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zoom RSS 人と話す時、自分はどんな顔か。にこやかな顔をしつつ相手を凝視できるか−人と話す時、どこを見るか[2]

<<   作成日時 : 2016/06/23 22:40   >>

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[第419回]会社と営業の話(95)
【2】 自分はどのような表情をしているか
   小学生の頃、自転車にライトを点灯しても、自転車のライトは暗くてライトがない状態と見え方がたいして変わらなかった。 電池を入れてつけるタイプでは暗いので、自転車の車輪に小さな輪をこすりつけて車輪の動きに合わせて輪が回転してその力で点灯するというタイプのものに変えたが、そうすると、坂道を登る時などは、それなしでもけっこう大変なのに、車輪に摩擦が加わってなおさら負担になり、かつ、そのタイプのものでもたいして明るくないので、特に坂道を登る時は少しでも負担を軽くしたいのでつけなくなった、ということがあった。 自分が自動車を運転してみてよくわかったことだが、日没後、無灯火の自転車というのは、自動車を運転している人間としては実に見えにくい。 特に、自転車というのは、車道を走るべきか歩道を走るべきか、右側を走るべきか左側を走るべきか、そのあたりが十分に認知されておらず、車道を無灯火で右側を走るヤツがいるのだ。高校生の男どもが。 自動車を運転している者としては、人情として、女の子たちなら・・・守ってあげようかなぁあ〜あ♪・・・と思うところを、男なら・・・・殺してやる!と思うか? というと、そんなことはないのだけれども、実際のところ、「おまえら、死ぬぞお!!!」と思うのだ。 そこにいるのがわかれば、そこに人がいる、自転車に乗った人がいるのがわかっていて、「殺してやる!」と思うドライバーというのも、もしかして、千人に1人か1万人に1人かいないとは限らないかもしれないけれども、たいていのドライバーは、かわいげのないガキ!であっても、人を殺したいとは思わないので、よけるところを、見えないとひいてしまう危険がある。 だから、どうか、お願いだから、日没後に無灯火で自転車に乗るのはやめてほしいと思うのだ。 たぶん、高校生は自動車を運転したことがないから、自動車の運転席から、無灯火の自転車というものがどれだけ見えにくいか、わからないのだと思うのだ。そして、自転車のライトというのは、自転車を運転している人間が見えやすいようについているだけではなく、むしろ、そこに人がいるぞ! そこに自転車を運転している人間がいるぞ! と自動車の運転者や歩行者に知らせるためのものでもある、むしろ、自転車のライトはそちらの目的の方が大きい、ということを理解するべきなのだが、わかってないガキどもが多いような気がする。 念のため、もう一度、断っておくが、女の子たちなら、「守ってあげたいわあ♡」とか思うが、男どもなら「殺してやる!」なんて、そんなこと思わないからな。 どんなににくったらしいガキでも、殺したいなんて思うドライバーは多くないはずだから。 だから、自分の存在を自動車のドライバーに知らせるのと知らせないのとなら、絶対、知らせた方がいいはずなのだ。

    少々、話がそれたが、人と会って話をする場合のことだが。 「自分が相手のどこを見るか」というのは、自分の側から相手の方に向かっての話である。 人と話をするというのは、相互の関係があり、相手も自分を見ているはずなのだ。 だから、「自分がどう見えるか」という問題も一緒に考えないといけないはずである。 自動車・自転車のライトは自分が見えやすいように点灯するだけではない。 自分の存在を人・自転車の運転者・自動車の運転者に知らせる為でもあるのと同じく、「自分がどう見えるか」も考えないといけない。

    実は、高校の時、女性の多いクラブに入っていた。 最近、東大の野球部の投手で、なかなかの成績を残している男がいて、週刊誌の記事によると、「野球だけの人間にはなりたくない。学業だけの人間にもなりたくない」というようなことを言っていたようだが、私も高校に入学した頃、その男と同じようなことを思っていた。 又、人とのつきあい・つながりとして、個人的に仲が良い相手、人間的に評価してつきあう相手というのはいてもよいが、それと別に、特に深いつきあいか否か、特に仲が良いか良くないかは別として、同じクラブにいてそれなりにつきあいがある相手というのを持ちたいとも思った。そうなると、男は男性がやるスポーツのクラブ、もしくは、男性が多いスポーツのクラブに入りたいものだと思ったのだ。男同士であれば、卒業後も何らかの形でつきあうことはできるが、いくらすばらしい女性でも、何かの折に会った時に会話するということはあって悪くないであろうけれども、男女の関係でつきあうのでなければ、人間としてつきあっていくということはできない。 ところが、結果として、すべてに逆の条件のクラブに入ってしまい、卒業まで在籍した。スポーツのクラブは、野球なりラグビーなりをやっている時はそれをやるが、練習時間を終わるとそれでおしまい、学業をするにおいて、すっきりした感触・気分で取り組める。それに対し、非スポーツのクラブでは、学業と似たことをクラブでもやることで、その分だけ学業に負担がかかる。 「家族の政治学」で勝てなかったことが原因の1つだが、考えようによっては最悪かもしれないクラブ活動を続けてしまった面がある。 しかし、それが悪いことばかりということはない。(株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ で店長になっているにいちゃん(当時、20代)で、「ぼく、女性が苦手なんですよ」とか言っている男がいた。そんなこと言ったって、世の中の人間の半分は男で半分は女でできているのだから、苦手だの何だの言ってられないはずだが、彼は自分は女性が苦手だという意識があったらしい。 苦手といっても結婚して嫁さんがいるのだから、苦手といいながら、女性とつきあって結婚までたどりついているわけだが、結婚相手としての女性ではなく、職場でそういう関係でない女性と関わっていくことに苦手意識を持っていたようだ。そう思って見ると、たしかに、彼は女性社員と話をする際、話し方がきつい。男と話をするのなら、まだ、あれでも悪くはないかもしれないが、女性と話をするなら、もう少し、ソフトな話し方をしないと・・・といったことを見ていて思ったことがある。 (株)エイブルという会社は、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)も持っていないような人間で、社歴もそれほど長くない20代のにいちゃんを店長にする会社で、店長になった20代のにいちゃんの中にも、人並みの謙虚さを持っている人もいて、「ぼくだって、まだまだ未熟で、店長になるような立場じゃないんですけど、店長になってしまって」とか言う人もいたが、実際、この人がその店の「まん中」なら悪くない人だろうなあと思える人が店長になっていたりして、「まん中」なら悪くない人かもしれないが店長ということになるとどうだろうなあ、というにいちゃんがけっこういた。 「まん中」になっても悪くない人が店長になってしまった時の問題として、どうも、人の言うことを聞かなくなる、という点がある。 彼も悪い男ではないと思うのだが、はたから見ていて、女性相手に話をするのに、そういった威嚇的な口のきき方は、たとえ、相手が良くない場合でもいかんのではないかと思う時などあって、彼はそう悪い男ではないと思えばこそ、言ってあげようかと思ったこともあるのだが、「自分は店長だ」という意識を持ってしまった人は、言ってあげてもきかないだろうなあ・・と思って言わなかったことがある。
   高校くらいの時に、女性の多いクラブにいると、特に、そういうクラブで役をやったりすると、「女性恐怖症」になるという話があったのだが、たとえ、一時的に「女性恐怖症」になったとしても、卒業して職場に勤めてみると、そこでの体験というのは、「えがたい体験」だったのではないかと思うこともある。 これは、個人的に男女の関係として女性とつきあうというものとは別のもので、又、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ にいた時、総務部長のA野M弘が「何人、女、知っとるんじゃ」とか私に言ってきたことがあって、「そういう発言は私に対する人権侵害ですよ」と言ってやったことがあったが、そう言われてもそれでも、「なんでじゃ。何人、女知っとるかときいてやっとるんじゃ」とか言ってきかなかったことがあったが(程度の低い会社、程度の低い総務部長!)、どれだけの女性と肉体関係を持ったかなどもっと関係ない。 ここであげた、(株)エイブルで店長をやっていた「ぼく、女性が苦手なんですよ」と言っていたにいちゃんは、当人が言うには、高校時代、男性の方が多い高校で、野球部で、野球部は男ばかりで、マネージャーは女性といっても、それは「先輩の彼女」でいても関係ないしで、女性と(男女の関係と関係なく)つきあうということがなかったもので、勤めてからも苦手なのだと言うのだ。
    慶應義塾大学に在籍した時、似たことを言う男がいた。そちらの方のにいちゃんは、見たところ、別に変な男でも何でもないのだが、「ぼく、女性が怖いんですよ」と言うのだった。「なんでだよ、なんで怖いんだよ?」と言うと、「高校は共学でしたか?」ときくので、「共学でしたよ。ぼくはねえ、幼稚園、小学校、中学校、高校、予備校、大学、自動車学校とぜ〜んぶ、共学でした」と言うと、「いいですねえ〜え」と言うのだ。別に悪いとは言わんが、何もそこまでうらやましがられるほどのものでもないように思うのだが、彼は「いいですよ。うらやましいですよ。中学校・高校と6年間の男子校生活を送った者の気持ちは、ずうっと共学の学校に行ってきた人にはわかりませんよ。 あの6年間の男子校生活がぼくをこんな人間にしてしまったんだ」とか言うのだが、いったい、どんな人間やねん。その6年間、男子校にいた男が言うには、何も冗談ではなく、そこに女性がいるということが「怖い」と言うのだ。「何が怖いんだよ」と言っても、「だから、この気持ちはずうっと共学の学校にいた人にはわかりませんよ」と言うのだ。そういうことも、いくらかあるのかもしれん。
   最近、東大のバカ学生が、女子大生に強姦したか強姦未遂だかしたかいうニュースがあったが、あれは、6年制私立受験校の出身の者には、大学入試ではそれなりの点数をとってもその点数に見合うだけの教養が身についていないという人間が多い、ということがひとつの原因としてあると思うが、それとともに、そういった私立6年生受験校というものの多くが男子校であるという点があるのではないかとも思う。 慶應の内部進学の人間(慶應義塾高校・慶應志木高校・慶應女子高校)を見て、どうも、こいつらは公立高校出身の人間をドジンか何かと思っとるようだと感じたことがあるが、それと似た感じのところがあるのではないか。 6年間の男子校生活でその間に普通に女性と一緒に生活していない上、入試では良い点数をとってもそれに見合うだけの教養・良識が頭にも身にもついていない、なおかつ、おのれはエライという意識がある(「清原みたいや」)、という人間、もしくは、バケモノがしでかしたこと、と言えるかもしれない。受験に関しては、共学校より男子校の方が有利な面もあるかもしれないと私は思っている。共学の進学校になんかいると、どうも、女性が気になってしまうことがあるし、女性は男より良い成績を残すと「女なのに頑張ってる」と評価され、成績が悪くても「女の子だからいいの」と言えば、それはそれでいい子だねと評価されたりするのに対し、男性は、男たるもの、女性に負けるとは情けない、という意識を持ちがちだし、又、そう言われる、「男のくせに、女の子に負けるなんて」とか言って責められる。 女の子より悪い成績なんて情けないと、そう思って努力して少なくとも女性より良い成績を残すことができればいいのだが、ところが、女でもできるやつはできるもので、デュークエイセスが歌った「おさななじみ」という歌があったが、そこで、「小学校の運動会。 き〜みは一等、ぼくはビリ。 泣きたい気持ちでゴールイン♪ そのまま、うちまでかけたっけ♪」というような、そんな状況になってしまうこともあるのだ。〔⇒《YouTube―デューク・エイセス おさななじみ》https://www.youtube.com/watch?v=diuuRR7t5uA 〕 その点、男子校に言っておれば、そういった葛藤をして苦しむこともないから、その点、受験には有利かもしれないが、普段から普通に女性と一緒に生活することなく、トーダイ行って、おのれはエライと勝手に勘違いした男は、アホな女をトーダイの名前でひっかけて、それ以上にアホな男になる・・・・ということがあるのかもしれない。その状態にまでなったトーダイバカは、「治療」するのはけっこう大変かもしれない。
   それで、また話が少々それそうになったが、その高校の時のクラブでのことだが、1年上の学年の女性から、私は「話し方がこわい」と言われたことがあったのだ。「こわい」と言っても、別に暴力ふるうわけでもないし、脅迫するようなことを言うわけでもないのだが、男に話をするのならいいけれども、女性の話をする時は、「もっと、優しく」というのだ。 なんだか、難儀なもんだな、女というのは・・・・といえば、そうなのだが、そう言われて、「優しい話し方」というものを苦心してやろうと努力した。 そして、にこやかな顔で話をするということも苦心した。 そんなことを高校の時にやってるから、大学受験に失敗した! のかもしれないが、しかし、大学入試の勉強しなければならないような時にそんなことやってるから、だから、身についたものだってあるわけだ・・・・。 だから、エライかどうかというと、そんなことやってるより、英語の単語の1つでも2つでも覚えた方がよかったのではないかという気もするのだが。 そんなこと言っても、身についたものもあったように思う。
   「笑う」「ほほえむ」という時、顔のどこで笑っているか、顔のどこでほほえんでいるか、考えたことありますか?  顔の下半分でほくそえんだのでは、下品なオヤジがにやけているのと変わらないことになる。 人間の顔というのは、顔の下半分は普段から物を食べる際にも話す際にも口を開けたり閉めたりしているので動きやすいが、顔の上半分は練習しないと動かない、動きにくい。 私はそれを練習して、顔の上半分でかすかにほほえむことができるようにしたのだ。 「かすかに」というのは、あくまでも、にこやかな顔で人と話ができるようにということであって、「色目を使う」というのとは違う。 そこが難しいといえば難しい。 「色目をつかう」とか「女をたらしこむ」とかいうものとは別のものだ。 そして、これは相手が女性であろうと男性であろうと関係なく使えるものであり、そして、身につけると自然と普通にそういう顔をすることができるようになる。
   住宅建築業の仕事をするようになって、コンタクトレンズを入れるようになり、コンタクトレンズは眼鏡よりも眼に負担がかかるので、顔の上半分でほほえむというのもやりずらいところもあったが、慣れるとそれほど変わらないようにできる。 そういった努力をしてきた者とそうでない者との差は小さくない。
   そして、ここが重要ポイント。 顔の中ほどから上半分でほほえむ、にこやかな顔にした時、目元はリラックスして少々緩んだ状態になる。 目元がリラックスして少々緩んだ状態になった時、眼はどこを見ているだろうか。 その時、一点を集中して見る、凝視するという状態にはないはずだ。 「眼を見る」というような、「眼」というような小さなポイントを見る状態にはなっていない。 「顔の上半分とその周辺」「眼の付近とその周辺」だったりしているのではないか。 だから、顧客と話をする際にも、それ以外の人間と話をする際にも、打ち解けて話をしてもらおうとするならば、その時には、「相手の眼を見る」という状態にはなっていないはずだ。 見ているのは「顔の上半分とその周辺」とかそんな感じだと思う。 私が、少々にこやかな表情をしながら話す時、相手を見るならば、見ているのは「相手の顔の上半分とその周辺」か「相手の眼の付近とその周辺」といったように、「眼」といった小さなポイント、焦点ではなく、もっと広い範囲になっている。
   こういったことは、長く住宅建築業の営業の仕事をやりながら私は身につけてきた。 フリーダムアーキテクツデザイン(株)http://www.freedom.co.jp/ で「統括」という役職をもらっているA木S実(男。30台?)は、そのあたりをまったく理解できていないようだ。 自称「設計士(さま)」といっても、実際には「営業 兼 設計」なのだから、少しはそういったことを考えてよさそうに思えるのだが、最初から考える意思はまったくないようだ。
   (2016.6.23.)
「人と話す時、どこを見るか」 三部作の3回目、「眼鏡をかけている人間の眼は見えるか?」http://shinkahousinght.at.webry.info/201606/article_5.html へ続く。 ぜひ、ご覧くださいませ。

☆ 人と話す時、どこを見るか。 三部作
1. どこを見るか http://shinkahousinght.at.webry.info/201606/article_3.html
2.〔今回〕
3.眼鏡をかけている人間の眼は見えるか? http://shinkahousinght.at.webry.info/201606/article_5.html




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≪ 群衆の中にいた数人のパリサイ人がイエスに言った、「先生、お弟子たちを叱ってください。」答えて言われた、「わたしは言う、この人たちが黙ったら、石が叫ぶであろう。」 ≫
(『新約聖書 ルカ福音書』19-39〜40 塚本虎二訳 岩波文庫 ↑)
   実際のところ、たいしたこと述べてないと思うのだが、このブログで フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区 〕http://www.freedom.co.jp/ について述べたものについて、同社より、同社の実名をあげて述べたものも実名をあげていなくても同社のことかもしれないと思えるものについても、その部分だけでなく前後も含めて削除しろと脅迫を加えてきた。「信用毀損になる」と勝手なことを主張するのであるが、同社はこれまで私について中傷を加え、私の信用を毀損するような行為をしてきたのであり、私は事実を述べこそすれ、同社について中傷などしていない。もしも、どこが違うというのがあれば指摘してもらえば訂正するなり検討するとこちらは言っているにもかかわらず、そういった指摘はせず、同社の名前を削除しろと要求してきた。 これは言論弾圧、表現の自由の侵害であり、許しがたい。 怖い会社だなあと思う。 2015年5月、フリーダムアーキテクツデザイン(株) の 関東Lab が入っていたFT日本橋久松町ビルの6階・7階に、ヤクザのような雰囲気をただよわす男が入ってきたので、ヤクザが来たのか? と驚いていたら、それが従業員らしい。なんだ、この会社はヤクザを従業員に雇っているのか? と思ったら、社長室長だという○○川だった。もし、「あなたはヤクザですか?」と質問しても、おそらく、「違います」と答えるだろうけれども、そういう雰囲気を漂わす男というのは、もしも、ヤクザではないとしても、「そういう雰囲気を漂わす男」である。なんか、怖そうだなと思っていると、どうも、あまり堅実な姿勢の会社ではないようだ。 そういう会社だからということで黙るわけにはいかない。
当然のことながら、言論弾圧・表現の自由を侵害し、社会公益の利益に反する要求を認めるわけにはいかない。そもそも、今まで私に中傷を加えたりしてきた会社が何をぬかすかと思う。 もしも、私が黙れば、石が叫ぶであろう。 (2016.6.23.) 

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