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zoom RSS 次世代を担う子供を育てる事は社会に貢献しているという暴言―藤田結子「働く母親はいつまで謝るのか」5

<<   作成日時 : 2016/12/26 20:27   >>

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[第487回] 会社と営業の話(102)−5
  「毎日新聞 経済プレミア 藤田結子『働く母親は上司や同僚にいつまで謝り続けるのか』 」http://mainichi.jp/premier/business/articles/20161124/biz/00m/010/011000c の間違いについて、第5回目。
  なんとも、不快指数が上昇する記事であり、慶大卒というだけあって、慶應タイプの白痴女はどうしようもない。 しかし、考えてみると、大学教授ていい仕事だよね。 私ら、このブログを公開しても、1円の収入にもなっていないのですが、こんな害を及ぼすような文章を毎日新聞を通じて公開して、それで収入になるんですからねえ。
   1980年代前半、私が慶應義塾大学の学生として在籍した時、ある自然科学系の科目の教授(助教授?)が講義の中で「きみたち、商学部の学生はもっと大学院に行って大学の教員になればいいんだよ」と言われたことがありました。 「大学の教員でも、哲学・倫理学とか数学とかだとなりたいという人間の方が多いのだけれども、経済学とか商業学とかだと大学を卒業した後、大学院に行って教員になろうという人よりも卒業して会社に勤める人の方が多くて、需要と供給の関係でみて、供給が多くないので、わりとなりやすいんですよ。 だから、きみたち、もっと大学院に行って教員になればいいんだよ」と話されたことがありました。そして、ボソッと言われたのは 、「なにしろ、ら〜くな仕事ですよ・・・、楽な仕事!」て。現実を見ずに「毎日新聞」に勝手な寝言を書き連ねてカネもらえるのだから、そうかもしれん・・・・。
   私なんかは、「うちは大学院なんかに行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父親から毎日毎日言われて来た家庭でしたが。そして、「うちは、新聞社になんか勤めさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」ともわれました。また、「たとえ、マスコミに勤めるにしても、マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやからいかん。産経にしなさい」と父から言われてきて今でも耳鳴りのように耳元でそれが鳴り響いていますが、さすがに、大学教授なんてものにならせてもらえるような「甘ったれた」人というのは言うことが違いますなあ。 もっとも、昔から、「慶應−産経」はつながりが深くて、慶應タイプの右翼教授と産経的右翼マスコミは仲良しこよしで、だから、私は慶應には行きたくなかった、行かされたくなかったが行かされてしまったのだが、慶應大文学部卒とはいえ、慶應の教授にならずに明治大の教授になり、慶應の教授が大好きな右翼産経新聞ではなく毎日新聞に「コラム」を掲載しているというところは、まだましかと思うと、内容は、やっぱり「アタマが慶應」だな・・て感じがします。
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   申し訳ないとは思うものの、次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず。なのに、・・・・・
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    ↑ ここまできたあかつきには、もう、この藤田結子とかいうの、これはもう精神病理学上の問題ではないのかという気がします。 この女、≪社会に貢献≫ではなく、社会に害悪を及ぼしているのではないでしょうか。 うだけでもそういう言葉が口に出るということ自体が、「その程度の人間」だと思います。 そんな連中と同じ大学に行かされたくない、こんなやつと同じ大学に行かされたくないと思うから、私は小学校の1年から他の人間が遊んでいる時も勉強してきたのに、なぜ、こんな人間と同じ学校に行かされないといけないのかと情けなくなりました。
    ↑ この文章に対して、私は↓ のように批判し、毎日新聞HP の左下の「お問い合わせ」をクリックしてでてくるフォームに記載して送信させてもらいました。
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5. 《 次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず。なのに・・・》とは。

(ア)  あきれた。 その幼児的独善主義を改めることができないような女に子供を作られたのでははた迷惑です。 《次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献している》だのと、世の為ひとの為、「お国のため」に子供を作って育てているなどというようなあつかましいのぼせあがった認識で子供を産んだり育てたりするのなら、産まないでもらった方がいい。  そんな認識で育てられた子供は決して世の為ひとの為にはならない。 

(イ)  子供をはらむ時、世の為ひとの為「お国のため」と思ってはらんだのか? そうではあるまい。 結論を言えば、性交してはらんだのだろうが。勝手なことを言うのはたいがいにしなさい。 私はお国のために子供を育ててるんですからねえ、だのと言うつもりなら、産まなくてよろしい。産まないでください。そんな子供は。そんな認識の子供は社会にとって害がある! 
 

(ウ) (株)一条工務店(戸建住宅建築業)http://www.ichijo.co.jp において、1990年代、福島県いわき市の営業所において、1月、同じ営業所の男性S(当時、40代)から、「おまえはすでに結婚していてもいい年齢なのに、まだ、結婚しないで子供を作らない非国民だ。 それに対して俺の子供はまだ10代なのに結婚して子供を作って少子高齢化対策に貢献している。非国民は罰を受けるのが当然だ。罰として、非国民はお国のために貢献している俺に年玉よこせ!」と言って手を出されて、「何、言ってるんだ」と言っても、執拗に後を追いかけてこられたということがありました。なにゆえ、私はそのようなことを言われなければならないのでしょうか。明治大学教授の藤田先生、説明していただけませんか。  どうか、お願いですから、「お国のために」だの「少子高齢化対策の為に」だのといった大義名分をかかげて子供を作るのはやめていただけませんでしょうか? 

(エ)    《次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず》などと厚かましい勘違いを主張するのなら、そんな子供は作っていりません。そういう文句は、その子供が実際に《社会に貢献》してから言ってください。
その子供が《社会に貢献》するか社会に迷惑をかけるかは、まだ、わからないではありませんか。  《社会に貢献している》などと、まだ《社会に貢献》してもいないのに勝手な主張をするのはやめてください。
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    私はお国のために子供を育ててるんですからねえ、だのと言うつもりで産んで育てた、そんな傲慢な意識の子供成人してもその意識は抜けないのではないか。 そんな傲慢な人間を拡大再生産するのはやめてもらいたいものだ。 そういう傲慢で傍若無人な人間を拡大再生産するのは、決して「お国のため」でも世の為ひとの為でもない。 はた迷惑も甚だしい。

    何より大きな問題として、≪ 次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず ≫という大きな勘違い、その傲慢な意識で育てられるということは、その意識はその子供のために決してならないと思えることです。
    ≪ 次世代を担る子供を育て≫ているのだ、世の為ひとの為、「お国のため」に子供を育ててあげているというような、そういう意識を親が持っている子供というのは、自分の存在についての理解を間違えてしまうのではにか。 そういう子供は「疎外された人間」 になってしまうのではないかと思います。

    子供というものは、時として、「次世代を担う」結果となることもあるでしょう。 しかし、「次世代を担う」ことになるか、次世代に迷惑をかけることになるか、まだ、わからないでしょう。 まだ、将来、どうなるかなどわからないのに、勝手に「次世代を担う」だのと主張するというのは傲慢・思い上がりと評価せざるをえません。

    「次世代を担う」ために産んだ、育てているだのと傲慢な意識で育てられた子供はどうなるか。 それを考えてみるべきではないでしょうか。 人間は「次世代を担う」ために生きるのか?  そうではあるまい。 まず、自分自身が人間としてあるべき姿で生きることが大事ではないのか。 その上で、世の為ひとの為になる行為をできるのなら大いにけっこう。 できなかったとしても、自分自身が自分として人間としてあるべき姿で生きようとするならば、そのこと自体が人間社会にとってマイナスではないものだと言えるのではないか。 「次世代を担う」だのなんだのという意識、考え方はその子供にとってプラスにならないと思います。
    ロナルド=レイン・デビッド=クーパーらは、「精神疾患」、特に「精神分裂病」(最近では「統合失調症」という用語を使うようになったようですが)の原因として、家族のあり方、疎外された家庭に原因がある場合があると見ています。 今は昔、私が慶應義塾大学に学生として在籍した時、文学部のある男が、どういう名目のものか知りませんが小此木啓吾の講座に出たところ、小此木啓吾から「レインは時代遅れです」と言われてショックを受けた旨を話していたことがあり、私は彼に「小此木啓吾はもっと時代遅れです」と言ってやったことがありました。「なんたら症候群」だの「なんとかシンドローム」だのとわけのわからん「精神医学的レッテル」を大量生産しておのれのことは棚に上げてひとにレッテル貼りまくって印税でかせぎまくった小此木啓吾が2003年に野垂れ死にした後、10年少々経った今、レインやクーパーの著書は絶対的に支持するか否かはともかく今も古典として存続していますが、小此木啓吾のクズ本、ビョーキ本は過去のものとなりました。 小此木の本を喜んでよんでいたバカも慶応の女子学生にいましたが、また、アホが増えたか・・と思って私は見ていました。


    自分は、世の為ひとの為「お国のため」に子供を産んで育てているのだ、「次世代を担う子供を育てることは社会に貢献している」だの「少子高齢化対策に貢献している」などという思いあがった意識は周囲に対して害がある。
    1992年、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に入社した時、私は32歳になったところでした。男性にも「婚期」というものはあります。 私は慶應義塾大学商学部卒の卒業証書を手にした時から、「総合職」「全国社員」としての採用はあっても「一般職」「地域限定社員」としての採用はない、あくまで「総合職」「全国社員」として採用されるか不採用かいずれかだと認識していました。 しかし、そうであっても、はっきりと結婚してからであれば転勤もしてもいいし、それを拒否するようでは会社は慶應大学商学部卒の人間を採用した意味がなくなってしまうと思っていましたが、しかし、結婚が決まるかどうかというような時に転勤させられてばかりではまとまる話もまとまらないし、又、ノルマに追われるような仕事では、結婚がまとまるかまとまらないかというような時には障害になると思い、それで、「ノルマは一切ありません」「研修制度が充実していますので売れなくて困るということは絶対にありません」、そして、「転勤はありません」という(株)一条工務店に入社したのです。 しかし、入社すると、「ノルマはないがガイドラインがある」などという詭弁が登場し、そして、入社2年目に転勤してくれと言われて福島県に転勤しました。 「〇〇くんは慶應大学の出身の人ですから、他の人とは違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」といったことを営業本部長は言ったはずですが、結局、やらずぶったくりにされました。 それだけではない。 実際の仕事においては、既婚・子持ちの人間は「子供」を大義名分にかかげて、未婚の人間に仕事のしわよせをする。 それでいて、「家族手当」というので未婚の人間より多く給料を盗る。 さらに、所得税などでは既婚・子持ちの人間は控除される。 そして、自公政権では「地域振興券」、民主党政権では「子供手当」というものを、性交して子供を生産した人間に支給する・・・・そこまで、性交大好き人間を優遇しなければならないものか?
    北野高校の英語の先生で「女の子のことが気になって気になってして、Lという字を見ると座っている姿、Tという字を見ると立っている姿が目に浮かぶ、というそういう状態になったらもうだめね。もう伸びない」ということを言った先生がありました。 「女の子のことは大学に合格するまでは考えてはいかんぞ」と言う先生は何人もありました。 自分でもそんな感じで思っていました。 もっとも、それがいいかというと、今は、どうかなと思っていますが、しかし、そんな感じで思っていたのです。 高校を卒業する年に東大を受けて落ちました。浪人して行った予備校の近くに天満宮があり、立ち寄ったことがありましたが、そこに「不良高校」の生徒みたいな(今から考えると、何をもって「不良」というのかという問題もありますけれども)男女が「デート」に来ていました。 そういう人というのは、大学に進学せずに高校を卒業して就職する人なのだろうと思っていました。 しかし、違ったのです。そういう人が「大学」に行くのです。 そして、卒業する時になると、「同じ大学なのに大学によって差別するのはおかしい」とか言うのです。 そっちの主張の方がおかしいのではないかと思いました。
    私の場合は、2年も浪人してしまい、結局、日本で一番嫌な大学の首をもがれても行かされたくない学部に行ってしまいました。 嫌で嫌でしかたがなかったけれども、結局、卒業しました。 最初、入居した横浜市港北区の慶應義塾大学日吉キャンパスのすぐ南にあった日吉台学生ハイツの食堂で、大阪府の桃山学院高校(http://www.momoyamagakuin-h.ed.jp/ )卒で慶應大商学部に入ったという I とその友人だという3人づれが向こうのテーブルで団らんしていたときがあって話が聞こえてきたことがありました。 「慶應の大学の名前さえだせば、女なんてどうにでもなる」と。そいつらはそう話していたのです。「電車に乗って女子学生がいたら、慶應の学生証を出して、これが目に入らぬかあと水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と別の男が言いました。 おまえら、学校の名前以外にとりえないのか、と思いました。 こいつら、なんて程度の低いやつらなんだと思いました。 もしも、そういうことをやって効果があるのかないのか知りません。 実際にそれをやったわけではなく言うだけだったのかもしれませんが、たとえ、言うだけでも、そういう文句が口から出るということは、「その程度の人間」だということでしょう。・・・・。

    同じ中学校・同じ高校から慶應大の経済学部に行った男Sはそういうのにあこがれていたみたいです。「慶應タイプの女たらし」にあこがれて、そして、あこがれるもののそれになれない、そういう男でした。 私はそういういのが嫌だったのです。 世界で最も軽蔑する人種が「慶應タイプの女たらし」でした。 だいたい、昔から、「慶應ボーイ」て言葉がありましたが、「なんや、鼻の下の長いにやけた」て感じがしませんか。 私はそういうヤツが嫌いだったのです。 そいつらは大学に行って勉強する必要ないのじゃないかと思いました・・・・が、その人たちからすれば自分たちの方が正統で私なんかの方がいかんようです。 桃山学院高校→慶應大商学部に行った I は、慶應の学生証を出せば女は水戸黄門の印籠を出されたみたいに言うことをきくと思ったようですが、私はそういう女が嫌いなのです。 そういう男の裏返しみたいな女に好かれたくないのです。 そういう「慶應の学生証を出せば女はどうにでもなる」などと言って喜ぶ男というのは、結局、そこまで言うくらいすばらしい女性と結ばれたのか? ・・・・・その男 I が4年の時、その年まで私も日吉台学生ハイツにいました。 ある時、日吉台学生ハイツでそいつが女性と一緒にロビーにいるのを見かけました。 結局、「慶應の名前さえ出せば女はどうにでもなる」などと言って喜ぶような程度の男には「この程度の男にはこの程度の女」がくっつきました。 結局のところ、似たような女とくっついただけでした。 慶應の男にはつくづくそういうのが多いですね。
    三浦綾子の『氷点』(朝日文庫)には、旭川に福沢諭吉の恋人の孫という人が住んでいるという話が出ていました。 「恋人の孫」であって「福澤諭吉の孫」ではないというのは、福澤諭吉は下級氏族の出であり、相手の女性の身分が高く、福澤は結婚できなかったらしいのです。 「天は人の上に人を作らずと言えり、と言いたくなるわけだな」と登場人物は語っていました。 「慶應の大学の名前さえだせば女はどうにでもなる」などと口にする男が、「福沢精神」とか言うのですが、どこが「福沢精神」でしょうね。 1980年代、ネパールだったかで麻薬を資金源としていた政治団体が「毛沢東派」を名のっていた際、中国共産党は「麻薬を資金源とする団体が毛沢東の名前を名のるのはやめてもらいたい」と抗議したという新聞記事を見たことがあります。 福沢諭吉の人生と正反対のことをやっている連中が「福沢精神」を名のるのはやめた方がいいのではないかと私は思いましたが、そして、それを同じ中学校・高校から慶應にいったSに言ったところ、「なんで、いかんねん」と言われました。彼はそういう男になりたかったみたいです。 そういう男になりたいとあこがれて慶應に行く人もいるみたいでした。 私が心の中で心の底から軽蔑したその I は、私なんかよりもずっといい会社に就職して、そして私よりも出世して年収も私なんかよりずっと多く手に入れたことでしょう。 私なんかと結婚するよりも女性にとっては I と結婚した方がよっぽど幸せでしょうね。 だから、「慶應の名前さえ出せば女なんてどうにでもなる」だの「電車に乗って女子学生がいたら慶應の学生証を出して、『これが目に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と言っていたやつと結婚した方が私なんかと結婚するよりよっぽど女性にとって幸せかもしれません・・・・・が、そういうやつ、嫌いなんです。 聖書の研究者である前田護郎氏が『世界の名著 聖書』のまえがきで、東大の文学部に行った時、学生には退廃的な生活を送る者もいたが、自分は左翼ではなかったが左翼の真面目な人の方がよっぽど立派だと思った、と書いていましたが私もそう思いました。 「慶應の名前さえ出せば女はどうにでもなる」「電車に乗って、女子学生がいたら慶應の学生証を出して『これが目に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と言っていた連中よりも「左翼の真面目な人」の方がよっぽど立派じゃないかと私も思ったのですが、その水戸黄門の印籠男の方が「慶大生らしい」「福沢精神を身につけている」「塾風を身につけている」「思考が柔軟な慶大生」「ギャルにもてもて」とか慶應では評価されるようでした。 そいつらを見習えば、私もちょっとは出世できたかもしれませんが、残念ながらそいつらを見習う能力はなかったのです。
    ロシアの女性歌手アーラ=プガチョーワが歌った『百万本のバラ』という歌があります。貧しい絵描きが女優に恋をした、百万本のバラの花をあなたにあげたい・・・というあの歌は心にしみる歌だと思いますが、「ギャルにもてもて」とやらの慶應ボーイは「くだらない」「な〜にがいいんだ」と言うでしょうね。・・・・その「ギャルにもてもて」とやらになると、こういう歌を感じる感性は失われるようです。
※ 《YouTube-百万本のバラ  アラ・ブガチョワ(ヒットの頃) 》https://www.youtube.com/watch?v=zDjotWBFi4Y
《YouTube-加藤登紀子 百万本のバラ 》https://www.youtube.com/watch?v=kz_gwGjM18U
.   遠藤周作の『哀歌』に、遠藤周作の分身のような主人公の話がでていました。 戦中、中国の大連にいた時、両親が離婚し、母と日本に帰ったものの、母が他界した後、父と暮らすようになった男が育っていくと父は言ったという。「お父さんは結婚で失敗した。だから、おまえには失敗しないように、おまえの結婚相手は俺がその相手でいいかどうか決めてやる」と。 それだけは受け入れられないと思ったと。 離婚した後、日本に戻り、親戚の家にやっかいになり、毎夜毎夜、父の悪口を言い涙を流す母の姿はみじめで醜かったが、父の言うことをきいて父の好む女性と結婚したのでは、その醜く哀れだった母の姿をなおさら哀れにしてしまうことになると。 父の好む女性と結婚することは、それは母を裏切ることになると。 その頃、慶應の経済学部の入試は英語と数学のみ、商学部の入試は英語と数学と社会科が日本史か世界史から1科目を選択で国語は試験科目にありませんでしたので、こういう小説なんかも慶応ボーイは読んだこともなかったのではないかと思います。 
    私の両親は離婚はしていませんでしたが、私の父も遠藤周作の父親と似たことを言いました。「世の中、わしほどエライ人間はおらんねんぞお。わかっとんのんか」と。 「世の中には、自分ではやらずに人がやることを命令する民族と、自分では決めずに人に決められてせっせせっせと何でもやる民族の2種類に神さまは人間を分けてお造りになっておるんや。 わしは人に命令するための民族、即ち、ドイツ人の民族なんや。あんたあは、そうではなく、人に命令されるための民族、すなわち、チャンコロや。あんたは。そやからやなあ。ドイツ人のわしがあんたの結婚相手は決めてやる。 だから、あんたが何人か女を用意しなさい。 そうしたら、その中から、わしがこいつがええ! て決めたるわ。 その中にええのがおらんかったら、みんなあか〜ん! て言うたるから、そしたら、また、あんたが何人か女を用意してつれていらっしゃい。そうやって決めるとええ」とか言っていました。「決めていらんけど」と言うと、「何を言うとるんや、何おお」「甘ったれてはならぬぞ、チャンコロ。おまえはチャンコロやねんぞ、チャンコロ。 そういうことは大事なことや。そういう大事なことはわしのようなドイツ人に決めてもらうものや、わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ。民族の違いを決して忘れてはならぬぞ、チャンコロ」と何度も何度も言っていました。 今もその言葉が耳鳴りのように聞こえます。 父の説によると、ドイツ人と「アメリカ人」というのは「支配するための民族」だそうで父はそれなんだそうです。 それに対して、私は「ロスケでイタコでチャンコロ」だそうです。 「ロスケ」というのはロシア人で裏切者・卑怯者のことを意味し、「イタコ」というのはイタリア人のことで根性無しを意味し、「チャンコロ」とは中国人のことで「常に人に支配されなければならない民族として神さまから作られた人間」のことを意味するそうです。 ですから、「ドイツ人でアメリカ人」である父とか父の親友でやはり「ドイツ人」である医者屋のM川とか父の部下で父のお気に入りだったM尾さんと我が家の兄弟で父にいつでもついていた上の姉とこの4人が「ドイツ人」でひとを支配しなければならない民族〔⇒《YouTube-楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」 ゲルギエフ》https://www.youtube.com/watch?v=ONfSjfTWJJU 〕だそうです。 そして、私は「ロスケでイタコでチャンコロ」だそうで、「ひとから支配されるための民族」だそうです。〔⇒《YouTube-Эй, ухнем! Шаляпин Фёдор Иванович.wmv 》https://www.youtube.com/watch?v=lBLlJb9tOJY&spfreload=10 〕 そういうことを言われ続けた結果、なんか、お嫁さんなんかいらんわと思うようになりました。 父は慶應に行きたかったけれども行けなかったらしく、考えてみると、「慶應タイプ」だなあと思います。 私が嫌悪感を覚えた「慶應ボーイ」に、そういうヤツになりたいと思ってなれたかなれなかったというタイプじゃないか。私がこんなやつの仲間にはなりたくないと思ったそういう連中にあこがれる人間のタイプだったのではないかと思う。
    ひとより年齢をいって大学を卒業して勤めたこともありましたが、そういう経緯で32歳で(株)一条工務店に勤めた時点では未婚でした。努力して勉強すれば行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をしてつきたい仕事につけると小学生や中学生の時は思っていたのですが、それは幻覚だった、ない夢を追わされていたということがわかりましたが、それでも神を信じて生きよう、そうすればいいことだってあるかもしれないと思い、「慶應の大学の名前さえ出せば女はどうにでもなる」とか「電車に乗って女子学生がいたら慶應の学生証をだして水戸黄門の印籠みたいに『これが目に入らぬかあ』とやってやろうか」とかいう「慶應ボーイ」よりは少ない年収であっても、そのかわりに、私には『百万本のバラ』に魅力を感じることができる感性があるから、もしも、私とつきあおうと考えてくれる女性がいたならば、百万本のバラではなく『百万本のバラ』の歌に魅力を感じる感性をプレゼントしたいと思いました。そして、結婚までまとめるためには、「ノルマ」に追われるような仕事は結婚までは困るし、転勤ばかりするような仕事では困るのです。 だから、「ノルマはありません」で「転勤はありません」の(株)一条工務店に入社したのに、2年目から転勤させられたのです。 それでも、自分を雇ってくれた会社のためと思って転勤もしました。 ところが、営業本部長の天野隆夫は私にこう言ったのです。「おまえ、独身なら、暇で暇でしかたがないやろ!」と。 なぜ、私は彼にそんなことを言われなければならないのでしょうか。
    明治大学教授だという藤田結子さん、なんだか、結婚できて子供もできた女性を応援しようと頑張っていらっしゃるようですが、教えていただけないでしょうか。 何故、先に結婚できて子供もできた女性・男性は、まだふさわしい相手と結婚できずにいる男性・女性、結婚はできたが子供はまだできない男性・女性に負担をかける「権利」があるのか?  説明していただけませんか?  私より少し下くらいの年齢の方かと思いますが、もしかすると、同じ年に慶應義塾大学に通っていた時期があったかもしれませんね。もしかすると、どこかですれ違うくらいのことはあった可能性もあるかもしれません。 同じ大学を卒業した人間でも私なんかと違って、「エライ人」になられて、毎日新聞でも、「エライ人」のコラムという設定で書かれているようですから、それだけ「エライ人」なら教えていただけないでしょうか。 なにゆえ、私は「おまえ、独身なら、暇で暇でしかたがないやろ」などと言われなければならないのか? 早く結婚しないと男性にだって「婚期」というものがあると思い、それで「ノルマはありません」「転勤はありません」という会社に勤めたのに、入社すると「ノルマはないがガイドラインがある」とか言い出し、2年目から転勤させられて、それでも、その会社のためにと思って尽力している人間が、なにゆえ、「おまえ、独身なら、暇で暇でしかたがないやろ」などと言われなければならないのか?  何故、先に結婚して子供も作った人間は、まだ結婚できない人間、子供ができない人間を犠牲にする権利があるのか? 「次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず」などという大義名分を掲げて、まだ結婚できない人間・結婚はできたが子供はできない人間を犠牲にする権利がなにゆえあるのか? 説明していただけませんか? おえらい方なら説明していただいても悪くないのと違いますか? 私より高い給料とっておられるのでしょう。私と違って、しょーもない話でも「大学教授のコラム」として掲載してもらえて報酬もらえる立場でしょう。違いますか?


   (株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に在籍した時のことです。 営業本部長の天野隆夫が営業所に電話をしてきて、何の脈絡もなく、「まだ、結婚相手決まらんのか」と私に言ってきたことがありました。 もしも、自分の知り合いでこういう女性がいるのだけれども、もしも、まだ結婚相手が決まらないようならば、あんたと合うのじゃないかと思うのだが、会ってみませんかというそういう話をしようと思って、「まだ、結婚相手決まらんのか」と言うのなら言って悪いことはありません。 しかし、そういうことでもないのに、「まだ、結婚相手決まらんのか」などとは大きなお世話です。 「使用者による労働者の私生活介入」という「不法行為」です。
   そして、彼は何と言ったか。 「男が好きなのか」・・・・・天野隆夫はそう言ったのです。 なにゆえ、私は彼にそういう口をきかれなければならないのでしょうか?  天野隆夫は自分はオーナー経営者であるから、オーナー経営者である以上、従業員に対してそういうことを言う「権利」があると確信していたようですが、そんな「権利」なんか、ない!
   天野隆夫は私に「ぼくは学校でてないから(最終学歴:中卒。 もしくは定時制高校中退)だから、だから気さくで人間味があるんだ。 そう思うだろ」と言い、「思わないのか。思うんだろ。思いますと言え」と私に言って無理矢理「思います」と言わせたことがありましたが、ひとの営業所に電話してきていきなり「男が好きなのか」などと言う人間を「気さく」だの「人間味がある」だのとは普通は言わないと私は思うのですが、彼はそういう人間が「気さく」で「人間味がある」と主張したいようです。最終学歴中卒の人間は、電話してきて「まだ結婚相手決まらんのか」などと言い、そして、「男が好きなのか」などと暴言を吐く「権利」があると確信していたようです。 藤田結子さん、未婚の人間はこういうことをされる義務があるのでしょうか。そんな「義務」なんてないはずだ。

   藤田結子さんという方は、なんだか、結婚できて子供もできた女性は人から虐げられている、結婚できて子供もできた女性はまだ結婚できない男性・女性、結婚できたけれども子供ができない男性・女性から保護される権利があるのになぜ未婚の男性・女性や結婚はしたが子供ができない男性・女性に負担をかぶってもらうのにお礼を言ったりお詫びを言ったりしなければならないのか、という調子で書かれていますが、そのあたりの認識はおかしいのと違いますか。

    (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「女の子は、気を配って気を使ってしてやらないと、すぐに辞めてしまうから、気を使って気を配ってしないといけないんだ。 その点、男には何を言ってもいいんだけどな」と発言しましたが、しかし、発言している側は「何を言ってもいい」と思っているようでしたが、言われている側は、決して何を言われてもいいとは思っていないのです。 むしろ、天野隆夫が私に言ったことは地獄の底まで決して忘れはしません。 藤田さん、私が言っていることはおかしいですか? 間違っていませんでしょ。違いますか。
   「女の子は、気を配って気を使ってしてやらないと、すぐに辞めてしまうから、気を使って気を配ってしないといけないんだ。」というのは間違いだ。 私はこれまでに勤めた職場において、職場で少々嫌なことがあっても生活のために我慢して勤めている女性を見て知っている。 「ちょっとしたことですぐに辞めてしまう」かどうかは女性か男性かの問題ではない。 天野隆夫は「女性」の味方をしているかのような口のきき方をしているが、実際にはそうではなく、むしろ、職場で嫌なことがあっても我慢して働いている女性と男性を侮蔑しているのであり、ちょっとでも気に入らないことがあると、「や〜めま〜すよお。わたし、や〜めまあ〜すよお〜お」と言うバカ女。そう言えば周囲が自分の機嫌をとってくれると認識しているバカ女とその同類の男を応援しているだけである。 2000年代前半頃、プロ野球の球団がチーム数を減らして1リーグにするかしないかという話が合った時、元検事総長の根来コミッショナーが「辞める」と言い出したわりに、いつまで経ってもやめず、テレビだったかラジオだったかで板東英二が「この人も変わった人ですねえ。辞めると言うなら辞めればいいのに、辞めるというだけでいつまで経ってもやめない。 変わった人ですねえ」と言っていたが私もそう思った。板東英二はいいこと言う。 (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、「女性の味方」をしているふりをしていながら、実際はそうではなく、少々嫌なことがあっても我慢して働いている男性・女性を迫害して、片方で 「や〜めま〜すよお。わたし、や〜めまあ〜すよお〜お」と言えば周囲が自分の機嫌をとってくれると考えるバカ、元検事総長根来コミッショナーみたいなやつを応援しているだけである。


    ≪ 次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず ≫などという意識で母親が育てている子供は、次世代のために害がある。  こういうことを言うと「女性の敵」みたいに言い出す人間も出て来るかもしれないが、そうではないはずだ。 ≪ 次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず ≫などという認識で子供を育てるべきではないという認識で子供を育てている女性だっているはずだ。  ≪ 次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず ≫などという認識で、子供がある女性は周囲に負担を押しつける権利があるように思っている女性を応援するということは、むしろ、それは、≪ 次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず ≫などという認識で子供を育てるべきではないという認識で子供を育てている女性に敵対する態度ではないか? 違うか。

    (株)一条工務店にて、1994年、福島県浜通り地区にて建築された方のお宅で、工事にミスが続いたことがありました。 入居後、お施主様は工事の問題点とともに、(株)一条工務店の担当者の対応の問題についても説明されましたが、その1つは、「工事責任者」の I 田が「工事担当のTは子供ができたばかりで大変なんです」と発言したという点についてでした。 「子供ができたなどというようなそんなことは、うちには関係のないことでしょ」 と。 「もし、子供ができたから仕事ができないのなら、やってもらわなくてもけっこうです」と言われたのですが、大いにもっともなことです。 何より、結婚してまだ子供がないという人に向かってよくそういうことを言うと思いますが、 I 田はお施主様に対してだけでなく、私たち従業員に対しての発言においても、それに似たような発言をする時があり首を傾げさせられる時がありましたが、I 田は、その頃、まだ、20代後半か30代前半だったのではないかと思いますが、彼が、その後、歳をいくとともに人間として成熟してそのあたりを克服したかどうかはわかりません。私もその頃、30代前半でしたが、天地がひっくり返っても I 田のような口はきいたりはしませんでした。彼は工事において尽力してくれる時もあったと思いますが、時としてそういう口をきくことがあったというのは、それはマイナスの評価を得てもしかたがない部分ではないか思います。
    (株)一条工務店という会社が、未婚の人間よりも、また既婚者でも子供がない人よりも、子供がある・子供ができたという人間に対して異常な優遇をしたりする点については不快感を表明する従業員が実際にありました。 「うちは子供があるんですから」と発言することで、全体の仕事を他の従業員に押しつける権利があるかのように言う者がおり、それがまかり通ってしまう時があったのですが、それに対して、「うちは猫がいますから」と言う人がありました。 猫なんてペットじゃないか、子供と一緒にするものと違うだろ、冗談はほどほどにしてもらって・・・とか「子供」を大義名分に「ひとに言うことをきかす」ことをしようとする人は言うのですが、その認識は間違いです。 結婚はしたが子供があった悪くない年齢の人で、猫や犬を子供のかわりのように飼っている人がいるのです。 そういう人に向かって、「うちは子供があるんですからねえ」という態度、はっきりと口に出して言う女・男がいるのです。 そういう人間に対して、「うちは猫がいるんです」と言っているのです。 なにゆえ、子供が欲しいと思いながらできずにいて、猫を子供のかわりのように飼っている人間が、子供が思い通りにできた幸せな夫婦の犠牲にならされなければならないのですか、それがあなたは理解できないのですか、と言っているのです。 うちは、縫いぐるみがいますし、ね。
     既婚である程度以上の年齢になって子供がいないという人には、どこか、何らかの病気で子供ができなくなってしまったという方もあるのです。 そして、そんなことはいちいち人に話すことでもないし、それをひとに話したからといって何かわかってもらえるものでもないので言わない場合の方が多いのです。 そういう相手に向かって、幸いにも結婚できて、そして、子供にも恵まれたという女、及び男が、「うちは子供があるんですからねえ」と発言、あるいは、その周囲の人間が「◇◇さんは子供があるんだから、人に面倒見てもらうのが当然でしょおお〜おおおおお」などと人の気持ちを土足で踏みにじる発言をするのです。そういう発言をして、それで、子供がある人のために発言している、世の為ひとの為に、子供がある人間を思いやることができない悪人に言ってやったみたいな気持ちでいるのです。・・・・どちらが、悪人でしょうか? どちらが、人の心を踏みにじっているでしょうか?
  「次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず」などと、まだふさわしい相手とめぐり合うことができず未婚でいる人間や結婚はできたが子供に恵まれずにいる人間に向かって言って、すでに結婚できて子供にも恵まれた人間はまだふさわしい相手とめぐり合うことができずにいる人間や結婚はできたが子供には恵まれずにいる人間を犠牲にする権利があるかのように発言し要求する女、及び、男の方こそ鬼畜ではありませんか?!? 

   犬とか猫を飼う人についても、自分の所で飼って食事と糞尿の世話も自分の所でするのならいいのですが、猫を放し飼いにして我が家の庭で糞をさせる家があるのです。 犬は放し飼いにはしませんが、散歩の際に私が見ている目の前で我が家の玄関にしょんべんさせる親父、我が家の駐車場にでっかいう○こをさせるどこかの人間(但し、それが犬の糞かどうかはわからない。人糞の可能性もないとは言えない)がいますが、猫や犬を飼うなら、糞尿も自分の所で責任持ってやってもらいたいですね。 放し飼いの猫の飼い主か?と思われるじいさんに、「あの猫も、よその家で糞をするのは困りますね」と遠回しに言ってみたところ、じいさんはどう言ったかというと、「それはしかたがない。そんなことは文句を言うものじゃない」と、そう言ったのです。 いつか、あの猫、ふんづかまえて猫鍋にでもしてこましたろか、と思いました・・・・が、猫鍋にでもしてこましたろかと思われる猫より悪質な態度を子供にとらせる親がいるのですよ。 猫よりたちが悪い。 その子供もたちが悪いが、それ以上にその親がたちが悪い。 そういう子供というのか、その子供の親というのかは、いったい、どうしたものでしょうね。「次世代を担う子供を育てることは、社会に貢献していることになるはず」というその文句。 喧嘩売ってんのか!?! ということになるのですが、違いますか。 ここまで言ってもまだわからないウルトラフーリッシュの女、及び、男がいます。 藤田さん、そういう女、及び、男はどうしたらいいと思いますか?  男の方には、ハンマーパンチの嵐をお見舞いした上で、ち〇ぽ を植木剪定ばさみで切断した上で水洗トイレに流してやるのがいいでしょうか?(・・それをまた、けーさつのアホが一生懸命捜しよんねん。おもろいなあ。そやけど、見つけても、もうくっつけへんで♪) 男の方はそうするとしても、女の方は切断する部分がないのですがどうしたものでしょうか?


   ・・・・いつでしたか、綾小路公磨がテレビで言っていました。「実は私、ヅラなんです。 ハゲは大変なんですよお。特に、夏は大変。子供手当なんてあんなもの出すくらいなら、ハゲ手当出してほしいですよ」と。

    (2016.12.26.) 

☆ 藤田結子「働く母親は上司や同僚にいつまで謝り続けるのか」の間違い。
1.「後ろめたさ」など感じていない女がいる http://shinkahousinght.at.webry.info/201612/article_5.html
2.子持女は未婚者より忙しいというのはおかしい http://shinkahousinght.at.webry.info/201612/article_6.html
3.周囲に世話をかける者がなぜ謝るのを嫌がるのかhttp://shinkahousinght.at.webry.info/201612/article_7.html
4.「働く母親」と言いたいなら、とりあえず、働け http://shinkahousinght.at.webry.info/201612/article_8.html
5. 「次世代を担う子供を育てるのは社会に貢献している」という傲慢 〔今回〕
6. 世話になって「すいません」と言うのに「ストレス」感じるというのはおかしい http://shinkahousinght.at.webry.info/201612/article_10.html
7. 未婚者は既婚者より忙しい http://shinkahousinght.at.webry.info/201612/article_11.html
8.「晩婚」「非婚」は好んでなっているのではない http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_2.html
9. 「女」に甘い会長、「社会貢献」したがる社長に苛められる男性社員 http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_3.html
10.育児の分担はまずオットがするべきこと。http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_4.html
11.「子供」を名分に休む人間、先に帰る人間は、実際には子供が理由でない場合がある http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_5.html
12.赤ん坊写真記事の傲慢 http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_7.html 

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