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zoom RSS 「建築学科を出てますから」てセールストークになるか? 「一部上場企業の課長」てありがたいか?

<<   作成日時 : 2017/02/20 20:13   >>

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[第519回] 営業と会社の話(104)
   小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)〕は、「高卒の痴漢人間」を支店長にならせていたのだが、今、考えると、この会社の経営者に根本的な思考な間違いがあったと思う。
   小堀住研(株)には「課長」がいっぱいいたのだが、「主任」とか「係長」はいなかったのだ。 それで、最初の研修の時に、「お客さんとアポイントが取れたら、課長を連れていくようにしてください」と言われたのだ。 新卒入社1年目の人間は、何もわからないのだから、何もわからない人間が何とかしようとするよりも、ともかく、アポイントが取れれば、課長を同行させて、課長に協力してもらい、課長がどういうことを言ってどういう対応をするかを見て学ぶようにしてください、と。 課長に協力してもらった上で契約に結びつけるとともに、同行してもらった際に課長がどうするかを見て学び力をつけていってくださいということで、これは、会社によっては、そういうシステムができていない、ともかく、何もわからない人間に売って来いという会社もあるわけですから、良心的でもあり、また、合理的でもあったと思います。しかし、後から考えると、どうかなと思う発言もあったのです。TQC推進本部の営業部会の課長であったMさんが「ある程度の会社に勤めている人ならわかると思うんだけれども、『一部上場企業の課長』というのは相当のものだから、課長に名刺を出してもらって、名刺に『課長』と書いてあるのを見ただけでも、一部上場企業の課長なのかと評価されるものだ」と言ったのだが、それは違うと思うのだ。 小堀住研(株)でその「課長」になっていた人でも、わかっている人はわかっていたわけで、「『課長』なんて言ったって、小堀住研の課長なんて、普通の会社なら『主任』くらいのもんだ」と言う人があったが、その通りである。 実際、「ヒラ」の上が「課長」なのだから。 そういう会社は、実は珍しくないのだ。「普通の会社なら主任くらいのもの」の人を「課長」にならせている会社、「主任」程度の人を名刺に書く肩書だけ「課長」にならせている会社というのが。
   そして、「一部上場企業」というやつだが、「上場」というのは、あくまで株式を証券取引所で公開しているということであって、それ以上でもなければそれ以下でもない。「上場」しているからいい会社だとは言えないし、「上場」していないからだめな会社ということもない。 「上場」できるのにしない会社には、オーナー経営者がやりたい放題やるには「上場」しない方がいいということで上場しない会社というのもあり、ともかくも、上場した会社は「有価証券報告書」というものを財務省(←大蔵省)に提出しなければならず、それは一般に販売されて誰でも購入して見ることができるので、その分だけ、会社の内容がオープンになっているとも言えるが、しかし、それは、「上場しようと思えばできるが上場しない会社」と比べれば、「有価証券報告書」が販売されていて見ることができる分だけ情報が公開されているとはいえ、オープンになっていない部分もまたあるわけであり、「一部上場」が悪いということはないが、「一部上場」というのをあまりにもわんわん言いまくる会社というのは、あんまり・・・・てところがある。それしか言えるものないのか、という会社もあるし、「一部上場」と言えばひとは言うことをきくというへんてこりんな信念、変な権威主義的人格を持っている男が経営者の会社というのもある。
   そして、なにより、「どのような賞を受賞しているかによって人の値打ちが決まるのではない。 どのような人が受賞しているかで賞の値打ちが決まるのである」と、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で書いていたが、その通りである。 「ヒラの上」の役職に「主任」ではなく「課長」とつけたから、「主任程度の人」が「課長」になるわけでもない。 実際問題として、小堀住研(株)に入社して、会社の中に入ってみると、「この程度の人が◇長なの?」という人をけっこう見た。そう思っていると、「小堀住研の会社の役職は、バブルだからな」と某課長が口にしたのだ。なるほど。「バブル」の役職なのだ。全体的に。(実際、小堀の部長・支店長なんて普通の会社ならせいぜい主任か副主任ぐらいのもの)
   「ある程度の会社に勤めている人ならわかると思うんだけれども、『一部上場企業の課長』というのは相当のものだから、課長に名刺を出してもらって、名刺に『課長』と書いてあるのを見ただけでも、一部上場企業の課長なのかと評価されるものだ」というTQC推進本部営業部会課長のMさんの発言は、もうひとつ、別の意味でおかしい。「ある程度の会社に勤めている人なら」、「一部上場企業の課長」というのは相当のものだとわかるとMさんは言ったのだが、逆ではないか。「ある程度の会社に勤めている人」であってある程度以上の実力・思考力のある人なら、「一部上場企業」にもいろいろあらあな、ということがわかっているはずではないか。 「ある程度の会社に勤めている人」であってある程度以上の実力・思考力のある人なら、「課長」であろうが何であろうが、実際にその人を見て判断しないと、たいそうな役職がついていてもたいしたことない人間もろくでもない人間もいる、ということくらい理解できているはずで、理解できていないならば、「ある程度の会社に勤めている人」であっても、たいした人ではないと判断できるのではないか。
   むしろ、「主任程度」の人に「課長」の肩書をつけておくと、「課長」の評価が下がり、それに対応して会社の評価も下がることになる危険もある。  1990年、東京支店自由が丘営業所(展示場)で営業課長になっていた高橋が、「『うちの課長は建築士の資格は持っていませんが建築学科を出てますから』とお客さんに言えばいい」と私に言ったことがあったので、そんなこと言って何かプラスに評価されるかあ〜あ? と思ったことがあった。
   頭狂大学とか狂徒大学とかの建築学科でも出てきているのならまだしも、高橋が卒業したというのは受けさえすれば誰でも通ってカネさえあれば誰でも行ける私立大学の建築学科である。 たしか、東京電話大学か東京電機大学かそんな名前の大学だったはずだ。 インターネットで検索すると、「東京電話大学」という名前の大学は見当たらないので、東京電機大学か。 そういう、「そんな学校あったんかあ」という私立大学の卒業生で、あつかましくも、工学部建築学科などというものを卒業したという男だった。 私なんかは、高校から大学に行く時、「うちは、工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父から言われたものだ。 私が工学部に行くとすると、その場合、国立大学の工学部のことである。東京大学の理科1類・理科2類とか京都大学の工学部◇◇学科とかを受けて合格できたかどうかというと、それはわからない。しかし、国立大学であればというくらいなら、どこか合格できる所はあったと思う。 だから、私は「国立大学なら何学部でも学費は同じはずだ」と言ったのだが、母は「絶対に通るとは限らないでしょうがあ。落ちたら私立に行かないといけないんだから、私立は工学部なら学費が高いでしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言ったのだ。それで、日本で一番嫌いな大学の首をもがれてもいかされたくない学部に嫌々行かされて、そういう大学でも卒業すると「大卒」になるのでともかくも卒業したのだが、私立でも、早稲田大の理工学部の建築学科とかならまだわからないことはないが、東京電話大学だか東京電機大学だかいうそんな学校の建築学科なんて、そんな所に行くとは、よっぽどのものすごい大金持ちのドバカ息子か何かだということなのだろう・・・・と思ったのだが、高橋賢一郎が言うには、彼は福島県の喜多方だったか会津の方の出身でラーメン屋の息子だというのだ。 ラーメン屋てもうかるんだねえ。
   私が高校を卒業する頃は、「東大に行くとでもいうなら東京の大学にでも行けばいいけれども、そうでもないのに下宿して大学に行く必要はない」と私の親は言っていた。私の自宅の近所からでも、京大にも下宿して行っている人がほとんどだったけれども。 だから、東大・京大なら下宿して行くのももっともだが、「しょーもない私立大学に行くのに下宿して行くやなんて、甘ったれるのもたいがいにしなさい」と父は言っていたが、実際に私が慶應義塾大学に行くと、「◇◇さんの息子さんは法政やぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。▽▽さんの息子さんなんて国士館やぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違って慶應なんか行かせてもらってないねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ。チャンコロ、わかっとんのんか」と毎日毎日、私の顔を指さして叫んでいたが、なんで、法政とか国士館とかそんな学校に下宿して行く人間がエライのかさっぱりわからんかった。 我が家においては、だいたい、法政だの国士館だの東京電機大学だのなんて、そんな学校、受けたいなんて言っても受けさせてもらえるわけなかったし、そもそも、受けたいだの行きたいだのなんて言えなかったし、そもそも、そんな学校、たとえ、行かせてあげると言われても、首をもがれても行きたくなかった。 東京電機大学なんて、そんな学校、あること自体、知らなかったし。
   ましてや、東京電機大学の工学部となると、国立大学の場合は工学部でも法学部・経済学部でも文学部でも学費は同じだが、私立大学は国立大学・公立大学よりも学費が高いだけでなく、私立大学の中でも、法学部・経済学部よりも工学部はうんと学費は高いはずなのだ。 「東大にでも行くならともかく」、福島県の人間が、私立大学に行くのに東京に下宿してまで行く必要はないのではないのかとも思えるし、ましてや、東京電機大学なんて大学しか行けない人間が、何も、工学部なんてお金のかかる学部に行くことないだろうし、ましてや、わざわざ、下宿してまで行く必要ないはずなのだ。というよりも、私が高校卒業する年に東大を落ちると、父は「高校は義務教育じゃないんだから行く必要はないのに、おまえが高校に行ったのは余計じゃ。甘ったれとるから高校行ったんじゃ、おまえはあ」と何度も何度も私に言ったものだ。それから考えると、東京電機大学なんてわけのわからん「大学」に行ったような人間というのは、義務教育であろうがなかろうが小学校行ったのは余計だと思う。 それを、わざわざ、福島県の会津の人間が福島県の学校に行くのではなく、下宿しないと行けない東京の学校に、わざわざ、カネのかかる私立で、わざわざカネのかかる工学部に行ったということは、ラーメン屋というのは相当もうかる商売なんだろうねえ。 高橋は「ぼくは、若い頃に両親が離婚したから」と言っていたのだが、そういえば、1970年代後半、高校の2年の時の担任だった旧姓S野(女。当時、20代前半)が「うちは両親が離婚していたから」とそれを自慢にして何度も何度も言っていたのだが、S野の言い回しでは、「両親が離婚したから」というのは、「それだけ、私は苦労してきた人間なんですよ」という「売り」で、「両親が離婚したから、だから私は人間が鍛えられている」「両親が離婚したからだから私は人間がしっかりしている」と言いたいらしい、というより、はっきりと口に出して言っていたのだ。 そして、「両親が離婚したから」だから、大学は国立の大学に浪人はしないで行くようにしたのだと自慢していたのだ。 その基準でえると、両親が離婚したという高橋は、「大学」という所に行きたいのなら、当然のことながら、現役で国立の大学に行かないといけなかったはずなのだが、なんで、東京電機大学なんて、言っちゃ悪いが「わけのわからん学校」なんか行ったんだあ? なんでだあ? 摩訶不思議! ぼく、頭わるいからなんか、さっぱりわからへ〜ん。 なんで、両親が離婚した人がそんな学校行くのお? それも、福島県の会津の人間がわざわざ東京に下宿してまで、なんで、そんな学校に行くのお? なんでえ? なんでやのお〜ん!

    実際のところ、「会社っちゅうところ」に勤めて見ると、何かようわからん人がいるわけだ。 千葉支店の業務課長から東京支店の業務課長に移った江間も、「法政大学の法学部」を出たと自分から言ったのだが、言い方からすると、「ちょっと自慢」みたいな言い方だったのだが、普通、放精の呆学部なんて自慢するかあ〜あ? と思うのだが、自慢したい人は自慢するらしい。 かつ、法学部卒だというわりにちっとも法律をわかっていない男だったが、それでも、「法政の法学部」と自分から「ちょっと自慢」みたいな調子で言う男だった。法学部でたというだけの法律についての認識などまったく身に着けていない人間であるのに。 世の中、変な人間がけっこう多い。
    私が高校を卒業した年に東大を落ちてしまった後、私の親は「高校は義務教育ではないのだから、行く必要はなかったのに、おまえが高校行ったのは余計じゃ。チャンコロ」と何度も何度も言っていた。 高校の2年の時の担任だった旧姓S野は「私は両親が離婚したから」というのが何よりの「売り」で、「私なんかは両親が離婚したから、だから、浪人なんてさせてもらえるとは思わなかったし、浪人したいなんておよそ口にできるものじゃなかったわよ。 あなたなんか、浪人させてもらえているというのは、それだけ、人間が甘ったれているということでしょう。私なんかは両親が離婚したんだから、だから、そんな気持ちとは違ったんだから。あなたなんかとは人間が違うんだから」と何度も何度も言いまくったが、今から考えると、あの女にああいう口をきかれる筋合いはなかったと思う。 又、あの女の方こそ、むしろ、甘ったれていたと思う。 両親離婚した人間は、受験において不利かというと、そうでもないと思う。私が高校の3年の時、母が「こいつ、東大に合格させたら、思いあがって女を泣かせる人間になってしまう。な〜にがなんでも合格させてなるものかあ」と言って、自宅で学習していると、後ろからホウキでぼんぼこぼんぼこ殴ってきたり、私が学習している部屋の電気をブレーカーで落としたり、学校から帰るとインタホンのコードを抜いて鳴らないようにして家に入れてくれず、駅のベンチで時間をつぶしていると、その間に学校に電話をして「息子が帰ってきません」と言ったり、又、父は父で、「浪人した人間の方が、社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」となんとか現役で大学に合格したいと思っている人間に向かって言い、母もまた、「Hさんが、だんなが現役で一橋に行ったから自分をえらいと思っているからよくないと言っていた。こいつも現役で合格させてたまるもんか」と言って箒でぼこぼこ殴りかかったり、机に向かって椅子に座っている私をうしろから引っ張ってひっくり返したりといったことを連日やった。 「両親離婚した人」なら、せめて、親は片方だけだから、そういうことをする親も片方だけだったのではないかと思う。
    高校卒業時に落ちて浪人すると、今度は、母は「あんたが現役で大学に通ったら離婚しようと思っていたのに離婚できなくなってしまった。あんたに離婚できないようにされたあ。こいつが生まれてきたおかげで人生を踏みにじられた。こいつが生まれてきおったために私は離婚できなくなったんやあ」と叫ぶ、父は「その通りじゃ。よくも生まれてきおってからに、よくもよくも、チャンコロ。よくも、チャンコロ、生まれやがったなあ、チャンコロ」と言い、「でんたっく、でんたくう、でんたっく、でんたくう」と言って、電卓で「試験を受けに行くための電車賃が○○円、ホテル代が○○円、願書を郵送する時の封筒代が○○円、切手代が○○円・・・・・、計、◇◇円の損。これだけ、こいつに損をさせられたあ。こいつのおかげでえらい目にあわされた」と毎日毎日叫んでいた。 それでいて、会社の部下の息子で、放精とか国士館とか亜細亜大とかに下宿させて行かす人があると、「◇◇さんの息子さんは法政やねんぞお、おまえとは違うねんぞ、チャンコロ、おまえとは違うねんぞ、チャンコロ。☆☆さんの息子さんなんか亜細亜大やねんぞお、おまえとは違うねんぞ、チャンコロ、おまえとは違って亜細亜大やねんぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ、ちゃんころ、ちゃんころ、わかっとんのんか」と毎日毎日、私の鼻の頭を指さして叫んでいた。 
    そういう経験をしてきた者からすると、法政の法学部に行った男とか、ましてや、東京電機大学の工学部なんか行ったなどという男など見ると、よっぽど甘ったれた人間で、よっぽどものすごい、超弩級の金持ちの息子なのだろうという感じがする。 高橋が福島県の会津から東京電機大学の工学部建築学科などというものに行ったというところなど見ると、「両親が離婚した」という人間というのは、むしろ、金持ちではないのか? それから考えると、高校の2年の時の担任だった旧姓S野の「私なんかは両親が離婚しているから」といういいぐさは、それは見当はずれだったのではないのか。 むしろ、「両親が離婚した」という人間というのは、大金持ちと違うのか。 「両親が離婚しているから、だから、浪人なんて考えられなかった」というのはウソだろう。 旧姓S野は京都大学合格者数全国1位であった時代の北野高校から神戸大の文学部に行って卒業したのだが、京都大学合格者数全国1位であった時代の北野高校とはいっても、大学の「男女共学」は男でも女でも関係なしに成績のいい者から順番に合格にするというものだが、公立高校の「男女共学」は違う。男女比というものを最大でどれだけまでというものをあらかじめ決めておいて、男女がまったく同数とまでいかなくても、それほど男女の数の差がないようにするように合格者を決めるというものであり、私が入学した時、旧姓S野が入学した時、北野高校は男は大阪府では一番難しい高校であったが、「小学校型の男女共学」の学校だったので女はともかく試験会場に行って受けさえすれば誰でも入れたのだ。女はむしろ二番手校の方が落ちる人間がいて難しいくらいだったのだ。 北野高校というのは、女の場合、男ならその学区の3番手校くらいに入れるかどうかというくらいの成績の人間でも間違いなく合格できる学校だったのだ。だから、3番手校くらいに入れるかどうかというくらいの成績で入った女性が入学した場合、男なら大阪府で一番の高校に合う人とそうでない人がいるようで、なんか「うまく合う」人、「うまく合ってしまった人」というのがいて、それで、神戸大あたりに行く人というのがいたのだ。S野はそういう人だったようだが、私なんかは、東大の文学部に行きたいとか京大の文学部に行きたいと言っても、「甘ったれるな」と言ってはねつけられ、「家庭の事情」から、行こうとしてもなかなか難しかったのだ。「すべてを会社のために、ささげつく〜す! とってちってたあ〜あ」「てってこっこてっててって、らったらったらったらあ〜あ♪」「どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあ〜ん♪」〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕の学部に行かそうとされたわけで、神戸大の文学部になんか、行くのはおろか、行きたいと口に出して言うなどとは、とても、できないものだった。 たとえ、首をもがれても、「どんがんどんがらがった」「とってちってたあ」の学部には行かされたくなかったが、旧姓S野は「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言って、私がなんとしても行かされたくないという学部に行かそうと必死になった。 私なんかは、東大の文学部、京大の文学部でも行くのは難易度がどうかということではなく家庭の了解を得るのが難しいという点から困難だったが、旧姓S野は、いったい、何を甘ったれて甘ったれて神戸大の文学部なんか行ったのだろうか。 そして、小堀住研(株)の高橋賢一郎なんかを見ると、むしろ、「両親が離婚した」という人間というのは、私なんかと違って、大金持ちで、東京電機大学なんてよくわからん学校でも福島県から東京に下宿して行かせてもらえるようなそんな境遇だったようだ。 まったく、「両親が離婚したんだから」大変だったかのように言いやがってからに、あの女、よくも、ウソこきやがってからに。 覚えてやがれ。こんちくしょう。

   それで。 福島県の会津地方から東京電機大学の工学部建築学科を卒業したという高橋賢一郎(男。当時、30代なかば過ぎ。)は、「『うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、建築学科を出てますから』とお客さんに言えばいい」と、「許可」ではなく「命令」の意味合いで私に言ったのだが、ええ〜え? そんなこと言うのお〜お?  「アホでも入れる私立大学の建築学科卒」の人でも、その大学を卒業したばかりの20代前半の人が自分のことを言うのなら、「☆☆大学てありますでしょ。 私、あそこ、卒業したんですよ。 バカですからねえ。でも、建築学科出てますから、ちょっとは勉強したんですよ。 だから、建築学科出てない人よりはわかることだってあると思います。 建築士の資格はとりたいとは思っているんですけれども、まだ取れてないんですけれども、一応、建築学科でてますから、わかることだってあると思います」とでも自己紹介するなら、それはそれで悪くないと思う。  (株)一条工務店の山梨県上野原市の工場に勤めていた人が、辞めて居酒屋に勤めるようになったというので、工場のメンバーと一緒に行ったことがあった。 工場にいた人の友人が経営者で、工場に勤めていた人はそこで店員として一緒に働いていたのだったが、居酒屋に行って見ると、居酒屋の店員さんが板についているようで、似合っているという印象を受けた。 そこの店長が、店員の元同僚が何人もで来てくれたということで挨拶に顔を出してくれたのだが、そこで、「▽▽に☆☆大学てありますでしょ、バカ大学がね。わたし、あそこ出たんですよ。バカなもんですからね。それで、今、居酒屋の店長やってます。どうぞ、これからもよろしくお願いします。今後も来てくださいね」と言ったのだが、大学の名前で判断するならば、たしかに、大学に行く頃はあんまり成績は優秀ではなかったのかもしれないが、そのあたりの挨拶のしかたなど、この人、居酒屋の店長としてはいい味だしてるなあという印象を受けた。 高橋も、そういう調子で自分で言うのならわからないことはない。 小堀住研(株)の千葉県松戸営業所の課長だったUさんは「私、大学は土木学科でてますから、擁壁とかについてはわかりますから。 なにしろ、日本一の大学出てますから」と言い、「『日本一の大学』てどこですのお?」とお客さんの奥さんから言われて、「日大ですよ、日大。 なにしろ、学生の数が日本一なんです」と言って、笑いをとっていた。この言い方も悪くないと思う。 しかし、東京電機大学の建築学科しか出てない男が、まがりなりにも建築学科を卒業して、それで、卒業したばかりならともかく、すでに30代の半ばを過ぎた年齢になって、二級建築士も一級建築士も取得できていないというのは、それでは、普通にその学歴を言ったのでは、というよりも、高橋が「『うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、建築学科を出てますから』とお客さんに言えばいい」と言ったように、「建築士の資格は持っていませんが、建築学科を出てますから」などと言ったのでは、「福島県からわざわざ東京に下宿してからに、底辺の私立大学の建築学科に行かせてもらってあつかましくも卒業しても、すでに30代の半ばを過ぎているのに、一級建築士はおろか二級建築士も通らないという、アホもアホもアホあほアホで、どうしようもない人間ですよねえ。バカだよね〜え!」と言っているのと変わらないことになる。 高橋はそう言ってほしかったのだろうか。

    実際には、建築士の資格というものを取得するべきなのか、要らないのかという議論もある。 取得して悪いことはないが、建築士の資格を取得したからといって、それを、何かと、「いっきゅうけんちくしい〜い」と言いまくるというのも、なんだか・・・というか、三流一級建築士をありがたがる権威主義的パーソナリティーの人間というのが三流企業の経営者にはいるのだけれども、あほくさい話だと思う。 だいたい、一級建築士のことを「足の裏についたご飯粒」と言うらしいのだが、その意味は「取らないと気持ち悪いが、取ったからといって、それで食えるものでもない」という意味らしい。 なかなか、うまい表現である。 又、大学の建築学科のカリキュラムは、たいてい、卒業すると二級建築士の受験資格を得られるように作成されているのだが、本来はそれはおかしいのではないかと言われる教授もある。 大学が、建築士の受験資格に合わせて科目を決めるというのは、大学のあり方として本末転倒ではないのか、と。 大学は建築士の受験予備校ではないし、建築士の試験には合格するが、実際に建築の仕事はできないような人間を育成するような大学ではいけないのではないのか、と。 建築士の試験に合格しようがしまいが、建築について理解できている人間を育成することができれば、その大学は大学として価値があり、建築士の試験に合格できても実際に建築の仕事で役に立たないようでは、それはよくないのではないのか、と。 安藤忠雄さんという人は、学歴としては、大阪芸大中退か何かだったように思うが、建築士の資格は持っていなかったが、それでも、「建築家」としてやっていけた。 もしかして、何か「ええこね」でもある人だったのかどうか、そういうことはわからないが、ともかくも、建築士の資格を持っていなくても、「建築家」として食べていっている人はいるわけで、「大工」というのは、上級学校に行くよりも比較的若いうちから大工として修行した方がよいとされていた職業であり、もともとは、「大工」その他の職人と「建築家」は分かれていなかったわけで、そういうことから考えても、「建築家」になるのに建築学科を卒業しないといけないということもないはずであり、建築士の資格を取得しないといけないということもない、その建築事務所に一級建築士なり二級建築士なりの資格を持っている人間がおれば、持っていなくても、「建築家」としての才能があればそれでいいのだ、という説もあることはある。 しかし、それは、「建築家 安藤忠雄」というくらい知名度がついた「建築家」か、そうでなければ、東大とか京大とかの建築学科を卒業した人が、建築士の資格の取得は後回しにして、自分の専門とするものをつきつめて学んでいく方がよいと判断したというようなケースのことであろう。 大学の建築学科を卒業した人が、建築学科の大学院に行って「修士」とか「博士」とかの称号を取得するのと、資格試験を受けて「一級建築士」「二級建築士」を取得するのとどちらがいいか、と考えた時、「一級建築士」「二級建築士」ではなく「修士」「博士」の方を選ぶというのも、それも選択肢の1つではあるだろう。
   しかし、高橋の場合、そういうのとは違うと思うのだ。 福島県の会津から、東大にでも行くのならともかく、東京電機大学なんて「わけのわからん」と言うと怒るかもしれんが、実際、 「そんな学校、あんのお〜ん?」「知らんでえ〜え」て東京の私立大学の工学部の建築学科に福島県からわざわざ行って卒業させてもらって、それで、建築業界に勤めて、すでに30代の半ば過ぎになって、一級建築士はおろか、二級建築士も取得できていないとなると、「やっぱり、バカだよね〜え」という評価になるのと違うか? 「やっぱり、バカだよね〜え」というのは私がそう言うということではない。そう言われる、そう思われることになるのではないのか、ということである。 やっぱり、「受けさえすれば通る大学」「カネさえあれば行ける大学」なんてできて、そんな学校、行ったって、一級建築士はおろか二級建築士も通らないんだから、やっぱり、「だめなものはだめ!」てことだよね・・・・・てことにならないか? なるでしょ、その言い方では。

   裁判官・検察官・弁護士になるための司法試験は、かつては、4年制大学の教養課程を修了すれば1次試験を免除で受けることができ、「大学」に行かなくても1次試験に合格することで、法律科目についての試験である2次試験を受けることができた。 この場合、大学は法学部でなくても何学部でもよかった。 最近は、法科大学院大学を経て司法試験を受けるという方がメインのルートになったが、かつての制度においては、法学部に行かなくても、経済学部・商学部卒でも司法試験を受けて合格して弁護士などになる人はあった。 橋下徹も早稲田の政経学部経済学部卒だったはずだ。 もっとも、法学部卒で司法試験には合格できなかった人間というのはだめな人間なのかというと、そういうことでもなく、アメリカ合衆国では弁護士の資格を取得の上、企業に勤める人というのが珍しくないらしいが、日本では多くない。 そのかわり、法学部卒である程度以上法律についてわかっているということで企業に勤める人がいるし、司法試験に合格はできなかったが相当法律の勉強をしたのでということで、それをアピールして会社に勤める人もいる。 だから、法学部卒で司法試験に合格しなかった人は無能というわけでもないのだが、一方で、司法試験は法学部卒でなくても受けることができて、合格する人がいる試験だった。
  建築士の場合、4年制大学の建築学科を卒業すれば、卒業と同時に二級建築士の受験資格を得ることができ、卒業後2年の実務経験で一級建築士の受験資格を得ることができる。 法学部や経済学部・商学部・文学部卒では受験資格にならない。「学歴なし」の評価になってしまう。 これはおかしいのではないかと私は長年思ってきた。 小学校の時の算数や理科も図画工作も、中学校の時の数学や理科も美術も技術家庭も、高校の時の数学も物理も化学も生物も私よりもずうっと悪い成績のヤツが、カネさえあれば入れる私立五流大学の建築学科に行って卒業して、それで受験資格がある、そいつよりも、数学の成績も物理・化学・生物の成績もずっと上の成績を取って来たのに私に受験資格がないというのは、受けて通らないというのならともかく、受けさせてもらえない、アホ大学のやつが「ぼく、学校でてますから」と大威張りで口にして受験資格があるというのはおかしいのではないか、と私はずうっと思ってきた。 そして、建築学科でてなくても受けることができるインテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)ほかの資格試験に合格してみせて、どうじゃ、おまえら「学校でてます」と言いまくっても、何も通らんじゃないか。 俺は通ったぞ。 インテリアコーディネーターも通ったぞ。 キッチンスペシャリストも通ったぞ。 宅地建物取引主任者も通ったぞ。 おまえら、「学校でてます」「建築学科でてますから」とえらそうな口きいて、えらそうな顔するだけで、何ひとつ通らんじゃないか。 どうじゃ。悔しかったら通ってみやがれ!、ざまあみやがれ! と思ってきた。
   もっとも、大学でやっているものについては、小学校から高校まででやっていることを十分に学んできた方が学びやすいものもあれば、それほど関係ないものもあるし、小学校から高校まででやってきたことをさらにレベルアップするような性質のものもあれば、関係ないものもある。だから、「しょーもない大学」の建築学科であったとしても、そこに行って卒業することで得るものもあるので、「しょーもない大学」の建築学科だからまったく価値がないということはないと思うけれども、しかし、「(すでに30代の半ばを過ぎてるのに、)建築士の資格は持ってませんけれども、(誰でも入れる私立大学の)建築学科を出てますから」という文句は、「アホでしょお〜お」と言っていることと変わらないことになるのは間違いない。 もしかすると、これ、言うと怒る人もあるかもしれないが、私が言うか言わないかの問題ではなく、こういうことを言うと、そう聞こえるでしょ、ということである。

   だから、私の感覚では、
  「建築士というものは、取得したとしても、一級建築士であれ二級建築士であれ、取得すること自体は取得してよいが、『いっきゅうけんちくしい〜い』と言いまくるというのは愚かである。 『いっきゅうけんちくしい〜い』と言えばひとは言うことをきくのが当然だという態度は愚劣である。 持っているからいいというものではない。」 が、
  「旧帝大系国立大学、及び、東京工大、神戸大、東京芸大と早稲田大の建築学科を卒業したというくらいの学歴の人の場合、一級建築士・二級建築士を取得するよりも、他の方を優先するのは悪くはない。」 しかし、
  「建築学科でも『聞いたことない私立大学』の建築学科を卒業したというくらいの人は、一級建築士か二級建築士のいずれかの取得は必須であり、特に、30を過ぎて、一級建築士も二級建築士も取得できていないとなると、『建築学科』を出ているとは、うかつに言わない方がよい。 うかつに言うと、『私はアホです』と言っているのと変わらないことになる。」

こういうものだと思っていたし、今も思っている。

   ところが、会津から東京の私立大学に、しかも、学費の高い工学部の建築学科に、しかも、私立大学といっても早稲田大学の理工学部建築学科とかではない、『聞いたこともない私立大学の建築学科』『受けさえすれば誰でも合格する私立大学の建築学科』にわざわざ行く人の感覚というのは、ひととは違うらしいのだ。 やっぱり、金持ちの息子の発想は違うんだね。 しかし、ようわからんけど、「離婚したラーメン屋」て、カネあるんだねえ。
   それにしても、自分で言うのならまだいいが、「(すでに30代も半ばを過ぎている)うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、(私立のバカ大学の)建築学科を出てますから」なんて、そんな恥ずかしいこと、俺に言わすなよなあ! と思ったのだが、言わせたがったのだ。 東京電機大学建築学科卒で「建築士の資格はもってませんけど」というブタは。最近のラーメンはけっこうおいしくなってきたのだが、かつては、ラーメンといえばジャンクフーズ、くず食品であり、ラーメンのつゆを全部飲むとカロリーオーバーで太り、高コレステロール血症・高脂血症になると言われたものだが、ラーメン屋の息子がでぶぅっとした体形になっていたというのは、やっぱり、ジャンクフーズたるラーメンの食いすぎだったのか。

   それで、だ。 「学歴」というのは、履歴書に書く際は嘘は書けない。 しかし、ひとに話す時には嘘を言っていいかというと、言うやつがいっぱいいるのだが、それがいいとは私は思わない。 千葉支店柏営業所にいて、後に松戸営業所の課長になったらしいS川は、ニチゲー(日大芸術学部卒)のくせしやがってからに「わたし、早稲田の建築でてますから」とかお客様に言っていたらしいのだが、おまえ、早稲田の顔してないだろうが、一回、鏡、見て見ろ、と言いたいが、そういうアホなことを言いたい男というのはいるものだ。 私はそういうのがいいとは思わない。 しかし、「学歴」というのは、ひとに話す時、「高学歴」の人が話しやすいというものでもない。「私、東大でてます」と、いきなり、言われても、「だから、何やのん?」となるだけだと思う。
   「学歴」をひとに話す時は、できるだけ、いいように思ってもらえるように話さないといけない。 松戸営業所の課長だったUさんが「私、土木学科でてますから、擁壁とかについては他の者よりもわかります。 なにしろ、日本一の大学でてますから」というのは、ふざけて言っているかのようで実は相当考えて言っていると思う。 そして、他の者よりも擁壁とかについてはわかるというのは嘘ではない。私はUさんと一緒に動いて、Uさんから学んだものが相当ある。かつ、東大でてれば、「日本一の大学でてますから」などと言おうものなら、「ああ、そうですか」「おえらいんですね」となるだけで、プラスにならない。 それに対して、「日本一てどこですのお?」と相手に言わせて、「日大ですよ。学生の数が日本一なんです」と言って「笑いをとる」ということをする。 それだけ、考えて言っていたと思う。
   高橋はそういったことを考えていない。 なぜ、考えないのか。 
[結論] レベル低いから。

・・・・ということだ。 又、高橋が高額物件の契約が取れない、高額物件の客が苦手なのはそのあたりにも原因があると思う。 「地方」に行くと、高額物件の客というのは、元庄屋さんだったり、造り酒屋だとかそういう人が高額物件の客である場合があり、高額物件の客が高学歴ということはない。 しかし、都市部中心の小堀住研(株)においては、高額物件の客というのは高学歴の客と相当程度重なる。 だから、かつて、「高級住宅の小堀」であった時代の小堀住研(株)では「大卒しかとらない会社」だと言い、「ミサワあたりは『高卒の営業の会社』ですが、小堀住研は『大卒の営業の会社』です」と言い、そして、この場合の「大卒の営業の会社」の「大卒」とは、東京電機大学とかそういう「大卒」ではなく、私の親が1969年に家を建てた頃、営業担当者は関西大学卒で、その上役は神戸大卒、その後、隣家の工事の関係で来てもらった人は大阪大学工学部卒の人と神戸大学工学部卒の人だったと親から聞いている。 社長は高卒であっても社長は特別で、副社長は神戸外大卒で、専務の小堀東は日大卒でも先代社長の弟だから特別で、3人の常務のうち、銀行から出向できている2人以外の1人は慶應大経済学部卒で、そういう「大学」の出身者の会社のはずだった・・・・が、入社してみると、どうも、「大卒」は大卒でも、全般的にレベルが低い。 しかし、それでも、新卒の営業系は「大卒の会社」だった。
   しかし。  「大卒」だとはいっても、旧帝大系国立大学でなくても、地方大学でも国公立大学卒か、私立でも早慶・関関同立くらいの卒業の「大卒」の人間ならば、建築学科卒といっても、東大・京大の建築学科卒ならば、「建築士の資格は取得していませんが、建築学科を卒業しまして、・・・・ということをやってきました。 ・・・・という問題については私は自信があります」と言えば、評価してもらえるとしても、東京電機大学というようなそのくらいの「大学」を卒業の人の場合、30代半ばも過ぎて、一級建築士も二級建築士も取得できていないとなると、それで、「建築学科でてますから」などと言うと、かえって、「やっぱり、建築学科でてもだめなものはだめなんだね」と思われてしまう、受けさえすれば誰でも合格できてカネさえだせば誰でも入れる私立大学の法学部を卒業したような人は司法試験には合格しない、法学部卒でなくてもその地域の一番手校を卒業して旧帝大系国立大学か早慶くらいの法学部以外の学部に行ったような人は合格できる可能性がある、というのと同じく、「建築学科でてます」といっても、誰でも入れるカネさえあれば行ける私立大学の建築学科に入って卒業させてもらったような人は、やっぱり、受験資格を持たせても建築士の資格試験は通らないんだね、「だめなものはだめ」と思われることになるので、だから、「(すでに30代も半ばを過ぎている)うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、(私立のバカ大学の)建築学科を出てますから」なんてことは、うかつに言わない方がいい。 そんなこと言うと、マイナスにしかならない、という感覚がある。 言うなら、↑に述べた居酒屋の店長のように、本人が「☆☆大学て学校が▽▽にあるんですけれども、私、そこ出たんですよ。バカでしょお。ですから、もう、36にもなるんですけれども、一級建築士も二級建築士も通らないんですよお。もう、どうしようもないですよねえ」と自分の方から言えば、言われた客の側では、「そうですね」とは言わないと思うのだ。 自分の方からそう言われると、「いえいえ」と否定するような言葉が口から出る方が自然だと思うのだ。 客から否定する言葉を口に出してもらったところに、「それでも、建築学科卒ですから、お役に立てるものもあると思いますので」と言えば、プラスの評価になると思う。 そういう言い方をするのならわかる。 かつての小堀住研(株)が保有していた都市部の高額物件の客層を相手にするにはそういう言い方なら悪くはないのではないかと思う。 それに対して、、「(すでに30代も半ばを過ぎている)うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、(私立のバカ大学の)建築学科を出てますから」などと言ったのでは、「こいつ、金持ちのバカ息子で、そんな大学しか行けないくせにカネのかかる工学部に行って、建築学科に行っても建築士に合格できないというのは、医者屋のドバカ息子が患者を薬漬け・検査漬けにしたカネで裏口入学して医学部に行っても医師国家試験に合格できないみたいな、そんな感じのヤツか」みたいな、そんな感じ。 「法学部卒でなくても旧帝大系国立大学か早慶くらい卒の人間で司法試験に合格する人間はいるのに対して、私立五流大学の法学部卒の人間なんか、司法試験に合格するわけないというのと同じようなそんなものか」と思われる、そんな感じ。
   今から考えると、「大卒しかとらない会社」と言っていた小堀住研(株)のスタイルは、1980年代の終わり、すでに崩壊していたと思う。 「営業系」の新卒は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒」が応募資格であったはずだが、入社すると、立命だったかの工学部建築学科卒の男がいた。 彼は建築学科卒でも、営業系の仕事をやりたいと思って「営業系」に応募したというのだが、検討の上、そういう人を採用してよいという判断をしても悪くはない。 しかし、入社してみると、「高卒の人」「社会科学系学部以外の学部卒の人」が多すぎるように思ったのだ。 高卒の人間を「大卒の仕事」だとして募集しているものに入れてよいのかという問題もあるのだが、そして、問題は発生していたのだが、それとともに、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で運営しますと言って募集して採用した職種に、「底辺の私立大学の建築学科卒」の人を無暗に入れるとどうなるか。 「底辺の私立大学の建築学科卒」の人には、建築学科卒は法学部卒・経済学部卒・商学部卒よりもエライ! と思っている人間というのがいるのだ。 それを認めてしまっては会社のその職種のスタイルが崩れる。 小堀住研(株)は、「阪大・神戸大くらいの国立大学か早慶か関関同立くらいの社会科学系学部卒の人間」が「営業系」をやる会社であったはずで、そういう人間は「底辺の私立大学の建築学科卒」より下ではないはずだったのだ。 ところが、「底辺の私立大学の建築学科卒」は法学部卒・経済学部卒・商学部卒より上だという扱いを要求する人間を無暗に入れてしまうと、「営業系」の職種というのは、「技術系(設計・工事・工務など)よりも下の仕事」に位置づけられてしまうのだ。 そうなると、どうなるかというと、結論として、そういう会社になっていくのだ。「都市部での高額物件は取れない会社」に。
    「うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、建築学科を出てますから」という言い回しは、それは言うとマイナスの評価となる言い回しであると私は思ったし、今もそう思う。 しかし、高橋にそれをわからせるのは容易でないだろう。 彼が底辺の私立大学の卒業で、かつ、底辺の私立大学でしかも工学部なんてカネのかかる学部を卒業した、そういう大学の建築学科を卒業したということは、今さら変えようがないのだから、それはしかたがない。 しかし、それをどういうようにお客様に話すか、が問題である。 「わたし、一応、建築学科卒なんですけれども、☆☆大学なんてご存知ないですよね。 そこを卒業したんですよ。でき悪いもんですから。それで、バカですから一級建築士も二級建築士もこの歳になってまだ通れないんですよ。 バカでしょお」と自分の方から言うと、「いえいえ。そんなことないでしょ」と多くの人はつられて口に出すのではないかと思うのだ。 「それでも、建築学科卒ですからお役に立てることもあると思いますし、一流大学卒の人間に負けないよう、一生懸命頑張りますから」とでも言えば、「一生懸命頑張ります」と言う人間をそれ以上、バカだアホだとは言わないと思うし、「一生懸命頑張ります」と言う以上、「頑張ってください」と言うことになりやすい、と思うのだ。 ところが、高橋はそう考えない。 「うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、建築学科を出てますから」と言えば、客は、「建築学科出てられるんですかあ」とプラスに評価するだろうと思い込んでいるのだ。 「しょーもない私立大学」か建築の専門学校卒で「いっきゅうけんちくしい」の資格を取ったというおっさんが、「いっきゅうけんちくしい〜い」「いっきゅうけんちくしい〜い」と言いまくるのと同じような調子で。
   その「レベルの低さ」というのは、高橋に自覚させようと思っても簡単ではない。 だから、小堀住研(株)がそういう人を営業の職種に採用した時点で、小堀住研(株)はそれだけレベルが低下していたということになる。高橋は「高品質低価格」タイプの商品なら売れたのだから、支店長になっている人間はそのあたりを見抜いた上で、そういう人は「高品質低価格」タイプの客ばかり来る展示場に配属するべきで、「高額物件」の客が多い展示場に配属するべきではなかったはずであるが、東京支店長の高倉にはそういうあたりを見て配属を決める能力はなかったようだ。 高倉は、服装などは「高級住宅の小堀」の支店長の服装をしていたのだが、一言二言くらいならわからないが、ある程度、つき合うと、この人は「高卒の支店長」だなとわかった。だから、「高品質低価格」タイプのものは売ることができても、「高額物件」を売ることはできない人を高額物件の客が多い展示場に配属していたのだ。 そのあたりを見抜いて配属を決めるというのが支店長の仕事だと思うのだが、残念ながら、それができない、その程度の人だったようだ。

  「『うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、建築学科を出てますから』とお客さんに言えばいい」という文句。 今、思い出しても、よく、ああいうこと言うよなあ・・・と思う。
   (2017.2.20.) 

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