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zoom RSS 船場菅原神社(熊本市)と熊本県立美術館(前川國男)、熊本市立博物館(黒川紀章)、旧・細川刑部邸

<<   作成日時 : 2014/06/29 23:48   >>

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[第271回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度まいり(21)
(熊本シリーズ第2回)
[1] 船場菅原神社
  船場菅原神社(熊本市中央区新町2丁目)は、前回の山崎菅原神社(熊本市中央区桜町1−18)からは南西方向にある。
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   「最寄駅」は、熊本市電の「洗馬橋」駅。 神社の名称は「船場菅原神社」で、船場菅原神社は中央区新町2丁目 にあるが、坪井川の対岸に「船場町下1丁目」「船場町2丁目」「船場町3丁目」という住居表示がある。 しかし、近くの市電の駅の駅名は「せんば」でも「洗馬橋」。そして、「洗馬橋」駅のすぐ東にある坪井川にかかる橋の名前は「船場橋」。
   加藤清正が肥後國の領主になった時、熊本城の南で白川に流れていた坪井川の流路をつけかえて、そこで白川に流れこまないようにして、それで坪井川の流量が増えて、船が熊本城のすぐ下まで来れるようになったというので、船着き場、もしくは、船が来る所、ということで「船場」という名称がついてもおかしくはない。 又、城の下の場所の川沿いなので、馬を洗った所、ということで「洗馬」という名称がついてもおかしくはないだろう。 最初は「洗馬」だったのが、そのうち、船が来るようになって「船場」に変わった、という可能性もありそうだ。
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  ↑「家内安全 商売繁盛 火の用心(防火) 船場菅原神社」と書かれている。
  手取天満宮(熊本市中央区手取 )のホームページの「ご由緒」http://www16.plala.or.jp/tetorijinja/rekisi.html を見ると、手取天満宮は≪安永七年七月二十八日再び大火が起こり寺塔悉く回禄となりしも神祠はこれを免れた。≫≪昭和二十年七月一日の熊本大空襲では戦災にあうことなく、厳として残り≫ということから、≪学業成就、厄除開運、(とともに)鎮火の神として城東校区の氏子を始め多くの崇敬者に崇敬されている。≫と出ている。
  手取天満宮にせよ、船場菅原神社にせよ、熊本城のすぐ近くで、かなり古くからの市街地らしいので、周囲に火災がおこることもあっただろう。 船場菅原神社も、手取天満宮のように、周囲で火災が発生した際に、焼失を免れたという時もあったかもしれない。その場所にある神社として、「火の用心(防火)」が祈願されることがあったのではないだろうか。
  商売繁盛は、現在では、全国的には、菅原道真よりも、「えべっさん」(恵比寿)とか「稲荷(いなり)」とかの方が担当する地域が多いようだが 武光 誠 『日本人なら知っておきたい神道と神社』(2007.1.10. 河出書房新社)には、
≪ 菅原道真が活躍した時代は、中央で藤原氏による独裁体制が確立したことにより、貴族の専制が志向されつつあった。 それにたいし、地方では、村落の小領主である武士や農村の秩序の外にある商工民が成長しつつあった。菅原道真は、そのような実状をふまえて地方の人びとのためになる政治を行おうとして、藤原氏に憎まれた。
   そして、道真の怨霊騒ぎがはじまったことをきっかけに、武士や商工民が道真をまつりはじめた。 そして、平安時代末期に八幡信仰が流行し、武士が天神に代わって八幡神をまつるようになった。 それ以降、天神が商工民の神とされたのだ。
   江戸時代に、稲荷信仰や七福神信仰などの新たな福の神の祭りが広まったことによって、天神と商工民とのつながりは後退していった。
   それとともに、幕府の保護を受けた朱子学者の天神信仰がさかんになった。 かれらは、道真の詩文を読み、道真をすぐれた詩人や儒学者として尊敬したのだる。 この動きがもとになって、明治時代以降に、庶民のあいだにも天神を学問の神とする考えが広がっていった。≫
と出ており、全国的にも「菅原道真=天神」が「商工民の神」であった時代もあったようであり、地域によって今も「商工民の神」として扱われる地域・神社があっても、何らおかしいことはないようだ。

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↑ 熊本市電。 「洗馬橋」駅の少し西側から「洗馬橋」駅の方を見る。 路面を走っている部分もあるが、ここのように、専用軌道を走っている部分もある。


[2] 「古城」城壁。
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↑ 古城城端公園 から見た「古城」の石垣。
 
  加藤清正が熊本城を築く前、熊本城には、中央区古城町の、現在、第一高校がある場所に城があり、さらに前には、熊本城の北東、県立美術館分館などがある中央区千葉城町に城があったという。
  「古城」の場所には、現在は第一高校があるが、明治初めには洋学校の外国人教員住宅があって、現在、水前寺成趣園の東に夏目漱石の熊本での3番目の家と並んで「旧・ジェームズ邸」(《熊本市観光情報サイト 熊本洋学校教師ジェーンズ邸》http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=77&type=A )として建っている洋館が建っていたらしい。
   熊本では、熊本城を「日本三大名城のひとつ」と言っているらしく、あと2つ、どこやねん、と言うと、大阪城と名古屋城らしい。 「日本三大○○」というのは、全国にいっぱいあって、福島県いわき市湯本では、いわき湯本温泉と有馬温泉と道後温泉で「日本三大名湯」と言っていたが、有馬・道後と下呂温泉で「三大名湯」という説、草津温泉を入れる説などあるらしく、宮城県出身の人が言うには宮城県の鳴子温泉でも同じようなことを言っていたそうで、自分の所のものと後2つ、有名なものをくっつけて「三大○○」にしている場合が多いのだが、しかし、熊本城は、その規模、壮大さは、まさしく、大阪城に匹敵する、と思うし戦国時代から安土桃山時代、江戸時代初期にかけての戦闘においては、相当、強固なものだったであろうし、城のそばに市街地が発展したのも、城造りという点で、よく考えて作られているとも思う。
   岐阜城は堅固であったと言われるけれども、何十年か前に訪問した時、天守閣の場所までふもとからロープウェイで登ったくらいで、ロープウェイで登るような本格的な山に造られた城は行政機構として考えると良いとは言えないのではないかとも思われるし、司馬遼太郎の『国盗り物語』でも美濃と岐阜城を手に入れた織田信長が、こんな峻厳な山に城を築いてこもったのでは守るにはいいとしても、いったん、城に登ったら簡単には外に出て来れなくなってしまう。こんな城にこもろうと考えるようになったというのは蝮(斎藤道三)も耄碌したか?と考える場面があった。その点、熊本城は姫路城や大阪城と同じく「適度な丘」であり、守るに良し、行政機構としての場所としても良しで、実際に造ったのは「大工さん」でも、城の場所の選定、城下町の配置など、加藤清正はなかなかたいしたものという感じがします。
   但し、城にこもって持ちこたえればそのうち援軍が来る場合はこもればいいが、城にこもっても持ちこたえても援軍が来るわけではない大阪の陣の時に大阪城にこもった豊臣方は敗れ、自軍よりはるかに大軍の今川義元軍に向って、城にこもるような弱気なことではいかんと突き進んだ織田信長は桶狭間の戦いで勝利したし、「難攻不落」と言われたという岐阜城も、竹中半兵衛がゲリラ戦で乗っ取り、その後、織田信長が正攻法で斎藤竜興を攻め落とし、さらに、織田信孝を豊臣秀吉が落とし、関ヶ原の戦いの時には織田秀信を東軍が落とし、短い期間に4回、陥落しており、司馬遼太郎の『国盗り物語』では、斎藤道三は岐阜城を築く時に、強固な城があってもなくても勝つものは勝つし負ける時は負けるのであり、強固そうな城というのは何かというと「こけおどし」だと話す場面があったと思うが、その時代においては相当に強固であったであろうと思われる熊本城を築いた加藤清正も、大阪の陣の3年前に他界し(たのか、大阪の陣があればどちらにつくか見通しが明確でなかった清正の死を待って家康は大阪の陣をしかけたのか)、結局、加藤家が戦闘で使用することなく、加藤清正の息子は大阪の陣より後、改易になって熊本を去ってしまったが。

[3] 熊本城の「復元」計画について
   熊本城は、大天守・小天守を1960年(昭和35年)に鉄筋コンクリート造で「外観復元天守」として建設、2008年(平成20年)に「本丸御殿」を木造で復元し、今後もさらに復元していこうという計画をたてているらしい。しかし、お寺の伽藍と違って、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての城をそのまま復元しても、現在の時代に使用価値は大きくないと思える。古い時代のものがすでに存在している場合には、過去の時代のものを知る為の遺産として保護・維持をはかるのはいいと思うが、基本的には建物は使ってこそ価値があるものだ。 東大の赤門はもともとは加賀前田家の屋敷の赤門であったが、東大の赤門として使用しているから今も価値がある。「本丸御殿」では、将棋の名人戦がおこなわれたことがあると本丸御殿に表示があったが、そのような形ででも使用するようにしてほしい。 そして、これからの「復元」は、ともかく過去にあった最大規模のものを復元するというのではなく、過去はどうであったかを尊重しながらも、今現在の人間が使えるものを作るようにした方がいいと思う。
   また、城跡は、石垣だけが残っている場合、そこにかつてあった建物を木造でであれ鉄筋コンクリート造でであれ「復元」した方がいいか、石垣だけ残った状態で公園などで利用した方がいいかというと、前者の方が絶対にいいとは限らないと思う。40年以上前、兵庫県の篠山城に行ったが、石垣だけ残っている旧・篠山城は、もともと天守閣なんかなかった城に最近になって鉄筋コンクリート造で天守閣もどきを作ったような観光施設の「城」よりも、ずっと風情があった。
   上野寛永寺の跡地に東京文化会館・国立西洋美術館・東京都美術館・東京国立博物館・上野動物園などができている。寛永寺を最大規模のものに復元しようとしても、ル=コルビュジェ設計でユネスコ世界遺産に登録しようという話がでたりする国立西洋美術館などを撤去するわけにもいかないだろう。熊本は東京などよりは土地があるかもしれないが、今、生きている人間が使用できないようなものを「復元」してもどれだけの意味があるか。 大天守・小天守と本丸御殿の復元までは良かったと思うが、これからは、何でも過去の時代に戻すのがいいかどうか、検討が必要ではないかと思う。

[4] 前川國男 設計「熊本県立美術館」
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≪加藤清正公が熊本に城を築いてから400年。熊本城は、熊本の人の心象風景ともなって、歴史の流れの中にあり続けてきた。
城郭の西端に建つ当美術館は、あたかも以前からそこに存在しているような状態で示されるべきであると考え、以下の三つの条件を自らに課した。
1) そこに現在ある樹木は、蘇生させること。
2) 建物の高さを抑制すること。
3) 環境に融合する素材を選ぶこと。
樹木の蘇生とは、熊本の気候風土の中に根づき、育まれてきた樹木を美術館とともに、より生き生きと、より美しく育てようということである。
建物の高さを抑制するとは、城郭の断面で示すように、「主」たる天守閣に対し、「従」たらしめることであり、美術館としての機能を阻害しない範囲内で、高さを抑えることである。 ・・ ≫
(前川國男・MID同人 著『前川國男のディテール 熊本県立美術館をとおして』1979.4.10.彰国社)
   周囲にとけこみ、目立ち過ぎず、その場所のそれまでの性質を尊重し、かつ、その建物の領域に入ると、美術館としての独自の雰囲気を味わうことができる、という作り方は、東京都美術館とも共通するもので、前川國男の作品のすばらしさではないかと思う。 建物内部、ホールの中央に鉄筋コンクリート造の丸柱が建っているが、これは、江戸東京建物園にある前川國男自邸の南面中央にある木製の丸柱を思い浮かべるものだ。 東京文化会館でも出入り口の前の鉄筋コンクリートの柱は「面取り」がしてあり、多人数が押し合うようなことがあった場合の安全も考えて作られていたが、この柱もその配慮もあって丸柱にしたというより、この場所の昔から存在する樹木を尊重し蘇生させようとして作られ、屋外の樹木に対応して屋内に鉄筋コンクリート造の丸柱がホールに立っている、という感じである。
   もっとも、周囲の景観を尊重して建てる姿勢はすばらしいと思いますが、熊本県立美術館については、ここまで控えめにしなくても、もう少しくらい目立っても悪くもないのではないか、とも思いました。

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↑ 熊本城大天守から見た 熊本県立美術館付近。 後ろの照明灯がついている施設は藤崎台県営野球場  
  「美術館コレクション 画家たちの系譜 フランスから日本へ」展・「細川コレクション 武士のファッション」展が開催されていました。
※熊本県立美術館 HP http://www.museum.pref.kumamoto.jp/
熊本県立美術館HP「美術館について 建築概要」http://www.museum.pref.kumamoto.jp/one_html3/pub/default.aspx?c_id=18 には 鉄筋コンクリート造で、竣工は1976年1月 と出ています。


[5] 熊本県立美術館 分館
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↑ 熊本県立美術館でも、分館は前川國男の設計ではなく、「普通の人」といっていいのかどうかわからないが、設計者は「世界的有名建築家」ではないようだ。



[6] 黒川紀章 設計「熊本市立博物館」
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  黒川 紀章が設計の建物を私が最初に見たのは、1970年の大阪万博の時の、タカラビューティリオン と 東芝 I H I 館 だった。 万博は、もともと、自己主張の強い目立つデザインのものを作るという方針だろうけれども、新国立美術館にしても、黒川紀章という人は、丹下健三などと同じように自己主張が強いというより自己顕示欲のかたまりみたいな、どちらかというと下品で目立ちたがりで、周囲の景観や先住建造物との調和なんか考えないような建物を作る方のタイプの「建築家」かと思っていたが、この博物館はそうではない。 その南側に先に建てられている前川國男設計の県立美術館が、この場所の主役は熊本城で美術館は、デザイン上、従の立場として建てられている以上、先輩「建築家」がそうやって建てた後で、「目立ちたがり建築」をその背後に建てるわけにもいかなくなった、のかもしれないが。
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  「南洋への憧れ 熊本博物館収蔵海外資料展」、「熊本博物館と黒川紀章」展が開催されていました。
※熊本市立博物館 HP http://webkoukai-server.kumamoto-kmm.ed.jp/web/index.shtml
  

[7] 旧・細川刑部邸 熊本県指定重要文化財。
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↑ 細川家の分家の大名屋敷らしい。もともとは他の場所にあったが、三の丸のこの場所に移築されたらしい。 分家とはいえ、武家は武家でも大名の屋敷なので、たとえば、群馬県館林市にある武家でも下級士族の家であった旧・田山花袋邸などとはずいぶんと違う。 係員のおばさんが、「ここは、細川さんでも『分家』の家で、護煕さんはあっち」と言って、熊本城の大天守を指差してくれたのだが、天守閣に護煕さんが住んでいたわけでもないだろう。
※旧・細川刑部邸HP http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=436
  (2014.6.29.)



☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り。 熊本シリーズは、山崎菅原神社(中央区桜町)・
手取天満宮(中央区手取)と四部作です。
山崎菅原神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_6.html
手取菅原神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_8.html
熊本の「ステレオタイプ」を検証 http://shinkahousinght.at.webry.info/201407/article_1.html
 もご覧くださいませ。 

☆ 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らす全国お百度参り シリーズは、
 千葉県
葛飾天満宮(市川市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_4.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201311/article_1.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_2.html
(下)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201308/article_1.html

 東京都 
亀戸天神社(江東区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_7.html
平河天満宮(千代田区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201210/article_3.html
北野神社(文京区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_2.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_5.html

  神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_8.html  
永谷天満宮(横浜市港南区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201401/article_7.html

 岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_7.html
中 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_8.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_9.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
 1 http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_2.html
 2 http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_3.html
  3  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_4.html
  4  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_5.html
  5  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_6.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
 上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_5.html
 下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201405/article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shinkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_6.html
手取天満宮(熊本市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_8.html


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