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zoom RSS 痛風になると思いだす事【上】激痛に耐える者に「贅沢すんな」と寄ってくる男。蜜柑を食べれない慶應ボーイ

<<   作成日時 : 2016/11/05 20:29   >>

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[第472回]
   私が最初に痛風になったのは1997年、今から20年弱前、(株)在来木造の(株)一条工務店に在籍して、福島県いわき市の営業所にいた時だった。 それまで、痛風などというものをよく知らなかった。 中風(ちゅうぶ)と痛風(つうふう)はどう違うかというと、ぜんぜん違うのだが、それすらもよくわからなかった。
   朝、目が覚めると左足が吊ったような痛みがあり、足がつったものだと思って一生懸命左足の親指をつかんで引っ張ったがちっとも効き目がない。 その朝は、自分が担当の契約客のお宅の外構工事の打ち合わせを現場で外構屋と行う予定であり、ともかく、行かなければと思い、左足に痛みがあっても右足は動き、オートマのクルマは両手と右足が動けば運転できるのでなんとか現場に行き、左足をひきずって、打合せをおこなったが、それを外構屋と一緒に来ていたお父さんが痛風になったことがあるという職人さんが、「それ、痛風じゃないの」と言い出したところから医者に行ったら痛風だったというのが初めだった。それから、食事もそれなりに考えたし、医者にかかって薬も飲んだが、治るということはなく、何度も痛風は出た。

   今から考えると、よく、その時、痛風の痛みがあるのにクルマを運転して行ったなという気がする。 この11月3日の朝にも痛風の激痛が出たものの、3日は医院は休みで翌日に行くしかなかったが、1日自宅で横になって激痛に耐えたが、たとえ、両手と右足が動いたとしても、とても、クルマを運転する気力はなかったし、もし、運転していたら、体はつながっているので、痛みが出ているのは左足の先端の親指付近であるとしても、万全な運転はできなかった可能性がある。この4日、医院に行くと、祭日の翌日であったからかものすごく混んでいた、「熱のある患者さんがいらっしゃいますので、順番がかわりますが」と看護婦が言って、後から来た人を先に診察したという人がいたが、そんなことを言うなら、私は激痛にこらえていたのだし、そして、私だって患部は熱を持っていたし、そして、患部だけでなく、体全体で見ても熱はあったのではないかと思う。医院から薬局に寄って帰る途中、頭がぼおっとしてきて、道にしばらくうづくまって休み休み帰宅したが、「熱のある患者さんがいらっしゃいますので、順番がかわりますが」というようなことを言わなければ、その人の順番なのだろうと思っただけだったと思うが、わざわざそんなことを言うから、そんなこと言うならこっちだってという気持ちになるのではないかと思った。 1997年に、ともかく行かなければと思ってクルマを運転していったのは、その時、痛風というものを知らず、ましてや自分がそれになっているとは思わず、なんか、よくわからずに、ともかく、行かなければと思って行ったが、痛風の痛みも一定の痛みが続くわけではなく、今回は2日は患部に近い付近全体が腫れたような感じで、あれ、これ痛風かなと思いながら、このまま過ぎるのかと思ってそのまま過ごしたところ、3日の朝になって激痛になってきて4日になってもその激痛が続いた。 私の父は「会社員ちゅうもんは、どんなことがあっても、雨でも嵐でも、会社っちゅうところに行くもんや」と毎日毎日私に行ってきた男だった。その結果、何言ってんだと思うことがあっても、そういう意識が相当吹き込まれて育ってしまったところがある。そして、その意識のもとに会社に尽くして、そして、その会社に裏切られた。 (株)一条工務店でも、今、考えると、その時の打ち合わせの約束をしていた外構屋とその時に来た職人には、できる限り約束は守って行くべきであったであろうけれども、 (株)一条工務店という会社のオーナー経営者がこういった苦労をして会社のために尽くした従業員を大事にしない姿勢を考えると、そういう「滅私奉公」はやるべきではなかったのか、もしくは、「滅私奉公」する価値のない会社に勤めてしまったのか、と思える。 もっとも、「滅私奉公する価値のない会社」と価値のある会社なら、「滅私奉公する価値のない会社」の方が日本には多いのではないかと今は私は思うが。
〔 「雨でも嵐でも何があってもサラリーマンは絶対に会社に行くものだ」などと父が私に吹き込んだようなことを本気にして、(株)一条工務店などという従業員を大事にしない不良企業に勤めて、本気でリゲインやろうなどと思ったら、実際問題として、死ぬぞ! マジで・・・というより、殺されるぞ。経営者に。
《YouTube-リゲイン 24時間戦えますか》https://www.youtube.com/watch?v=reCVRVRDTn0 〕

   「痛風(つうふう)」をよく知らないかたに簡単に説明すると。 血液中に尿酸というものがあって、これは、小便をする際に排出されるのだが、その血液中に含まれている尿酸が通常以上に多い状態を「高尿酸血症」という。「通常以上に多い」といっても、それで特に困ることがなければ、「通常」もへちまもないのだが、尿酸値が高いとそれが血液中で結晶化することがあるそうで、そして、太い血管では少しくらいの結晶でも流れるらしいが、手や足の先端の細い血管の所で、その結晶化したものがつまるのか血管の壁を傷つけるのか、その際に痛みが出るらしい。 その痛みが出た状態が「痛風(つうふう)」で、痛風そのものは特別に何かしなくても何日かすると痛みはなくなるらしいのだが、血液中の尿酸値が高い状態がそのまま続くなら、いずれまた痛風は発生するというものらしい。
   尿酸値を下げるにはどうすればいいかというと、食生活の改善と水やお茶などの水分を多く摂って小便でできるだけ尿酸を輩出することと尿酸値を下げる薬の服用ということで、最初、「成人病」「生活習慣病」の薬などというものを継続的に飲むということに抵抗があって、食生活の改善で取り組んだが、その後、健康診断でも言われ、薬も飲むようになったし水やお茶も人より多く飲んでいるはずだが、あまり改善されないようだ。

   痛風の原因である高尿酸血症になぜなるかというと、食生活が不適切である場合が原因と言われるが、それだけではなく、人それぞれ体質は異なり遺伝にもよるのではないかとも言われ、又、男性と女性なら、女性が痛風になることはないことはないが、男性の方がなることが多いらしい。 血液中の尿酸値が高い場合にそれが結晶化して血液が細い部分で血管の壁を傷つけることで激痛を感じるという理論からすれば男も女も関係なさそうに思えるのだが、なぜか、現実に男性の方が痛風はでやすいようだ。

   食生活の改善と言われても、私は子供の頃から、「好き嫌いはいけません」「何でも食べなさい」と言われて育ち、普通の日本人が食べるもので食べないものはほとんどなかった。 東京では普通に食べる「糸引き納豆」というものは、私が生まれてから20歳くらいまで、1960年代から1970年代まで約20年間においては、関西では売っていなかったし、食べたこともなかった。関西で単に「納豆」と言えば、お菓子の「甘納豆」のことだった。東京人には、「糸引き納豆」というものを大変健康に良いものだと極度に信仰している人がいて、何かの病気になると、「関西出身でしょ。糸引き納豆食べないからですよ」と言ってなんとか糸引き納豆を食べさせようとする人がいるのだが、残念ながら、私は関西出身だが糸引き納豆を食べるのだ。世の中の関西人・在東京圏関西人には糸引き納豆を食べる関西人・在東京圏関西人と糸引き納豆を食べない関西人・在東京圏関西人がいるのだが、私は食べる在東京圏関西人なのだ・・・て、これは別に自慢しているのでも卑下しているのでもない。又、関西人には糸引き納豆を食べると、「あんた、関西人のくせに糸引き納豆食べるの? なんで! 関西人のくせに。なんで。関西人やめたの?」とか詰問する人がいるのだが、ええやんか、別に食べたって。なんか、まるで宗教の戒律を破ったか、民族の誇りを捨てたのかみたいに言う人があるのだが、そういう問題ではなく、おいしいから食べるだけのことで、私は糸引き納豆を嫌がらずに食べる関西人なのだ・・・が、糸引き納豆というのは、これはものすごい健康に良い食品であって、これを食べない関西人はその分、関東人より劣っているみたいに言いたがる関東人もいるのだが、痛風・高尿酸血症に関しては、糸引き納豆というものは、プリン体を多く含む食べ物であまり多くは食べない方がよいものらしい。 糸引き納豆に関しては、1960年代から1970年代においても、和歌山県の白浜では売っていたらしい。誰に聞いたかというと、「大学生」であった時に、箱根の保養所で泊りがけのアルバイトをした時に、厨房のおばさんが、昔、白浜で働いていたことがあったが白浜では売っていたというので、関西では糸引き納豆は売っていないという私の説と矛盾したのだが、白浜は観光地なので関東から来る人もあったことから売っていたということではないだろうか。 私が生まれてすぐに住んでいた大阪市の東住吉区と小学校の途中で引っ越した北摂地区では売っていなかった。 その後、それまでより人の行き来が多くなったからか、今は関西でも普通に売っている。糸引き納豆については、痛風・高尿酸血症に関しては食べない方がむしろ良い食品らしいが、私は、関西人で嫌がる人が多い糸引き納豆でも食べるくらい何でも嫌がらずに食べる人間だったのだ。

    但し、健康診断で高尿酸血症とともに高脂血症・高コレステロール血症と診断されて、生活習慣病を改善するための食事について書かれた本を読んでみると、気をつけなければならないのは、「好き嫌いをなくす」「食べないものをなくす」だけでなく、「好きなもの」「よく食べるもの」もまた気をつけなければならなかったようだ。 考えてみると、母は、結婚して父が食べ物の好き嫌いが多い人間で、子供をこんなにしてはいけないと思って、私には何でも食べるようにしつけた・・・らしいのだが、一方で、自分自身も父のように「食べないもの」はなかったのだが、「好きな食べ物」はあってそれに気づいていなかったようだ。

    私の父は困ったところのあるおっさんで、たとえば、リンゴとミカンとどっちが好きかというとリンゴらしいのだ。なぜかというと、ミカンは皮をむかないと食べれないがリンゴは皮をむかなくても食べられるかららしい。しかし、リンゴは皮をむいてあるといってもむいてあるのは誰かがむいたからむいてあるのであって、皮をむいたリンゴなんて売ってないのだ。 父は「それは女がむくものです」と言うのだが、姉が結婚して出て行った後、私が大学生であった時に、母が足を怪我した時、誰がむくのかというと、父は私に「むいてくれ」と言ったのだ。私は性別は女ではなく男だが、「女がむくものだ」というリンゴを私に「むいてくれ」と言ったのだ。 そして、レタスとキャベツを買ってきて、「レタスとキャベツとどっちがいいか」というとキャベツと言う。なぜかというと、キャベツはあらかじめ切ってあるからそのまま食べることができるのに対し、レタスは自分でちぎって食べないといけないから。しかし、キャベツが切ってあるというのは、誰かが切っているからなのだが、これもリンゴと一緒で、「それは女がやることです。甘ったれなさんな」ということになるようだ。そして、姉が結婚して出て行き、母が怪我をすると、「女がやること」は性別は男性である私がやることになるようだった。「甘ったれなさんな」と言って。そして、レタスでも父は絶対に食べないということはなく、キャベツがなければ食べるのだが、全体が黄緑色のレタスは食べるが先端が紫色のサニーレタスだと、「これ、気持ち悪い。要らんわ、あんたが食べなさい」と言い、私が食べるものになるのだった。 だから、家庭によっては、おっさんは偏食で食べるもの食べないものがあっても、女性は何でも食べるという家庭もあるようだが、私の場合は父が「これ、要らん。気持ち悪い」と言ったものを食べてきた。 もっとも、それは、サニーレタスだとか、一般には別に「気持ち悪い」ものでも何でもなかったのだが。
   食べなかったものとしては、私がまだ小学校に行くかどうかの頃、家ですき焼きをやった時に、父が、脂の塊を「これ、おまえ、好きやろ。食え」と言って私につきつけたので、「ええ〜え? そんなん、食べるものなのお?」と言うと、「そうやがな。おまえ、好きやろ。食え、食え」と言うが、「ええ〜え?」と言い、「それなら、お父さんが食べたらどう?」と言うと、「何を言うとるんじゃ。こういうもんは若いもんが好きなんじゃ。わしはそんなもん食わん。わしは赤身食うんじゃ。おまえが食え。食わんか、若いもんはこういうもんを食うもんなんじゃ。 おまえは食べ物の好き嫌いを言うたらいかんだろうが。食え!クエッ、クエッ、クエッ、クエッ、クエッ、クエッ、クエッ!」と言ったので、なんとか無理にでも食べようとしたのだが、気持ち悪くて、無理にのどの奥まで押し込もうとしても押し込むことができずにはき出したのだが、それは、あくまでも鍋に油を敷くためのもので食べるものではないということを知ったのは30歳を過ぎてからだった。そして、30歳代の半ばになって「成人病」「生活習慣病」というものは、「成人病」「生活習慣病」になってからの食生活が悪いからなったのではなく、なるまでの食生活に原因があり、そして、若いからなどといって鍋に油を敷くための脂の塊を食べるようなことはしてはならないのだということを知ったのも30台の半ばになってからだった。
    父は世間一般との比較で見るならば、必ずしも偏食の人間というほどではないのかもしれない・・・と思ったのは、慶應義塾大学であるサークルの合宿に行った時のことだった。幼稚舎から慶應に行ったという男が言うには、「ミカンなんてそんなもの、よく食うなあ」と。「ひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食わんこともないけど、自分で皮をむいて食うなんて、そんなめんどくさい、そんなおかしなことできるかあ!」と。そして、「種なしブドウもそうだ。 ひとに皮をむいて皿にのせてもらってスプーンですくって食うなら食うけれども、自分でひとつひとつ口に入れて食うなんて、そんなめんどくさいことできるか。よくそんなおかしなことできるなあ」とそう言ったのだ。 かわいそうな育ち方してるなあ、この男、と思った。どんなに金持ちかもしれないけれども、こんな男の家庭には生まれたくないものだ、また、もしも、自分が女だったなら、こんな男とは結婚したくないものだと思った・・・のだが、彼らにとってはそれが「常識」だったのだ。そして、「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」と彼はそう言ったのだ。そんなおかしなかわいそうな教育を受けてきた性格の曲がった男が「教育」するそうだ。「外部の者」を「教育」するのが内部進学の人間の使命だと思っているらしかった。但し、どっちの「教育」をするのかという問題がある。ミカンはひとに皮をむいてカラスにしてもらって食べるもので、決して自分で皮をむいて食べるようなことはしてはならないと「教育」するのか、それとも、「外部の者」は内部進学の人間、特に自分のような幼稚舎から慶應に行っている人間のためにミカンの皮をむいてカラスにしてさしあげるのが慶應義塾という学校においては義務なのだと「教育」するのか。後者のようだった。そして、彼は言ったのだ。私に向かって。「こらあ、さっさとむけえ」と。
   1984年、慶應の商学部の助教授だった黒川というおっさん(当時、30歳と聞いた)は「会計学総論」という講義の最中に教壇で、「このぼくは中等部から慶應に言ってるんだぞお。 我々内部進学の者はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ!」と絶叫したことがある。どう違うかというと、まず、一番に「外部の者」はミカンを自分で皮をむいて食べるのに対し、内部進学の方々というのは「こらあ。むけえ」と言って「外部の者」にむかせて食べようとするところなのだろう。 そもそも、慶應の内部進学の人間は、慶應義塾というものは、内部進学の人間が小学校から学費を払ってきた内部進学の人間の物であり、大学から入った人間というのは内部進学の人間の下男・下女でありそれを「教育」してわからせてやらなければいけない、それが内部進学の人間の使命だと思っているようだが、たしかに大学から入った人間は内部進学の人間に比べて「慶應義塾」に払ってきた学費の総計は少ないかもしれないし内部進学の親というのは自分も慶応の出身で「慶應義塾なんとか金」として寄付もしてきたかもしれないが、それでも、内部進学の人間が言うところの「外部の者」は内部進学の人間から下男・下女として雇われてカネをもらって大学に勤めているのではなく、カネを払って行っているのであり、そのあたりを内部進学の人間は勘違いしているのではないのかと思うのだが、彼らにそれを教えようとしても、慶應義塾は内部進学の人間の物であって「外部の連中」の物ではないというのが内部進学の人たちの認識であって、いわば、「自分たちの家の軒先の先端のはじっこに情けをかけて入れてやってやってあげてやっている」みたいな意識であり、そういう意識の人たちに、その認識は違いますよと言おうものなら、「おまえはそれでも慶大生か」と、なだ いなだ が『人間、この非人間的なるもの』で書いていたと思うが、戦中、「どうも、日本は負けそうだな」と口にしたところ、「おまえはそれでも日本人か」と怒鳴りつけられたことがあり、「おまえはそれでも日本人か」と言われても日本人なんだからしかたがないじゃないかと思ったと述べていたのだが、いわば、そんな感じ。「おまえはそれでも慶大生か」と、自分と違う性質の者がそこに存在するのを許せないという偏狭な意識が慶應にはある。
(講義の最中に教壇で、「このぼくは中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ。我々内部進学の者はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ」と絶叫する助教授のおえらいらしい先生様というのは、そもそも、「内部の者」という言葉は「内部進学の者」を略した言葉だが、「内部進学」という言葉はあっても「外部進学」などという言葉はないわけで、慶應の内部進学の人たちは「外部の者」という言葉を「慶應義塾の外部の者」というニュアンスで使用しており、「外部の者」などという言い方自体が不適切用語なのである。それを内部進学者様はその当の「外部の者」に面と向かって日常的に使用しているのだが、しかし、飲み屋で内部進学の人ばかりが集まった時に「外部の連中」だの「外部の者」だのと言うのは許容されるとしても、助教授といった役職にある人が正式の講義の最中に教壇の上でそういう不適切用語を絶叫するというのはいかがなものか、そういう発言、そういう用語の使用は不適切だということが「わかってんのかあ」と言ってやりたい気もするのだが、まったくわかってないだろう。そして、おそらく、この人は、一生、わからないだろう。むしろ、こういうことを言う人間の方こそ許せんと考えるだろう。 怖いから今まで黙ってきたが、私も、もう、どうせ、人生80年と考えても半分を過ぎたし、「定年」までの年数を数えると残り少なくなってきたことだし、この際、言ってやる。講義の最中に「外部の者」だのと口にするような品性のない男の講義を受けるのは苦痛だった、と。
  但し、誤解がないように説明しておくと、私が知っている慶應の内部進学の方でも、すべての人がこのような独善的・閉鎖的・排他的・自己中心的な人間ということではない。内部進学の人でもそうでない人間とでもつきあっていこうという姿勢もあり、決して独善的でもない方はおられると思う。だから、内部進学独善主義が「本物の慶大生」の特徴だ、わかってんのかあ!とか黒川先生が思っておられたのなら、その認識の方が間違っていると思うし、私が知っている内部進学でも決して独善的ではないと思われる方なども同様に考えられるのではないかと思う。 )
   そして、そういう偏狭な思考のことを「思考が柔軟な慶大生」「慶大生らしい協調性」とか「福沢精神」とか言うのだ。慶應という学校は「最低でも高校から慶應に行っている人間が本物の慶大生」と言う学校だった。実際そうだと思う。最近、「週刊ダイヤモンド 特集 慶應三田会」(2016.5.28.ダイヤモンド社)だったかその前に発行された他の週刊誌の「慶應幼稚舎とは」とかいう特集だったかに、幼稚舎から大学まで慶應に行ったという人が、「慶應という学校は大学だけ行けばいい学校だ。小学校から高校までは行く必要がない学校だ」と述べた話が載っていたが、私は逆だと思った。「最低でも高校から慶應に行った人間が本物の慶大生」と(要するに大学だけ行ったような慶應大生・慶應大卒はパチモンだと言いたいらしい)内部進学の人が言うように「慶應という大学は最低でも高校から行くのでなければ行く必要がない大学だ」と思うようになった。卒業してさらに「慶應という大学は最低でも高校から行くのでなければ行かない方がいいくらいかもしれない」と思うようになった。特に、ミカンをひとに皮をむいてカラスにしてもらって食うヤツ、種なしブドウを人に皮をむいてもらってお皿にもってもらってスプーンですくって食うやつと一緒にいると、なんか、ビョーキうつりそうで嫌だった。“ほとんどビョーキ”というより、どう考えたってあんなんビョーキやでえ〜え・・・という感じがしたが、そういう人のことを慶應では「福沢精神」とか「塾風を身に着けている」とか「思考が柔軟な慶大生」とか「社会で役に立つ」とか「ギャルにもてもての慶應ボーイ」とか言うらしいのだ。 あんな男がいいと思う女に「モテモテ」になんか首をもがれてもなりたくないなあ〜あと思ったが、うかつにそれを口に出すと彼らは殴りかかってくるし、慶應という学校においては内部進学の人間は天下無敵であってほとんど無法地帯で内部進学及び準内部進学の人間が「外部の者」に暴力をふるってもそれは「教育」だということになるので恐ろしかった。最近、葉山だったかで慶應の学生が女子大生を輪姦したという事件があったようだが、あれは、こういった慶應義塾の体質・本質が起こした事件である。慶應の最近の塾長の中では比較的リベラルで良心的かと思われる清家塾長が輪姦サークルの広告研究会に解散を命じたというが、同様のサークルは他にもあるし、それが慶應義塾の体質であり本質である以上、先端だけ切ったとしても本質的な解決にはならないだろう。そういう慶應の内部進学の「ギャルにもてもての慶應ボーイ」と比べると、父はともかくもミカンを食べる時は自分で皮をむいて食べたし、種無しブドウだって人に皮をむいてもらってお皿にのせてもらった上でスプーンですくって食べようとはしなかったので、その点では「ギャルにもてもて」ではなく「福沢精神」でもなかったようだ。 もっとも、福沢諭吉という人がそういう人だったのかというと、私が小学校から高校までの間に学んだ福沢諭吉という人はむしろそういうものとは逆の人だったように思ったのだが、内部進学の人の福澤諭吉と「外部の者」の福澤諭吉は福沢は福沢でも福沢が違うようだった。 野村克也が『野村の遺言』(2016.10.1.小学館)という本で、「俺はどうせもうすぐお迎えが来るんだから、言いたいこと言ってやる」と述べていたが、私だって、人間人生70年と考えても80年と考えてもその真ん中を過ぎたのであるし、北天佑とか香川伸行とか私より若いのに死んでしまった有名人もいることだし、この際、言ってやろうではないか。 私は、ミカンを人に皮をむいてカラスにしてもらって食うヤツ、種無しブドウ(デラウエア)を人に皮をむいてお皿に載せてもらってスプーンですくって食うヤツというのが嫌いなのだ! 「ギャルにもてもて」であろうがなかろうが、そういう男もそういう男がいいと思う女も心の底から嫌いなのだ! 慶應義塾という学校においてはこういうことを口にすると「非国民」のように扱われてしまうが、慶應のそういう体質も嫌いだし、そんなものを「福沢精神」とか言っている福沢諭吉の著作や伝記など一冊も読まないヤツ、福沢諭吉と何の関係もないものに「福沢精神」と名づけて平気な無神経な人間も嫌いなのだ! 「何を言ってるんだ、そういう人達に紹介してもらって就職するんだぞお。そういう人に頭を下げることで就職が決まるんだぞお」という男もいたが、私の場合は、慶應のおかげで職場で損したことはあっても得したことなんて今までほとんどないし、今後もないだろうし、そもそも、「定年」まであと何年あるかと考えると、たいして残っていないとなると、「もうすぐお迎えが来る」のとたいして変わらないところがある。だから、言ってやる。私は、ミカンをひとに皮をむいてカラスにしてもらって食うヤツ、種無しブドウ(デラウエア)を人に皮をむいてお皿にのせてもらってスプーンですくって食うヤツ、それが「思考が柔軟な慶應ボーイ」「福澤精神」だ「ギャルにもてもて」とか思ってるヤツというのが嫌いなのだ。心の底から嫌いだ! ・・・という人間で、だから、ビョーキうつりそうで嫌だから慶應には行きたくなかったという人間だ。 だから、偏食とは無縁の人間だったはずだ。

    母の場合、偏食はない人だった。これは嫌いだから食べないというものはほとんどない人だった。「ほとんど」というのは、糸引き納豆は母が生きてきた時代においては関西にはなかったので食べなかったし、今も食べないがそのくらいである。 但し、「好きなもの」というのはあって、それを本人は意識していなかった。 どういうものかというと、卵系が好きなのだ。 鶏卵だけでなく、いくら・子持ちししゃも・数の子などが好きなのだ。 卵は様々な栄養分を含み、その点ではすばらしい食品ではあるのだが、問題点として、コレステロールが多いというところがあるようで、卵系を多く摂ると高脂血症・高コレステロール血症になりやすいことになる。
    そして、イカ・タコとかもけっこう好きで、肝もけっこう好きだった。イカ・タコや肝は「プリン体」を多く含む食品で、高尿酸血症・痛風には良くないと言われる食品である。 そして、自然と私もそうなっていた。
    母の困ったところは、そのあたりを自覚していないところだが、もしも、それが身体症状として出なければ、この程度のことは多くの人があることであるのだが、痛風・高尿酸血症については、私の家族では私だけに出た。 だから、母は「そんなん、痛風なんて、うちの親戚でなった人なんて誰もないのに」と言うのだが、あんたの食生活が影響してんだよお〜お・・と言いたい気持ちもないではなかったが、なぜか男性に比べて女性は痛風にはなりにくいことがあってか母は痛風には無縁だった。
(もし、このブログを読んでくださっている方で、育児中の方がおられたら、これは結構難しいのだが、できれば「食べない物をなくす」だけでなく、「好きなもの」についても検討されるのがいいと思う。特に、子供は親の「好きな物」を好きになりやすいので、自分自身が何を好きか考えてみた方がよいと思う。母だって悪気だったわけではなく、好き嫌いのない人間に育てようとその点では努力したのだ・・・が、「好きなもの」の方は見落としていたようだったのだ。)

    それで、だ。 (株)一条工務店の福島県いわき市の営業所において、最初に痛風になった時のことだ。できることなら、痛風の痛みが治まるまで1日でも2日でも休みたいところだが、(株)一条工務店という会社はそういう対処はしない会社であった。 それで対応できずに契約が解約になったら減給になる、減給になって困るなら自分でなんとかしろという会社だった。 それで、激痛にこらえながら出勤していたところ、いわき地区の営業所にいたS藤(男。当時、40代)がやってきて、「おまえは贅沢するからそういう目にあうのだ。反省しろ」と言って来たのだ。 私はそれまで贅沢なんて何もしてないのに、なぜ、このおっさんにそんなことを言われなければならないのだ?!?  というよりも、このおっさんのバカ息子は、「テニスができるからスポーツ入学でどこの大学でも行ける」と父親が行っていたはずだが、その割に、結果として、どこの私立大学もスポーツ入学でとってくれず、底辺の私立大学にすら一般入試ではどこも入れなかったというのだが、底辺の私立大学にすら合格できないような人間が義務教育でもないのに高校に行ったということこそ、何より超人的超弩級贅沢と違うのか???!!!???
     なぜ、このおっさんが、「ぜいたくするからそういう目にあうんじゃ」と言って来たか、それまで、すでにけっこうな在籍年数を超えているにもかかわらず一人前に自立して仕事ができていないSさんにいわき地区の人間は「S藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」とあきらめてみんなで協力して助けてきたが(そのあたり、福島県浜通り地区の人は誰がというのではなく全体に土地柄として「やさしい」と思う)、中でもS藤さんを一番助けてきてあげたのは私だったはずなのに、その一番助けてきてあげたはずの私になぜそういうことを言うのかというと、痛風というのは、かつて、「贅沢病」と言われた時期があったらしいのだ。 なぜ、痛風が贅沢病かというと、もともと、日本人は肉食をそれほどしなかった民族で、江戸時代の終わりに西洋人がやって来て、肉食が伝わり、それ以来のことらしく、かつては、肉料理は値段が高かったので、それで、肉ばかり食べて野菜を食べない人間が痛風になることが多かったそうで、そこから痛風を「贅沢病」と言うようになったらしい。 しかし、最近では肉料理はその他の料理に比べて高いわけでもないし、また、肉をよく食べる人でも痛風にならない人もあるわけで、「贅沢病」というとらえ方は正しくない。 ヤクルトスワローズの古田が痛風になった時、贅沢病だと言われたと言い、「ぼくは、贅沢なんて何もしていないのに、どうして、贅沢病だと言われなければならないのか」「贅沢などしていないのに、贅沢したからだとか言われるのがつらい」と言っていたのをどこかで読んだが、その通りだ。私は贅沢なんか何もしてきていないのに、なぜ、このようなことを言われなければならないのかと思った・・・・・というよりも、激痛に耐えて苦しんでいる人間の所に寄って来て、「贅沢すんな、贅沢すんな」とかわざわざ言いに来るおっさんというのは、このおっさん、いったい、どんな育ち方したんだ。とりあえず、あっち行け! 頼むからあっち行ってくれ! と思って、「うるさい。あっち行け」と言っても、「贅沢すんな。贅沢すんな」と言って寄ってくる。 S藤さんは、(株)一条工務店の福島県浜通り地区の従業員の間では、「S藤さんはアルツハイマーだから我慢してあげないとしかたがない」と言われていたのだが・・・・、そして、私も、「この人はアルツハイマーなのかどうかわからないが、アルツハイマーなのか狂牛病なのか何かそういう病気なのだろうから、そして、この頭の悪いじいさんはここを辞めても他に特に行く所もないだろうし、我慢してあげなければしかたがない」とおもって我慢してきたのだ・・・・・が、しかし、落ち着いて考えてみると、「アルツハイマー」の人間のことは、それこまで、みんなで我慢して助けてあげよう保護してあげようということなら、痛風で激痛に苦しんでいる人間だって、もう少し助けてもいいのではないのか。痛風の人間をアルツハイマーの人の攻撃から守ってくれてもよいのではないのか。 まさに、その時、痛風の激痛に苦しんでいるという人間の所に寄って行って、「贅沢するな、贅沢するな」と言いにいくおっさんというのをアルツハイマーという病気だから我慢しろと、まさに激痛に苦しんでいる痛風の人間に言うのが妥当だろうか?  そういう「アルツハイマー」だから言ってもきかないという人は、会社として何らかの対処をするべきではないのか。 (株)一条工務店は、「アルツハイマー」の人がこうして他の従業員を苦しめるのを何ら対処しないでいるというのは、それは「保護義務違反」と評価されるものではないのか。

    しかし、考えてみると、(株)一条工務店という会社は、痛風の激痛にこらえてでも何とか出勤して勤務してきた人間をちっとも大事にしない会社であり、そうやって会社のために尽くす者に会社としてなんら報いを与えようとしない会社だった。 私がいわき市に赴任した1994年、台風で雨が激しく、いわき市で多くの場所が冠水したことがあった。その日、ちょうど、(株)一条工務店では、「工場見学会」を予定していて、いわき市から栃木県の石橋町にあった栃木工場にバスで行く予定が入っていた。 私は、朝、出ようとした時、アパートの隣の部屋の奥さんと顔を合わせると、隣の奥さんが、「今、見てきたけれども、そこの川がものすごくて」と言うのを聞いた。それで、その川と逆側をまわって行こうとしたのだが、ところが、ある道から向こうが冠水しているのが見えた。そこで、ギアをセカンドにした上で、冠水した部分を一気に走り抜けようと思って左折すると、走り抜けるどころかそこから向こう一面どこまでも冠水していた。 これは危ないと思って近くに空地があるように見えたので方向転換しようとしたが、空地に入ろうとすると車輪が何かにぶつかって動けない。 どうやら、車道と歩道の間の境目にあるでっぱりにぶつかったらしく、後から見ると、その際にホイールキャプを失い、ホイールが曲がったようだ。 方向転換できないとなると、冠水している部分を突き抜けるしかないと思ったが、生きた気がしなかった。 途中、山手の方に曲がる道に進み山手の方を迂回して行ったが、後に、新聞で見ると、いわき市で、その時、同じように冠水した道をクルマで進んで川に流され、さらに海まで流されて命を落とした人がいたと新聞記事にでていた。 展示場の比較的近くまで来たが、工場見学会のバスが発車する時刻までには展示場にたどりつけそうにないので、公衆電話から展示場に電話したところ、電話に出た男が「こら! 何やってんだ。 さっさと来い。 バスはどんなにしたって来るんだから。 工場見学会が行けなくなるなんてことはありえないんだ。 さっさと来い。」と冠水した海みたいな道をタイヤの半分以上上までつかって命からがらやってきた人間に怒鳴りつけた。それが、いわき地区の従業員がみんなで「あの人はアルツハイマーなんだから我慢してあげなきゃしかたがない」といってかばってきてあげてきたS藤K二さんだった。 私がそれだけ苦労して恐怖とともにやっとそこまで行ったのである以上、他の人だって大変なはずだし、バスは車体が高いから普通乗用車よりも水につかった道でも走れるところもあるかもしれないが、同時に大きいことから走れる道が限られることから走行しにくい面もあるのではないか。実際には、常磐交通はバスで栃木県まで往復するのは不可能と判断してこの日のバスの運行を断り、バスは来なかったし、(株)一条工務店のいわき地区の従業員でも、「こんな日に無理に会社に行って命を落としても、会社はどうもしてくれないんだから、そんな日に無理に出勤する者はバカだ」と最初から出勤しなかった人もあり、出勤しようとしたが途中であきらめた人もあった。 冠水している道を苦労してよけて展示場までたどりついた人もあったようで、私のように冠水している道につかって往生しながらも、戻るに戻れず、展示場まで来たと言う人もあったようだ。 いわき地区で私とともにS藤さんの世話をよくしてあげていた蛭〇(当時、20代後半)は、その時、工場見学会の係であったことから工場見学会の費用を持っていたことから、自分は何としても展示場まで行かないといけないと思って、冠水している道にクルマで突っ込んだところ、冠水している中でクルマが動かなくなり、ドアを開けて脱出したものの、クルマはもう使い物にならなくなったようだ。 そうやって、会社のためを思って尽くしてきた従業員を粗末にする(株)一条工務店のオーナー経営者は、来世では間違いなく地獄に落ちることだろう。地獄に落ちさらせ!
    で、いわき地区の従業員の約半数は最初からこんな日に無理して行くものではないと判断して出勤ととりやめ、出勤しようとした従業員でも途中で断念して帰宅した人もいたようで、又、出勤した人でも大部分は工場見学会のバスの出発予定時刻までにたどりつくことはできなかったのだが、なにゆえにアルツハイマーのS藤K二さん一人だけが展示場まで来ることができたのか? というと・・・→(答)総合住宅展示場のはす向かいに住んでいたから、だった。 はす向かいのアパートに住んでいて、歩いて5分もかからずに来れるので、それで、自分だけは悠々と出勤していたのだ。そして、死ぬような思いで運転してきた人間、実際、新聞によると同じようなことをして川に流されてしまって川から海に流されて死んだ人もあったという時に、そうやって来た人間に向かって、「こらあ、さっさと来い。何やってんだ。」と怒鳴りつけたのだった。アルツハイマーのおっさんが。アルツハイマーでいつも周囲の人間に迷惑をかけているおっさんが。
   蛭〇は、なんとしても自分は行かないとと思って無理に冠水した部分につっこんでクルマをだめにしたようだが、私自身も冠水した道で、これは突っ切るのは難しいと思って方向転換しようとした際に、歩道と車道の間のでっぱった車止めに車輪を当てた時に、ホイールキャップを失うとともに、ホイールがいがんでしまい、その修理に費用がかかった。 しかし、(株)一条工務店はそういった修理の費用を従業員の負担としたが、会社はそういう費用を当然のように会社が負担せずに従業員に負担させる権利があるのだろうか。 (株)一条工務店が、浜松市に浜松市で防潮堤を作るための費用を300億円寄付したといい、それを浜松市長の慶應義塾大学法学部卒だという鈴木康友なる男が称賛し、「一条堤とでも命名して長く記録に残したい」だか発言したらしいが、そのカネは、このように、従業員に文字通り命がけの行為をさせて、その過程でクルマを痛めたりしたものについては、修理の費用も従業員に負担させるようなことをして蓄えてきたカネである。 大澄賢二郎がひとりでせっせと働いて貯めたカネではないし、又、浜松地区だけで得た利益でもなく全国から集めたカネである。「お世話になった浜松に感謝したい」とか大澄賢二郎は言ったらしいが、浜松にだけ世話になったわけでもあるまいし、よく言うとあきれるが、そのあたりの矛盾を何ら感じることなく、「たいへんありがたいことで」とかなんたら勝手なことを言っている浜松市長の鈴木康友という男は、輪姦慶應ボーイとたいして変わらない低能未熟人間であろう。

    考えてみると、痛風の激痛の時も無理をして出勤して(株)一条工務店の仕事のために尽くしたし、台風とそれによる大雨で冠水して、その時、道から川を経て海まで流されて命を落とした人もいるという時に、どこかで何かの条件が変わっていたなら自分がその人の立場になったかもしれないのに、無理に会社まで行ったりもしたのだが、(株)一条工務店はそういう人間を実に粗末にする会社だった。 (株)一条工務店のオーナー経営者一族は来世では間違いなく地獄に落ちるだろう。 というより、地獄へ落ちろ!人間のカスでも!

< 2つに分けたいわけではないが、ブログの字数制限のため、2つに分けます。 次回【下】http://shinkahousinght.at.webry.info/201611/article_2.html はこの続きです。ぜひ、続きもお読みいただきますようお願いいたします。 >
   (2016.11.5.)


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