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zoom RSS 『東尾になれなかった男1』―「いかり」・阪急不動産が存続して小堀住研がつぶれた理由

<<   作成日時 : 2017/02/14 20:17   >>

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[第508回] 会社と営業の話(103)−1
   今は昔、1985年に、横浜市港北区日吉の慶應義塾大学の構内に「東大の建築学科を卒業されて、慶應で教えておられる槇文彦先生が設計された」という日吉新図書館ができた。 今、学生として通っている人からすれば、単に「日吉図書館」かもしれないが、私が入学した時は、慶應の日吉には、今は藤山記念館となっている建物が藤山記念図書館として使われていて、私は在学中に新図書館ができたという者で、できる前、建築中、建築後とその場を通行して入館してきた者としては、「新図書館」という感覚である。
〔慶應日吉新図書館については
⇒[第136回]《慶應日吉・三田新図書館、関学、東大法科大学院棟、マレキアーレの家他―自然・先住建物と調和する建築。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201209/article_10.html
[第293回]《図書館の建築。 槇文彦「慶應義塾大学 日吉(新)図書館」を考える。 私が好きだった入新井図書館。他。 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_17.html  〕
   その日吉新図書館で、自習をしようとして座席に座ると、図書館であるので、目の前の書棚に様々な本が置いてある。 目についたものを手に取ってみると、なかなか面白いものがあって、読んでいくうちに・・・・、あ、自習するつもりだったのに何もしないうちに時間が過ぎてしまった〜あ・・・・あ〜あ・・・、ということがあった。一回くらいならそういうこともあって悪くないかもしれないが、一回じゃないもので・・・・、まあ困ったものだ。 「おもしろそうな本」といっても、専門書というような本で「おもしろそうな本」ならまだいいのだが、たとえば、三一書房から出版されていた『江川になれなかった男たち』なんて、「おもしろそうな本」であるだけでなくおもしろい本だったが、読んだからといって、それが収入につながるわけでもないので、結論として、特に図書館の本で何か調べるわけでもなく自習をするのなら、図書館でよりも自習室に足を運んだ方が良かったかも・・・・てことになった・・・・。

   その『江川になれなかった男たち』の中の話。 1969年から1971年にかけての「黒い霧事件」と言われた八百長事件で、1970年に西鉄ライオンズで、一軍の投手の益田・与田、そして、若きエースであった池永が永久追放処分を受けた後、和歌山県の箕島高校卒で2年目だったかで二軍にいた東尾が、「これはチャンスだ」と思った、という話が載っていた。
※《ウィキペディア―黒い霧事件》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9C%A7%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83)
   何が「チャンス」かというと、「野球は投手なしではできない。 一線級の投手がこれだけ辞めたということは、俺たち二線級の出番だ」と。 そして、実際、1970年、主力選手、特に主力投手を失った西鉄は苦戦を続け、東尾と河原・三輪の3人が先発ローテーション投手として登板したものの、出ては打たれ投げては打たれの連続で、東尾は1972年には25敗という最多敗戦記録まで残した・・・・が、そうやって出してもらい投げているうちに、主力投手の仲間入りをはたし、いつしか、西鉄→クラウン→太平洋クラブ→西武 のエースになることができた。 1972年に最多敗戦の記録を残したことについても、東尾は、そんなことどうってことない、その結果、試合で経験を積ませてもらって主力投手の仲間入りができたのだから、と語った・・といった話がでていた。
※《ウィキペディア―東尾修》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B0%BE%E4%BF%AE
   東尾にとって、黒い霧事件によってチームの一線級投手がごそっと抜けたというのは、チャンスであったというのですが、これに似た話を慶應の商学部の教授が講義の中でされたことがありました。 慶應の大学生にどういう企業に就職したいかときくと、たいていの人間が「そんな所、行かない方がいいと思うけどなあ」と思うような所の名前をあげるというのだ。 「そんな所、行かない方がいいと思うけどなあ」というのはどういう所かというと、三井物産・三菱商事とか住友銀行とかなんかそういう「日本で誰もが名前を知っている」「財閥系」「有名」「一部上場」「超大」企業の名前をあげるというのだ。 なぜ、その教授は勧めないかというと、そんな会社に行ったら、周りは、東大・京大や慶應・早稲田といった大学の出身者ばっかりで、慶應の学生は「弱肉強食」というと、自分は「強食」の側だと勝手に思っとるけれども、実際には、早いか遅いかの違いだけで、いつかは「弱肉」の側にまわるのであるし、そもそも、そんな会社に行ったのでは、実力を発揮しようとしても、まず、「出番がない」というのだ。 いわば、一線級投手がいっぱいいる球団にいたのでは、登板させてもらえないと。 それに対して、慶應あたりの出身者はそれほどいない、慶應あたりの出身者をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が、「出番がある」というのだ。 実績を残そうと思ったら、まず、出番がないことには、実績の残しようがない。実績を残そうと思ったら、まず、経験を積ませてもらわないといけないが、物産・商事とかそんな所に行ったのでは、経験を積ませてもらおうと思っても、まず、「出番がない」。 「そういうことを考えると、もっと、『出番がある会社に勤めた方がいいと思うのだけれどもなあ〜あ・・・・・、アホは言うことをきかんなあ〜あ」といったことを話された教授が複数おられました。 ある教授は、その頃、神奈川県の桐蔭学園高校の野球部の投手として甲子園に出場し、(スポーツでの)「推薦入学」で慶應大に入学した志村某のことを話されたことがありました。志村は、慶應の野球部では、後に西武ライオンズに入団した鈴木哲とともに東京六大学野球で大活躍し、それまで(スポーツ推薦入学の制度を採用する前は)弱くて、東京六大学野球では、スポーツ推薦入学で野球のできる生徒を採っていた早稲田・明治・法政が1位から3位、スポーツ推薦入学で採らない東大・慶應・立教が4位から6位と決まっていたのが、俄然、慶應の野球部は強くなって優勝を続け、特に、志村は、杉浦以来の何奪三振だか、江川以来の何連勝だかの成績を残し、プロに入りたいと言えば間違いなく指名してもらえたであろうに、プロ入りせずに三井不動産だかに就職したと思ったが、「志村だって、あいつ、慶應に来たから、出してもらえて、出番があったから活躍できたんだよ。もしも、法政か明治の野球部に行ってたら、他にも、高校野球で活躍した投手が何人もいて出してもらえなかったかもしれない。慶應に来たから出してもらえて、あれだけ活躍できたんだよ・・・」と話して、「おい、まさか、志村、ここにいねえだろうな・・・」とか言われたことがあった。
   それらの教授が話されたようなことがあるかどうかというと、私は、実際のところ、人よりも年齢をいって大学を卒業したので、卒業する時点で、「誰もが行きたがる」「日本で名前を知らない人間は誰もない」「財閥系」「超有名」「一部上場」「超大」企業には行きたいと思っても行けなかったので、結果として、そうでない方の会社に勤めたが、それらの教授が話されたことは、ある面で実際にそうだと思ったが、同時に、そうでもない場合もあるとも思った。 それを述べる。
※《ウィキペディア―志村亮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%9D%91%E4%BA%AE


   ↓ は、関西では「知る人ぞ知る」、あの「いかり」である。 スーパーだと思って買い物をすると、財布が破裂する。 スーパーだと思って気軽にセルフかごに商品を入れて、レジに持って行くと、金額を言われて「えええ〜っ!!!」と驚く。 スーパー形式の店だが、スーパーという感じの値段ではないのだ。 ↓は、その「いかり」の箕面店(大阪府箕面市箕面)。
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   昔は、箕面に「いかり」なんてなかった。 おそれおおくも、「いかり」というのは、箕面なんて所にある店ではなかったのだ。 芦屋とかそういう所にある店だったのだ。 いい物を置いているのは確か、単なるお弁当でも「いかり」で買ったお弁当は、「そのへんのコンビニ」のお弁当よりもおいしい♪ ・・・が、それだけ、高い。 だから、「普通のスーパー」だと思って買い物をすると、私らのようなプロレタリアート〔⇒《YouTube―SHALYAPIN Folk Song 1910 & 1924 Дубинушка(ドゥビヌーシカ) ШАЛЯПИН(シャリアピン)》https://www.youtube.com/watch?v=xeLxsBpzYDg&index=3&list=PL6BD5C1249C6F676B 〕は財布が続かない。 但し、私が20代の時、父が大阪の宗右衛門町の「高級料亭」のHに連れて行ってやると言い、行きたくないというのに無理矢理つれていかれて、行くと、「ここはなあ。 わしいのようなエライエライえらいエライ人間だけが入ることを許される店やねんぞ。おまえ、なんかは本来は一歩たりとも立ち入ることを許されない店やねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。 おまえはここには一歩でも立ち入ってはならん人間やねんぞ、チャンコロ」と何度も何度も言われた。 「もし、おまえが、食事したいと思って、この店に入ろうとしようものなら、『出て行ってちょうだい!』と言ってつまみ出されるぞお〜お」と言われたのだが、そして、そんな店なんか別に入りたくもないわと思ったものだが、「いかり」は別にそんなことは言わない。 レジでその代金を支払いさえすれば誰でも買い物ができる。 だから、毎日、「いかり」で買い物していたのでは財布がもたないが、箕面にも、「いかり」の南側に「モンキーヒル」という昔からある喫茶・軽食の店があって、その南に「コーヨー」というイオンの系列らしい「普通のスーパー」があり少し東に「サンデー」という安さが売りのスーパーがあるので、3種類のスーパーがあれば、その時によって、どこで買うか分ければよいのであり、「今日はちょっと贅沢していいもの買いたい」と思った時に「いかり」で買い物すればよいわけだ。 貧乏人でも「出て行ってちょうだい」と言われることはない。つまみ出される心配はない。 だから、「いかり」は嫌いではないのだ・・・・・が、「いかり」で買い物する時は、油断してると、財布の中のお金がどんどんなくなっていく。 そういう店である。 かつて、ダイエーがまだ勢いがあった頃、東京圏では「スーパー」ではダイエーとイトーヨーカドーが代表格のような感じだったが、同じ内容というわけではなく、ダイエーに比べるとイトーヨーカドーは百貨店に近いスーパーだった。今、私が住んでいる千葉県船橋市のJR船橋駅の北側に、イトーヨーカドーと東武百貨店があるが、全般的に東武の方が高めの物を置いている。東武船橋店はけっこう買い物がしやすくて私は好きだが、スーパーと比べると全般的に高いものが多い。だから、その時にどういうものを買いたいかによって行く店を変える。ヤフーニュースに、「いかり」ができたくらい箕面は高級住宅地!なんて記事がでていたが、まあ、「いかり」で買い物する客層ができたのかもしれないが、だからといって、誰でもいつでも「いかり」で買い物しているのではないと思う。、
   「いかり」は、もともとは、芦屋とか、阪急の神戸線沿線に出店していた店で、箕面なんて、昔はいなか♪ 昔は「お猿さんのいる所」・・・だった、まあ、なんというのか、普通の住宅地を買って住んだ普通の会社員と昔からの田舎の住人とがともに住んでる所・・・には「いかり」はないものだった。 箕面には、1960年代後半、「エース」というスーパーがあって、その後、大阪万博があった1970年にダイエーができるというので、ダイエーができるんだあ〜あ♪ と、もちろん、その頃、池田にあったような6階建てか7階建てくらいのダイエーができるんだろと思ってたら、2階建てだった・・・・・・・、2階建てなんてそんなダイエーあんのんかい・・というとあったのだが、その2階建てのダイエーもなくなった。 「あの『いかり』」が箕面にできるとは、箕面もまた出世したもんだ・・・・が、ちょっと前に、ヤフーニュースで、「いかり」ができたように箕面はもはや「社長さんの住む所」とかなんかそんな感じのことが書いてあったが、それは、ちょっとちゃうと思うでえ。 そこまで金持ちの住むところやないと思う。 貧乏人だっておるし。 「普通の会社員」だって住んでるし。
   ヤフーニュースには、他のスーパーで買い物をするのに「いかり」の袋を持参して、「いかり」の袋に入れて持って帰る人も・・・なんて書いてあり、なんか、安売り化粧品を「シャネル」のバッグに入れて持ちかえるみたいな、「いかり」で買い物してきたんですよお〜おと実際は低価格志向のスーパーで買ったのに「いかり」の袋に入れて「ブランド」店で買い物してきたみたいなカッコしたがる人がいる・・・みたいに書いていたが、それは違う。 昔は、日本のスーパーは買い物をした際にビニルの袋はただでつけてくれたけれども、最近は袋に代金とるスーパーがでてきた。今、私が住んでいる千葉県船橋市では、生協は昔から袋は5円とっていたが、最近、西友は大きな袋は3円、小さいのは2円とるようになり、生協はそれに合わせて2円に変更した。マミーマートというスーパーは今でも無料で袋をつけてくれるが、袋入らないと言うとその分をポイントにつけてくれるらしい。箕面の場合はどうかというと、「いかり」というおそれおおい高価格店では、紙袋とビニルの袋をどちらか客に選択させてくれる。かつ、店員が入れてくれる。セブンイレブンとかコンビニの店員には無茶苦茶詰め込んでせっかく買った物をだいなしにする者もいるが、「いかり」の店員はそうではない。重い物は下の方に入れて押さえつけてはいけないものは上にいれるという配慮をするし、冷たい物と暖かい物をくっつけて入れたりはしない。さすがは天下のいかりの店員である♪ 紙袋はけっこう丈夫で、1回限りで捨てるのはもったいない。その後もまだまだ使える。コンビニや駅の売店で紙袋を買って1回使えばそれで捨てるかというと捨てないと思うのだ。それと同じで、「いかり」の紙袋は1回限りではなく2回以上使える袋なのだ。 「いかり」の南側「コーヨー」というイオンの系列のスーパーがある。ここは、ビニルの袋をつけてくれるが、要らないというと2円引いてくれるようだ。さらに、「いかり」の少し東の方に「サンデー」という安いというのが「売り」のスーパーがある。こういう店はビニルの袋はつけてくれない。だから、袋を持参していくか袋代を払わないといけない。それなら、「いかり」が無料で(といっても商品代に含まれているのだろうけれども)つけてくれた「いかり」ブランドの紙袋を利用しようではないか、ということだと思う。 「シャネル」とか「イブサンローラン」とか「サルバトーレフェラガモ」とか書いた袋に安もん入れてカッコつけて歩きたい・・・というのとは意味は違う。
   で、阪急の神戸線の沿線に住んでるおばさんには、「阪急沿線に住んでる」というのを、なんか誇りに思ってる人がいるのだ。 神戸線ならまだしも、今津線なんて阪急の神戸線の支線の駅からえっちらおっちら坂を登って行ったような、「ごくろうさ〜ん」て感じの所に住んで、「阪急でも神戸線が一番で、宝塚線とか京都線は神戸線より下よお〜お」とか言うおばさんもいたりしたのだ・・・。 いるでしょ?
   でもね。 今津線て神戸線かあ?  関学と一緒で、阪急の神戸線の特急がとまる駅から少し歩くとかならまだしも、西宮北口で支線に乗り換えて、その支線の駅からまだえっちらおっちら坂のぼってからに、そんな「高級住宅地」あるかあ〜あ? ・・・て感じもするのだが、本人がそれで喜んでるなら、まあ・・・ええか。 千葉県民で、「『くさかんむり』になんか、住めるかあ〜あ」とか言って茨城県より千葉県の方が上だあ〜みたいな言い方をする人間がたまにいたりするのだが、そういうことを言う人というのは実は気づいてないのだ。「くさかんむり」は「茨城」にだけでなく「千葉」にもついてるということに・・・。それと似たようなもんか? で、その神戸線沿線に住んでるというのにプライドもってる住人にとって、神戸線が宝塚線や京都線とどこが違うのかというと、「なんといっても、神戸線には『いかり』がある♪」というのがあったのだ。 たしかに、「いかり」は神戸線沿線にあった店だった・・・・。 というより、↓「いかり」のホームページの会社概要をみると、もともと、阪急神戸線の「塚口」駅の北口にできたのが発祥の店だったのだ。
   だから、その後、店舗を増やしていった際も阪急神戸線沿線を中心に増えて行ったのだ・・・・が。 「いかり」で、今回、買い物をしてみて、気づいた。「いかり」ブランドの商品があるのだが、そこには、「芦屋 いかり」と書いてあるのだ。塚口が発祥でも、「塚口 いかり」とは書いてないのだ。 やっぱり、「芦屋」の方が、地名としてブランド力があるわけだ。 箕面なんて、芦屋と比べたら、足元にも及ばん・・・・。〔ついでに、福島県郡山市に、「三万石」という菓子店があって、(株)一条工務店にいた時、同じ営業所にその「ミルクたっぷりママの味 ママドール」というお菓子が大好きというおっさんがいたのだが、福島県では「郡山 三万石」と言っているのだが、東京の銀座にも店を出していたと思ったが、東京では「東京 銀座 三万石」と書いてあって、「郡山 三万石」ではなかった。東京では同じ「ママドール」でも「銀座 三万石」なんだ・・・と思っていたら、今、三万石のHPhttp://www.sanmangoku.co.jp/store.html を見ると、銀座店が見当たらないので撤退したのかもしれない。〕 私にとっては、祖父母が塚口に住んでいたので、子供のころから「いかり」は馴染みであり、「子供の頃から馴染みの店」でなつかしさを感じる店であって、宗右衛門町のHのように、「一歩でも立ち入ろうものならつまみだされるぞお」という店ではない。
※「いかり」HP https://www.ikarisuper.com/
株式会社いかりスーパーマーケット https://www.ikarisuper.com/company/

   遠藤周作『黄色い人』(遠藤周作『白い人・黄色い人 ほか二編』1971.12.15.講談社文庫 所収)には、日本人の青年の白人の神父への手紙の一節で、阪急今津線の「仁川(にかわ)」駅の付近について、
≪ おなじ阪神の住宅地でも芦屋や御影とちがい、ここは空気も乾き土地の色も白く、ふしぎに異国の小さな田舎村のような風景をもっていました。 それは武庫川の支流である仁川がそこから流れる、まるい死火山の甲山(かぶとやま)とそれをとりまく花崗岩質の丘のたたずまいのせいでした。 そのためか、昭和七年ごろ故国を遠く離れたカナダ人たちがここに関西学院を創り、赤松の林の中に、秋になると、さまざまの色彩のコスモスが咲くクリーム色の洋館をたてて住みつきました。
   あなたの天主公教会はこのプロテスタントの学院と川を隔てた対岸にありました。 これら二つの基督教の建物の間に、ずっと後になって、芦屋や御影に住む余裕のない階級が、阪急と当時流行の住宅会社の宣伝とで、いかにも成り上がり者の好みそうな、外観だけは派手な和洋折衷の家を競ってつくったのでした。 ・・・・≫という文章があり、デュランさんというかつて司祭であった外国人の日記として、
≪ ・・・・・あの昭和八年(1933年)頃、私が一生を伝道に捧げようと決心してきたこの仁川の町は、まだ阪急電鉄が、阪神郊外の新興住宅地として、土地を分譲しはじめたばかりだった。 駅前には一軒の雑貨屋兼煙草屋と、それから住宅会社の出張事務所があるぐらいなものだった。 このような鐘塔をもった教会も、今、ブロウ神父が住んでいる司祭館もなかった。 内陣に飾ってある銀の聖燭台も、聖ヨゼフ像も、みな、私が司祭の許可をえて、故郷のリヨン市から取り寄せたのである。 借りた三間の農家が私にとって聖堂となり、百姓の子供に公教要理を教える幼稚園となり、そして司祭館ともなったのだ。 ・・・・≫
という文章があります。
〔ここで述べられている、「あなたの天主公教会」「このプロテスタントの学院(関西学院)と川をへだてた対岸に」ある教会とは、「ショファイユの幼きイエズス修道会」http://www.osanaki-iezusu.or.jp/ のことと思われます。 〕
   ≪阪急と当時流行の住宅会社の宣伝とで≫、≪阪急電鉄が、阪神郊外の新興住宅地として、土地を分譲し≫た住宅地が阪急沿線には何か所もできたのです。 「いかり」というスーパーはそういう所に、「ちょっと高級」て感じで店舗をだしてきて、そして、「ちょっといいもの食べたい」「きょうは、ちょっとごちそう食べたい」という時に「いかり」で買い物して帰るようになったのです。
    遠藤周作の『黄色い人』にも出てきているように、≪阪急電鉄が、阪神郊外の新興住宅地として≫分譲した土地というのは、電鉄会社として信用性が高い会社である阪急がやったということで、評価は高く、そして、不動産会社でも、「阪急不動産」http://www.hankyurealty.jp/ というのは格が高い会社、「そのへんの不動産屋」とはちょっと違う、という評価の会社として位置づけられてきたのです。 「ちょっと高級」のスーパー「いかり」と、不動産会社でも「そのへんの不動産屋」とは違うという位置づけを確保した「阪急不動産」は、似たところがありますね。
   そして、もう1社、かつては似た位置づけを獲得しかけた会社として、小堀住研(株)という会社があったのです。 「住研とは」というテレビコマーシャルをやり、住宅を建てる会社ではなく研究する会社だとして、建てる会社よりも上だというアピールをし、創業者は小堀遠州と関係があるのかと思われそうな名字(単に、名字が一緒だっただけらしいが)で、「竹中工務店で設計をやっていた」というお話(嘘らしいが)を広め、「ミサワなんかと違って、きちいっとした木造の家を建てる会社です」「ミサワあたりの営業は高卒の営業ですが、小堀の営業は大卒の営業です」「小堀住研は大卒しか採らない会社です」と言って、一生懸命、会社の格を上げようとして、そして、「嘘でも百回言えば真実」のように、一時期、「小堀で家を建てた」というのが、関西地域で、中の上くらいの会社員にとっては、「ステータス」のようになった・・・・・時期もあったはずです。

   阪急はうまいと言えばうまい。 東京にも、阪急と大丸だけ関西系の百貨店がある。 関西人が新幹線で東京にやってくると、有楽町に阪急があり、東京駅の八重洲口に大丸がある。 故郷を離れてやってきた人間にとって、信頼のできる阪急と大丸がそこにある、というのは、なにか「ほっとする」ものを感じるのではないか。 もっとも、電鉄業そのものの方は、国鉄がJRになって、かつては通勤路線でなかった福知山線を通勤路線にして高速運転を始めたり、地下鉄御堂筋線の延長で阪急も大株主ではある北大阪急行が北に延伸したり、JR大阪東線ができたりするのに対して、どうも、最近、阪急電鉄は「受け」にまわっているような印象を受けるが。その電鉄業でも、天野太郎 監修『阪急沿線の不思議と謎』(2015.4.16.実業之日本社)には、「阪急電鉄の社内にはどうして「あれ」がない?」として、電車の中吊り広告を最初に出したのは阪急だったが、その阪急の車両の中吊り広告では、「週刊誌の中吊り広告」は載せないそうで、≪沿線に住宅地、学校、商業施設、娯楽施設を備え、沿線で生活のすべてをまかなえるようにつくられた阪急の電車は、学生や子どもの利用客も多い。そのため、公序良俗に反する内容が含まれる可能性がある週刊誌の広告は、公共の場所である電車内にはふさわしくないとして、掲載の一切を断っているのである。≫らしい。他がどうであるかにかかわらず、中吊り広告を出して悪くないと思えば自分の所は出す、他が出していても自分の所ではこういうものは出さないと考えれば出さないという独立自尊の精神はたいしたものであるとともに、そういった工夫をすることによって、自社の沿線の「格」と「箔」を保つ努力をしてきたということだろう。
   「いかり」は今も健在。 かつては、阪急神戸線沿線の「いかり」だったが、箕面に店ができただけでなく、阪急京都線でも高槻にも店を作ったらしい。今も「ちょっと高いが、ちょっといいものを置いている『いかり』」という位置づけで存在している。最近のスーパーは、セルフサービスで買った後、袋に自分で商品を入れるが、「いかり」ではレジの後ろにレジを打つ人と別にもう1人いて入れてくれる。そして、セブンイレブンとかのコンビニでは、袋に入れるのに、無茶苦茶つめこんだり、そんなことされたら買ったものがぐちゃぐちゃになってしまうがな、やめてくれと言いたくなるような入れ方をする者、新聞なんか買うと、きれいなままで持ち帰りたいと思うのに、3つに折って完全に筋目を入れてしまったりと、入れ方がプロ的じゃないのに対し、「いかり」では、重いものを下にして、上に物が載ると傷むものは上に物が載らない位置にするとかいった配慮をして入れてくれる。さすが!という感じがする・・・・が、その分だけさすがに高いので、毎日は「いかり」で買い物をするわけにはいかない・・・が、けっこういい物を置いているので、そういう物を買いたい時にはという位置づけを確保している。
   なくなったのは小堀住研。 1990年に「エスバイエル」と名称を変更し、そして、ヤマダ電機に買収されて「ヤマダエスバイエルホーム」http://www.sxl.co.jp/ という会社が後継会社としてあることはあるが、実質的には、つぶれた。 創業者社長の小堀林衛の「おいっこ」と言っていたが実際は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午が、相談役になっていた小堀林衛が他界した1989年の翌年の1990年に、「小堀」という名字を会社名からはずして「エスバイエル」にし、そして、長く、関西圏を中心にして、「高級住宅の小堀」として評価を得てきたその評価をドブに捨てるべく、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくって、そして、せっかく獲得しかけた「高級住宅の小堀」という評価を自らつぶし、そして、会社そのものをつぶした。「エスバイエル」という名前には、むしろ、胡散臭い、安物くさい、二流以下くさいイメージがへばりついてしまったのではないか。中島はそうしたかったのだろうか。それとも、なんにも考えていなかったのか。

   会社であれ役所その他であれ、職場で人を採用するなら、その人その人に合わせた処遇にしなければならない。 又、この職種はこういう条件の人を採用すると決めて、世間にそのように発表したならば、その基準は軽々しくはずしてはならないはずだ。 国家公務員試験には1種試験・2種試験というものがあって、それぞれに合格した人は、入庁後、それに見合った処遇を受ける。 官庁には守衛や運転手として入庁する人もあるが、1種試験に合格して入庁した人間が守衛や運転手として入庁した人と同じ処遇を受けることはない。 1970年代はじめに私の父の勤め先が、福岡県に工場を作った時、「公立高校卒の人」というのを採用条件にしたが、町会議員で、私の娘は私立高校を卒業する予定だが採用してもらえませんかと頼んできた人があったそうだが、町会議員の娘であろうが、いったん、「公立高校卒の人」と決めたら、その基準でない人は採用するわけにはいかないとして断ったらしい。まあ、これは、職種だって工場労働者だし、町会議員の娘くらいいいのではないかという気もしないでもないが、しかし、いったん、この条件の人とした以上、その条件をはずれる人を採用してよいかどうかは慎重にしないと、うかつにはずすと、その条件を設定した意味がなくなるとともに、「下の方」に基準が移行することになりかねない。 又、新卒採用の場合、大卒と高卒や中卒の人を一緒に採用して同じ仕事をさせると、世の中には「学歴によって人を差別してはならない」という考え方があるのだが、その場合、大卒1年目と高卒5年目、中卒8年目が同じ処遇なのか、それとも、大卒1年目と高卒1年目・中卒1年目が同じなのか、という問題がある。 最近は「大学」と「大卒」の数が増えて、かつてなら高卒の人が主であった職種に「大卒」の人がつく場合が出てきたが、インターネットで検索すると、警察官には、国家公務員1種試験に合格して就職した「キャリア」は別として、「キャリア」でない大卒の人間もいるらしいのだが、「キャリアでない大卒」と高卒の人間が同じ仕事についた場合の処遇のしかたとして、就職後の扱いとして、昇進試験の受験資格を大卒で入った人の方が高卒で入った人よりも在籍期間が短くても受験できることとし、その短くてよい期間というのは、大学卒業に必要な4年間がその期間に該当しているらしい。 それなら、大卒で勤めた人でも納得はいくのではないか。 そういう所で、大卒の1年目の人間を高卒で3年目4年目の人間の「後輩」にされたのでは、大学を卒業して入社した人間はあほくさい。 そういう扱いをしていたのでは、いずれ、「高卒の人の勤め先」になっていく。 そのあたりを、誰もがやる気をなくさない、誰もが不公平感を持たないように運営するのが、会社経営者の仕事であり、人事の仕事であろう・・・・が、今まで勤めてきた会社の「高卒の人事部長」を見ると、そういった能力を発揮できないだけでなく、そんなこと考えたこともないような人が多く、大卒の1年目と高卒の1年目を同じ処遇にしたがる人がいる。
    「小堀住研は大卒しかとらない会社」だったはずだ。 同社に入社した時の新卒社員研修でも、講師役できた人が、はっきりとそう発言した。それ以前に、小堀住研(株)の営業は顧客に対して、そう言いまくってきたはずだ(社長が高卒なのは特別として)。 1980年代後半、私が応募した時、小堀住研(株)の求人募集には、応募資格として、「技術系」(設計・工事・工務・アフターサービスなど)は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」で、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが応募資格だったはずだ。 ところが、入社してみると、「営業系」に立命だったかどこかの大学の理工学部の建築学科卒の人間で「営業系」に入社していた男が1人いたが、彼は「建築学科卒だけれども、設計とか工事とかよりも営業をやりたかった」そうで、実際、建築学科卒でも設計や工事よりも営業の仕事をやりたいという人はいておかしくないし、それで、その希望をきいて採用してよいかどうか、会社として考えて、採用してよいと判断したということだろう。それは悪くはないかもしれない。但し、まったく問題がないわけではない。「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやっていこうという方針で採用したのに、建築学科卒の人間にうかつに営業の職種をさせると、日本の五流以下大学の建築学科卒の人間には、建築業の会社では建築学科卒野人間はお殿様だと思っているヤカラがおり、建築学科卒の人間が上だと思いだす可能性があるからだ。 「4年制大学の経済学部・商学部・法学部卒の人」でやっていきますと言ったなら、基本的にはその条件の人間でやらないといけない。その条件の人間がその職種に適していると判断してやっている以上、そうでない人を採用すると、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部」で身に着けてきたものというのは必要ないものだと言いたいのかということになる。小堀住研(株)はそうではなく、「営業系」には4年制大学の法学部・経済学部・商学部でやっている内容が必要であると判断して採用しているのだから、その前提は簡単に崩してはならないはずだ。
   入社式の後、本社での全体での研修に行くと、女性で短大卒の人がいた。そして、そういう人は、つく仕事も違った。 大卒の人間と高卒の人間を採用して、別の職種につける会社はある。小堀住研(株)は、短大卒の女性を採用してその扱いにしていた。これも悪くないと思う。 ところが。 千葉支店に配属になってみると、高卒の男性社員がいた。 営業で高卒の男性社員もいたが、そういう人は新卒採用ではなく中途採用で、その多くは同業他社か隣接業界で経験がある人か営業の経験がある人だったようだ。同業他社・隣接業界の経験か異業種でも営業の経験がある人の場合は、中途採用の場合は高卒でも採用していたようだ。そこまでは許容範囲とできるかもしれない。「大卒しかとらない会社」という公言していた文句はかなり嘘くさくなってきたし、また、たとえ、同業他社で経験がある人でも、「大卒しかとらない会社」に高卒の人を入れていいのかという問題は依然として存在するし、入社後、どういう処遇にするべきなのかという問題も存在し発生する。
   工務課で新卒入社の高卒の男性がいた。 新卒で大卒の人間と高卒の人間を採用して、職種によって分けるのならともかく、同じ仕事をさせるのはまずいのではないか。 それでいて、女性の従業員は、はっきりと男性の従業員と扱いをわけていたのだ。男性か女性かで扱いをわけながら、高卒で新卒の人を採用して新卒の大卒社員と同じ仕事をさせていたのでは、その処遇に困るのではないか。採用したい人をいくらでも苦労なく採用できるほどの有名大企業ではないのはわかるが、たとえ、そうであっても、この職種には大卒の人を採用しますと明言して募集しておいて、高卒の人を採用したのでは、大卒で入社した人間としてはおもしろくないのではないか。おもしろいとかおもしろくないとかいうことよりも、その「処遇」をどうするのかという問題がでる。 先にも述べたが、「学歴によって人を差別してはならない」という考え方が日本にはあるのだが、大卒1年目と高卒5年目が同じにするのなら「学歴によって差別しない」ということにもなるかもしれないが、大卒1年目の人と高卒1年目の人に同じように仕事をさせたのでは、それではうまくいかないのではないか。その工務課の高卒の男性社員は、また、えらそうな口のきき方をするので、自分の方が先から入社していると思っているのかもしれないが、高卒で入って3年目か4年目の人間というのは、大卒で入って1年目の人間の「先輩」ではないはずなのだ。また、私などは、実際問題として人より長く大学に在籍したので、大卒1年目でも高卒5年目ではなく、高校出てからならけっこう年数を経ていたので、高校卒業の年次を基本として、「大学は学力となるものはあっても学歴ではない。学歴として考えるのはあくまで高校の卒業である」という前提で考えるのならば、私なんぞは、高卒何年目かの人よりも高校卒業は前だということになり、また、職業経験についても、大学卒を学歴と考える場合には、大学在学中の職業は職業の経験にはなっても職歴と評価されないが、高校卒業年次を基本として処遇を決めるのであれば、大学在学中の職業もまた職歴と評価しないといけないことになってくる。 そういう問題が発生するので、「大卒しかとらない会社」の「大卒しか採用しない職種」に高卒の人を、特に新卒採用で採用するのは気をつけないといけない、無暗に条件が異なる人を採用してはいけないはずだった・・・が、1980年代終わりの小堀住研(株)には「大卒しかとらない会社」の「大卒しか採用しない職種」に高卒の人が現実にいたのだ。 そういう人が、なんかえらそうな口のきき方をするのだが、「旧帝大系国立大学や早慶の卒業生」がそんなことにいちいち腹を立てるのも大人げない、と思って我慢してきたが、それにしても、程度が過ぎるように思った。

   もうひとつ「くせもの」は「専門学校卒」という人の扱いである。 基本的には、専門学校というのは「学歴」ではない。 「学歴」というのは、中学校・高校・大学・短大・大学院のことを言う。 私も、建築の仕事についてから、建築・インテリア・不動産関連のセミナーというのか、研修機関にいくつも行ったが、それらは、「学力」「学識」「知識」「能力」は身についても、また、そういったものに参加したことを経て何か「資格」を取得できたとしても、「学歴」とは評価してもらえないわけだ。 ただ、実際に、こういったものを学習してきましたと履歴書・職務経歴書に書けば、そういうものを学んできた人として評価はしてもらえる可能性はないとは言えない。 大学受験の予備校に行って、必死で勉強して、模擬試験の成績を高校卒業時よりも格段に上昇させたとしても、目指す大学学部の入試に落ちてしまって、結果として、高校卒業時においても通ることができた可能性が高い大学に行ったとしたら、その予備校は学歴になるかというと、ならない。大学受験のための浪人は予備校に行かなければならないものではなく、「宅浪」という方法もあるわけだが、「宅浪」は「学歴」になるかというと、ならない。予備校に通った期間に学力を身につければ、長い目で見て、就職後にその学力が生きる時もあるかもしれないが、予備校自体を「学歴」とは評価してもらえない。東大や京大に合格できるかどうかというくらいの学習をした者でも「東大に入るよりも難しい」と言われる予備校が「学歴」にならないのに対して、私立大学・私立短大で卒業しても「義務教育修了以前の学力でしかない」「小学校レベルの漢字が書けない」という人が、きょうび、いっぱいいるし、1989年、小堀住研(株)の千葉支店にいて同年の途中に東京支店に移った業務課長のE間(男。当時、30代後半?)は法政大法学部卒と言っていたが小学生レベルの法の認識もなく法学部卒と言うに値しないが、それでも「大学」「短大」卒は「学歴」になるのに対し、東大や京大を目指して必死に勉強して「学力」は相当あっても、慶應だの早稲田だのなんて行けるか!とか思って行かなければ「大卒」にはならない。「しょーもない私立大学」「バカでも入れる大学」でも卒業すると「大卒」だが、東大でも京大でも途中でやめると「中退」か「高卒」の評価になる。そんなアホな・・・というのが、東大や京大あたりに行ったか行こうとした人の感覚だろうけれども、「学歴」としてはそうなってしまう。会社によっては、東大中退とかだと「(その会社にいる限り)大卒に準ずる」という扱いにしてくれる会社もあるようだが。専門学校というのは、予備校が学歴にならないのと同じく、厳密には「学歴」ではないのだが、建築関係の会社においては、最近、建築の専門学校を学歴に準ずるような扱いにする会社が増えてきたように感じる。しかし、「大卒しかとらない会社」で専門学校卒の人を採用すると、「扱いに困る」ところがある。高卒と同じ扱いにするのか、短大卒と同じ扱いにするのか、大卒と同じ扱いにするのか。専門学校というのは、看護婦さん(最近は「看護師」という造語ができたようだが)の専門学校である看護学校を卒業した人は、「学歴」として認められるかどうかよりも、看護師という資格を取得すれば、その職業につくことができる。 『味いちもんめ』によると、今は、板前も調理師の専門学校を卒業して板前になる人の方が多いらしいが、調理師の専門学校に行かずに板前の仕事に入門する人もいるようで、就職してからは仕事ができるかどうかで処遇は変わるようで、「学歴」として特に評価されるわけでもないが、仕事につく上でそこで学んだものが役立つということだろう。しかし、「大卒しかとらない会社」で「大卒の人がする職種」に「専門学校卒」なのか専門学校は学歴ではないから学歴としては「高卒」なのかの人を採用してその仕事をさせると、どういう処遇にするのかという問題が出てくる。 だから、「大卒しかとらない会社」でうかつに「専門学校卒」の人を採用するわけにはいかないはずなのだ・・・・が、小堀住研(株)には「大卒しかとらない会社」のはずなのに、そういう人がいた。
   建築の専門学校には、もうひとつ、問題がある。 私は、ポリテクセンター千葉の建築CAD科に半年通った。 これは、建築CAD科の先生が言われるには「建築の専門学校が2年でやるものを半年でやる」という内容のものだった。実際には、「2年でやるものを半年でやる」のは簡単ではないが、そういう趣旨のものだ。実際には、「専門学校卒」の人には2年かかっても人が半年で学ぶだけのものが身についていない人もいるし、なにより、建築の専門学校卒の人には、そこで変な認識を身に着けてしまっている、かえってよくない認識を身に着けている人がいるようにも思う。 ところが、建築の専門学校を卒業してきた人と話をすると、建築の専門学校については「学歴」と認めてもらうのが当然のように思っていながら、片方で、ポリテクセンターの建築CAD科とかは学歴に認めてなるものか、という姿勢の人が少なくないのだ。 それはおかしいと思うのだ。 学力・学識・知識・能力が身に着くものはそれを評価してもらいたいと主張するなら、専門学校と別のものも評価するべきだし、予備校だって宅浪だって評価するべきだと思うのだ・・・が、自分に都合がいいものだけ認めさせようという人が少なからずいる
   ・・そういうのを、どう扱うか、それが人事総務の仕事だと思うのだが、そして、人事総務というのは、大学の法学部で労働法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人間か、文学部・教育学部で教育心理学・カウンセリングなどを学んできた人間かがつく仕事だと私は思ってきたのだが、実際に会社に勤めてみると、「高卒の人の仕事」だったり「一族の仕事」だったりする会社が少なくなかったが、「一族」であろうがなかろうが、「高卒の人」にできるような簡単な仕事かというと、そうではないように思うのだが、「高卒の仕事」にしてしまっている会社が少なからずある。 この場合、「高卒の人」といっても、学歴は高卒だが大卒の人間と比べてもこの人なら劣らないと判断できるという「高卒の人」のことではない。 そういう人がその仕事につくのが悪いとは思わない。 学歴が「高卒の人」であるだけでなく、大卒の人間と同様の能力は間違いなくない人のことをここでは「高卒の人」と言っている。

   小堀住研(株)では、1989年7月に、高卒の痴漢人間の渡邊士直が千葉支店の支店長として赴任した。赴任早々、会社の女性社員の尻をなでまわし、「男性がお尻をさわりたいと思うような尻をしているということは、いいことだねえ〜え」と何人もが見ている前で発言した。 そういう「高卒の人間」を「大卒しかとらない会社」の支店長にしてよいか?
   そういうアホを支店長にならせると、会社はどうなるか・・・・というと、⇒ つぶれた。 後継会社として、ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ という会社があることはあるのだが、小堀住研(株)が名称を変更したエスバイエル(株)がうまくいかなくなって、富士銀行が破産管財人みたいな社長を送り込み、大阪駅の目の前の一等地に持っていた本社ビルとかを売り払って、取れるだけ取って引き上げ、その後、積水ハウス(株)出身の男が社長になったので積水ハウス(株)が買収するつもりかと思ったらその男もどこかに行ったところをみると、もともとは軽量鉄骨による鉄骨系プレハブの会社だった積水ハウス(株)はすでに木造在来構法のトーヨド建設を買収して積水ハウス木造(株)にしてその積水ハウス木造(株)を積水ハウス(株)の中に取り込んだ後であり、今さら、木質系の会社を買収する必要もないし、すでに相当イメージが悪くなった「エスバイエル」を買収するメリットはないと判断したのか、どこかに消え、その後、ヤマダ電機が買収してヤマダエスバイエルホーム(株)となったが、実際には、つぶれた会社をヤマダ電機が「いぬき」で買ったようなもので、「大卒しかとらない会社」の支店長に「高卒の痴漢人間」をならせた会社は、そういうことをやっているから、つぶれたのである。

   「高卒の痴漢人間」に支店長ができるかというと、できない。 できていなかったのだ。 日本の会社には、「学歴によって人を差別してはいけない」という考え方があるようだが、それなら、「高卒の痴漢人間」に旧帝大系国立大学か早慶の社会科学系学部出身者と同じだけのことができるか?  同じだけの能力があるか?

   もしも、同じだけのことができるのに、同じだけのことをやっているのに、高卒だからと低い評価しかしてもらえないのなら、差別だとかなんとか言ってもいいけれども、できると思いますか?  もしも、できる人がいたのなら、その人をそれに見合って評価してもよいけれども、できない人をできないにもかかわらず、高い評価をして無理な役割をさせたのではどうなるか・・・・・? それは、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) を見ればわかる。 結論⇒つぶれた・・・・。

   (2017.2.17.)

  『東尾になれなかった男』 次回  http://shinkahousinght.at.webry.info/201702/article_3.html

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