慎腹風呂愚

アクセスカウンタ

zoom RSS 司馬遼太郎『関ケ原』に学ぶ お茶の出し方。 出されても飲みたくない(株)一条工務店の静岡茶

<<   作成日時 : 2016/12/17 20:10   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[第482回] 会社と営業の話(101)
   私は小学校の高学年から中学にかけて、司馬遼太郎とか山岡宗八の歴史小説がけっこう好きだった・・・ということは、今から考えると「オヤジギャル」ならぬ「オヤジ中学生」の面があったのかもしれない。高校に行って、もうちょっと学問的な「歴史」を学びだすと、司馬遼太郎や山岡宗八の小説というのは、あくまで「お話」「小説」であって、それは「歴史学」に比べてずっと価値が低いものであるとともに、「お話」が広まったために、あくまで、「お話」であって実際にあったことかどうかわからないようなものが実際にあったかのように多くの人が思ってしまうところがあり、実際の歴史をかえって誤解することになってしまってよくないと気づくようになった。
   又、歴史というのは社会・経済の移り変わりが「下部構造」としてあって、それとともに政治や文化は移り変わっているのであり、そういった認識を持たない司馬遼太郎が好む「人物中心の日本史」というのは、戦前の「天皇を中心とした人物中心の日本史(国史)」から「天皇を中心とした」という部分を弱めたものという性格があり、そのあたりに気づいていない、気づく能力がないおっさんが喜ぶものと評価できた。 特に、NHKの大河ドラマというのは「おっさんが大好き」で、「会社のために、とってちってたあ〜あ!」と言うのが好き(あくまで、「ひとに言うのが好き」であって、自分が言われるのが好きではない)というおっさんが好む「オヤジの嗜好品」、だいたい、野球とゴルフのたとえをやりだすようになるとおっさん! という傾向があるが、もうひとつ、「戦国武将もの」の話をやりだすと、おっさん! というところがある。
   だから、実際の年齢がいくつになっても、「おっさん」にはならない・・・つもりの人間としては、野球とゴルフのたとえと戦国武将ものの「歴史小説」の話はするまい!・・・と思ってきたのだが、「わしぁ、日陰の月見草」のじいさんの話なんかはけっこうおもしろくって、「わしぁ貧乏やからな」とか言いながら、田園調布に住んでベルサーチの背広や時計を着用してるじいさんの書いた本を相当読んで、こっちこそび〜んぼうやのにからに、実際は少なくとも今は金持ちのじいさんに印税を相当差し上げてしまったのだが・・・、こういったことをきっちりと認識した上で、その上で、過去に読んだものを再読してみると、司馬遼太郎の「歴史小説」というのは、それは「歴史学」とは別のものであって区別する必要はあるが、それはそれでおもしろかったりもする。

   その司馬遼太郎『関ケ原 (上・中・下)』(新潮社)の冒頭に出て来る「お話」である。司馬遼太郎は「歴史小説」を書くに際してよく取材しているとは思うのだが、できあがった小説については、「俗説の集大成」でしかないものが多いように思う。
   川和二十六 文・富永商太 画『戦国時代 100の大ウソ』(2013.4.26.鉄人社)によると、関ケ原の戦い(1600年)の前年の1599年、加藤清正・福島正則・浅野幸長・細川忠興・黒田長政・蜂須賀家正・藤堂高虎の7人が石田三成を襲った「七将襲撃事件」で、襲われて困った石田三成が徳川家康の屋敷に逃げ込んだとされてきたが、実はそうではなかったとか。≪ 彼らが三成を襲撃した話は事実。 しかし、この極めてマンガ的な展開がグッと来るのだろう。後に、江戸時代の軍記物作家たちが、こんな風に妄想を創りあげてしまった。≫と。≪・・現実の三成は、伏見城にある自分の邸宅「治部少丸」に逃げ込んでいた。≫ これも、司馬遼太郎『関ケ原』では、石田三成は徳川家康の屋敷に逃げ込んで家康に保護された、石田三成からすれば保護させたことになっている。
   「お話」の真偽はさておき、今回は、石田三成が羽柴秀吉と出会った場面のことである。
ー・−・−・−・−・−・−・−・−・−
   ・・・「わしがいますわっているここに」
と、私どもをここまで連れてきてくれた老人が、縁側の板をトントンとたたいた。老人は、身ぶり手ぶりをまじえて、私ども少年たちに寺伝の説明をしてくれた。
「太閤さんが腰をおろしていた。鷹狩り装束をなされておった。その日も夏の盛りでな。きょうのように眼に汗のしみ入るような日中やった」
と、老人は汗をぬぐった。・・・・・
   「茶を所望じゃ」
と秀吉はいったという。 寺の奥で声がし、立ちあらわれるのは、当時この寺の小僧であった石田三成である。・・・・・
   この老人が話してくれた三成の小僧時代の話は、『武将感状記』などにのっている。かれの在世当時から、相当世にひろまっていた挿話であろうとおもわれる。
   当時秀吉は、信長の武将として近江長浜二十余万石に封ぜられ、はじめて大名になったころである。
   領内で、鷹狩りをした。鷹狩りというのは領内の地形偵察と民情視察をかねた目的のあるもので、秀吉もそのつもりでいる。
   だけではない。彼の場合、にわか大名であるだけに、二十余万石の軍役をまかなうだけの武士を抱え入れなければならなかった。鷹狩りをしながら、獲物の鳥獣などよりも、領内でしかるべき人材はいないか、ということのほうが関心ふかかったであろう。秀吉譜代の大名といわれる加藤清正、福島正則、藤堂高虎らは、ほとんど秀吉のこの時に召しかかえられている。

   さて、三成は。
   幼名、佐吉といった。近江坂田郡石田村に住む地侍石田正継の次男で、このころ寺に入れられていた。一書には学問修業のためにこの寺に通っていたともいい、一書には、寺小姓であったともいう。
   十代はじめごろであった。
   きりっとした顔だちで、よく動く涼やかな眼をもっている。たれがみても眼に立つほどの少年だった。
   秀吉は、このあたりまで鷹狩りにきて、のどのかわくあまり、いきなり入ってきたらしい。
「茶を点じて参れ」
と、縁側に腰をおろした。
 佐吉は奥で茶の支度をした。この少年の父正継は農村にかくれているとはいえ、代々の地侍で、家計は豊かであった。身なりはわるくなかったであろう。
 やがて、静かにもっていった。秀吉は蝉しぐれのなかに腰をおろしている。
「粗茶でござりまする」
 とさしだすと、秀吉はいそいで飲み、
「さらに、一ぷく」
 と佐吉に命じた。その最初の茶碗は、『武将感状記』に、「大いなる茶碗に、七、八分にぬるくたてて持ち参る」とあり、秀吉これを飲み、舌を鳴らし、「気味よし、さらに一服」と命じたという。乾ききっているから、むさぼり飲んだのである。そのための湯の量といい温度といい、ちょうどよかった。
「かしこまりましてござりまする」
 と佐吉はひきさがり、こんどは湯をやや熱くし、その量は最初の半分ぐらいにした。
 秀吉は飲みほし、さらに一服、と命じた。このころから、この少年、使える、とおもって観察しはじめていたのであろう。
 三度目に運ばれてきたものは、容器も小茶碗である。それに湯の量はほんのわずかで、舌の焼けるほど熱かった。秀吉はこの少年の頓着に感心し、
「そちは、なんという」
 とたずねた。佐吉は切れ長の眼を伏せ、
「御領内石田村に住まいまする石田正継が子にて、佐吉と申しまする」
 と答えた。
(この児よし)
 と秀吉は、おもった。大人になれば使えるであろう。そのあと、二、三ものをたずねると、頭の反射がいい。いよいよ気に入り、寺の住持に頼んで城にもらいうけることにした。
   この、秀吉と三成の最初の出逢いになった寺は、長浜場外の観音寺であるといい、伊香郡吉橋村の三珠院だともいう。・・・・・ ≫
( 司馬遼太郎『関ケ原 (上)』1966.10.25.新潮社 )
ー・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−

   私は戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきましたが、戸建住宅建築業の会社では、住宅展示場で来客にお茶を出したりコーヒーを出したりしますが、それについて、各社でそれぞれの考え方があったようです。
   1980年代後半、大学新卒で勤めた小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)〕では、住宅展示場への来場客とはできるだけ長く話をした方が契約につながりやすいし、そのためには、住宅展示場についての説明もするべきではあるが、長く話をするためには着座しての面談をした方が話はできるし契約につながりやすいといったことが言われていました。 これは他の住宅会社でも同じ認識である場合が多いのではないかと思います。 但し、「高級住宅の小堀」を「売り」にして「高級感」を出そうとしていた会社であり、「大卒しかとらない会社」「営業は高卒の人が多い住宅会社もありますが、小堀住研の営業は『大卒の営業』で、ミサワあたりの『高卒の営業』の会社とは営業という職種についての認識が違います」と言っていたその頃の小堀住研(株)においては、接客態度というものも「売り」の1つであり、「ともかく座らせればいい」「無理矢理でも座らせる」という下品な態度はとってはならないとも言っていました。 「いかに座らせるか」というのは、あくまでも、座って話をしようかどうしようか迷っている、微妙な場面において、「座らせトーク」というものが使われるというもので、「力づくで座らせる」というのは「うちは、押し売りじゃないんだから」「そういう営業も営業と言うのかもしれないけれども、それは、小堀住研の営業ではない」と言っていました。 その微妙な場面限定での「座らせトーク」として、「うちは、レギュラーコーヒーですよ」という文句を研修で聞かされたことがあります。 このくらいはいいのではないか、というよりも、これは座って話をしましょうとなった時に、なかば、ジョークとして言う文句です。
   住宅屋の「トップセールス」や「営業部長」とかの談話をビデオに編集して販売する会社というのがあって、(株)一条工務店に在籍した時に、そういうビデオで東日本ハウス(株)〔→日本ハウスホールディングス(株)〕の「トップセールス」だというおっさんの話と積水ハウス(株)の営業部長だというおっさんの話のビデオを見せてもらったことがあります。 そのビデオで、東日本ハウス(株)〔→日本ハウスホールディングス(株) 〕の「トップセールス」だというおっさんが、「うちはジュースは果汁100%ジュースしか出しません」と話していたが、出すならおいしいものを出した方が、来場客・見込客・契約客も喜ぶだろうということでそうしているということだと思います。但し、「果汁100%ジュース」というものも2種類ありまして、「ストレート」と書かれたものは、果物を絞った汁そのもので、これはおいしいと思いますが、「濃縮果汁還元」というものは、これは、いったん絞った果汁から水分を除いて保存したものに、後から水分を再び加えて、当初含んでいたのと同じだけの水分を含むようにしたというものらしい。 ということは、「濃縮果汁還元」の「果汁100%ジュース」というのは、濃縮された「原液」を基準として考えると、水分を加えているわけで、「果汁50%」となるくらい水分を加えたものと「果汁100%」になるくらい水分を加えたものとでは、むしろ、「果汁50%」くらいのものの方がおいしいと言う人だってあります。 ですから、そのあたり東日本ハウス(株)の「トップセールス」のおっさんの認識は絶対に正しいとも言い難いところがあったかと思います・・・・が、出すからにはいいものを出した方が印象もいいだろうという考え方は間違いではないでしょう。

    最近、クルマ屋のディーラーさんに行くと、「メニュー」と書かれた厚紙を持って来て、「何がいいですか」ときかれるのですが、そこには喫茶店みたいに「アイスコーヒー」「アイスティー」とか「ホットコーヒー」とか「オレンジジュース」とか書かれているのですが、来客が好むものを出してあげた方が喜んでもらえるという考えなのでしょうけれども、私は、どうかなと思っているのです。 コーヒーを「注文」したとしても、コーヒーを豆から煎れて出してくれるわけでもなし、ボタンを押すとでてくる自動の機械から入れて来るのであり、こっちだって別に乞食じゃないのだから、アイスコーヒーでもオレンジジュースでも飲みたければ喫茶店で飲むなり清涼飲料水の自販機で買うなり、コンビニで買うなりして飲むことはできるのです。 来客に飲み物を出すというのは、喫茶店みたいなことをするという行為とは意味合いは別だと思うのです。 店の人間がお茶なりコーヒーなりを容器に入れて持ってくるのと、「何がよろしいか」とメニュー表を見せて選ばせて、目の前でファミリーレストランのドリンクバーにあるのと同じボタンを押すと液体が出てくる機械で入れて持ってくるのとでは意味が違うと思うのです。 「お茶とコーヒーとどちらがいいですか」とか「暖かい飲み物と冷たいものなら、どちらがいいですか」と尋ねるくらいならいいと思いますが、ファミリーレストランのドリンクバーに置いてある機械と同じものから入れて持ってくるのに、たいそうに「メニュー」なんて書いた厚紙を持って来て注文させられても、出してもらって文句言うこともないのですが、あまりありがたみはないように思います。
   新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区。2013年11月に倒産〕では、2010年、来客に店外にある清涼飲料水の自販機で500ミリリットル入りのお茶を買って出していたのですが、来客の立場からすると、別にペットボトル入りのお茶が欲しければ自分で買ってもいいわけですし、「来客にお茶を出す」というのは、客の立場からすると、お茶がほしいということではないわけで、やっぱり、特別に高価でなくてもきっちりとした容器に、もてなす側がお茶を入れて出すべきであり、ペットボトル入りのものを自販機で買ってきて渡すというのは、「レベルが低い」という印象を受けました。私は、何度もそれを指摘したのですが、言ってもきかない社長の会社は・・・・→つぶれた。

   小堀住研(株)では、住宅展示場への来場客に対しての「座らせトーク」というものはありましたが、同時に「『力づくで座らせる』『客がその気がないのに無理矢理座らせる』というような下品なことは絶対にしてはならない」とも教えられたものです。しかし、この点は住宅建築業の会社でも会社によって経営者の考えは違うようでした。 1992年、(株)一条工務店 に入社すると、(株)一条工務店では、研修で「お茶は座った時に出すものではない。座らせるために出すものだ」と教えられたのです。たしかに、座るか座らないかというぎりぎりのところでお茶を持ってこられると、それを機会に座って話をしようということになる場合はあるでしょう。私は、この話を聞いた時、最初はそういう意味だと理解したのです。しかし、(株)一条工務店で私よりも在籍が長い人が言うには、そうではなく、ともかく、お茶を持って行ってお茶を持っていったのだから座ってくれと言って座らせるのだと言うのです。どうだろうなあと思いました。 実際には、それをやると、お茶を持って行ったがために帰ってしまう人もあります。
    大阪の千鳥屋という和菓子店のある店では、店内に一歩でも立ち入ると、お茶と茶菓子(和菓子)を持ってくるのです。 これはやめてほしいなといつも思うのです。 もしも、贈り物用に包装して欲しいと頼んで待っているという場合に、「少々お待ちください」と言って待っている間に、お茶と茶菓子を出してくれるというのならいいと思います。 そうではないのです。 一歩でも店内に入ると、買わずに出にくいようにするために、お茶だけでなく茶菓子まで皿に載せて持ってくるのです。 店の人間としてはそれが営業戦略だと思っているのかもしれませんが、客の側でも人によって感じ方は違うのかもしれませんが、私は嫌ですね。 買うかどうかは店に入って見てから決めることですし、いったん、見ても、他の店も見てきてから決めたい時もあります。 そして、買うと意思表示をした人に出すのではなく、ともかく、店に入って来た人間には、買わずに出にくい雰囲気にするためにお茶と茶菓子を出すという対応は、下品でもあり、むしろ、印象が悪いし、何度か経験すると、店に入りにくくなります。 たとえ、いったん、店内に入った人間は買う確率が高くなったとしても、店内に入る確率が低くなります。
   住宅展示場というものに慣れていない人で、新築するかどうかまだ決めていないし、建てるとしてもどういうものを建てたいのかもよくわかっていないという人で、とりあえず、住宅展示場とはどういうものなのかのぞいてみようというくらいで来たという人に、まず、住宅建築業の会社は押し売りではないし、何も警戒する必要もないし、安心して見ていただいて相談してもらえる場所であり、私は無理矢理売りつけたりする人間ではないし、嘘を言ってだます人間でもありませんと理解してもらおうとして話し出したところに、お茶を持ってこられて、横から、「まあ、座って下さい。まあまあ。一杯でも飲んでください」と口出されたということがあり、それを気味悪がって帰られてしまったということがありました。 又、お茶を出しても悪くはないのですが、座って話をしたい時もあれば、住宅展示場での仕様や住宅展示場の間取りであったり、そこの建て方であったりを展示場を見ながら話しあっている時に、「まあ、座って、まあ、こちらに来て座って」と横から言われたのでは、せっかくそこで話していた話を中断されてしまうということになります。「お茶はその場がどういう状況なのかということを読んで出す」ということも必要ではないかと私は思いましたし、それを口に出して言ったこともあるのですが、(株)一条工務店では違うと言うのです。「それは違います。お客様がどう考えているかなんて考える必要はありません。ともかく、お茶をだして、お茶で座らせるというのが一条工務店のやり方です」と先輩社員は言うのでしたが、なんか違うような気がしたのです・・・・が、それは違うのではないですかと言うと、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うのならエスバイエルに行けよお」と言われますから、あきらめました。
   石田三成なら、来客の様子を見て来客がともかくのどが渇いていると思えば、大きな器に冷たいお茶を多く入れて出し、ある程度のどが潤ってもう1杯ほしいと言えば、次は最初よりも小さめの器に最初よりは冷たくないお茶を出し、3杯目には小さな器に舌が焼けるほど熱いお茶を出すということをしたようで、羽柴秀吉はその対応を見て「こいつは使える」と判断したようですが、それは「一条工務店のやり方と違う」らしく、「お客さんがどう考えているかなんて考える必要ありません。ともかく、お茶を持って行って、ともかく、座らせる。話で座らせるのではありません。お茶で座らせるんです。それが一条工務店のやり方ですから」と先輩社員から言われたのです。 まあ、それが自分が勤めた会社の「会社のやり方」だというのなら、そのやり方でやりましょうと思ったのですが、しかし、「話で座らせるのではありません。お茶で座らせるのです」と言われたのですが、しかし、実際にやってみると、「お茶で座った」人は、お茶を飲み終わると「さあ、お茶も飲んだことだから帰るかあ」と言って、お茶を飲み終わると帰ってしまうのです。 だから、実際に、来客と対応した経験から、「一条工務店のお茶の出し方」というのは、それは浜松でそういう出し方が好評であるのかないのかは知らないが、東京営業所においては、実際に対応した経験から違うと思うようになったのです・・・・が、それが「一条工務店のやり方」だ!と浜松・名古屋・掛川の人間が決めたのですから、浜松中心主義の会社においては、「浜松でいいものは東京ででも大阪ででもいいに決まってるんだ! こんなこともわからんのかあ」と怒鳴りつけられますから、浜松中心主義・浜松独善主義の会社においては遠州人に逆らうと怖いので黙ってることにしました。


   (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ は、お茶の葉については、けっこういいものを本社から展示場に送ってきたいたと思います。 「本川根」といって、静岡茶の中でもいいものを送ってきていたはずです。 私は、子供の頃は、お茶はお茶だろくらいにしか思っていなかった、お茶はのどの渇きを癒すものとしか思っていなかったのだが、そうではありません。 いいお茶の葉を使ったお茶を心を配っていれたものと、「お茶なんてみんな一緒だ」とか勝手に決めつけたお茶とではまったく違います。 私が「お茶グルメ」になったのは、(株)一条工務店が本社から来客用に送ってきた「本川根」茶がおいしいと思ったことがきっかけです。 お茶の出し方については、「一条工務店のお茶の出し方」というのは、どうかなと思うのですが、来客用にいいお茶を送ってきていたと思います。
   その一方で、「従業員用」として、緑の合成着色料がつけられた、お湯を注ぐといかにも有毒ですよという感じがするお茶とは言えないまがいものを送りつけてきましたが、こんな「お茶もどき」なんか飲んだら体を悪くすると思い、自分が飲むものは総合住宅展示場の自販機でペットボトルか缶入りのお茶を飲むようにしましたが、経験者対象の研修で一緒になった他の展示場の営業が言うには、「来客用をお客さんに出してるんですかあ? うちの展示場はそんなことしないですよ。 来客用は営業が飲みますよ。客には従業員用で十分でしょ。 なんで、従業員が安物を飲まされて客に高級茶出さなきゃならないんですか。 おかしいでしょ」と言うので、そういう営業所(展示場)もあったようです。 あの合成着色料たっぷりの見るからに有毒て感じの「お茶もどき」は、私がスーパーや百貨店などのお茶売場で見てまわっても、どこにもないのですが、それにしても、(株)一条工務店という会社は、来客用にいいお茶の葉を選ぶところはいいのですが、よくまあ、スーパーや百貨店で探してもなかなか見つからない見るからに有害という感じの「お茶もどき」を、いったい、どうやって捜したのてきたのか。 よく探すなあと感心します。(株)一条工務店のオーナー経営者はフィリピン大好き人間でしょっちゅうフィリピンに行っていたようですから(日本のフィリピンとフィリピンのフィリピンとに行っていたみたいです)、もしかすると、日本のスーパーや百貨店やお茶屋で探してまくっても見つからないような「お茶もどき」をフィリピンで探してきたのでしょうか? そして、来客用には「本川根」茶を出して、従業員には外国で手に入れてきた「有毒緑色色着け物質」の「お茶もどき」を飲ませてこましたろ・・・とか考えたのか・・・。カネの問題ではない、あんなの飲んだら絶対体を悪くすると思いました。

    (株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ の海浜幕張WBG店(「WBG」というのは、ワールド ビジネス ガーデン」という雑居ビルの11階だかに入っていたことからつけたものです。今は撤退してありません)では、2006年、店長になっていたO野(男。当時、20代なかば)が、「お茶なんて、みんな一緒ですから、百円ショップで粉のお茶を買って来てください」と言うので、しかたなしに百円ショップで粉のお茶を買って来て出しました。 「特に高級茶葉まで買えないとしても、お茶はお茶の葉によって違いますから、百円ショップの粉のお茶ではなく、せめて、スーパーで売ってるお茶葉でいれた方がいいということはありませんか」と私は言ったこともあったのですが、「お茶なんて、みんな一緒ですよ。 エイブルでは店長の命令は絶対ですから店長の命令に従ってください」と言うので、そこまで言うならしかたがないと思って、百円ショップの粉のお茶を買って来て来客に出しました。 しかし、O野が言う「お茶なんて、みんな一緒ですよ」と言うのは違いますよ。 お茶はみんな違いますよ。
    (株)エイブルは「賃貸専門の不動産屋」ですが、1部屋か2部屋の賃貸アパートを借りる・貸す場合は、一生懸命、見つけてくれますが、戸建住宅1軒の賃貸とかは得意ではなかったのです。 今、考えてみると、「お茶なんて、みんな一緒ですよ」とかいうような、その程度の認識の人が店長になっている会社だから、だから、1部屋か2部屋の賃貸アパートは扱えても、会社の重役が転勤した時に住むような戸建住宅1軒の賃貸とかは扱えないようになっていたのではないのか、という気もします。 それだけが原因とは思いませんが、関係はあると私は思います。


    1993年の4月より、千葉県松戸市岩瀬 にあったハウジングギャラリー松戸(今はなくなってマンションが建っている)の中にあった万代(株)という柏市の材木会社と(株)一条工務店が作っていた(株)一条工務店柏という共同出資会社の松戸展示場を、(株)一条工務店が「いぬき」で買い取って(株)一条工務店の松戸営業所(松戸展示場)としたのですが、1993年前半、その松戸展示場の事務所の炊事場で、1992年に東京営業所に入社したS藤(男。当時、20代後半)が、事務所内の炊事場(来客に出すお茶を入れたりする場所)で、茶碗などを拭いていた布巾で、従業員の行き先を書いたりしていたホワイトボードを拭くので、今まで茶碗を拭いていた布巾をホワイトボードを拭く雑巾にして、茶碗を拭く布巾は新しいものをおろすのかと思って見ていたら、ホワイトボードを拭いた布巾で、またもや、茶碗を拭きだしたので、何すんねん! と思ったことがありました。 接客中、彼がお茶を持って来てくれても、飲めないなと思った・・・・けれども、お客様に出した茶碗は彼だけが洗ったり拭いたりしているわけではなく、私が洗ったことも拭いたこともあり、他の従業員が洗ったこともあるわけで、彼が拭いた茶碗に彼がお茶を入れるとは限らないわけです。他の人間が洗い拭いた茶碗に彼がお茶をいれることも、彼が洗って拭いた茶碗に他の人間がいれることもあるわけです。そして、私は、彼が茶碗を拭く布巾でホワイトボードを拭き、ホワイトボードを拭いた布巾でまたもや茶碗を拭くのを目撃したけれども、それを見ていない人間もいるわけであり、彼はホワイトボードを茶碗を拭く布巾で拭いてまたもやそれを布巾かけに戻したのですから、布巾かけにかかっている布巾を、その布巾はホワイトボードを拭いたものだとは知らずに使って拭く従業員もいておかしくないわけです。 (株)一条工務店のお茶は飲みたくないなあと思いました。
     私の世代ではあまり言いませんが、関西では、私の親くらいの世代の人は、S藤のように、茶碗を拭く布巾でホワイトボードを拭いて、ホワイトボードを拭いた布巾(雑巾)で茶碗を拭くというようなことをする人がいると、「えった の子みたい」と言ったのです。「えった」というのは、江戸時代に「士農工商」という身分のまだ下に「えた」「ひにん」と言われた被差別民が存在し、明治維新後、四民平等とされた後も「新平民」と表記された被差別部落の人たちのことです。被差別部落の人たちは、食器を拭く布巾も床を拭く雑巾も同じ物を使う・・・という話を聞いたことがあります。もちろん、それは過去にそうであったという話であり、また、あくまで「話」であって、実際にそうであったのかないのか、私は知りません。 部落差別というものは解消されるべきもので維持されるべきものではないと思いますが、被差別部落の出身の人であれ、そうでない人であれ、茶碗を拭く布巾とホワイトボードを拭く雑巾は分けた方がいいと思います。 なぜなら、茶碗を拭く布巾とホワイトボードを拭く雑巾を一緒にしたのでは衛生的でないからです・・・・・というよりも、こんなことは、アラサー(around 30)の年齢になった既婚・子持ちの男に教えなければならないことか? ・・・・というと私の感覚では、こんなことはアラサーの既婚子持ち男に教えなければならないこととは違うように思いますし、こういったことを指摘して教えたとして、教えてもらったと喜んでくれればいいのですが、怒る人もいますししますので、黙っていましたが、(株)一条工務店で出されるお茶は飲みたくないなあと思いました。 それとともに、小堀住研(株)では「ミサワあたりの営業は高卒の人が多いですけれども、小堀住研は大卒しかとらない会社で、小堀住研は大卒の営業の会社です」「小堀住研の営業は、営業でもレベルの高い営業であって、住宅建築業の会社でも、売りさえすればいいというレベルの低い会社の営業とは営業は営業でも営業が違います」といったことを言っていたのですが・・・・・、茶碗を拭く布巾でホワイトボードを拭き、ホワイトボードを拭いた布巾でまたもや茶碗を拭くという男を見ると・・・・、たしかに、なんか、(株)一条工務店の営業というのは・・・・、「レベル低い」なあ・・・という印象を受けました。


    夏の暑い盛りの来客に、1杯目は冷えたお茶を大きな器に多くいれて出し、2杯目はそれよりは小さい器に最初のものよりは熱いお茶を出し、3杯目にはごく小さい器に舌が焼けるほど熱いお茶を出す・・・・・ということを、若き日の石田三成が羽柴秀吉にやったというのが本当の話なのか、誰かが作った話なのかはわかりません。 そういった配慮をして来場客・見込客にお茶を出したなら、それで契約してもらえるかというと、そうとも限りません。 中には、契約もしていないのに「客なんだから」という態度を取る人もありますし、口に出してそういうことを言う人もありますが、それは正しくない。 厳密には「客」というのは契約して最初の契約金を支払った人のことであり、契約書に署名捺印して契約金を支払った人は、契約書に書かれた内容のことをきっちりとしてくれと建築会社に要求することができますが、契約書に署名捺印していない契約金も払っていない人は「見込客」「客になる見込みがある人」ではあっても、「契約客」ではないのであり、何かを要求する権利はありません。そのあたりを誤解しているような人も中にはあるわけで、お茶の出し方にしても、そういう人にあまりにも気を配った態度をとると、その誤解を拡大してしまうことにもなりかねません。
   羽柴秀吉は、気を配ったお茶の出し方をした若き日の石田三成を見て、「こいつは使える」と思ったというのですが、そのあたりについて、気づいてくれない人だってあると思います。 (株)一条工務店のオーナー経営者なんて、気づかないかもしれませんね。


   1990年代、(株)一条工務店の福島県浜通り地区の営業所にいました。私が在籍した福島県いわき市の住宅展示場は和風の木造住宅の需要がある福島県における和風の展示場でした。当時、福島県では、浜通り地区(いわき市・双葉郡・相馬郡)をK野さんが所長になり、中通り(福島市・郡山市・白河市など)を「大澄社長のお気に入り」と言われ、又、「社長の腰巾着」と言われた片山が所長になっていました。 どこの会社でも「社長のお気に入り」てのにろくなのいませんね。
   もともと、いわき市の営業所にいた いわき市生まれのSさんが、郡山市の営業所(展示場)に転勤したことがありましたが、もともと、いわき市の生まれで、家族はいわき市に住んでいたので、いわき市の展示場に顔を出すこともありました。 その時、彼が言ったことですが、「郡山では、来客があると、5分以内にはお茶をいれて持って行かないと、片山所長が許さない」と。彼はそう言ったのです。 ウソですよ、それ。
   片山という男なのですが、(株)一条工務店では、「牛若丸」という仇名がついていたのです。 ある地域で、むしりとるだけむしりとるような営業をして契約をあげまくって別の場所に移る。 また、移った場所でむしりとるだけむしりとるような営業をして、また、牛若丸の八双飛びのように他の場所に飛んでいくというので「牛若丸」だそうです・・・・が、その点については、実際にそうであるのかどうか、私は知りませんし、たとえ、そういうことがいくらかあったとしても、会社の都合で、どこそこに行ってくれと言われて移動して行く人間と、同じ場所にずうっといる人間では、同じ場所にずうっといる方が契約はあがりやすいという面もあり、同じ場所を動かない人間が、会社都合で動く人間のことを悪く言ったとしても、自分は動かない人間にそういう悪口を言う権利がはたしてあるのかということもあるのではないかと思います。 しかし、いずれにしても、一線の営業はできても、経営者・管理者としては評価できないと思える人、一線の営業だと言われれば、こういう人もいるのかと思えても、営業所長だと言われると、こんな人が営業所長なの・・・て感じの人でした。
   「牛若丸」の話ですが、私は片山に言う権利はあります。 私は彼の被害者なのです。 福島県の東部中部は原発事故で大変な状態になってしまいましたが、そうでなかったなら自然環境はいい所でしたし、住んでいる人だって人情味のある気持ちの優しい人が多い地域だったと私は思っています。しかし、年収は全般的にはそれほど多い方ではなく、かつ、中通り地区(福島・郡山・白河など)と浜通り地区(いわき市・双葉郡・相馬郡)では中通り地区の方が年収は一般的には多いことから、中通りの方が浜通りよりも営業は有利だと言われていたのです。 福島県では「洋風」(といっても、福島県の人の基準での洋風であって、東京あたりの住人の感覚では洋風という感じではなかったかもしれませんが)と「和風」の両方で建てる人があり、(株)一条工務店の和風住宅はけっこう評判は良かったのですが、出展計画に計画性がない(株)一条工務店では、いわき市では「洋風」の展示場を2軒、「和風」の展示場を2軒、他に浜通り地区では原町市に「洋風」の展示場が1軒あったのに対し、中通りでは、住宅展示場はすべて「洋風」の展示場だったのです。 「洋風」といっても、福島県の人間にとっては「洋風」に感じられるというもの、もしくは、「和風ではない」というもののことです。 (株)一条工務店ではその「和風」の建物を「百年」と名づけ、「洋風」を「セゾン」と名づけていました。 ちなみに、(株)一条工務店の外観デザインは、「1階外壁面タイル張りのセゾン」と「タイル貼りでないセゾン」の2種類と「瓦屋根が載ってるから和風の百年」の計3種類しかない・・・・なんて言う人もあったのですが、言われてみるとそうかもしれない・・・とも思えたのですが、それをうかつに言うと、私が言われたのに、「私が言った」みたいに営業本部長A野が言い出しますから、こわい、こわい! 
   中通り地区に和風の展示場がないことをいいことに、中通り地区の営業所長の片山は、契約だけ取って、「和風の展示場はいわき市にありますから、いわき市に行って見て来てください」と言って私がいた展示場に契約客を送り込み、JTいわきハウジングパークという総合住宅展示場の中でも一番奥にあった来場客が少ない展示場でいわき市の4展示場では間違いなく最も条件が悪いと言われていた私がいた和風の展示場に来させて、私に接客・説明させ、そのやり口で契約を重ねたのでした。卑怯な男です。さすがは「大澄社長のお気に入り」だけのことあります。
   普通、自分が担当の契約客もしくは追客中見込客が他の展示場を見に行って他の展示場にいる営業に接客・説明してもらい、その連絡をもらったならば、「ありがとうございます」と電話を入れて言うのは営業の仕事をする者として当然のことであり、特に、営業所長になっているような人間なら、自分が営業所長になっている営業所の若い者に、それを指導するのが仕事のはずです。ところが、私は自分は来場客が少ない展示場に配属されて、そこで何度も何度も片山が中通りで契約だけ取って送りつけてきた客を接客してあげて、「◇◇さんという方が来られましたよ」とその都度連絡してあげたにもかかわらず、片山は「ありがとう」も「どうもすいません」も言ったためしがない。営業として以前に社会人としておかしいのではないか。
   それだけではない。片山は営業所長であり、通算契約棟数も私より上だったしそれだけ契約実績のある人なのだからという主張だってありうるかもしれない。ところが、郡山近辺の営業は、所長の片山のやり口を見習うのだ。 片山のやり口を見習って、在籍期間も私の半分未満で通算契約棟数も私より少ない入社して1年未満とかいう営業が郡山で契約だけ取って、「いわき市に和風の展示場ありますから、いわき市に行って和風の展示場を見ていわき市の営業に説明してもらってきてください」と言って契約客を送りつけるのだ。 営業所長なら、「そういうことをしてはいけません。契約客に他の展示場を見に行ってもらおうという場合は、自分が一緒に行って説明するもので、他の展示場の自分より在籍が長い営業に説明してもらってきてくださいと客に行って送りつけるというようなことはしてはいけません」ときっちりと言って指導するのが営業所長というもののはずだが、片山という男はそれを絶対に言わない男だったのだ。そういう根性の人間だった。
   こういうことを言うと、「片山所長はそれだけ契約を多くとっているから、他の展示場に契約客が行って、他の展示場の営業が契約客の接客をする機会が出るのであって、あんたもそれだけ契約を取ればあんたも他の展示場で他の営業に自分の契約客を接客してもらえることになるんだ」とかいう詭弁を使ってごまかそうとする人間が(株)一条工務店では出て来るが、それは違う。 いわき市には「洋風」2展示場、「和風」2展示場の計4展示場あったが、いわき市にいる営業同士であれば、「お互いさま」ということはあった。 又、浜通り地区の所長だったK野さんの契約客を私が接客・応対した回数と私の契約客をK野さんが接客・応対してくれた回数なら私が接客・応対した回数の方が多いはずだが、それを問題にしようとは思わない。 たしかに、K野さんは他の営業よりも多く契約をとっていたわけだし、又、いわき市にある展示場は「洋風」2軒、「和風」2軒であって、「洋風」にいる営業が契約だけとって「和風」の展示場にいる営業に接客・応対させるということはなく、K野さんにしても、できるだけ、自分がついていって説明しようという姿勢はとっていたし、まったく同じ数ずつではないとしても、私の担当の契約客をK野さんが接客・応対してくれたことだってあったし、K野さんが接客・応対してくれた契約客とその後に会って話をすると、「この間、◇◇の展示場に行ったら、所長さんが接客してくれましてね。 ・・・なんてどうかなと思うんだけど、と言うと、所長さんは・・・だよおと言われたんですよ」と言われた話などは、なるほど、こういう言い方をするのか、なるほど、そういう配慮をするのかと、さすがは所長だけあるなあと感心したものもあり、数では私が接客・応対してあげたものの方が多いとしても、所長のK野さんが接客してくれた契約客から聞いた話は自分が営業の仕事をする上でも役に立つものだったのです。 だから、それはかまわない。 それに対して、中通り地区の営業が契約だけ取って「和風の展示場はいわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークにありますから、行っていわき市の営業に説明してもらってきてください」と言って送りつけるというのは、それは、「お互いさま」ではないし、そもそも、私の3分の1も在籍していない3分の1も契約していない新人の営業にそういうことをされる筋合いはないし。 そういうことをやってはいけませんと指導するのは営業所長の仕事のはずであるにもかかわらず、逆の指導をしているという点については、片山は所長の役職手当タダどり! になるし。
   私はそれだけ、郡山市など中通り地区の営業には協力してきてあげた人間です。ところが、1994年、いわき市在住で、会津若松市で建てたいという契約客の「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)について、郡山市の展示場にいる「コーディネーター」(「色合わせ」担当)が、いわき市まで行ってやるのではなく郡山市の展示場でやりたいと言うので、それで、いわき市に在住の契約客を私のクルマの乗せて郡山市の展示場まで行き、郡山市の展示場で「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)をおこなったが、その際、郡山市の営業の契約客の接客・応対を大量にしてあげて、郡山市の営業の接客・応対をいわき市の私以外の営業がしている時に、お茶をいれて持って行くということも何度も何度もしてあげた私と私が担当の契約客に対して、郡山の営業は、私たちが1日そこにいたにもかかわらず、最後まで、一度もお茶も入れてこなかった。 「どんな人でも、ともかく、展示場に来客があったなら、5分以内にはお茶をいれて出さないと、片山所長が許さない」などと、「片山所長のイヌ」と言われていたという人(「俺は、片山所長のイヌではないぞ」と本人は言っていたし、本人はそんなつもりではなかったと思うが、本人がそのつもりでなくても周囲の人間がそう見ることはある)が言っていたのだが、それはまったくのウソッパチ。ヨタ話。 あれだけ、私に世話になってきた郡山の営業が、私が郡山の展示場で契約客の打ち合わせをした時には、どいつもこいつも最後まで、茶の1杯もってこなかった! 

   それだけではない。私は、「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)を郡山市の展示場でおこなう前、あらかじめ、郡山市の展示場に1人で行って、郡山市の展示場の事務所に顔を出し、「私は、いわき市の・・・営業所の〇〇と言います。今度、◇日にこちらの展示場で色合わせをさせていただきたいと思います。よろしくお願いします」と郡山市の営業に挨拶に顔を出しているのだ。ところが、それでも、茶の1杯、私と私の担当客に出さない。私に出さないならまだしも、私の担当客というのは私の契約客という性質もあるが(株)一条工務店の契約客であるはずだ。なぜ、郡山市の営業は(株)一条工務店の契約客に茶の1杯ださないのだ!?! なぜ、郡山市の営業は、自分たちが世話になる時はせいいっぱい世話になっておいて、世話になった相手が契約客を連れて郡山市の展示場で「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)をするとなると茶の1杯も出さないのか?!?

   私は、郡山の営業がお茶をいれて持ってこないので、事務所に行って、「すいません。お茶の葉や急須はどこにありますか」とそこで暇そうにしている営業に言ったのです。さすがにそう言えば、「いれて持って行きます」と言うだろうと思って。ところが、「そのへんにあるんじゃないですかあ」などと言い、どこにあるかも教えないのです。それで、私は炊事場を探しまくって、自分でお茶をいれて持って行きました。

   ひとつには、営業所長の片山が自分の担当の契約客をいわき市の私がいた展示場に送り込んで、「いわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークの奥に和風の展示場がありますから、そこに行って、いわき市の営業に説明してもらってきてください」と勝手なことを言って客だけで送りつけて、私に接客・応対させて、おのれは契約棟数だけ稼ぎ、その報酬だけ受け取るというのを得意技にしていたので、郡山の営業はそれを「見習った」と思われる。

   そもそも、他の営業所の従業員が来て、「私は◇◇営業所の〇〇と言います」と礼儀正しく挨拶しているのならば、「▽▽営業所の☆☆です」と挨拶を返すものと違うのかと思うのだが、郡山市の営業は「コーディネーター」がこの展示場で「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)をしたいと言った展示場の営業で挨拶を返した者は一人もいなかった。 「社長の腰巾着」の展示場だけあって礼儀がなっていないようだ。
   この時、郡山市に(株)一条工務店の住宅展示場が3カ所あったが、私は、郡山市まで行ったことだからと思って、「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)をする予定の展示場だけでなく他の2か所にも足を運び展示場を見せてもらってきた。その際、どこに行っても、まず事務所に行って「私は◇◇営業所の〇〇です」ときっちりと礼儀正しく挨拶をしてきたが、郡山市の3展示場にいた営業で、挨拶を返してくれた人は、かつていわき市の展示場にいたこともあるらしい中通り地区では所長の片山を別にすれば最も多く契約をあげているという I さん1人だけだった。I さんは「◇◇営業所の▽▽です」と自分も自己紹介をしてくれて、そして「いわきの人、みんな、元気にしてますか」と言い、そして、私は自分ひとりで展示場を見せてもらうつもりでいたが、出てきて説明してくれて、そして、お茶をいれて出してくれたのだ。中通りで所長の片山を別にすれば最も多く売っている人ひとりだけがそうしてくれたのだ。それに対し、私の半分も在籍していない私の半分も契約とってない人間がとその会社で先輩社員である私の方から「私は◇◇営業所の〇〇です」挨拶しているのに、どいつもこいつもフランスも、「ああそうですか」と言いやがったのだ。何が「ああ、そうですか」じゃ、何が。それが、いつも世話になっている相手に対する態度か!?!

   その上で。 会津若松市で建築していただいた私が担当の契約客宅は(株)一条工務店の会津若松市における1棟目の建築となったのだが、中通りとともに片山が所長となって新設された会津若松市の展示場の営業は、その契約客宅が完成して引渡の直後、引越予定日に「見込客を案内して連れていきたいのですけれども」と言ってきたので「その日に転居される予定が入っていますから無理です」と私が言ったが「入居されてからでもいいですから中を見せてもらうことはできませんか」と言うので、「引っ越してすぐに中を見せてくださいと言うわけにはいきませんでしょ。しばらくは無理です。道路から外観を見るのはそれは通行人でも見ていることですから自由でしょうけれども」と言うと、「それなら、いつぐらいからなら見せてもらえますか。私、お菓子でも買って持って行きますよ」と言うので、「お菓子がどうかの問題じゃないです。引っ越したばかりの人に家の中を他人に見せてくださいとは頼めません。やめてください」と言いました。片山が所長をやっている地区の営業は、自分たちが担当で契約した客を私がいるいわき市の和風の展示場に送り込んで接客・応対させて、私が契約客を連れて「色合わせ」(「仕様打ち合わせ」)に郡山市の展示場に行くと茶の1杯いれてこないで、それでいてその契約客の家が完成すると、引越日とか引越して1週間も経たない日に赤の他人に家の中を見せろと言い出すのであり、「社長の腰巾着」の男が営業所長をしている営業所の営業というのはそういうものなのかとあきれた。

   片山の得意技は常に成功するわけでもないようで、私が接客してあげた契約客(郡山市在住で、郡山市で建築)で「郡山の営業所で片山という人が担当で契約したのだけれども、契約したら何もしてくれない。いわき の展示場に行った時に接客してくれた営業さんなら、あの人ならきっちりとやってくれると思うので、あの人に担当を変わってもらうわけにはいかないでしょうか」と電話してきた人があったようだ・・・が、「社長の腰巾着」は天下無敵で、所長は一般営業の見込客を奪うが所長から契約客をとりあげるというのはこの会社では絶対不可能!
  (2016.12.17.)
 
   私は「本川根」茶はおいしいと思ってきたのですが、静岡県産茶葉は、2011年の福島第一原発事故の後、静岡県知事が静岡県産茶葉の放射性物質含有検査を拒否しましたので、現在は、実際に放射性物質を多く含んでいるかいないかにかかわらず、そういう良心的でない商品はできる限り購入しない・飲まないようにしています。  (12.18.) 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
司馬遼太郎『関ケ原』に学ぶ お茶の出し方。 出されても飲みたくない(株)一条工務店の静岡茶 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる