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zoom RSS 会社間のビジネスマナー欠落男、従業員に休日に自分の私用をさせようとする男ー『東尾になれなかった男4』

<<   作成日時 : 2017/02/14 21:18   >>

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[第511回] 営業と会社の話(103)-4
『東尾になれなかった男―「いかり」・阪急不動産が存続して小堀住研(株)がつぶれた理由 4』

「高卒の痴漢人間」には支店長はできない理由[3]
   [第410回]《「営業進捗表」に意味はあるか 「痴漢人間」は支店長をできるか?「管理者的能力」の欠落営業課長 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_11.html で述べたが、高卒の痴漢人間の渡邊は、松戸営業課の課長の石井が提出した営業進捗表の内容が気にいらないと私に攻撃してきたのだが、私が書いたわけでないものを私に言われてもどうしようもない。それを承知で「ごらあ〜あ。申し訳ございませんと言ええ、ごらあ」と恫喝を加えてきたのだ。そういう男を支店長にされたのでは従業員として迷惑であり、その結果、その分だけ、会社の業績は低下することになる。 高卒の痴漢人間を支店長に就任させたアホはこのあたりをよく考えてみるべきだ。 人にはできることとできないことがある。 その人の能力と役職は右足と左足のようなところがある。その人の能力よりも少し上くらいの役職につけたなら、その役職に合わせるべく能力が向上するということはありうると思う。 しかし、相当差がある役職につけたなら、右足と左足は引きちぎられることになる。そのあたりを考えて会社の人事はおこなわないといけない。高卒の痴漢人間を支店長につかせたのでは、周囲の従業員が迷惑するのでやめるべきだ。

「高卒の痴漢人間」には支店長はできない理由[4]
   [第412回]《「会社の役職を軽視する社長」 「痴漢人間を大事にする社長」 この2つの思考は対立でなく共通するらしい》http://shinkahousinght.at.webry.info/201605/article_2.html で述べたが、 高卒の痴漢人間の渡邊士直と富士銀行から出向できていた増田和二は、私の父の勤務先がその他の業界と一緒に取り組んでいたアトピー性皮膚炎についての合同研究会について、ビジネスマンとしての常識に反する礼儀知らずな態度をとった。 小堀住研(株)の入居者でもある私の父と勤務先会社は渡邊士直とその上役 増田和二と小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)⇒ヤマダエスバイエルホーム(株) http://www.sxl.co.jp/ 〕のおかげで顔をつぶされた。 こういう対応をされれば、次からその会社には、もう話は持って行けないことになる。 そのあたり、高卒の痴漢人間には、ビジネスマンとしての最低のマナー・ルールを守るということができないのだ。 なにゆえに、「大卒しかとらない会社」にそういうアホを採用しなければならないのか。 なにゆえに、そんな人間を支店長にならさなければならないのか。  ならせた人間もアホだということか・・・・? 「・・・ということか?」ではなく、アホだったのだろう。 だから、会社をつぶしたのだ。

「高卒の痴漢人間」には支店長はできない理由[5]
  [第386回]《忙しい者に手間をかけさせてチャラける痴漢支店長―自分が働いていない時は見えない場所で[4]》http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_5.html で述べたことだが、「高卒の痴漢人間」には、その会社が、その会社の従業員がどういう働き方をしているか、その会社が、その支店がどういう状況か、見えない。 「ほい、さし入れえ♪」とやって、ちゃらけてこましたろ♪ と思うと、一番忙しくしている人間に、パン買って来いと言って(まず、その発言こそ、会社の仕事を忙しくしている人間に対する侮辱行為であるが)、買いに行かせて、そして、たいして忙しくしているわけでもない者の所に持って行って、「ほい、さし入れえ」「ほれ、さし入れえ」「ほれほれ、支店長のさし入れえ」とやってちゃらけてみせる。 こいつ、やっぱり、アホだなと思った。 そういう人を、「大卒しか採らない会社」に採用しなければならない理由はないはずなのだ。 ましてや、なぜ、そのアホが支店長になっているのか、ということだ。 そのおかげで、「ほい、さし入れえ♪」とされた千葉支店の従業員は迷惑しているのだ。

「高卒の痴漢人間」には支店長はできない理由[6]
   労働基準法上の労働時間制限は、かつては1日8時間1週48時間(1日8時間で週に6日働くと48時間になるという計算)だったが、1988年(昭和63年)に1週46時間になり、1991年(平成3年)に44時間になり、1994年(平成6年)に1週40時間となった。 〔《厚生労働省 労働時間制度の変遷》http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/04/s0428-5f.html 〕
   「高卒の痴漢人間」には支店長はできない理由[3]で述べたが、渡邊は、すでに労基法違反の状態にあった月2回実施されていた千葉支店の営業会議と朝礼を毎週に変更したが、これは労働基準法という日本国の法律に違反するものである以上、従業員は出席しなければならない義務はないことになる。 義務はないとしても、それがその会社での業務にとってプラスになるものであるならば、まだわからないことはない。 しかし、渡邊が個人的に営業に嫌がらせをやりたいためにやっているだけのものでしかなかった。各支店には「業務課長」という役職の男がいた。 各支店にいた業務課長というのは、同社が建てた住宅の契約客から最終金を支払ってもらえるよう確認し、住宅金融公庫から融資を受けた顧客の場合は入金されるのを確認するという「業務」をおこなっていたとともに、本社には人事課というものがあったが、各支店に人事課・総務課はなかったので、各支店における人事総務の役割でもあった・・・・のだが、千葉支店に1989年7月、渡邊が支店長になって来た時と同時期に赴任した越智(おち)氏は、支店における人事総務課長という役割である以上は、午前9時から千葉支店で朝礼をやってその後に営業会議を実施するというのは、それは労働基準法上の労働時間制限に違反しますから是正するべきですよ、ということを言わないといけないはずなのです。 言えなければ、各支店における人事総務の役割である業務課長としての価値がないことになります・・・・が、価値がない業務課長だったようで、彼は何も言わない、というより、言えない人間だった。
   さらに、あきれたことに、渡邊は「仕事も一緒、遊びも一緒」などと書いたFAXを各営業所にまわしてきた。それでは、休日に、私生活にまで干渉することになり、「仕事も一緒、遊びも一緒」などと言って、支店長の「遊び」にまで休日につきあうのを強制したのでは、会社はその「遊び」に対して給料を払わないといけないことになりますから、そういうことはやめてくださいと、渡邊のような常識が欠けている男が支店長にならされてしまっている支店においては、支店における人事総務の課長の役職にある者は言わないといけません。言えないようでは、支店における人事・総務の課長の役職についている意味がないことになります。 ところが、あきれたことに、「業務課長」の越智氏は、渡邊から、これをFAXで各営業所に送れと言われてどうしたかというと、「子供の使い」。 「言われたから送った」と。 私は越智氏に尋ねたはずだ。「どうして、(支店における人事総務部門担当の業務課の課長なのに)あんなFAXを送ったのですか」と。 越智氏はどう言ったかというと「送れと言われたから送った」と。「送れと言われたから送った」というのは、それは「子供の使い」であって、人事総務部門の課長のやることではないはずだ。
   業務課長というのは、各支店における人事総務の役割を持っており、そして、人事総務の課長というのは、4年制大学の法学部で労働法などを学んできた人間か商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人間か教育学部・文学部で心理学などを学んできた人間か、そういう人間がつく役職であり、そうである以上、「送れと言われたから送った」などと言っているようでは業務課長を辞めるべきであろう。「送れと言われたから送った」では、おまえはアホか!?! ということになるはずだが、そういう人が「業務課長」だった。
  私が慶應義塾大学の学生であった時、5限目は午後4時30分から午後6時00分までであったが、ある教授が、その5限目の講義の時に、「私は、ここにカバンを持ってきているのですが、どうしてかわかりますか」と話されたことがあった。「慶應の教授の研究室に、事務のおばさんがいるのですが、彼女の勤務時間は午後5時までなんです。 ところが、教員のカバンが1つでも残っていると、彼女は帰ることができないのです。ですから、私は5限目を担当している時には、カバンを持ってくるようにしているのです。 彼女に労働基準法違反の無賃労働をさせる権利は私にありませんし、私がカバンを持ってくれば、それで、彼女は時間外に無賃労働をしないですむのですから。」という話をされたことがあった。 「一流大学」と言われる大学の卒業生は、そういう配慮をすることができる人間であるべきであり、そして、そういう配慮をする能力がある人間が会社においては管理者になるべきである。 それが「管理者的能力」というものであるはずだ。
  「渡邊さんが支店長になっているというのは、会社の女性社員の体をさわるのが支店長として当然のことだと信念もってやる人ではあるけれども、それが理由で支店長になっているとは限らないじゃないか。そういうところがある人であっても、他の点でそれ以上に優秀なところがある人だからなっているのかもしれないじゃないか」などという者が小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)〕にはいたのだが、その発言は筋金入りの寝言である。 「高卒の痴漢人間」には、「一流大学」卒の人間と同様の「管理者的能力」はもとよりないし、渡邊はそういう能力がないことを次から次へと積極的に証明して見せていたのである。
   渡邊士直は「この俺は、中島(昭午)社長から、会社の女の尻はいくらさわってもかまわんと許可されとるんじゃ」と発言したが、社長の中島にそういう「許可」を与える権利があるかというと、そんな権利などない。むしろ、逆に、社長の中島昭午には渡邊士直のような痴漢人間を取り締まる義務があったはずであり、義務を果たさない社長は社長として責任を問われないといけない性質のものであった。
   渡邊士直は、「仕事も一緒、遊びも一緒」などと独立自尊の精神に欠ける文句を大書きした紙を業務課長の越智に各営業所にFAXで送信させて、休日にまで、同社の従業員を自分の我儘につきあわせようとしたのであるが、常にそういうことをしないとおれない人間としての姿勢が頭にも体にもしみついており、それは、支店長といった役職につかせてはならない人間であることをはっきりと示しているものであった。 会社の役職というものは、そういったことを考えて決めるべきもので、こういったことを考えずにでたらめで役職を決めると、「秩序を乱す」というような結果となる。 そして、小堀住研(株)はどうなったかというと・・・・つぶれたわけだ。

「高卒の痴漢人間」には支店長はできない理由[7]−1
   そして、[第411回]《商品の性質を理解せず、安売りチラシを出すとどうなるか ― つぶれるべくしてつぶれたエスバイエル(株)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201605/article_1.html で述べたことだが、小堀住研(株)は、1960年代後半から1970年代にかけて、関西地域を中心に、「高級住宅の小堀」として売ってきたはずだ。 「小堀で家を建てた」というのが、関西地域の中程度以上の会社員にとって「ステータス」であった。 大企業の社長でないと建てられないとかそこまでのものではないが、それは、阪急沿線と「いかり」と同じようなもので、「いかり」だって、別に超金持ちでなくても、そこで買い物をしたければできるし、私だってしてきたしするのだが、「ちょっと高いがいいものを買える」というスタイルで「いかり」は阪急沿線に店を拡げてきた。 小堀住研(株)で、1969年に両親が家を建てた時、阪急「西宮北口」駅のすぐそばに小堀住研(株)の本社はあった。 高級住宅地の雰囲気を一生懸命作ってきた阪急の、「阪急でも神戸線が一番上」とか勝手に主張しているおばさんたちがいる神戸線の大阪梅田と神戸三宮の中間で特急停車駅である西宮北口駅のすぐそばに本社を置くことで、阪急沿線の高級住宅地の雰囲気に合わせてきた。 そして、どうやったのか、梅田の阪急百貨店のすぐ南、JR大阪駅の南東、旭屋書店本店の隣の隣、大阪市地下鉄谷町線「東梅田」駅の真上の本社ビルを取得して、そこに本社を移し、そして、二部上場から一部上場に移行。「高級住宅の小堀」は全国的に広がりかけた。大阪だけではない。 東京でも、「小堀さんはいいと聞いている」と来場客から言われたこともあるし、関西出身で東京圏に行って住宅を東京圏で持とうという人もおり、そういう人の家を見て、「小堀はいい」と思いだす東京人もいた。
  1980年代終わりに小堀住研(株)に入社した際、新卒社員研修は本社で2週間、全体でおこなわれた後、芦屋市の奥池という山の上、水源地のそばにある久保田鉄工の研修施設を利用させてもらって合宿形式でおこなわれた。 奥池というのは、芦屋は芦屋でも、昔からの「芦屋の高級住宅地」の芦屋とは違って山の上。 阪神「芦屋」・JR「芦屋」・阪急「芦屋川」駅からバスに乗って、坂道を登って行った山の上で、下界に降りるのは大変・・・という所だが、その付近にも住宅地はできており、バス停を降りてすぐの家は、「そこの家、去年、小堀住研で建てたんだけれども、建物だけで2億や」ということだった。 たしかに、「建物だけで2億」の家というのは、道から外観を見ただけだが、いい家だなあという感じがした。 しかし、奥池というのは、合宿研修をするには下界に降りるのは大変な場所なので、気が散らずにいいかもしれないし、「別荘みたいな場所」で自然環境もいいのだけれども、買い物するにしても奥池には店がない。 その奥池にたった1軒、あった店が、小さめのコンビニくらいの大きさの「いかり」だった。 で、並みのコンビニの半分くらいの大きさのコンビニみたいな店だが、そこしか店がないのでそこで買うと、高いのだ。 なんで、こんなに高いんだ?・・・・と思って店の名前を見ると、「いかり」と書いてあった。そりぁ、高いわなあ、「いかり」だもの・・・・・。 「いかり」をスーパーとかコンビニとか思ってはいけない。「高級店」なのだ、スーパーみたいな形式であるけれども。 小規模な店はコンビニみたいな感じが一見しないでもないが、「そのへんのコンビニ」と同じなんて思ってはいかんのだ。「高級店」なんだから。
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   小堀住研(株)は、「高卒の痴漢人間」を変に優遇した結果、せっかく獲得した「高級住宅の小堀」という評価をドブにすてることになった。 それに対して、「いかり」は摂津地域・阪急沿線のスーパー形式の店である「高級店のいかり」として今も生きている。 但し、大阪伊丹空港の売店などで見ると、「芦屋 いかり」とブランド名を入れた菓子など置いてあるのだが、なんか、塚口店の方が先にできたはずなのに、いつしか、「芦屋 いかり」になってしまったみたいで、祖父母が塚口に住んでいたことから塚口店になじみがある者としては複雑な気持ちになるところもある。
   小堀住研(株)は、最初、1951年に、三成工業(株)だか言って、大阪市西区の九条のあたりに会社があったらしい。〔ヤマダエスバイエルホーム 沿革 http://www.sxl.co.jp/corporate/history/index.html〕 1955年に小堀興業(株)に名称変更したらしいが、名前からすると、最初、3人で協力して始めたが、2人が出て行ったか、もしくは、追い出されたかという経緯でもあったのか? 私の親が、1960年代の終わり、1970年の大阪万博の前に小堀住研(株)で家を建てた時には、阪急神戸線の「西宮北口」駅の北東側に本社があったはずで、1980年代後半においては、国鉄(現・JR)大阪駅の南側正面に見える位置、大阪市地下鉄谷町線「東梅田」駅の真上に本社を持つようになった。「西宮北口」駅のすぐそばに本社を持って、阪急沿線、特に阪急神戸線沿線の小堀住研(株)と、なんか、「芦屋 いかり」と似たようなことをやっていた時期があったわけだ。 そこから、地下鉄谷町線「東梅田」駅の真上、JR「大阪」駅の南側正面に本社ビルを持つことで、「阪急沿線の小堀」から「関西圏の小堀」「西日本の小堀」となり、東京でも新宿センタービルに東京支店、池袋サンシャインに池袋支店を持って「全国の小堀」になりかけた・・・・・が、「メカケの子」だか「メカケの息子の婿」だかが社長になった会社は、そのあたりまでが限界だったか。
   「メカケ」と「奥さん」は違うというのを、これまで勤めてきた会社、なんらかの形でかかわった会社で見てきた。どこが違うか。 それは、自分自身が苦労してきた社長と「自分だけが得する立場を引き継いだと思っているバカ旦那のバカ社長」との違いのようなものだ。 千葉県のリフォーム屋の(株)ウッディホームに入社した時、どこから手に入れてきたのかわからんが、滋賀県の大店の息子が小学生の頃に修業させられる話のビデオを見せられた。 親戚の叔父さんだかが「おまえは、大店(おおだな)の跡を継ぐという意味を取り違えてはおらんか」と言うのだ。「自分だけが楽していい思いをするという立場を継ぐなどと思うてはおらんか」と。「そうじゃないんだぞ。大店の跡を継ぐということは、他の人間がやらんような努力をして、他の人間がやらんような苦労をして、他の人間が経験せんようなつらい思いをして他の人間がやらん我慢をしていくということやねんぞ。わかっとるか」と。「そんなら、ええこと何もないやないか」と小学生は言うのだが。 実際には、「ええこと何もない」ということはないはずで、「ええこと」はあるはずなのだが、「他の人間がやらんような努力をして、他の人間がやらんような苦労をして、他の人間が経験せんようなつらい思いをして他の人間がやらん我慢をしていくという」面もあるのではないか。会社の経営者にはその両面があるのではないかと思うのだ。 「ええ思いだけする」ものだと思っているようなら、そういう会社は・・・・つぶれる・・・可能性が小さくないのではないか。 その点で、オーナー経営者が自分たちは「ええ思いだけする」立場だと思っているならば、そういう会社は「長い目で見るならば、ハリコの虎」という面があるのではないか。 小堀住研(株)の中島昭午のような、社長には、特定の従業員に「会社の女の尻はいくらさわってもかまわん」と認める「権利」があると考えている男が社長になっていると・・・・小堀住研(株)はつぶれた。 せっかく、一時は、「高級住宅の小堀」と評価する人も出て、「小堀で家を建てた」というのが関西地域ではある程度以上のサラリーマンの間では「ステータス」のようになった時期もあったのに・・・。
   社長は「他の人間がやらんような努力をして、他の人間がやらんような苦労をして、他の人間が経験せんようなつらい思いをして他の人間がやらん我慢をしていくという」ことばかりで、いい思いをすることは何もないかというと、そんなことはないはずだが、しかし、大変な面だってあるはずなのだ。 けっこう苦労して会社を存続させてきたという人はあるわけで、そういう人の奥さんにお目にかかると、奥さんもまた社長と同様に苦労をされてきたという方がおられる。 それに対して、「メカケ」というのは事情が全然違うのだ。 「メカケ」というのは、「メカケ業」をやって食っとるわけだ。 だから、会社を社長とともに支えて行こうなんて気持ちはもとよりなく、メカケ業をやって社長から「甘い汁」をもうとるわけだ。 だから、「奥さん」と「メカケ」は似ているところもあるかもしれないが、本質的に違うのだ。 ・・・そのあたりから考えて、「奥さんの子」と「メカケの子」もまた、異なったとしておかしなことではないわな。 小堀住研(株)の2代目の中島昭午は初代の小堀林衛の「甥っ子」ということになっていたが、実際はそうではなく、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかだというのは「通説」としてかなり広く知られていることだ。 普通に考えて、初代の社長が小堀林衛と言い、その弟だという小堀東(あずま)というおっさんが専務になっていたのだが、同じ苗字の弟と苗字がことなる「甥っ子」が会社にいて、苗字が異なる甥っ子の方が2代目になるというのは、な〜んでだ? ・・・・・というあたりから考えても、「甥っ子」て、え??? て感じがするわな。 で、問題は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかいうのは、「奥さんの子」「奥さんの娘の婿」と同じか違うか、という点だ。 「メカケ」は「奥さん」とは、一般に相当違うという点から考えると、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかも、「奥さんの子」「奥さんの娘の婿」とは性質が違ったとしても、考えられないことはないわな。
   中島昭午は、社内報に「『俺は一国一城の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめて、叔父とともに小堀住研を始めた」とか書いていたのだが、そして、それを見た従業員から「天プラばっかりの高卒昭午」と言われていたのだが、「天プラ」とは、戦前、大学も「大学生」というものも少なく、「大学生」はエリートであったという時代、「将来、お国を背負って立つ大学生さんを優遇しないといけない」ということで、学生割引みたいなものがけっこうあったらしいのだ。鉄道の「学割」もそれがルーツらしい。かつ、今どきの大学生は大学の「制服」なんて着ないけれども、戦前、大学の制服というものがあって、「大学生」として優遇されるようなことを大学生でもないのに受けようとして、大学の制服をどこやらから手に入れて着るニセ大学生というのがいたそうで、それを衣を着ているということで「天プラ」と言ったらしい。 中島昭午の「天プラ」というのは、実際には、できがわるいものだから行ける大学がなかっただけのくせしやがってからに、「『俺は一国一城の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめて、叔父とともに小堀住研を始めた」とか勝手なことばっかり書きまくっているという意味で、「天ぷら昭午」と言うらしい。
   「『俺は一国一城の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめて、叔父とともに小堀住研を始めた」て、ぼけ〜っと聞いていると、はあん、そうかいなあ〜あとか思いそうだが、落ち着いて考えてみると、変な話である。 もし、医学部に行って医者になろうと思っていたとか、理学部天文学科に行って天文学の研究者になりたかったとか、芸大の音楽学部に行って音楽家になりたかったとか、そういう人が、「『俺は一国一城の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて」、医学部とか理学部天文学科とか音楽学部とかに行くのをあきらめ進路を変更して、慶應大の経済学部なり商学部なり、一橋大の経済学部なり商学部なり、神戸大の経済学部なり経営学部なりに行くことにした・・・というのならわからんことはないわけだ。 「『俺は一国一城の主になるんや』ということなら、余計に経済学部や商学部でやっていることを学んでおくべきであろう。なんで、大学進学をやめるんだ? そうでしょ。 落ち着いて考えてみると・・・・・、なんか、変だな? ・・・て感じがしてくるでしょ。 で、「天プラばっかりの高卒昭午」と言われていたのだ。従業員の間で。 直接、言うと怒るのだろうけれども、直接、言うと怒るとどうなるかというと、直接でない所で言われることになるわけだ・・・。「天プラばっかりの高卒昭午」と。
   さて。 せっかく、「高級住宅の小堀」としてある程度以上の評価を得た会社はどうなったかというと、1990年代に入って、中島昭午は会社名から「小堀」を取り除いて「エスバイエル株式会社」と名称変更して、そして、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などと、あっちやらこっちやらに書きまくって言いまくってした結果、「高級住宅」の客層をドブに捨て、「ハウス55」で獲得した「高品質低価格」の客層もまたドブに捨て、そして、「最低価格帯」の客層をつかんだのかというと、つかむもつかまないも、自社にその価格帯の商品があるわけでもなし。 つかんだのは、ガラの悪い中小零細の不動産屋とのつながり。 私の父が紹介しようとした「日本で名前を知らない人は誰もない」会社の集まりであるアトピー性皮膚炎についての研究会については、無礼極まりない態度で蹴り飛ばして、片方で程度の低い不動産屋とお仲間になったわけだ。 それをやると、「高級住宅」の客層は逃げていくし、「高品質低価格」の客層も逃げていく。 かつては、「不動産屋と提携しての建売は、阪急不動産(株)とかそういう特別の不動産会社とだけやってきました」と言っていたのだが、程度の低い中小零細のガラの悪い不動産屋とつきあうようになると、阪急不動産(株)のような会社は逃げていく。 そして、相当の相手に逃げられて、エスバイエル(株)は、ガラの悪い不動産屋の仲間になって、そして、つぶれたわけだ。 「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかがやったことはそういうことだ。
   この続き、「いかり」と「阪急不動産」が存続して、「小堀住研」がつぶれた理由を、次回、説明する。

   1979年、NHKの朝のテレビドラマで「鮎のうた」という大阪 船場の糸問屋の三代目とその嫁になった鮎ちゃんの話がやっていたのだが、老舗の糸問屋 糸原をつぶした若旦那 三之介の嫁になった鮎は、三之介とともに、行商をしてお金を稼ぎ、糸原を復活させようと努力するが、買ってもらおうとおもってもなかなか買ってもらえない。どうしたら、買ってもらえるのか・・・と苦労して努力して、やっと買ってもらえた、やっと売れた・・・という経験を積んでいくのだが、そうやって、夫とともに苦労してきた「奥さん」というより、サラリーマンの嫁はんは「奥さん」だが商売をしている家では「おかみさん」と言い、船場では「ごりょんさん」と言うらしいが、「ごりょんさん」と「メカケ」は違うわけだ。
※ 《NHK名作選 みのがし なつかし 連続テレビ小説 鮎のうた》http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010240_00000
《わたしの旅立ち jajanami》https://www.youtube.com/watch?v=yAN8nyFMFec

  (2017.2.17.) 

☆ 『東尾になれなかった男−「いかり」・阪急不動産が存続して小堀住研(株)がつぶれた理由』
1 「大卒しかとらない会社」に高卒の人間を採用してよいか http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_2.html
2 痴漢人間は支店長はできない 酒を飲まない自称「酒好き」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_3.html
3 営業妨害は支店長の権利ではない http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_4.html 
4 ビジネスマナー欠落痴漢人間 〔今回〕
5 レブロンは希望を売る、小堀住研は安売りに落ちる http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_6.html
6 痴漢人間の作る住宅はその程度 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_7.html
7 堕落した建築屋と程度の低い不動産屋 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_8.html
8 締日直前の営業妨害 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_9.html
9 社内痴漢を許可する社長 http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_10.html
10 痴漢人間は顔に出る http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_11.html


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