慎腹風呂愚

アクセスカウンタ

zoom RSS レブロンは希望を売る、サンリオは夢を売る、小堀住研は安売りに落ちるー『東尾になれなかった男5』

<<   作成日時 : 2017/02/14 21:30   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[第512回] 営業と会社の話(103)-5
『東尾になれなかった男−「いかり」・阪急不動産が存続して小堀住研(株)がつぶれた理由 5』

「高卒の痴漢人間」に支店長はできない理由[7]−2 《 商学部経営学部でやっていることは「遊んでる」のか? そうではあるまい。 + 「実感」ではなく「理性」にてらして考える姿勢を持てるか否か。 》

   今、1990年前後の小堀住研(株)を思い出すと、問題点として、「高卒の痴漢人間の横暴」と、もう1つ、「“技術系人間”の専横」があったと思える。但し、「技術系」の人に「専横」していた意識はなかったかもしれない。
   同社は、1980年代、「技術系の会社」を「売り」にしていた。 それは、「売りにしていた」のだが、現実はプラスの面とマイナスの面があった。 同様のものとして、早稲田大学を「私学の東大」とか言う人がいて、それがほめ言葉だと思っている人がいるが、実はそうでもない。 「私学のくせに東大の後ばっかり追いかけている独立自尊の精神に欠ける大学だ」という意味で実は半分以上けなし言葉なのだが、それを知らずにほめ言葉だと思っている人がいる。 小堀住研(株)は、1980年代、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言っていた。 「言っていた」というのは誰が言っていたのかというと、自分で「言っていた」のだ。 だから、そのまんま信じていいかというと、「そんなによくないじゃん」て建物もないわけではない。 1969年に竣工した私の親が小堀住研(株)で建てた家も、「新進気鋭の設計士」という設計担当者が設計した建物だったが、自分が住宅屋に勤めて住宅・建築についてある程度以上学んだ上で見ると、「なんで、こんなことするかなあ〜あ」という点はある。そもそも、「新進気鋭の設計士」というのは誰が言っていたのかというと、その時の営業担当がなんかそんなことを言っていたらしく、うちの父なんか信じやすいものだから、「新進気鋭の設計士」とすぐに信じこんでしまったのだが、まあ、物は言いようで、何から何までだめではなく、いいところもあるのだけれども、「なんで、こんなことするかなあ〜あ」という点もある。 「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」という表現は、これは営業のセールストークとして小堀住研(株)自身が言っていたことなのだが、そのあたりを「売り」にしている会社ですということで、まったく、あたっていないわけではない。 同時に「宣伝べたの会社」と言っていたのだが、これも、営業トークとして「宣伝べたの会社ですので・・・」と言うのは、逆に「セールストーク」であって、「宣伝べたの会社なので、本当はもっと高く評価されていいはずですのに・・・」と言いたい表現でもあるのだが、実際に「宣伝べたの会社」という面もあったのではないかと思う。 そして、「技術系の会社」と言っていたのだ。
   この場合の「技術系の会社」というのは、「小堀の家」「小堀ならではのデザイン」の家を設計することができる設計担当者、それを実現できる工事担当者がいますと、技術系に優秀な人間がスタッフとしていることを「売り」にしていたのだが、しかし、松戸営業所の課長だった I さんは「千葉支店で一級建築士を持っているのは、設計課長の I さんと俺の2人だけなんだぞ。 他、だ〜れも、一級建築士はおろか、二級建築士も持ってないんだぞ。 それで、『技術系の会社』と言えるか?」と言っていたのだが、世の中には、建築士の資格を持っていなくても優秀な設計や工事管理をする能力がある人はいるし、建築士の資格を持っていても資格を持っているだけの人もいるし、なにより、「いっきゅうけんちくしい〜い」と言えば人は言うことをきくという信仰・信念を持っている「いっきゅうけんちくしい〜い」てヤツが日本の建築業界にはゴマンといて困ったものだが、そういうのにろくなのいないと思うが、それにしても、小堀住研(株)は、設計・工事・工務・アフターサービスの従業員は4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の者、営業・人事・総務・経理は4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の者を採用するとしていたはずで(実際には、入社式の時に行くと、なぜか、「技術系」に短大の建築学科卒の男がいたのだが)、まがりなりにも4年制大学の建築学科を卒業して何年かその業界で勤めておきながら、一級建築士も二級建築士も通らないというのは、それは、たとえ、建築士の資格を持っていなくても優秀な図面を書く人はいるとしても、やっぱり、それは情けないのではないか・・・と思えるもので、それから考えると、「技術系の会社」て、それほど、胸張って言えるか? という面はあった。 かつて、小堀住研(株)は在来木造の会社だったが、木質パネル構法にシフトした時に、一級建築士を持っている人で辞めた人がいたことから、一級建築士を持っている人の数が減ったとも聞いたが、それにしても、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」とか言いまくっているわりに、千葉支店の設計課で一級建築士か二級建築士を持っている人間は設計課長1人だけ! 工事課・工務課には一級建築士も二級建築士も持っている人間は1人もいないて、たとえ、資格をもっていなくても優秀な仕事をできる人はいる、資格を持っている人間が常に優秀とは限らないとしても、いくらなんでも、情けないわな・・・・て感じはした。 同時期、東京支店(東京都の南半分管轄)においても、建築士を持っていたのは設計課長と工務課長の2人だけで、なんか、若造のくせして人間的に気難しくて何様やねんて感じの設計担当者のなんとかさんなんてのは、一級建築士も二級建築士も木造建築士もインテリアコーディネーターもインテリアプランナーも何も持っておらず、単に私立五流大学の建築学科を卒業してきましたというだけだった。しかし、そうはいっても、住宅展示場に建てていた建物や、カタログに掲載されていたものを見ると、いいなあ〜あと思えるものはあったし、「売り」にしていた壁体内換気システムなどはよく考えて作られていたし、プラン集に掲載されていた間取りもよくできていると思えるものが多かったので、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」というキャッチフレーズは、あくまで、キャッチフレーズではあるけれども、まったく、でたらめということはなかったと思う・・・・・が、早稲田大学を「私学の東大」と言うのはほめ言葉だと思っている人がいるが実際は「私学のくせに東大の後ばっかり追いかけている独立自尊の精神に欠ける大学」という意味で半分以上けなし言葉であるというのと同様に、同社を「技術系の会社」というのは半分はほめ言葉であったが半分はけなし言葉であったのだ。
   「小堀住研は技術系の会社」というのは、どこがけなし言葉だったかというと、「技術系」でない部分がご立派とは言えない、という面である。 私は、人事部長とかそういう役職には、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法などを学んできた者か商学部経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた者か、教育学部・文学部の教育心理学科・心理学科で心理学などを学んできた者かがなるものだと思い込んでいた。 その視点で小堀住研(株)の人事部長になっていた高田を見ると・・・、「こいつ、絶対、アホや」と思ったのだ・・・・。 彼は学歴は高卒でしょう。 あんな、旧帝大系国立大学卒はないわ、いくらなんでも。 「会社の内容を知ろうと思えば、営業を見るのではなく、人事や総務の人間を見ると、その会社がどの程度の会社かわかる」と私の父は言っていたのですが、それはあると思います。営業の場合、担当の営業がなかなかしっかりしていたとしても、それは、たまたま、その人がしっかりした人だったのかもしれないし、逆もありえます。 それに対して、人事や総務の人間がアホの会社というのは、その程度の会社だというのですが、そういう面はあると私も思います。
   人事・総務関係だけではない。 商品として考えた時、誰がどういう発想で作っているか、ということを考える必要があります。 「技術系の人間」が作った商品というのは、結論として、それは商品ではないですからね。 商品は商学部的経済学部的発想で作ってこそ商品ですからね。 1990年、小堀住研(株)で、専務で初代社長の小堀林衛の弟だという小堀東(あづま)が、アメリカ合衆国に建物の見学(業績につながらなければ観光旅行とたいして変わらないことになる)に会社の費用で行ってきて、帰国後、作ったのが「サンタバーバラ」というカリフォルニア州の都市の名前をつけたツーバイフォー工法(枠組壁構法)による本格的アメリカ的高級住宅だった。カタログを見ると、良さそうに見えた。 東京圏で百合丘、関西圏で芦屋に展示場を作った、というあたりは、高級住宅の客層を見込んだものだったのだろうけれども、そこにどういう営業戦略があって「作った」のか疑問も感じるものだった。 で、その後、社長の中島昭午は「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくって会社をつぶしたのだが、あの本格的アメリカ風高級ツーバイフォー住宅「サンタバーバラ」というのは何だったのか。 百合丘の展示場を見に行きたいと思いつつ、時間をとれず、そのうちなくなってしまった。カタログを見た限りはよさそうに見えたのだが、この場合、「よさそう」というのが、商品として「よさそう」なのか、単に、観光旅行に行って外国の家を見て「いいなあ」と思って、それをそのまま日本に持ってきて作ろうとしたというようなものだったのか。 外国に旅行に行って、「よさそう」と思ったとして、それをそのまま日本に持ってきたとして、いいとは限らないし、何よりも、「商品として」いいとは限らない。 それ以上に、小堀住研(株)は、もともと、在来木造の会社だったはずで、その時点でも東京都と関西圏では在来木造でも建てていたわけで、在来木造と途中からシフトした木質パネル構法の2通りで建てていたのに、まだ、3番目の構法としてツーバイフォー工法を始めるということについて、商業学・経済学的にどういう見通しで考えていたのか?  もしかして、な〜んも考えとれへん・・・・てことなかった??? そこが問題なんだよ、そこが。カタログを見た限り、魅力的な建物だとは思った。しかし、もともと、ツーバイフォー工法で建てていた会社がツーバイフォー工法の展示場としてカリフォルニア州のサンタバーバラで見たような家を、本格的なカリフォルニア風の家を作るというのならまだわかるが、木質パネル構法と在来木造で建てている会社が、3番目の構法としてツーバイフォー工法を始めることについて、どういう見通しでやろうと考えたのか? 「な〜んも考えとれへん」ではいかんのじゃないかい?
   技術的に、3通りの構法で建てるとして、はたして、設計担当者は3通りの構法に対応できるのか。工事担当者は3通りの構法に対応できるのか。 3通りの構法について、職人を確保できるのか、という問題がある。
   しかし、それ以上の問題がある。どういう顧客を獲得していくのか。顧客は何を求めているのか、顧客は何を欲しているのか・・・そのあたりを考えて、その「商品」は作ったか? そうではあるまい。自分がアメリカ合衆国カリフォルニア州に行って、観光客みたいに「いいなあ〜あ」と思って、帰国後、その感動を作品にした、というだけだろうが。「だけ」というと「だけ」ではないと言うかもしれないが、「だけ」とたいして変わらんだろうが・・・と思うぞ。

   「学歴によって人を差別してはいかんだろうが」と言う人というのは、中卒や高卒の人をどういう大卒の人間と「差別」してはいかんと言うのか聞いていると、建築学科卒とか医学部卒とか薬学部卒とかの人間と「差別」するのはかまわんらしいのだ。それはいかんことないらしい。どういうのがいかんかというと、経済学部卒・商学部卒・経営学部卒の人間と「差別」してはいかんと言うらしい。  そして、そういう人が言うのは、「経済学部とか商学部とかの学生なんて、大学で遊んどる」と言うのだが、そうか? 私は慶應大の商学部に入学してきた人間何人もから「大学てもっと暇なものかと思った」という言葉を聞いた。「もっと暇なものかと」思っていたら実際に入学してみると全然違った、と。 そして、そこでやっているものというのは、「学歴で人を差別してはいかんだろうが」と言う人の言うように、有害無益なものばかりなのか?  そうではないと思うのだが、それを言うと、「差別だろうが」と言う人がいるのだ。 それでいて、医学部卒の人間、建築学科卒の人間とは「差別」されても別に文句は言わないようだ。 私なども、小堀住研(株)の後、勤めた会社でも言われたことがある。「おまえは慶應で、マーケッティングなんかやって遊んでたんだろうがあ」と。 このブログでも複数回すでに述べたと思うが、「マーケティング」は、あくまでも「マーケティング」であって「マーケッティング」とは違うのだが、高卒の人に「マーケティング」と言うと、「マーケティングなんて言いやがって腹立つなあ、この野郎。 マーケッティングと言え」とか言われるので、そして、「マーケッティング」と言わされるのは嫌なので、それで、私は会社という所では、できるだけ、「マーケティング」という言葉は口に出さないように気をつけている。
   慶應の商学部の教授で、「大学では、商学部の専門科目なんかよりも、一般教養科目、哲学とか宗教学・人類学・歴史学といったものの方を中心に勉強して、一般教養科目と商学部の専門科目だと、6対4か7対3くらいで一般教養科目の方を中心に学習した方がいいのじゃないかと私は思っています。私の書いた本なんか、読んでもらって悪いことはないけれども、それよりも、一般教養の古典と言われるようなものをもっと読んでもらいたいと思います」と話された先生がおられたが、私の場合は、そうしようと思ったわけではなくて、もともと、商学部に行くつもりはなかった人間が何の因果か行ってしまって、もともと、哲学徒で心理学に関心があった人間で、もし、そういう方面の専門の研究者にならないなら、法学部に行って裁判官か弁護士になろうと考えたりしていた人間が、「あさっての方向」の商学部に行ってしまって結局ともかく卒業させてもらったという人間だったので、その結果として、「(法学部+商学部+哲学・心理学)÷3 みたいな感じで卒業させてもらった商学士」になったのであり、結果として、「一般教養科目を相当学んできた商学士」になったのだが、実際に卒業して会社という所に勤めてみると、どのみち、大学卒業までに学んだものだけでその後は何も学ばずにやっていけるというものでもなし、これは会社で役に立つだろうと言われていたものが必ず役に立つというものでもなし、実際に勤めてみないとわからないもの、勤めてからの方が実感があって学びやすいものもあるわけで、その点でその教授が言われたことは間違っていなかったと思う(但し、就職するまでの段階で、専門科目を中心に学んだ人間の方が採用されやすいということがないかどうかはわからないが)。 それで、私は、慶應の商学部は卒業させてもらったけれども、「マーケティング」のゼミに入っていた人間などに比べれば、マーケティングについて学んできたものは多くはないのではないかと思っていたのだが、そんなことはたいした問題ではないと会社に勤めて思った。 そうではない。 「競争」といっても、旧帝大系国立大学や早慶の出身の人間同士での比較ならともかく、「高卒の痴漢人間」との比較で見たら、月とすっぽん。 話にならない。 慶應の教授で「慶應クラスの大学の出身者がいくらでもいる会社に勤めると、実力を発揮する機会がなかなかないのに対し、慶應クラスの大学の出身者はめったに入社しないというくらいの会社に勤めた方が実力を発揮する機会があっていい」という先生がけっこうおられたのだが、しかし、旧帝大系国立大学や早慶の出身者ばかりの会社に勤めて「競争」に負けたとしても、それは負けた自分が悪いのに対し、慶應クラスの大学の出身者なんてどこにもいないという会社に勤めて「競争」に負けたのでは、元も子もないではないかと思ったのだが、それを父に話したところ、父が言うには「それはありえない」ということだった。 「慶應クラスの大学の出身者が、高卒かそこらの人間しかいない会社に行って競走に負けるなどということは、天地がひっくり返ってもありえない」と父は言うのだったが、もしも、天地が5、6回ひっくり返ったらどうしてくれるんだよ・・・と思ったのだが、実際に会社に勤めてみると、たとえば、小堀住研(株)の「高卒の痴漢人間」を見て、なるほど、こんなのに「競争」で負けるなどということは天地がひっくり返ってもありえないわ、と思った。 それは、大学で一般教養の方を中心に学んだ人間とマーケティングなどをもっぱら学んだ人間とどちらがいいかなどというようなそんなハイレベルの話ではない。 マーケティングと経営学とどっちが役に立つかなどというような話でもない。 あほくさい。 「ただの高卒の病的痴漢人間」と比較されること自体があほくさいわ!
    1989年、小堀住研(株)の千葉支店に赴任した渡邊士直が、「○棟限り。 大安売り」という新聞折り込みチラシを作成して、同社の「高品質低価格タイプ」の「ハウス55」を「大安売り」しようというチラシを新聞折り込みで入れたのだが、私は、それは営業戦略としておかしいのではないかと思ったのだ。 そうでなくても、千葉県では、高額物件の契約がなかなかとれていなかったのだ。 同社には、木質パネル構法によるもので、高級志向の「新 桂(しん かつら)」と高品質低価格タイプの「ハウス55」の2系統があった。 高品質低価格タイプの「ハウス55」は、在来木造ではその価格では構造上品質のよいものは無理だが、木質パネル構法でなら可能であるとする、在来木造では低めの価格帯であり、在来木造でならその価格帯では構造に不安があるのではないかと思われれる客層にとっては、「庶民の味方」として評価されたものだったのだが、しかし、「庶民の味方」をさらに「大安売り」としてのチラシを入れてしまうと、その「庶民の味方」が「安売り商品」、ともかく安いというタイプの商品の評価になってしまうおそれがある。そうなると、もともと、あくまでも「高品質低価格」という「その内容から考えると低価格」「その価格から考えると高品質」であっても「ともかく安い」というわけではない「ともかく安い」ということならもっと安い商品は他社にあるという商品なのに、「ともかく安い」かのようなチラシを入れると、商品の価値を下げてしまうことになり、その結果として売れなくなってしまうおそれがある。 又、ある程度広い価格帯で建てている会社が、低価格帯の商品ばかりを掲載したチラシを入れたのでは、高価格帯の見込客を失うおそれがある。 さらに、高価格帯の商品があり、高価格帯の家を建ててくれる顧客があって、高価格帯の住宅展示場があるからこそ、その建物を建てている小堀住研(株)が作る「高品質低価格」商品だということで「ハウス55」は評価されていたのであって、高価格帯の「新 桂」を捨ててしまい、「高品質低価格」の「ハウス55」を「高品質低価格」ではなく「安売り商品」としてアピールしてしまうチラシを入れたのでは、もはや、そのチラシを見た人は、「ハウス55」を「高品質低価格」のものと把握せず、「ともかく安い」というものだと理解して展示場に来ることになり、そして、「ともかく安い」ものを期待する客層をつかんだとしても、「ハウス55」は、あくまでも「高品質低価格」の商品であって「ともかく安い」商品ではないので、「ともかく安い」ものを期待する客層にとってはまだ高いものであって、建てることができないケースも出てくる。 だから、「高品質低価格」のタイプの商品を「ともかく安い」と受け取れるようなチラシを作って新聞折り込みで入れるというのはおかしいのではないか、と私は松戸営業課長の石井さんに話したことがあったのだ。 それに対して、石井さんはどう言ったかというと、「支店長が勝手にやってるんじゃないんだ。 東部営業本部長の許可を得てやってるんだ」と言ったのだが、東部営業本部長というのは誰かというと、富士銀行でどこやらの支店長を2年かそこらちょろっとやっただけで、富士銀行から小堀住研(株)に出向できて役職だけ東部営業本部長とつけてもらっていた小堀住研(株)の従業員から、「ま〜た、銀行から何もわからんやつが来るのか」と言われていた、「本部長、アタマぼけてる」「認知症」と言われていた増田和二であり、増田和二が許可したといっても、何を見て許可したのか、許可してよいかどうか何をもとに判断したのかというと、東部営業本部長という役職につかせてもらっていた増田和二を無視しなかったかどうかを判断しただけ。それだけしか能はない、脳はない。それでは、だめです。

   結論として、「高卒の痴漢人間」に支店長は無理です。 実際、旧帝大系国立大学や早慶出身の人間同士での「競争」なら、勝つこともあれば負けることもあるでしょうけれども、「高卒の痴漢人間」と「競争」して負けることはありえない。 「な〜んも考えとれへん」のですから。
   まず、商品とは何か。 ひとは何を買うのか。 そのあたりの認識からして、「高卒の痴漢人間」は基本的な考え方が欠落しているのです。 
≪ 化粧品を考えてみよう。アメリカでは、1968年度でほぼ30億ドル(工場出荷額)の産業である。 それでもまだ、1968年中に一人のアメリカ婦人が1セントの化粧品を買ったことにもならない。 レブロンを今日の大企業に仕上げた天才的経営者であるチャールズ・レブソン(Charles Revson)はこういった。 「工場においてわれわれは化粧品をつくる。 化粧品店においてわれわれは希望を売る。」 なるほど、女性は化粧品を使う。 しかし女性は化粧品を買うのではない。 希望を買うのである。 レブソンは人間の衝動を正しく理解するための金字塔をつくりあげたのである。 高雅でありたいと願う心はけっして性的錯乱の一種ではない。 このことをレブソンは知っている。
   「希望」は化粧品につけた付加物――お客が満足するに違いない恩恵についての特別のちぎりなのである。 それが化粧品を魅力あるものにしている。 レブロンが消費者に売り込んでいるのは化粧品という物質ではなくて、人とはちがった奥深い美しさ、成し果たしたというひそやかな満足感、性的魅力――この三つのちぎりなのである。 肝心なものは、レブロンがコンパクトのなかに入れた物というよりも、贅を尽くした容器、幻想を誘う広告によって顧客の心の底に焼きつけたちぎりなのである。 ・・・・≫
( セオドア=レビット『マーケティング発想法』土岐坤(とき まもる)訳 1971.1.28. ダイヤモンド社 「製品とは何か―レブロンは「希望」を売る」 )
   セオドア=レビット『マーケティング発想法』(ダイヤモンド社)は、慶應の商学部で、村田昭治教授の「商業学総論」に出た時に、講義と別にマーケティングについて読む本としてはと紹介された本の1冊だったのですが、私は、もともと、哲学徒で、「に、に、ニーチェかキルケゴールか・・・♪」みたいな人間でしたので〔《YouTube-野坂昭如  ソクラテス サントリーゴールド900 1976年》https://www.youtube.com/watch?v=SwzQkt56T6Y 〕、「商業学総論」に出た時は、あんまり、こういう系統の本は好きではなかったのです。 せっかく、小学校の1年の時から真面目に努力して勉強してきたのに、なんで、こんなもの学ばなければならないのかというくらいの気持ちでしたが、ともかく、講義を受講しましたので、「村田先生の本は講義に出て話を聞かれていますから、他の人の本を読まれてもいいのではないかと思います」と助手なのか大学院生なのかが紹介された本がこれでした。
   ここで述べられているのはもっともなことですが、しかし、この本を読まなければまったく理解しない理解できないというものでもないとこれを読んだ時は思ったのです。 そう思いませんか。 しかし、「高卒の痴漢人間」は、考えようによっては当たり前のことを理解できないようなのです。 もともと、ほとんどの学問はそうかもしれませんが、分かった人間、わかっている人間にとっては「この程度は当たり前じゃないか」と思えるものが、人によっては決して当たり前ではないようです。

   化粧品に関しては、マーケティングの本ではない本でも似たような記述を読んだことがあります。
≪ 時間をかけて準備したのに、会場に足を踏み入れたとたん、まわりの女性たちが自分よりずっとすてきに見えて、何となくひるんでしまったといったことはありませんか。 そんなとき、うしろからそっと背中を押してくれるような香り、それが特別の香りです。 つけただけで背筋がピーンと伸びて気分が高揚し、心地よい緊張感がみなぎり、まるで女王様になったような気分。 こんな香りをつければどんな席でも気後れせず、自分らしくエレガントに振る舞えます。・・・・≫
(榎本優作『最新版 香水の教科書 愛されるための109のテイスト』2004.4.21.学研)
   香水にも様々なものがあるわけですが、「気後れしてしまって前に進めない時、そっと少しだけ背中を前に押してくれる存在」、それが香水であるという。 香水とは、「体につけるとニオイがする液体」ではなく、「他の女性が自分より素敵に思えてしまって前に進めないと言う時に、ほんの少しだけそっと背中を前に押してくれる存在」というのが、あるタイプの香水の概念の正しい理解ということでしょうか。

   「商業学総論」の講義では、サンリオの話を聞きました。「サンリオは鉛筆やハンカチや飴を売っているのではない。 サンリオは夢を売っているのだ」と。 もっとも、自分の会社で鉛筆やハンカチや飴を作ることなく、「夢」を売る会社というのは、特定の分野の工場を持って特定の分野の商品を売る会社と比べて考えた時、ヒットする「夢」を作り続けなければならないわけですから、それはそれでけっこう大変なところがあるのではないかと思いますが、しかし、商品の理解のしかたとして、鉛筆やハンカチや飴を売っているのではなく、サンリオが売っているのは「夢」だという発想というのは、それは、企業の商品を理解する上で重要なものではないかと思います・・・・が、この話を聞いた時も、なるほど、そういうことがあるかとは思ったのですが、この話を聞いてマイナスになるということはないでしょうけれども、この話を聞けば、その問題について理解できるが、この話を聞かなければ理解できないというような性質のものでもないように思ったのです。 しかし、自分が会社という所に勤めて見て、どうも、そうではないようだと知りました。 「高卒の痴漢人間」はこういうことがまったく理解できないのです。

   住宅建築業の業界においては、これを言うと女性に嫌われるのじゃないかと怖いのですが、三井ホーム(株)が住宅展示場の入口に吉永さゆり の等身大のポスターを設置していたのは、あれは、「三井ホームで建てた家に住めば、私も吉永さゆり のようになれるのじゃないかしら」という夢を売っていたのか? で、その夢に誘われて三井ホームで建てると、実は、吉永さゆり のようになれるかどうかは家の問題じゃなかった、と現実を知ることになり、夢と現実を実現できる・・・というそういうものか? と冗談で職場の同僚と話していたことがあったのですが、まるまる「冗談」でもないように思います。 実際、三井ホームはそういう「夢」を売っていたと思いますね。

   そもそも、もともと、「高品質低価格」というタイプの「ハウス55」を、「今月限り」とか言って「大安売り」「○棟限り」とかいうチラシを入れて売るという方法がどういう効果があるか。 その時、そのチラシによって何棟か売れたとしても、それによるマイナスはないのか? そのあたりを、東部営業本部長は考えて、許可するかしないか判断しないといけません。 その判断を間違えると、会社はつぶれます・・・・・が、銀行から出向できていた「認知症」と言われていたじいさんはどういう判断をしていたかというと、東部営業本部長という自分の立場を尊重して許可を求めてくれたかどうか、それだけしか見ていなかった。 それだけしか見る能力はない人だった。 それではだめです。

   「高品質低価格」タイプの「ハウス55」を「ともかく安い」タイプであるかのように表現したチラシを新聞折り込みで入れた直後、「痴漢人間の渡邊」が、「どうも、高い物件の契約がでないなあ。 どうしてなんだろうなあ」と言うのを聞きました。 あきれました。 「どうしてだろうな」なんて言うのです。 あんたが、「小堀住研は安もんの会社ですよおお、と書いたチラシを入れたんだろうが。だから、高額物件の見込客は敬遠するようになったんだろうが」。 わかりませんかねえ、普通はわかると思いますがねえ・・・・。
   今は昔、阪神タイガースが何年もCクラスを続けていた頃のこと、ラジオの野球中継で、アナウンサーが「きょう、甲子園球場で球団職員の方と会いましたら、『どうも、今年はお客さんの入りがよくないんですよ。どうしてでしょうねえ』と言ってました」と言ったのに対し、解説者 江本孟紀が「はあ〜あ・・・。 そんなこと言ってましたかあ〜あ・・・。 ぼくは、何でお客さんの入りが悪いか知ってますよ、ぼくは。そりぁ、いくらなんでも、こんなけ、ボロクソに負けたら、いくらなんでも、もう、見に行くの、嫌になりますよ、いくらなんでも、これだけボロクソに負けたらあ! 『どうして、今年はお客さんの入りがよくないんでしょうかねえ』なんてそんなこと言ってましたかあ。 わかりませんかねえ。 普通はわかると思いますけどねえ〜え。 案外、球団の中にいるとわからんもんかもしれませんね。一回、教えてあげましょうかねえ」と発言したことがあった。さすがは江本♪ それと一緒。「どうも、高額物件の契約があがらないなあ。 どうしてだろうなあ」て、普通、わかると思いますけどねえ、あんたが、「うちの会社は安もんですよお」と書いたチラシを入れたんだろうが、わからんのか!?! と思ったが、「高卒の痴漢人間」はまったくわかっていなかった。 そんなもんらしい。

   そういえば、渡邊は「ぶうわあ〜っとなって売るんじゃ」とか言っていたことがあったのだが、その「ぶうわあ〜っ」てなんだ、それは?  そういう躁病みたいな状態になれば、営業は「売れる」とか思っているのなら、それは認識が違うと思うぞ。
   そもそも、「家」とは何か。 「ともかく、屋根があって壁があって床があって、雨風はしのげるもの」ということなら、「大安売り」「今月限り」「○棟限定」と言えば、「ぶうわあ〜っとなって買いに行くんじゃ」と言う渡邊の発言のような状態になる人もいるのかもしれないが、住宅てそういうものか?  なんか、発想がずれとるのと違うか?

   実際問題として、私が、セオドア=レビット『マーケティング発想法』を読んだり、慶應の「商業学総論」の講義で話を聞いたりして、それはプラスになるかマイナスになるかと言えばプラスになるものだろうけれども、その本を読まなければ絶対に理解できないとか、その講義で話を聞かなければ絶対に理解できないというものでもないだろうと、その時は思ったのですが、そうではなく、現実の会社には絶対に理解できない人というのがいたのです。
   小堀住研(株)では、その程度の人で支店長になっている人がいた以上は、東部営業本部長という役職についている人は、そういう人をチェックして、その程度の支店長が「ぶうわあ〜っとなって」変なことをしないように管理しなければいけません・・・・が、単に銀行からの縁で「横滑り」ではなく「上すべり」という表現が妥当かどうかわかりませんが、もといた銀行での役職よりも上の役職に「二度のお勤め」としての出向できてつかせてもらっているというご隠居さんでしかない人がなっていたのであり、従業員から「認知症」と言われていた「ご隠居さん」には、的確であるか否かにかかわらず、そういう判断をしようという姿勢が最初から欠落していた。

   1980年代の後半、私が小堀住研(株)に入社した時、「フリープラン」「自由設計」の高価格志向タイプの「新 桂」と「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の2系統を木質パネル構法で建てていた。 東京都と関西では在来木造でも坪当たり80万円以上の価格帯で残していたが、他に、「サンタバーバラ」というカリフォルニア州の都市名をつけたツーバイフォー工法による高価格帯の住宅を始めたが、これをどう分類するか。 木質パネル構法と在来木造とツーバイフォー工法の3種類に分類するのは、構造による分類、建築学の上での分類。 それに対して、商業学・マーケティングの上での視点から分類するのなら、高価格帯の「新 桂」「サンタバーバラ」「小堀の木造住宅」と「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の2タイプの分類でしょう。 これは、慶應の商学部で「商業学総論」とか「商業学」という科目名の講義に出席してそういう本を読んできたらわかるというものではなく、読まなくてもわかるのではないかと私は思ったし、そういう学習をしてきていなくても、実際に営業してみればわかるのではないかとも思ったのだが、「高卒の痴漢人間」にはちっともわからないようだった。「銀行から来たご隠居さん」もまたちっともわからないようだった。
    小堀住研(株)に入社した時の新卒社員研修で、「フリー(高額物件タイプ)を売るには、最低3年かかる」言われ、「フリーのお客さんの場合は、課長か設計を一緒につれていって話をするようにしないとだめ」と言われた、「できるだけ早くひとりでフリーを売れるようになってほしい」と言われたものです・・・・が、その当時、「高卒の痴漢人間」で支店長になっていた男がいて、銀行から「二度のお勤め」として出向で来ていた「ご隠居さん」が東部営業本部長になっていたという実態を考えると、その当時の小堀住研(株)には、私に、3年も一線の営業をさせておく余裕はなかったと思われます。 野村克也が楽天の監督になった年に田中将大が入団してきて、田中を最初から一軍の先発で投げさせたことを、野村は、本当なら高校卒業1年目の人間に最初から一軍の先発で投げさせたくなかったけれども、他に投げさせる人間がいなかった、と書いていたが、私が入社した時の小堀住研(株)は、新卒入社の人間には、できれば、3年くらい一線の営業を経験させた方がよかったのだろうけれども、会社にとっては、その時の私を3年も一線の営業を経験させる余裕はなかったはずだ。 「高卒の痴漢人間」で支店長になってしまっている人間がいて、そして、「二度のお勤め」で銀行から出向できている「認知症」と従業員から言われているじいさんが東部営業本部長になってしまっていて、「歯止め」をかける人間がいない状態だったのだから。

   「社会科学概論」という講義で、教授が話されたことだが、I 教授のゼミの卒業生で、日本で名前を言えば誰も知らない人間はないという会社で、入社して3年かそこらのうちに、その会社のその地方の営業をほとんど一人で扱うようになったという人がいたというのだ。 そうなると、会社は、もう、何でも好きなようにやってくれという感じだったという。 その人の卒論のテーマは何だったかというと、マーケティングだとかではなく、「マルクスとウェーバー」だったというのだ。 そこで、教授が言われたのが、「何でも、真剣に学んだことがある人というのは、物事が見えるようになるようです」と。 これは、一般教養を重視するべきだと言われた教授の発言と共通するように思えます。
   大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(1978.4.20.みすず書房)所収の「社会科学を学ぶことの意義について」(1969年、東大経済学部自治会主催の講演に加筆)に、
≪  こんどは諸君が自分の理性的な立場にてらして取捨選択して使うということをやって下さい。 くれぐれも言いますが、自己の実感などにてらしてはだめですよ。 実感というものは、たえず蜃気楼をともなっているものですから、危険です。 理性にてらして、実感を批判しつつ、よく考えてみて下さい。 ・・・・≫
と出ていますが、私は複数の会社に勤めた経験から、どうも、低学歴の人で一線の営業はある程度はやってきたというタイプの人には、この≪自己の実感≫ではなく≪自分の理性的な立場にてらして≫考えるというのができない人が多いということを見せつけられてきました。 どうも、職場での経験だけでは、≪自己の実感≫ではなく≪自分の理性的な立場にてらして≫考えるという姿勢がなかなか身に着かないようです。
   (株)一条工務店で、相当多くの契約をあげてきたという人でも、「空の広さは浜松の広さと同じだ」と思っているような人が何人もいた。 「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだというのなら、それは正しい。しかし、空の広さは浜松の広さと同じだと言うのならそれは間違っている」と教えてあげたい衝動にかられるのですが、教えると彼らは怒りますから、怒る相手に教えても馬鹿らしいだけなので、教えるのはやめます。あほくさいですから。 しかし、そういう人っているようです。 小堀住研(株)の「高卒の痴漢人間」もそういうところがあったようです。渡邊は、「安物は売れる」「安物は売りやすい」という意識があったようです。 だから、千葉支店でも、自社にある商品は「高額物件タイプ」の「新 桂」と「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の2系統であって、「ともかく安い」という商品は持っていないし、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」を「ともかく安い」タイプと勘違いして展示場にきて、「高いじゃないの」と言い出す人がいるということも知らない男だったのです。 「高品質低価格」タイプといえども、「ともかく安い」タイプよりも高かったのであり、なぜ、「高品質低価格」だったかというと、会社によって販売戦略が違い、住宅建築業の営業の間では、ダイワハウスは値引きがすごいと評判だったのですが、それは、最初に出した見積もりの値段から、何百万と平気で値引きすることで客によっては感動して契約する(人によっては、それでも利益が出るとは、いったい、元の見積もりではどんだけ利益を載せてたんだと怖くなる)というものだったようですが、「ハウス55」は「高品質低価格」にするために、最初から利益率はそれほど高く設定していなかったのです。 だから、そこから、まだ値引きして契約しようとしても、値引きできる範囲は大きくないのに、実際よりも安いと思い込んでいる人に見込客として来てもらって、「高品質低価格」としてのものを十分建てることができる人に敬遠されたのでは、それでは仕事はやりにくくなるはずなのですが、「安物は売りやすい」「低価格の客層は相手にしやすい」という観念を持っている人は、「安物うり」をしたがるようでした。
   おカネのある人とない人では、別におカネのある人がいい人とかいうことはありませんが、しかし、住宅建築業の営業の仕事をするにおいては、おカネのある見込客の方が見込客としていいのは事実です。なぜなら、おカネのない人は、どんなに人間性のいい人でも、計画を立てていくと予算の上で無理だとなって建築を断念することになる可能性があるのに対し、おカネのある人は、ともかくも家1軒建ちますから。だから、営業の立場としては、予算の厳しい人の担当をしないなどとは言いませんが、実際問題としておカネのある人の方がいいことは事実です。 ところが、なぜか、渡邊は、建築費を多く出せる人を捨てて、建築費がない人を相手にしたがる。 な〜んでか?  ・・・・小堀住研(株)の新卒社員研修では「精神的に貧困なヤツは高額物件の契約は取れない」と、言われたのです。やっぱり、「痴漢人間」には、「痴漢人間」が担当でも契約してくれる人、「うちは、お金がないから、営業さんだって格下の営業さんでも我慢するしかない」と思ってくれる人の契約を狙うしかないということでしょう。 その発想は渡邊さんだけが営業担当ならそれでもいいのかもしれませんが、そうではないのです。 小堀住研(株)の営業は誰もが「痴漢人間」ではないのですから、それがあてはまらない人もいる、あてはまらない人の方が多いのではないでしょうか。 「理性」ではなく「実感」で物事を考える人はそれが理解できない。 だから、「安物売り」に走ったということでしょう。

   もっとも、「痴漢人間」といっても、渡邊は「俺は、会社の女の体はいくらさわってもかまわんと中島社長から許可されとるんじゃ」と発言したように、会社の女性社員に対して「痴漢人間」ですが、見込客・契約客に対してそれを見せるわけではないからわからないかというと、実はそうでもないようです。 そのあたりを次回、述べます。
( 2017.2.14.)

☆ 『東尾になれなかった男−「いかり」・阪急不動産が存続して小堀住研(株)がつぶれた理由』
1 「大卒しかとらない会社」に高卒の人間を採用してよいか http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_2.html
2 痴漢人間は支店長はできない 酒を飲まない自称「酒好き」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_3.html
3 営業妨害は支店長の権利ではない http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_4.html 
4 ビジネスマナー欠落痴漢人間 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_5.html
5 レブロンは希望を売る、小堀住研は安売りに落ちる 〔今回〕
6 痴漢人間の作る住宅はその程度 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_7.html
7 堕落した建築屋と程度の低い不動産屋 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_8.html
8 締日直前の営業妨害 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_9.html
9 社内痴漢を許可する社長 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_10.html
10 痴漢人間は顔に出る http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_11.html  

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
レブロンは希望を売る、サンリオは夢を売る、小堀住研は安売りに落ちるー『東尾になれなかった男5』 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる