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zoom RSS 郵便局は何のために記念切手を売っているのか? 顧客に出す郵便に使う封筒、貼る切手は何を選ぶかの工夫。

<<   作成日時 : 2014/11/13 20:34   >>

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[第301回]営業と会社の話(66)
   先日、近くの郵便局から、ある相手にけっこう大事な郵便物を出したのだが、その際のこと。
   郵便には「定型」と「定型外」があり、「長3」の封筒の大きさまでが「定型」で出せる。 これより大きいと「定型外」で、「定形」の郵便なら料金がわかりやすいが、「定型外」だとわかりにくいため、郵便局の窓口に持って行って料金を尋ねて窓口で渡した。
   その際に、うんざりしたのだ。 郵便局の窓口のおばさんて馬鹿だなあとも思い、又、人を馬鹿にしてるなあとも思ったのだ。 客の言うことを無視するのだ。

   郵便切手には、「普通の切手」と記念切手がある。 私が小学生くらいの時、1960年代後半、記念切手は発行数が少なかった。 小学校の目の前の文房具屋では過去の記念切手を販売していた。小学校で、記念切手の蒐集がクラスで流行りだすと、私もストックブックを買っていくらかそういったものを購入した。 新たに郵便局で記念切手を売りだすとなると買いに行きたいのはやまやまなのだが、平日朝9時からの販売に並んで買わないと買えないため、小学生は買いに行けない。 1回だけ、母に頼んで買ってもらったことがあったが、その際は、1シートごとの販売だった。 本当は自分で買いに行きたかったし毎回でも買いにいきたかったが、それはできないことだった。 そして、その頃は、記念切手というのは買えば宝物のようにずっと持っておくもので、「使うもの」ではなかった。
   ところが、1980年代に入って、記念切手の販売数が増えて、記念切手というものが、それほど珍しいものでもなくなってきた。 慶應の商学部の「商業学総論」という講義で教授が言われた話では、郵便局は、それを意図的にやったらしく、最初は発行数を少なくして出して、ありがたみを持たせるとともに、少ないことから記念切手に価値があるように思わせて、そして、記念切手というものが国民に知られると、今度は発行数を多くして、多く販売するようにした、ということらしい。
   だから、1980年代から後は、記念切手は、「とっておく」人はいるかもしれないけれども、むしろ、「使うもの」になってきた。 大学生の時に、仲間に郵便を出すのに、記念切手を使用している男がいたのを見て、これはなかなかセンスがいいと思ったことがある。

   最初は発行数を少なくして出して、それで、記念切手というものに、ありがたみを感じさせて、それが広まると、今度は発行数を増やして多く売る、という戦略だったらしいのだが、しかし、発行数を多くすると、今度は、郵便局によっては、発行日をかなり過ぎてもなかなか売り切れないというケースも出てくるようだった。 1980年代前半に、神奈川県内のある郵便局で窓口のアルバイトをしたことがあるのだが、隣にいたおにいさんは正局員だったのだが、そのおにいさんは、小包などを発送する時、発行日をかなり過ぎた記念切手が在庫している場合、お客さんが、特に、普通の切手でないと困ると言われなければ、「記念切手でもいいですか」と言って、記念切手を貼ってさばくようにしていた。


   私は住宅建築請負業の会社に長く勤めてきた。 他の職種で勤めた期間もあるが、「営業」の職種で勤めた期間が長い。 この業界は、けっこう人の出入りが多い業界で、同業他社から入ったり、出た後に同業他社に勤めたりする人もある。  住宅建築業の業界の中で、工事管理から営業になったり、営業から工事管理になったり、設計から工事管理になったり、工事管理から設計になったり、設計から営業になったりする人もいる。  他業種の営業から住宅建築業の営業になる人もいる。
   他業種の営業から住宅建築業の営業に転職する人の場合、うまくいく場合といかない場合があるようだった。 大学新卒で最初に勤めた小堀住研では、最初の研修の時に、「住宅でも不動産業と建築業は、隣の業界で似ていると思っている人もいるようですが、不動産の営業と建築の営業は、営業でも相当に差があります。 住宅の建築の営業にお客様が求めるレベルは不動産の営業にお客様が求めるレベルよりも、はるかにレベルは高いです」と言われた。 実際、「不動産屋のおっさん」を見ると、「レベル低いなあ〜あ」と思うことはしばしばあったし、住宅の建築の営業をやっている人間には、不動産屋とつきあうと不快指数が上昇するからつきあいたくない、と言う人間はしばしばあった。
   小堀住研の場合、会社としてそういう認識だったので、不動産屋から転職で来る人はそう多くなかったように思うが、千葉支店にいた、マンションの販売をやっている会社から転職で入社したらしいS川は相当に多く売っていて、私が入社した頃の千葉支店では一番、全国でも10位以内に入る営業成績を残していたが、今、思うと、マンションの販売をやっていた人間だけあって、同社の商品でも、高級志向タイプの「新 桂(しん かつら)」は苦手で、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」をぱんぱか売りまくっていた、というあたりにその特徴が出ていたかもしれない。 私が最初に配属された松戸営業課の課長のUさんなどは、土木学科卒で、小堀ならではのデザインの自由設計の家にほれていたし、そういう人は、せっかくいい建物を建てることができる会社なのだから、と自由設計の高級志向タイプのものを売りたいようだったし、それは、高級志向タイプのものの方が1件あたりの粗利益額が大きいからというだけではなく、その方が仕事としてやりがいがあるからでもあったが、不動産屋出身の人(「不動産屋あがり」、なのか、「不動産屋崩れ」なのかどっちかわからんが)は、建築の知識を求められる自由設計の高級志向タイプは苦手の人が多いように思えた。

   小堀住研(→エスバイエル)の千葉支店長になったW邊は、支店長の立場を利用して女性社員の尻をなでまわしたりする男だったが、おそらく、クルマ屋出身であろう。 すべての人がというわけではないが、「最終学歴が高卒でクルマ屋出身の人間」にはそういう人間が多い。 その後、勤めた在来木造の一条工務店でも、栃木県佐野市の営業所にいたT木は、トヨタカローラにいたそうで、「トヨタカローラにいた時なんて、俺は、朝、会社に行くと、会社中の女の子の尻をかたっぱしからなでてまわっていたぞお。 おれは会社の女の尻をさわらないことには、会社に来たという気持ちになれねえんだ。 会社である以上、それが普通だよなあ」などと大きな声で言っていた。
    一条工務店の佐野営業所に入社してきた ネッツトヨタ栃木(株)(http://www.netztochigi.co.jp/ )の足利市の営業所 にいたというその頃20代の女性Sも、「ネッツトヨタなんて、朝、会社に来て、『おはよう』と言うと同時に、おっぱいもみもみい〜い、てそれが普通ですよ。 同意の上だからいいんですけどお。わたしもつかみにいってましたしい。 それが会社の常識ですよ、常識。会社である以上、それが常識ですよ」などと言っていた。 私は、S藤に「その人は『同意の上』であるからよかったとしても、職場外勤務時間外にやるのなら『同意の上だからいい』ということになっても、もし、職場でそういうことがおこなわれるならば、そういったことをされるのが嫌な人までも似た扱いを受けることになっていくから、だから、職場内でおこなわれる場合には、『同意の上だからいい』ということにはならないですよ」と言って教えてあげたことがあったが、せっかく言ってあげても、S藤は理解できなかったようだ。 教えてあげてもだめな人はだめということだろう。 (それから、女性は女性であるからという理由によって、常に被害者であるわけではない。当然のことながら、女性が加害者になる場合もある。 女性である以上、加害者でも被害者ヅラする権利があると思っているような女も世の中にはいるが、そうではない。)
   S藤が入社する際、面接をした、やはり、クルマ屋の営業出身らしい営業所長の I 嵐が、「あれはいいわあ〜あ」とSのことをほめていた。 で、どんなにすばらしい人間が入社してくるのかと思っていると、たしかに、初日、Sは礼儀正しく挨拶して出社したのだが、そこまで言うほどのものかと思って見ていると、Sの乗っているクルマには羽根がついていた。 面接に来たときも、おそらく、その羽根つきのクルマに乗って面接に来たのだろう。 「朝、会社に来ると同時に、おっぱいもみもみい〜い」というような会社が前職で、羽根のついたクルマに乗って面接に来る女を、「あれはいいわあ〜あ」と感心している男が、一条工務店では営業所長だったのだ。 アホだわ、こいつ、と思った。 まず、前職がクルマ屋ということは、そういう業界にいた人というのは、「朝、会社に来ると同時に、おっぱいもみもみ〜い」というのが「会社の常識」と認識しているような人ということはないか? ということを考えないといけない。 それで、クルマで来る人間が多い土地なのだから、当然のことながら、どういうクルマに乗ってきたか、そのクルマをどこにどういうように停めたか・・・というくらいのものは、見るのが当然・・・と私は思うが、一条工務店の営業所長の I 嵐さんは、そんなものまったく見ないで、「いいわあ〜あ、あれはあ〜あ」と感心していたのだ。 なぜ、I 嵐さんが感心していたかというと、 I 嵐さんも「最終学歴高卒で、クルマ屋出身」だからだ。 I 嵐さんは私に苦手意識を持っていたらしいが、私の方は、I 嵐さんをけっこう高く評価していたのだ。 どう高く評価していたかというと、実際に、努力して営業をして実績を残してきた人であり、営業について話すことを聞いていると、それがわかるのだ。本社が決めたことにヨイショばかりする軽薄な男も同社にはいたが、その地域での会議でも、I 嵐さんは自分の経験から自分が思ったことを述べたし、それはある程度以上経験のある人間が聞けばもっともと思うものが多かった。 そして、同社の営業についての認識は私と共通するものも多かったと思う。 だが、Sの採用についての発言はアホだ。 I 嵐さんは、そのあたり、クルマ屋出身の人間に対する評価が高すぎる。 I 嵐さんは努力して実績を残したかもしれないが、クルマ屋出身のすべての人間が I 嵐さんと同じだけ努力するわけでもないし、同じだけの成果を出すのでもない。 そのあたりについては I 嵐さんの評価できかねるところだった。
   しかし、クルマ屋出身の人の方が、営業に厳しい場合があるのではないかと思える時もあった。Sは、最初、住宅展示場の受付係として入社したのだが、日曜日に、S藤が展示場の入口にいて見ていると、私と I 田さんは、入口で住所・氏名を芳名帳に記入した人も記入しなかった人も変わらず真面目に接客しているけれども、GさんとKさんは、記名しなかった人だと、はっきりといいかげんな対応をする、と言うのだ。 「私が前にいたネッツトヨタで、あんな態度とったら、無茶苦茶怒られますよ」とS藤は憤慨していた。 なるほど、「朝、会社に来ると同時に、おっぱいもみもみい〜い」の会社であっても、自分自身が営業をしていた人間だけあって、Sにはそのあたりが「見えた」のだ。 だから、そのあたりの点については、営業所長の I 嵐さんが高く評価したのは間違っていない。 私が見てきた限りでは、前職・クルマ屋という人には、実際問題としてガラの悪い人、品の良くない人が多いが、Sが言ったように、入口で記名しなかった人だからということで、いいかげんな対応をするという人は少ないように思う。 その点では、クルマ屋出身の人は悪くないように思うのだ。 但し、Sが、記名しない人だといいかげんな対応をすると見て指摘したK岡もクルマ屋出身であったけれども。
  もちろん、人によっても違いはあるが、元・クルマ屋という人には、クルマはいくつかの決まった車種にオプションをつけるかつけないかといった程度の選択肢の商品であるのに対し、住宅は地べたの上に新たに作るもので選択肢は無限にある商品で、その違いからか、住宅・建築についての学習にあまり熱心でない人が多いように感じた。
  たとえ、営業的能力に評価できる部分があっても、前職として「朝、会社に来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい〜い」という会社に在籍して、会社とはそういうものだという観念を持ってしまった人というのは、うかつに採用すると、職場の秩序を乱すことになるので要注意である。本来は、そのあたりを見抜くのが営業所長といった役職の人間の仕事なのだが、一条工務店の中卒・高卒の営業所長を見ると、この人にそれを期待するのは難しいのかもしれないな、という人が少なくなかった。

  小堀住研では、「住宅というのは高額の買い物であり、お客様は営業にも高額の商品の営業としてのレベルを期待する」という認識で、「小堀住研は、たとえばミサワホームなんかと違って、大卒しかとらない会社です」と言っていた・・・が、入社してみると、そうでない人もいた。 実際には「大卒しかとらない」というのは、「新卒の営業系は」ということらしく、新卒でも「技術系」は大卒ではなく短大卒の人もいたが、そのかわり、建築学科・土木学科等の出身者に限ったようで、営業でも中途採用の場合は、同業他社で実績がある人などは高卒でも採用していたようだ。 それに対して、一条工務店では、営業本部長のA野さんが、「営業はアホの方が向いてるんや。 何、考えとるらあ〜あ、て感じの人間が気さくでええんや。 営業は頭のない人間がいいんだ、営業はあ」と言っていた会社であり、営業本部長がそういう認識だから、それで、こういう人が入社したのか、という感じの人も中にはいた。 なんか、認識が違うように私は思った。
  小堀住研では、実際には、元不動産屋の人、元クルマ屋の人もいたようだが、元不動産屋、元クルマ屋、元サラ金といった人の評価は一般に高くなかった。 会社によって経営者の認識に違いがあるのか、一条工務店では、元クルマ屋・元不動産屋・元サラ金というのが、三大前職だった。 福島県浜通りにいた前職サラ金という人は、「サラ金なんて、て思う人が多いみたいだけど、今、サラ金はそんなにいいかげんじゃないよ」と話していた。元サラ金の人全般がどうかはわからないが、その人は、そんなに不真面目な人ということはなかったと思う。金利の計算なんかは得意なようだった。 しかし、その人は不真面目な感じの人ではなかったけれども、会社として三大前職がクルマ屋・不動産屋・サラ金というのはなんだか・・・という感じだった。
  同時に、一条工務店の生え抜きの人(比較的若いころから一条工務店にいる人、住宅建築業の会社では一条工務店のみの経験の人)には、同業他社から来た人間に対して敵意を持っている人がいた。 同業他社にいたといっても、今は自社の人間のはずなのだが、それを理解できないらしかった。

  元・保険屋という人もいた。 栃木県の営業所にいた損害保険の営業をやっていたというおじさんAさんは、けっこうマメで、そして、「◇◇通信」というミニコミ誌みたいなものを自分で作って、見込客に配ったりしていた。 保険屋をやっていた時にそういうことをやっていたのかなと思ったが、前職で身につけた、そういった工夫を別の業種に勤めた時に生かそうとする人はけっこういるようで、そして、中途採用で別業界から入ってくる人が多い会社にいると、自分よりもその会社には後から入ってきた人でも、別業界でやってきた人のやることを見ると、自分も取り入れるといいかも・・と思えるものがけっこうあったりしたので、中途採用で別業界の人が多く入ってくるというのも、そのあたりでは悪くないかもしれないと思った。
  厚生労働省が委託して東京リーガルマインドがやっていた「就職支援セミナー」に出た時、講師の人が言われた話だが、生命保険の営業をやっていた男性で、「私は、人の奥さんと仲良くなるのが得意なんです」という人がいたというのだ。 この場合、「人の奥さんと仲良くなる」というのは、どういう意味かというと、PTAの会長とかを率先して引き受けるそうなのだ。 そして、そういう所で「人の奥さん」と顔なじみになるそうだ。 生命保険といったものは、誰から入ってもその保険会社の生命保険であることに変わりはない。 まず、話を聞いてもらえるかどうか、という問題があるが、そこで、「PTA会長さん」が役に立つらしい。 この話を聞いて、私も、一条工務店にいた時、消防団とか入ればよかったか・・・とか思ったりもしたが、やめた後だった。 もっとも、消防団に入っている人に聞くと、消防団はけっこう大変らしく、何が大変かというと、「消防団 いのち」みたいなおじさんがいて、消防団と会社の仕事とがかちあった時に、会社の仕事を優先すると、「おまえは、いったい何考えてるんだ。いったい、会社と消防団とどっちが大事だと思ってるんだ」と怒られるそうだ。 消防団の方が会社より大事なんだそうです。 今、住んでいる所でも、自治会の役員を引き受けてみようかと考えたこともあるのだが、我が家の近所の自治会は、自分の親を自治会に行かせてよその家の現役世代の人間に自分の親の面倒をみさせようという人(どう考えても卑怯者。どう考えてもズルイ人。)がいて、自治会は「前期高齢者」「体だけ元気な年寄」のたまり場になっており、うかつに自治会に行くと、自分の親を「ほったらかし」にして他人の親のめんどうを見さされる・・ということになってしまうので、やめた。
  栃木県の一条工務店にいた元保険屋のおじさんは、レター作戦がけっこう得意だったみたいで、「◇◇通信」といったものをまめに作っていたし、成果が出るかどうかにかかわらず、それはなかなかのものだったように思うし、それは、なんとか成果をだそうという努力であった。

  小堀住研では、お客様に手紙・ダイレクトメールを出す場合、会社の茶封筒ではなく、市販の気の利いたデザインの封筒と便箋を使って出すという方法がある、と研修で教えられ、私もやってみたことがある。 但し、小堀住研で、営業にそういったことをやるように言うのは、ひとつには、基本的には「大卒しかとらない会社」だからだったかもしれない。 同社に入社して1年目、同社の千葉支店に出入りしていた生命保険のおばさんが、私に生命保険に入ってもらおうということで、手紙をくれたのだが、なんで、この人、わざわざ、こんな変な便箋使ってるんだろうなあ〜あ・・・と思うことがあった。 あまりセンスのよくない人に、自分で独自の便箋と封筒を選んで使うように、と言うと、なんでこんな変なものを・・・というものを選んで使われてしまう可能性もあるようだ。
  国鉄がJRに変わった年、常磐線のある駅で駅員がしているネクタイを見て、なかなかセンスのいいネクタイをしていると思い、「民間企業」になっただけあって、駅員もセンスのいいネクタイをしましょうと、そういう点に力を入れ出したということだろうかと思ったのだが、次の駅で降りると、その駅の駅員も前の駅の駅員と同じネクタイをしていたので、これは、JR東日本で支給したネクタイだったのだとわかり、これは本末転倒だと思ったのだ。 ネクタイというものは、する人間が自分で、これがいいかと考えて締めてこそいいものであって、会社でこれをしなさいと決めるものではないと思ったのだ・・・・・が、ある程度以上のセンスの持ち主、もしくは、最初はそういったセンスがなくてもそのうちに身に着ける人であれば、自分で選ぶようにした方がいいが、それが期待できない人の場合は、会社でこれと決めた方がいいという場合もあるのかもしれない。 小堀の1年目に生命保険のおばさんからもらった手紙の便箋を見て、思った。 せっかく、くれた手紙なのに、こんなこと言って悪いけれども、センス悪かった・・。

   それで、私は、住宅屋の営業の仕事をしてきたので、見込客・契約客に手紙を出すこともあり、その際、どういう封筒を使うか、どういう便箋を使うのがいいか、といったことを考えてきた。 封筒に宛名を書く場合も、縦書きがいいか横書きがいいか、郵便番号を書く位置はどこがいいか、といったことを考えてきた。
   そして、切手はどういうものを使うのが好印象を持ってもらえるだろうか、といったことも考えてきたのだ。

   建築屋が郵便を出す場合、和洋の歴史的建造物や、樹木・森林・自然についての記念切手は使えると思うのだ。 子供用のアニメの記念切手は、子供がある人には好まれるかと思うが、子供のない人あての場合は、ふざけていると受け取られてしまうおそれもある。 2000年前後に、プロ野球の球団ごとの記念切手があったと思うが、これは、相手がどの球団のファンかわかっていればいいが、そうでなければ、嫌がられるおそれもある。 政治に関係するものは、相手がどういう考えかわからない以上は、使用しない方が無難だと思う。

   ところが、だ。 ここで、難しい問題がひとつあるのだ。 今回、郵便局で出したのは、「定型外」の郵便だったので、料金がわからない。 普通郵便はポストに入れればいいが、書留は郵便局の窓口に持っていかないといけない。 そのため、窓口に持って行ったのだ。 この絵柄なら好印象という記念切手を選んで貼って、それに不足分がいくらか窓口できいて、不足分を普通切手で貼りたして出すつもりで、あらかじめ、不足分の普通切手を貼る場所を用意して、記念切手を先に貼って窓口に持って行ったのだ。
   ところが・・・・・。 おばちゃん、おそるべし。 郵便局の窓口のおばちゃんには、それは通じないのだ。 「不足の分を切手で貼りたい」と言っても、「わかってます。 こちらで証紙を貼りますから」と言ってきかないのだ。「シールじゃなくて切手で」と言っても、「わかってますから」と言って、シールを貼ってしまうのだ。 これでは、あらかじめ、この絵柄ならいいと思った記念切手が発行された時に、買い置きしておいてそれを使っても、不足分にシールを貼られてしまったのでは、意味がない。 興ざめだ。
   おばちゃんには勝てない。 あきらめた。  我が家は郵便局からは遠い。 それに対して、ヤマト運輸の配送所は比較的近くにある。 郵便箱に入れるのではなく、手渡しで渡して、受け取った・渡したという記録が残るものなら、郵便局の書留・簡易書留か宅配便かということになるが、ヤマト運輸の宅急便なら、この絵柄ならという記念切手を使って、苦労して身に着けたボールペン習字の腕前でバランスよく封筒に宛名を書く、ということができない。 郵便局から出せば、ど〜んなもんじゃい、という記念切手を使って、宛名書きひとつでも、差をつける、ということができる・・・・と思って、遠い所をわざわざ郵便局まで行ったのだ。
   しかし、おばちゃんには勝てない。 不足分を普通切手で貼りたいとこちらが言っても、きいてくれないのだ。シールの方が、郵便局の窓口の人にとっては楽らしい。 過去には、「記念切手でもいいですか」と言われて、政治がらみの内容の記念切手で、その内容の記念切手では、この相手には困ると思うケースで、「いや、それでは」と断っても、どうも、なかなか売れない内容の記念切手を吐き出したいのか、「いいでしょ。記念切手で」と言って、きかない人もいた。

   記念切手とは、何のためのものか?   過去においては、私が子供の頃においては、希少なもので、買うと、「使わずにいつまでも持っておくもの」だったが、最近、発行されるものはそうではない。 その内容・絵柄から、この相手に出すのに使えば喜んでもらえるのではないか、と思う相手に貼って使うものだと思うのだ。
   ところが。 利用者がそのつもりでいても、記念切手をメインに貼って不足分を普通切手で補ってと思って窓口に持って行くと、「わかってます」と言ってシールを貼られてしまうのだ。 おばちゃんは言ってもきかないのだ。世の中、何が強いといって、おばちゃんほど強いものはないのだ。 おばちゃんに勝てるとは思えない。
   だから、記念切手の使用で印象アップ というのは、もう、あきらめた。 
   で、あきらめざるをえないということは、だ。 記念切手て、何のためにあるのだ?  「買ってそのまま持っておくもの」でなくなった今、この相手にはこの内容・この絵柄の記念切手で・・というのができなくなったなら、何のための記念切手なんだ? 
  ・・となると、記念切手に意味はないことになる・・・・となると、売れなくなる・・・・・・となると、各郵便局に割り当てられる新発行記念切手が売れなくなるが、売れと指示が出る・・・となると、そこにその内容の記念切手を貼られては嫌だという客の封筒・小包に強引に貼りつけるということになる・・・・。 それが「郵政民営化」の成果なのか?   なんか、変・・・だよね。 
  ともかく、そういうことで、記念切手は、使いにくくなった。 料金がはっきりわかっている「定型」郵便にしか使えない。
  「定型」郵便でも、消費税変更などで郵便代が変わった時、前に発行されたものでも、絵柄がいいものは不足分を普通切手を貼って使えるはずだ。 花登筺の『銭の花』(講談社)に出ていた話だが、大阪・宗右衛門町の高級料亭・南地楼で、何件もの宴会の予約、特に結婚式の予約が入って、お膳が足らなくなってしまった時があった。 残っているのは葬式・法事の時に使うような真っ黒の御膳だけで、これを出すわけにはいかない。 その時、加代の祖母である南地楼の女将はどうしたか。 「加代ちゃん、ちょっと、石切さんにお参りに行きましょう」と言って、孫娘の加代を連れて、「石切さん」に行き、「加代ちゃん。 ちょっと、そこのお花を分けてもらいましょう」といって、花を何輪か切って持ち帰り、それを真っ黒の御膳の上に置いて出した。 お客様は、「さすがに南地楼。本物の花をお膳に載せて出さはった」と喜んだ、という。 消費税が変わって料金が変更になった後、変更前の切手は、大事な相手への郵便には使いにくい・・・が、内容・絵柄によっては、むしろ、それを使うことで、「さすが」と思ってもらえる可能性が期待できる・・・と思うのだが、郵便局の窓口に持って行って不足分をきくと、不足分にシールを貼られてしまうので、この南地楼方式はできないことになる。
※「石切さん」
⇒《石切剣箭神社》http://www.ishikiri.or.jp/
※『銭の花』『細腕繁盛記』
⇒《YouTube―銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》 http://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U
⇒《YouTube―細うで繁盛記》http://www.youtube.com/watch?v=71FuRkpRQIU 


   在来木造の一条工務店の栃木県佐野市の営業所(住宅展示場)にいた時のことだ。 同社では、営業所で使用する郵便切手は、営業所の会計係が決められた枚数をあらかじめ買いおきして、営業所に置いておき、そこから使用するようにと会社は「通達」として出していた。 しかし、会計係といっても会計係専業ではなく他に仕事を持っている者が担当していたので、買い置きしていない場合が多かった。 私は、自分が担当したお客様、特に、来場客に来場御礼の封書を来場日に送るため、住宅建築会社として建築の絵柄の記念切手、木造の建築会社として樹木・森林の絵柄の記念切手が発売された時に、私がその費用を立て替えて購入して、営業所の切手を入れるケースに入れておいた。 ところが、レベルの高くない会社ではレベルの高くない従業員がいるものだ。 私が買ってきたものといっても、会社から費用は出してもらっているのだから、1枚、2枚、他の人が使っても良い。 しかし、会社から費用を出してもらったといっても、私が費用を立て替えて買ってきたものだ。 私が労力を負担して買ってきたものだ。 それを、片っ端から使ってしまう男がいた。 クルマ屋出身のT木だ。 この男、いったい、何のつもりなのか、と思った。 人が自分が使うために費用を立て替えて買ってきた物を使ったならば、使った分くらいは自分が費用を立て替えて買ってきて補充しておく、というのは、社会人としてのマナーではないだろうか。 ところが、T木Y夫はひとが費用を立て替えて買ってきた物を使うばかりで、自分は費用を立て替えて買って来ない。  私は、自分が使う分だけを自分で費用を立て替えて買うなら、立て替えるのは自分が自分が担当のお客様に出す分だけでいいことになるが、T木が出す分まで私が立て替えさせられるというのは理屈に合わない。  このおっさん、いいかげんにしろよ、と思った。
  私が一条工務店に入社した1992年、T木は神奈川県の藤沢市の展示場にいた。 私が東京営業所で契約してもらった契約客が、他の展示場も見たいと思って、藤沢市の展示場に行かれることがあり、私は、営業担当者として、私も藤沢の展示場がどういう内容か見ておきたいと思って見に行った。 その時、藤沢展示場の所長であったT葉さんが、先輩社員として同社の営業のことを親切に教えてくれたのだが、その際、「うちの営業所で、トップセールスのT木くんというのがいるんだけど・・・」と話したことがあった。 その藤沢営業所の「トップセールスのT木くん」というおっさんと、めぐりめぐって栃木県の佐野展示場で一緒になった。 佐野展示場にいた時、かつて藤沢営業所の所長が「藤沢営業所のトップセールス」と言ったT木は50台なかばだった。 神奈川県の営業所にいたこともあるベテランの某さんに、藤沢の所長だったT葉さんがT木さんのことを「藤沢営業所のトップセールスのT木くん」と言っていたことを話したところ、「はあ〜あ?  まあ、あの営業所の中では、の話でしょ。 なんとも、レベルの低いトップセールスだこと。 レベルの低い集団の中でその中では1番だったてだけですよ。」と某さんは言ったので、「そうなんですか?」というと、「そうですよ。 あんな『トップセールス』あるわけないじゃないですか。 ばかばかしい。T葉さん、酔っ払ってたでしょ。酔っぱらいの言うこと、本気にしてどうすんですか」という話だった。 私は、その話を聞いた時は、T木と会ったこともなかったので、実際にそうであるのかないのかわからなかった。 しかし、T木が佐野展示場に来て、なるほど、こんな「トップセールス」ないわ、とその意味がよくわかった。
   (1)T木が佐野営業所(展示場)に配属になって来て、最初、T木がめぐりあわせがよくて何件か契約をあげた。 住宅建築業の営業が契約をあげることができるかどうか、というのは、トランプやマージャンで勝つかどうかとある部分で共通点がある。 勝負は「手」と「腕」の両方で決まるという点である。 トランプやマージャンの「手」とは、いいカードが来るかどうか、有利なカードが自分のところに回ってくるかどうか。「腕」とはそのゲームの参加者のそのゲームについての腕前のことだ。 どちらか片方で決まるのではない。 両方で決まる。 いくら優秀な営業でも、いいカードがなければ契約をあげるのは難しい。 順番に接客したとしても、有望見込客と出会えるかどうかは、常に平等であるわけではない。 短い期間で見れば、相当に有望な見込客を比較的多くつかめる時とそうでない時がある。 ある程度以上の期間で見ると、それが、比較的公平になることがあり、それでも公平にならない場合もあるけれども、短い期間で見た場合よりは不平等ではなくなることがある。 T木が佐野展示場に来てすぐの時期、T木に有望見込客が多くまわった。 それで、T木がいくつか契約をあげた。 私は、その時点で、同社に在籍して9年目だったが、T木は私が入社した時、すでに在籍して数年経っていたので、私よりベテランだったのだが、その「ベテラン」が、自分に他の人間よりいくつか多く契約があがると、手の舞、足の踏むところを知らず、とでもいった調子ではしゃぎまくった。 それを見て、「たしかに、こんな『トップセールス』ないわ」と私は思ったのだ。 別に、全国1位とかそこまでいかなくても、ある程度以上の年数、その会社でその仕事をやれば、住宅建築業の営業は、トランプやマージャンと一緒でその成績は「手」と「腕」の両方で決まるもので、短い期間で見れば、たまたまいいカードが来ることもあれば、いいカードはひとの所に行くこともある、ということくらいはわかっているはずなのだ。 それが、10年以上も一条工務店で営業の仕事をやってきたおっさんがそれをわかっていなかったのだ。 「トップセールス」どころか、「この人、本当に、5年以上、この仕事、やってきた人なの?」て感じがした。  そのうち、月日が経つに従い、有望見込客がまわってくるかどうかの差は小さくなり、私の契約棟数がT木に追いついてきて、T木は逆に解約を出した。 となると、今度は、とたんに、しゅうぅ〜ぅん となってしまったのだ。 50過ぎたおっさんが。 10年を超えてこの会社でその仕事をやってきたという古手のおっさんが。 バカでねえの? と思った。 新人ならわからないこともない。 しかし、おっさん、あんた、新人じゃないでしょ。 新人でもないのにわからないの? ちょっと、有望見込客が多く自分のところに来て契約があがると、手の舞、足の踏むところを知らず、になり、他の営業に追いつかれてきて、自分が解約を出すと、今度はとたんに しゅうぅ〜ぅうん・・・て、アホちゃうか? そりぁ、5年以上その仕事をしている人間の態度じゃないわ。 たしかに、こんなおかしな「トップセールス」ないわ。 
   (2)そして、ひとが費用を立て替えて買ってきた切手を勝手に使い、それを決して補充しないマナーの悪さ。  (3)来場客と喧嘩するし。(大人げない。 はた迷惑な話。) (4)聖教新聞を定期購読しろとしつこく追いかけてくる。 相手が嫌がることをして、相手が嫌がってもおかまいなしに追いかけつきまとうのが営業ではない。 見込客に、見込客の方から、お願いしますという気持ちになってもらうための工夫が営業ではないか。 嫌がっても断っても、つきまとって、聖教新聞を購読しろとあつかましく要求する。 人の家を訪問して購読を勧誘する場合なら、このような相手の気持ちを考えない「勧誘」をしたなら、最初は顔を出してくれた人でも出てきてもらえなくなるし、悪くすると警察か消費者センターかそういう所に届けられるおそれもある。 そういうストーカー的聖教新聞拡張員・・・というより「ストーカー」だ。 営業じゃない。 職場でなければ相手にしてもらえないところだが、職場だから相手は逃げられないと思うからおかまいなしに追いかけまわすのだろう。 創価学会というのは、そういう「ストーカー」をやれと信者に言っているのか?
  
   それで、ひとが費用を立て替えて買ってきた切手を、自分は立て替えて買って来ずに、勝手に使う創価学会員のおっさんT木が、ある時、私に、「ちょっと、○○さん、この記念切手買ってくるのやめてよ。 おれ、これ、使いにくいから。普通の切手を買ってきて。 俺は普通の切手がいいんだ。」と言って、自分が費用を立て替えて自分の担当のお客様あてに出すために買ってきて置いていた切手について、文句を言って来たのだ。
   まともじゃないですね。 もはや、こんな人間、営業ではない。 ましてや、「トップセールス」などというものであるわけがない。 藤沢営業所の営業所長だったT葉さんも、入社直後の私には自分の営業所の人間でもないのに、いろいろと親切に教えてくれたりしたのだが、T木さんなんかを「トップセールス」などと言ったあたりは、相当酔っぱらとったと考えるしかない。
   (5)それで、しかたなく、「T木さん、私は自分が使うものを、自分が使いやすい、効果があるだろうと思うものを買ってきてるんです。 T木さんは、どうして、自分が使うものを自分で費用を立て替えて買わないのですか。 どうして、私が費用を立て替えて買ってきたものを勝手に使うのですか。 私が費用を立て替えて買ってきたものを使わないで、自分が使うものは自分で費用を立て替えて買ってもらえませんか」と言ったところ、「この野郎」と言って、いきなり、つかみかかってきた。 困った人だが会社ではこんな人でも使ってあげないとしかたがないのだと我慢してきたが、我慢したけれどもかまわないと言った覚えはない。

   お客様に郵便を出すのに、記念切手を使った方がいいか、普通の切手を使った方がいいか というのは、いちがいにどちらがいいとは言えない。 しかし、記念切手を使った方がいいか、普通の切手の方がいいか、記念切手ならどういう内容・絵柄のものがいいか、といったことを考えて、その結果として、普通の切手を使うのと、切手は普通の切手しか思い浮かばないという人間が、普通の、通常切手を使うのとでは意味が違う。
   封筒も、カラー封筒とか、個性的なものを使った方がいいか、基本的な白封筒、茶封筒を使った方がいいか、それとも、会社の封筒を使った方がいいか、というと、絶対にどれがいいとは言えない。 しかし、たとえ、会社の封筒を使うにしても、茶封筒、白封筒を使うにしても、いくつもの選択肢があるということを考えて、その中から、こうしようと判断して決めるのと、「なあんも考えとれへん」結果として、会社が用意した封筒を使うのとでは意味が違う。
   藤沢営業所の「トップセールス」という聖教新聞ストーカー的拡張員のおっさんT木が、私に、「ちょっと、○○さん、この記念切手買ってくるのやめてよ。 おれ、これ、使いにくいから。普通の切手を買ってきて。 俺は普通の切手がいいんだ。」などと言ってきたのは、T木が、ひとが費用を立て替えて自分が使うために買ってきたものを勝手に使うものではなく、もし、使用した場合には、その分を自分が費用を立て替えて買ってきて補充しておくものだ、という職場のマナー、社会人としてのルールをわきまえていない「新人類」だ、ということもあるが、お客様(この場合、見込客と契約客)に郵便を出す場合、切手はどういうものを貼った方がいいか、といった思考をまったくせずに出している、ということを示している。 また、封筒もどういうものがいいかといった思考をしていないことを示している。 封筒に宛名を書く場合にも、どういう書き方がいいかといったことを考えずに出している、ということを示している。 こんな「トップセールス」あるわけがない。 毎度、ばかばかしいお笑いである。
   そして、T木は、自分が、ひとが費用を立て替えて買ってきたものを勝手に使って迷惑をかけておきながら、気に入らないことがあると、いきなり、つかみかかってきたりするのだが、私は、「何事もできるだけ穏便に」と思ってきたし、特に、自分が勤める会社においては「できるだけ穏便に」と思ってきたのではあるが、私がそう思って我慢していると私は我慢するものと思ってしまったようだが、いきなり、ひとにつかみかかってきたりするというのは、それは、刑法上、暴行罪に該当するものである。 警察に訴えても、警察は自分がこの人間をやっつけてやろうと思ったのでなければ、なかなか受けつけないが、警察が受けつけなければそれでいいというものでもない。 私は我慢してきてあげたけれども、それがかまわないと思っていたのではないのである。 使用者は、当然のことながら、そういう人には注意しなければいけないのだが、同社の場合、「梁山泊の精神」と言って、「男っちゅうものは、何かあった時には、おのれの腕でやりあって、勝負つけるもんじゃあ」という社長の考え方があるそうで、会社として対処しようとしないが、使用者は保護義務違反である。
   野村克也が阪神や楽天の監督をしていた時、捕手に、「あの場面で、なぜ、あの球を投げさせたのか」と質問して、答えることができなければ、たとえ、その時は打ち取ることができた場合でも、「理由のないことをするな」と言ったという話が何かの雑誌に出ていたと思う。 (6)お客様に郵便を出すのに、どういう封筒を使うのがいいか、どういう切手を貼るのがいいか、どういう宛名の書き方をするのがいいか、考えてやったとしても、常に成功するわけでもないが、そうであっても、そういったことを考えた上でやるのがプロの営業のやることで、何も考えずにやっているようでは、それはプロではない。
   (2014.11.13.)


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郵便局は何のために記念切手を売っているのか? 顧客に出す郵便に使う封筒、貼る切手は何を選ぶかの工夫。 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
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