もできないようなできの悪いやつだと、ひとに見られるのが当然だろうが」と。

   営業課長というのは、転居が必要な転勤の場合、スムーズに転勤できるように配慮するのも仕事のうちのはずなのです。まず、3月31日に言って、「あしたから」転居が必要な場所に勤務しろと要求するのはそれは無理な要求であり、会社に対して「それは難しいのと違いますか。もう少しなんらかの配慮をする必要があるでしょう」と言わないといけません。私は、この人は営業課長でありながらそういうところを何もできない人なんだなあと思っていたのです。それでも、私は文句も言わずに、片道2時間かけて通いながら、勤務時間外と休日に必死になってアパートと駐車場を探していたのです。何の協力もしないできない男がこういう口をきいたのです。やっぱり、福島県の会津から東京電機大の工学部などというカネのかかる「大学」に行かせてもらう人間だけあって身勝手だということかもしれません。
   「そんなこと、言われても、勤務時間外ですと、不動産屋が開いている時間は短いですし、片道2時間もかけて通っているんですよ」と言いましたが、「片道2時間かけて通っても、アパートくらい、すぐに探せるだろう」と言うのです。すぐに探せたなら苦労はしません。
 
   この時か他の時だったか記憶がはっきりしませんが、高橋賢一郎は私に「だいたい、きみは1日何時間寝るんだ」と言うので、「まあ、8時間が基本ですね」と言うと、「何考えてんだあ」と言うのです。「どういうことですか」と言うと、「普通、4時間も寝れば十分だろうが。特別に虚弱な体質なのか。異常体質か」と言うのです。それで、もしも、高橋賢一郎自身が「リゲインのように24時間働く」人間だったらまだわかります。そうではないのです。この男は、自由が丘営業課において、「来場客に対しての礼状とかはぼくと(営業補助職の)K宮山さんとで担当して全員の分を出すことにするわ」と言い、そして、実際にはまったくやらない。そして、私とNさん・Kさんの3人が営業として実際に追客して営業をしてもらい自分は応援に徹すると言って自分は定時に帰ることが多い人間だったのです。私などに仕事をさせておいて定時にしばしば帰る男が何を言ってるんだ。段々と、この人、何なんだろうなあと思うようになっていったのですが、そういう変わった性格だったようです。
   「やったことないことはできるか?」⇒「できません」。高橋は、不動産屋の経験があるわけでもない。 自由が丘展示場近辺で「アパートと駐車場」を探した経験もない。だから、「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われる地域で、新卒入社してそれほど経っていない人間の給料で借りることができる「アパートと駐車場」を探すのがどれだけ大変かわかっていなかったか、わかっていてそういうことを言ったか。 おそらく、わかっていなかったが、わかっていてもそういうことを言う男でした。

   この話はそれで終わりではないのです。小堀住研(株)は、新卒入社1年目は電車・バスで営業をすることとされていたのですが、入社9カ月目とか10カ月目とかからクルマでの営業をしても特にとがめられることはなかったし、逆に、クルマを購入するにはお金もかかることですし、入社2年目くらいなら、電車・バスの営業をしていても、これも特にとがめられることもなかった。きっちり、2年目に入る日からクルマでの営業をするというのであれば、会社が自動車を用意して貸与するべきで、それなら、きっちり2年目に入る日から自動車を使用しての営業に入るということもできますが、従業員が自分でクルマを購入して会社の業務に使用するのですから、きっちりいつからとはいきません。私の場合、1年目の終わりころに購入したいと思って、千葉県流山市のアパートの近所で、車庫証明を取得できる月ぎめ駐車場を探していたのですがなかなか見つからなかったのです。どうしたものかと思っていたところで、東京支店自由が丘展示場へ転勤させられ、4月は「アパートと駐車場」を探すのに大変だったのです。もし、4月1日から自由が丘に赴任してもらいたかったなら、1ヶ月前にでも言えば南柏で駐車場を探すのではなく、その労力で自由が丘近辺で「アパートと駐車場」を探すことができたのですが、小堀住研(株)は私に無駄な労力と時間をかけさせたのです。
   4月終わりから5月のゴールデンウイークは来場客が多い時期でクルマのことに対応する余裕はありません。ゴールデンウイークが過ぎた後くらいから、営業の仕事のあいまをぬい、トヨタカローラ・日産・マツダの3社から見積もりをとり、目黒区のトヨタカローラの店に行って実際のクルマを見て注文して、5月の下旬になって届きました。届いた時の高橋賢一郎の非常識な態度については、[第522回]《クルマの運転が必須の業務で、運転免許も持たない男を課長にすると、交通事故が起こる危険がある》http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_16.html に述べました。

   入社1年目、小堀住研(株)に新卒入社した「営業系」の人間約20人の中では、私は「契約棟数」で見ても「粗利益」で見ても2位でした。「契約棟数」が1位の人間と「粗利益」が1位の人間は別人でしたので、私とその2人が同じくらいの営業成績と見て良かったのではないかと思います。もっとも、入社して配属された営業所の営業課長が新卒入社した人間のめんどうをよく見てくれる人とそうでない人があったようで、私が松戸営業所に在籍した最初の営業課長のUさんと途中で変わった石井さんは、その点ではよくめんどうを見てくれる方の人で、私も努力しましたが、この2人のおかげであるところは大きく、又、他の従業員にも相当協力してもらっての上でのもので、数字で見て入社1年目にあまり成果を出せなかったという人でも、配属された先の課長とうまくいっていなかったという人もあったようです。私も、最初に高橋が課長の営業課に配属されていたならば、うまくいかなかったのではないかと思いますが、ともかく、「契約棟数」で見ても「粗利益」で見ても、同じ時期に新卒入社した人間の中では2位だったわけですから悪い方ではなく、入社直後の合宿研修の際、TQC推進本部営業部会課長のMさんが、「フリー(自由設計の高級志向タイプ『新 桂』)を売れるようになるには最低3年かかる。とりあえず、入社1年後には、企画住宅の『ハウス55』ならともかくひとりで売れるというところまでなってほしい」と言われたのですが、私はなんとかそこまでたどり着いたかなというところで、松戸営業所から自由が丘営業所に転勤した際にも、松戸営業所の営業課長であった石井さんが「○○くんは、3月にKさんのお宅を最初から最後まで1人で契約をとりましたから、『ハウス55』なら、1人でひととおり仕事ができる力がある営業です」と高橋に言ってくれたように、TQC推進本部営業部会課長のMさんが言った「1年後には、ハウス55なら、ともかく、1人で契約まで持って行けるというようになってほしい」という基準に達することができたのでしたが、同期入社の人間と話をすると、「うちの営業所にいる1年前に入った人とか2年前に入った人なんて、入社2年目でも3年目でも、アポイントとるだけで、全部、課長にやってもらってるよ」と言っていたことがありましたので、私の入社1年目の成績は、松戸営業所の2人の課長その他の人に協力してもらって助けてもらった上でのものではあるけれども、習得度という点でも、入社後の期間からすれば悪くない方であったはずです。
   営業成績と営業としての習得度合という点では入社後の期間から考えれば悪い方ではなかったわけで、自家用車を購入して営業で使用するというのも、同社では、新卒入社の人間は最初の1年間は電車・バスでの営業をするということでしたが、その「1年間」というのは、あくまで「おおむね1年」で、少し短くても少し長くても問題とはされていなかったのです。営業担当者の場合はそうでしたが、営業課長の場合は、自分の営業課に配属された営業担当者で社歴が浅く、クルマを運転しない人間が配属された場合は、クルマで移動するのが必要な時には営業課長が営業課長のクルマに乗せて一緒に移動するとされていて、それも含めて課長の手当てが支給されていましたので、自由が丘営業課の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎が、入社後何年か経っているのに、年齢も30代の半ばを過ぎているのに、クルマを運転しない、自家用車を持っていない、運転免許も持っていないというのは、これは、課長に昇進する条件を満たしていないのに課長にならせてもらっていたということになりますから、いわば、大学の進級において「合格」ではなく「選考進級」みたいなもの。その「選考進級」の営業課長の高橋のおかげで、私が自由が丘営業課に赴任する前、自由が丘営業課の営業担当者であったN橋さんとK藤さんは、課長でもないのに、課長の高橋のために自分のクルマを運転して高橋を乗せて移動していたのです。
   私の場合、入社9カ月目くらいから、自動車の購入を検討したのですが、自動車を購入するためには居住地から何百メートル以内でしたかに車庫証明がとれる駐車場を持つか借りるかしなければ自動車を購入できないので、そこで困っていたのでした。 そうしていたところに、自由が丘営業課へ転勤になり、苦労を重ねた上、なんとか、「アパートと駐車場」を借りることができて、5月に入り、付近のクルマ屋で見積もりをとって検討して、5月の下旬に自家用車を取得することができたのでした。 私は、この時、初めて、自動車というものを購入したので、それまでよく知らなかったのですが、クルマというのは、これが欲しいと言えば、即座に、「はい、どうぞ」と渡してもらえるものではないのです。この色のものなら、納車はいつ、これなら納車はいつと色によって、納車の時期が違ったようで、トヨタカローラの営業の人が、白なら最も納車が早いと言ったのですが、せっかく、個人のクルマを買うのであれば、「いくらでもそのへんを走っている」白ではなく、いくらか独創的な色の方がいいような気もしたのですが、トヨタカローラの営業の人から「営業で乗るのなら白の方がいいのじゃないでしょうか」と言われたことと、黒のクルマと白のクルマなら黒の方が汚れが目立ちにくいかと思ったらそうではなく、「白の方がホコリは目立ちにくい。黒はホコリが目立ちやすい」らしいこと、それに「白の方が納車が早い」ということから、最も納車が早い白のクルマにしたのです。
   私が、納車が早いクルマにして、できるだけ、早く、クルマを運転できるようにしたいと思ったのは、どのみち、自家用車を購入して乗り始めるのであれば、1ヶ月くらい早くても遅くても特に問題ないのですが、自由が丘営業課の場合、営業課長の高橋が、クルマを運転しない、自家用車を持っていない、運転免許も持っていないという、課長になる昇進基準を満たしていない課長、いわば「選考進級」の課長でその為に他の2人の負担が重かったのです。他の2人、NさんもKさんも、私が担当の仕事でクルマで動かないといけないという時、乗せてくださいと言って、嫌だとは言いませんでしたが、しかし、課長の場合は、まだ、クルマを持たない人、クルマを運転しない人が配属された場合は、課長が課長のクルマに乗せて移動するという前提で、課長の手当てが支給されていたのに対し、そうでない営業にクルマに乗せてもらった場合、それは、あくまでも、好意で乗せてもらっているという性質のものであり、同じ営業課4人のうち、半分の2人がクルマを運転しない人間では、運転する2人の負担が重いので、それで、私は、少しでも早く納車できるクルマにして、他の2人に負担を重くかけないようにしたいと考えました。
   ところが。課長の昇進条件を満たしていないのに課長になっていた「選考進級」の課長の高橋賢一郎が、私に、
「クルマを買うと言いながら、ずいぶんとかかっているじゃないか。な〜にを考えてんだ」と言ってきたのです。
「ずいぶんと」なんか、かかっていません。トヨタカローラの営業の人が言う納車の期間の中で、最も早く納車ができる白のクルマを選択し、「できるだけ早くお願いします」と言って届けてもらったのです。高橋は
「普通、クルマを買うと言ったら、さっさと買うものだろうが。それを、どれだけかかってんだよお。どうかしてんじゃないのかあ」
と言うのです。
   その言葉、そっくりそのまま、お返ししたいですね。営業担当者は、新卒入社の人間は「入社後1年間は」電車・バスでの営業をすると同社ではされていた。いつから、自動車での営業にするかは、はっきりと決まっていたわけではないが、自動車を利用した方が便利ですから、2年目に入れば、自動車を購入できる限り、自動車を利用しての営業をするようにした方がよい。しかし、私の場合は、特別に急いで買わないといけないという事情はなかったし、そもそも、会社が購入するカネを出してくれるわけでもないし、ましてや、高橋が1円でもカネを出してくれるわけではないのですから、早く買えだのなんだの言われる筋合いはありませんし、高橋に言う「権利」などありません。 逆に、高橋は、本来、クルマを持って運転し自分の営業課に新人が配属された場合には、自分のクルマに乗せて客宅に行き敷地調査に行くという前提で課長の手当てが支給されている営業課長にその条件を満たしていないのにならせてもらい、長く、クルマを運転せず、自家用車を持たず、運転免許すら持っていなかったのですから、高橋の方こそ、大急ぎで免許とクルマを取得して運転するようにしなければならなかったはずで、それをずいぶんと悠長にやっていたのであり、「どうかしてんじゃないのかあ」という文句は高橋にこそ言うべき文句であり、高橋こそ言われる必要がある文句だったのです。あきれました。

    高橋賢一郎は、私が「入社1年目の成績を、営業課長に助けてもらってとった成績なのに、自分だけで契約を取ったみたいに言っていた」と事実と正反対の誹謗中傷を「証言」したのです。 私も、この男には我慢を重ねてきましたが、我慢しているといくらでもズに乗るようですので、こういう男には我慢はしない方がよいと思うようになりました。私は「入社1年目の成績を、営業課長に助けてもらってとった成績なのに、自分だけで契約を取ったみたいに言っ」たことは一度もありません。逆に「営業成績の数字としては、入社1年目としては悪くない成績になっていると思いますが、これは営業課長とか多くの人に協力してもらって助けてもらって契約させてもらったもので、特に、入社1棟目や2棟目の契約などは、課長が進めて私はアシスタントだったみたいなものを私の成績にしてもらったものです」と、はっきりと言っていました。
   高橋は、事実と正反対の誹謗中傷を広める陰湿な性格の男ですが、福島県の会津の喜多方の出身だと本人から聞いたのですが、この後、私は福島県いわき市に住み、会津の方にも何度も足を運ぶ経験を持ちましたが、福島県は、原発事故さえなければ、自然環境もよくいいところだったとともに、住んでいる人だって親切で気持ちの優しい人が多い所だと思ったのですが、会津出身だという高橋賢一郎はなんとも陰湿で変わった性格の男でした。
   (2017.3.2.)

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