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zoom RSS ジッド・ツルゲーネフ・ニーチェ・三島再読―文学・哲学・社会学は営業力につながるか害になるか【下】

<<   作成日時 : 2014/01/20 19:46   >>

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[第230回]営業と会社の話(57)‐3
(七) 「営業は頭のない人間がいい」か? 
   私はもともとは会社員ではなく他の職業につきたいと思っていた人間だったが、会社員になった。 会社というところに勤めた場合も、営業よりも他の職種、人事などをやりたいと思っていた者であったが、結果として営業の仕事を長くすることになった。 建築・住宅の仕事につくつもりももともとはなかったが何の因果かその業種に長く勤めることになった。
   大学新卒で勤めた木質系住宅建築請負業のK住研で入社1年目、契約客からいつもききにいっている家相と気学の専門家の所に一緒に行ってもらいたいと言われ、営業課長・設計担当者とともに西日暮里駅近くの所まで行ったことがあった。 その際、家相と気学の専門家という方から「こういう人は、普通は営業の世界には入らないのですが。 しかし、いったん、入ると、お客様にとっても、営業成績の上でも、いい営業になると思います」と言っていただいたことがあったが、もし、その頃の私と同じような今の私より25ほど若い者がいたら、私も同じように思うと思う。
   小堀住研は「大卒しかとらない会社」と言っていたが、実際に入社すると大卒でない人もいた。 正確には「新卒入社の営業系は大卒しかとらない」という方針で、中途採用で同業他社で実績がある人とかは高卒でも採用していたし、新卒でも「技術系」は建築系の短大・専門学校卒の人を採用していた。住宅展示場の「営業補助」の女性は「大卒しかとらない」という話は関係ない。
  「新卒の営業系は大卒しかとらない」ことにしていたのは理由は3つだと思う。
(1) 「大卒しかとらない会社」ということにして、会社の格を上げようとしていた。
(2) 関西地方で、高級住宅の会社として売っていたので、「高級住宅」を建ててくれる会社の役員や医師・弁護士などは、高学歴の人間が多く、そういう人間を相手にするには、工事・積算などの職種の者は短大卒・専門学校卒でも建築系の学校卒の者が良いが、営業は営業自身も大卒の方が高学歴の相手とは話が合う、合わせることができるという判断。
(3) 自由設計の高級住宅は、設計・工事担当だけでなく営業もまた覚えなければならない理解しなければならない知識が多く、「勉強は苦手」という人ではつとまらないので「大卒に限る」とした。
ということが考えられる。 そして、
(4) 入社直後の合宿研修で、講師役の部長が「営業という仕事はアホではだめな仕事なんだ。 営業は頭の悪いやつはだめなんだよ」と話されたことがあったが、会社としてそういう認識だった。

    それに対し、その後、転職して11年勤めた在来木造の一条工務店では、逆のこと、正反対のことを言っていた。 営業本部長のA野さんが「営業は頭のない奴がいいんだ」「羽根のはえた2ドアの真っ赤なスポーツカーに乗った暴走族みたいな奴とか、頭をモヒカン刈りにした奴とか、リーゼントにした奴とか、それから、女の子のスカートめくりにいく奴とか、どうかしてるんじゃないかというようなそういうやつがいいんだ、そういうの営業に向いてるんだ」と話していた。 そして、学歴としては「ぼくなんかも、学校でてないから、だから、気さくで人間味があるんだ。営業はそういう人間がいいんだ」と話していた。 営業本部長のA野さんは、最終学歴は「中卒」というのか「定時制高校中退」というのかだったそうだが、「そういうアホがいいんだ」「営業はアホが向いてるんだ」と話していた。 もっとも、A野さんが「気さくで人間味がある」かというと、I 工務店に相当古くからいる某さんなどに話すと、「A野さんが、『気さく』だの『人間味がある』などと、いったいどこの誰がそんなおかしなこと言ってるんだ。どこの誰があ!?! いったい、あの人のどこが『気さく』で、どこが『人間味がある』んだ。誰がそんなわけのわからんこと言ってるんだ。誰があ?」と言うのであったが、誰が言っていたかというと御本人である。 A野さんは私にも「あたま、モヒカン刈りにしろ!」と言ったりした。 「そういう奴が営業にはいいんだ、そういう奴が」とA野さんは私に言ったのであるが、それを聞かされて「こういうやつが営業本部長やってるんだ、こういうやつがあ」と私は心の中で思った。言うと怒るから「心の中で思った」であるが。
    I 工務店で営業本部長がそのようなことを言ったのは、
(1) K住研が都市部での高級住宅を得意として会社の役員クラスや医師・弁護士などを客層・ターゲットとしていたのに対し、浜松発祥のI 工務店は地方の土地持ち・兼業農家を得意とし、得意とする客層が異なり、地方の兼業農家は都市部のある程度以上の会社員などに比べて、服装や乗るクルマについては寛容なところがある。
(2) I 工務店は、在来木造で、ムクの構造材を使っている、地震と腐り・白蟻に強い、耐久性があるといったところが「売り」で、K住研のように独創的なデザインとか自由自在な設計を「売り」にはしていなかったので、プランの打ち合わせで顧客の希望に沿えるように営業も知識を蓄えて対応力を身につけるということを会社として求めていなかった、ということがあったと思う。
   しかし、それなら「営業は頭のない人間がいい」「営業はアホが向いている」かというと、そうではないと思う。

[1]  I 工務店で同じ住宅展示場にいたKさんが、私に「○○さんは、契約客の家を建てるのに、ずいぶんといろいろなことをやりますけれども、そういうことをされると大工さんが迷惑しますからやめてください」と私に抗議したことがあった。 Kさんが言うのは、ありきたりの間取りで、I 工務店がいつも使っているものを使って、それ以外のものをお客さまが希望しても絶対やらないようにして建てるべきだ、という主張だった。 それを、私が、建築屋である以上はお客様の希望は出来る限り実現するようにするのが当然という対応をしていたので、それを「大工さんが迷惑しますからやめてください」と言ってきたのだった。 それで、私は、I 工務店で仕事をしている大工さん何人かに尋ねてみた。 迷惑か? と。 すると、「そんなことちっともないよ。 このくらいの大きさの家を建てる人は、そりぁ、いろいろやりたいものだよ。 本当に小さい家で、細かいことをちょろちょろやらされたのではかんべんしてほしいと思うけれども、これくらいの大きさの家ではこのくらいのことをやるのは当たり前だよ」と言われた。 そして、「迷惑」とまではいかないが、どの営業の担当の家が大工としてはうれしくないかというと、私に「迷惑ですから、やめてください」と言ってきたKさんが担当の家だった。 なぜそうなるかというと、ちょっとでも変わったことはやらない、少しでも通常でないものはやらないというKさんの姿勢で営業をやると、結果として、ちょっとでも変わったことはやりようがない、少しでも通常でないものはやりたくてもできない延床面積20坪くらいの家しか契約を取れないことになるのだ。 そして、小さい家というのは、延べ床面積は小さいけれども「述べ壁面積」はけっこう広いのだ。だから、小さい家というのは、大工としては報酬が高くない割に手間がかかるのだ。 だから、そのKさんのように延床面積20坪前後の家ばかり契約を取る人というのは、大工さんから「◇◇さんの担当の家は小さいのばっかりでかなわないなあ」と言われることになるのだ。 それでいて、本人は、少しでも変わったことはやらない、少しでも通常と異なるものはやらないようにしているということで会社に貢献しているつもりでいたようだった。 Kさんは長くいた人だけによく知っているものもあり、私にも協力してくれたものもあるが、この部分の認識は違うと思う。  たとえ、K住研のような「他社では実現できない独創的なデザイン」「自由な発想と他社には追随できない設計力」を「売り」にしていなくても、それでも、営業担当者に対応力があるかどうかで広めの家の契約を取れるか取れないかが変わるのだ。 そして、その対応力は、大卒でなくても、高卒の人でも専門学校卒の人でもいいけれども、自分で努力して学ぼうという姿勢のある人でないとだめで、「アホの方がいい」「頭のない人間が向いている」などということはない

[2]  営業とは何か。 どういう仕事か。 いくつかの面があるが、「営業とは人の心を理解すること」とするならば、人の心について考えた文学・哲学・社会学といったものを学んできた者と学んでない者とで、学んでいない人間の方が向いている・・・というのはおかしい。 
   高校2年の時、「倫理社会」の先生が「ぼくはねえ。 夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、三木清の『人生論ノート』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『饗宴』、ドストエフスキーの『罪と罰』、アルベル=カミュの『異邦人』、それから、『歎異抄』。 こういったものも読んだことのないような高校生は高校生として欠陥があるのじゃないかと思うねえ。 このくらいのものも読んだことのない者は人間として欠陥があると思う」と授業で話されたことがあった。 『罪と罰』てそんなに名作か? カミュの『異邦人』てそんなに名作か? という異論もあるかもしれない。 他の作品でこれを入れるべきだという主張もあるかもしれない。 その先生はその地域で1番の進学校の生徒を相手に話していたのでその言い方でもいいだろうけれども、そうでない相手に話をする場合には「人間として欠陥がある」という言い方は避けた方がいい。 そして、主要な問題はそういった本を読んだことがあるかないかではなく、そういった本が取り上げている主題について考えたことがあるかどうかであり、考えたことがない人はそれらの本を読むことから考えるようになることができるので読んで考えるべきだということだと思う。 読まなくてもそこで取り上げられている主題について作者以上に考えることができる人、その登場人物以上の経験のある人なら、たとえその本を読んでいなくても「人間として欠陥がある」ということはないであろう。
   しかし。 そういったものを読み学び考えてきた者と、読んだこともない考えたこともないという者であれば、読んだこともない考えたこともないという者の方が「頭がないから、気さくで人間味がある」と言うだろうか? 読んだこともない考えたこともないという人間が「営業に向いている」だろうか? 私は違うと思う。
   そういうことをぬけぬけと言う者は、それこそ、「夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、三木清の『人生論ノート』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、ドストエフスキーの『罪と罰』、アルベル=カミュの『異邦人』、それから、『歎異抄』。 こういったもの」でも読んで、人間について考えて見た方がいいと思う。 I 工務店のA野さんなどにこういうことを言うと怒るだろうけれども、私はこれは間違っていないと思う。 営業は総合力で営業成績は決まるので、この部分で劣っていても他の部分に長所があって実績を残す人はいるだろう。 しかし、 「夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、三木清の『人生論ノート』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『饗宴』、ドストエフスキーの『罪と罰』、アルベル=カミュの『異邦人』、それから、『歎異抄』。 こういったもの」も読んだことがない考えたこともないという人間が営業に向いている、そういうヤツがいいんだ、そういうヤツが営業にはあ・・という認識が正しいかというと違うと思う。 A野さんなどは怒るだろうが、怒ろうが笑おうがこれは間違っていないと思う。


[3] もうひとつ。 「女心をつかむ営業」という話がある。 これは営業の経験が浅い男には誤解する人がけっこういる話である。
  意味は2つある。
(その1) おっさん営業の中には、「誰が決定権者か見抜く」といったことを言い、それを若い者に指導する人がいる。 私は、結論としてはこれは間違っていると思っている。 I 工務店の浜松の営業所(展示場)にいて、通算契約棟数2位だというHさんがこれを言っていたそうで、新卒入社1年目でHさんの隣りに5カ月おいてもらって、その後、東京営業所に本人の希望で転勤してきたOくんはそれを学んできたそうだった。 そして、自分と同じころに入社した者に、通算契約棟数ゼロ棟のOくんが、通算契約棟数2位のHさんの隣りの席にいてHさんの話を横で聞いていたからということで「営業のやり方を教えてやる」と大きな顔をして言っていたので、ちょっと彼は勘違いしているなと私は思ったことがあった。 たとえ、通算契約棟数2位の人の話を隣りの席で聞いたとしても、Oくんは通算契約棟数2位の人間ではなく通算契約棟数ゼロ棟の人間なのだ。 ところが、Oくんはそれを理解できていないようだった。 それで、私なら、何棟御契約なさったお方のおっしゃることであっても、だからといって、どんなことでもそのまんま信じたりはしない。 それだけ実績ある人の言う事ならもっともなものがある可能性を期待したいが、もっともな内容かどうかは個々に判断する。 そして、「誰が決定権者か見抜く」という説は結論として間違っている。
   その家庭により、どこに頼むか「決定権」を持っている人間が違うというのだ。 それはそうかもしれない。 しかし、だからといって、「誰が決定権を持っているかを見抜く」ということをやって、「決定権者に積極的にアプローチする」という主張は正しいだろうか?   私が小学生の時に、親が新築した時、我が家では父が「決定権」を持っていた。 だから、営業の人間はそれを見抜いて主として父にアプローチした。 そして、契約になり、家が建った。父の言う事しかきかない営業に母は怒っていた。 「わしが建てるんじゃ。 わしがえらいから家を建てることができるんじゃ」と父は言っていたが、そうであっても、だからといって、「決定権者」以外の者はどうでもいいのだろうか? そうかい、そうかい、あんた、えらい、あんた、えらい、あんた、天皇へーか、あんた、天皇へーか。えらい、えらい、えらい、えらい。 あんた、ひとりで住みやがれ! ということにならないだろうか?
   【上】の(一)で述べたことだが、高校2年の時、担任の20代(当時)の女性教諭は同様の思考をして、そして、「あんたは文系よ」を私にやったのだ。 人のせいにするようなことはしたくないのであるが、あの時、もっと別の対応をしてくれていたら、私の人生ももう少し納得いくものになったのではないかと思う。 「決定権者を見抜く」というのは、「家族の政治学」においてその家族では誰が支配者かを見抜いて、家庭内権力者に加担するということである。 家族のあり方としてそれが好ましいだろうか。
   私がK住研で入社1年目、千葉県内で、住宅雑誌につけられた葉書での問い合わせからの見込客で、いつ訪問しても、打ち合わせに奥様ひとりだけが在席され、ご主人が同席されることはなく、電話を入れた時、ご主人が電話にでても、「すぐ、変わります」と言って奥様に電話を変わる方がおられた。 どうして、ご主人は同席されず、電話でも即座に奥様に変わられるのだろうかと思ったのだが、その御主人は自営業で働いておられたのだが、年収がそれほど多くなく、その建替えようとしていた家は土地も家も奥様が奥さまのお父様から相続したもので、建替えようという計画も、その主要資金は奥さまが親から相続されたお金が中心であった。だから、ご主人は「俺は、住ませてもらえばそれでいいから」と言われて、ひと言としてどういう家にしたいといったことは口にされなかったのだった。 それを知った時、これは、よその家の内容に口出すものではないけれども、ご主人を無視してはいけないのではないかと私は思った。 I 工務店のHさんが言うところの「決定権者を見抜く」という論理で行くと、このお宅などは奥さまが「決定権者」であり、奥さまにアプローチすればいいということになるが、そうだろうか? Hさんはもったいつけずに人に教える人で、私も教えてもらったものがあり、それは役に立つものであったし、私が教えてもらったものはおかしなものではなかったが、Oくんが教えられたといって人に「教えてやる」といって指導していたこの点は私はちょっと違うように思ったし、今も違うと思う。
   最近は、昔より働く女性が多くなったが、たとえ、専業主婦でも、女性の意見、女性の立場を無視しては良い家は建たない。 それを理屈ではなく、どれだけ考えることができるか、は男性の営業にとって大事なことだ。
   名前が変わるとともに、今は昔の面影もなくなったK住研は、昔、洋風の家では三井ホームが競合になることが多かった。K住研で聞いたその頃に実際にあったという話。 三井ホームは吉永さゆり を広告に使い、吉永小百合の等身大の写真のはりぼてを住宅展示場の入口脇に置いていた。 吉永小百合という女優は、女性タレントでは珍しく、その頃、女性からも評価される女優だった。 三井ホームの家に住めば、自分も吉永小百合のような主婦になれる・・かなという夢を見込客の奥さまに与えるのが三井ホームの戦略だった。 K住研の某営業が三井ホームとの競合で優位になり、御主人から「契約したい」と言っていただき、自宅に訪問して契約書を広げ、御主人がサインしようとボールペンだか万年筆だかを持った、まさにその時、横にいた奥さまが「あ〜あ。 もう、これで、私の夢は無くなったのね」と、そう言われたそうだ。 つぶれた。完全につぶれた。 「申し訳ない。 待ってくれ」と御主人から言われてサインしてもらえなかった契約書を営業担当者は持ちかえったが、もうだめ。絶望である。 奥様からそう言われては、男は他で契約することはできない。 決定的である。 三井ホームとの競合で優位にたっていたように思っていたが、実はそうではなかったのだ。 とんでもないところを見落としていたのだ。 I 工務店の浜松の営業所のHさんが言っていたのかその隣りに座っていたOくんが誤解して理解していたのかどちらか断定できないが、「決定権者を見抜く」というのは、間違いだ。 「あ〜あ。 これで、私の夢もなくなったのね。」と嫁さんから言われて、どこの男がそのままはんこをつけるものか。
    住宅において、「女心を見抜く営業。 女心を掴む営業」というのは、ひとの嫁さんを「ナンパする」とかそういう話ではない。 男性であっても、こういった女性の気持ちを十分に理解できる営業、という意味である。
    そして、「夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、三木清の『人生論ノート』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『饗宴』、ドストエフスキーの『罪と罰』、アルベル=カミュの『異邦人』、それから、『歎異抄』。 こういったもの」でも読んで考える人間とそうでない人間であれば、読まなくても理解出来る人は良いけれども、どちらかと言えば、こういったものを読んで考える人間の方が、こういった点においても、人の気持ちというものを理解できる可能性がその分、高いのではないか、と考えるのは間違いではないと思う。 逆ではないはずだ。

(その2)  百科事典・ミシン・ベッドの販売で実績を残したという伊藤光雄氏が『驚異のセールストーク』(1979.11.20. こう書房)に次の話を述べている。
≪  私のもう一つの秘密兵器は、カバンの中にひそませてある大きな虫メガネ――天眼鏡である。何をするのか、言うまでもない。人相、手相を見るのだ。・・・
  女性というのはまったく占いに弱い。
  「奥さんも、よろしかったら見てあげましょうか。ほんの遊びですけどね」
  「ほんと! 見てよ」
 たいていの女性は目を輝かせて、そう言う(男性の場合は、あまり興味を示さないし、私もまた男性の手相は見ないことにしている)。 そこで、私は女性客の手を握り(ここが大事なところだ)、観相を行う。
  「奥さん、ご主人を愛してるでしょう」(あたりまえのことだ)
  「ええ、そりぁもう・・・・・」(どうしてわかるのか、という顔つき)
  「あれ、奥さんはちょっと胃の方が・・・・・」(つぶやくように)
  「そうなの、私、胃が悪くて・・・・・。よくわかるのね」(わかるのではなくて、自分が言ってるのだ)
  「ふーん、子供さんは・・・・」(これもつぶやく)
  「二人もいるの。もう十分だわ」
  「そう。もうやめといた方がいいですね。その方が・・・・」(また最後の方はつぶやきである)
 何のことはない。私はアタマの部分だけつぶやいていれば、相手は全部自分でしゃべってしまう。これが私の観相術である。
   しかし、私が手相を見るのは、ただ「当てる」ためではない。あくまでも売れるためだ。なぜなら、買いたくなるようなムードをつくっているのである。
   まず手を握る。これだけでも客の心はほのぼのとしてくる。次に、掌をもみほぐすように、指の先から手首のあたりまでふれてゆく。 「ここは月丘といいまして・・・・・」といった調子である。そしてさらに、今度は左手で客の手を握り、「これが運命線・・・・」などと言いながら、右手でボールペンのシリを掌の線にそって軽く撫でてゆく。
   ここまでくれば、もうおわかりのことと思うが、実は私は客の性感帯を刺激しているのである。だから、客も私も大まじめなんだが、そこはやはり女性、いつの間にか目がうるんでくる。こうなれば、もう商談は成立したも同然である。もちろん、これもやりすぎないことが肝心だが・・・・・。≫ と。
   私がこの本を最初に読んでから、もう20年程たつが、へ〜えと思ったものの、こういうことを実践したことはないし、やってみようと思ったこともない。 女性がひとりで購入を決めるような商品を扱ったことがないということもあるが、一番大きな理由は「リスクと利益を比較較量して」考えた時、あまりにもリスクが大きすぎるからだ。もしやったとして失敗した時のマイナスが大きすぎると思うからだ。 ところが、こういう話を聞くとやりたがってしかたがない男がいるのだ。 即座に「安物のホスト」みたいになってしまう、というより、普段から「安物のホスト」みたいな男がいるのだ。
   ホストというのも、実際に成功しようとするとけっこう難しいらしい。 『ギラギラ』という新宿のホストを描いた漫画で、新宿のホストクラブでの面接で、経営者の女性が、入って来る者は多いが「その大半はクズ」と言う場面があった。 ホストクラブは入ることは入りやすいが入って成功するのはけっこう大変らしい。「安物のホスト」とはその「クズ」の方を指す。 上の伊藤光雄氏の話でも読むと、女の手を掴んでなでればそれでいいとでも思いこんで、さっそくやろうとするアホ、もしくは、そういう感じの男がけっこういるのだ。 「リスクと利益を比較較量して」考えるならリスクが大きすぎると認識することこそ大事だと思うが認識できない者がいる。
   伊藤光雄氏は次のようなことも述べている。
≪  ・・とくに、自分でも“神技”に近いと自負しているのは、“美人の奥さん”をほめるテクニックである。これは文章にすると、細かいニュアンスが伝わらないが、大体、こんな調子だ。
   玄関を入る。パッと顔を合わせる。そのとき、素早く「これはほめるべきだな」と判断する。そして頭を下げながら、どこをほめるべきかを決める。「よし、この人は目だ」――。頭をあげ、再び顔を合わせた途端、私の演技が始まる。
   「ウワーッ、きれい!」
   この言葉の出し方が、非常にむずかしい。大きな声で言っては、わざとらしく聞こえる。かと言って、小さな声では聞こえない。声は小さめに、かろうじて聞き取れる程度、しかし発声はしっかりと、必ず相手にわかるように言う。そして、それを助けるのが顔の演技だ。一瞬ポカンと口をあけて、客の目を火花が出るほど見つめる。長くやってはいけない。ただでさえ顔がゴツイから、気味悪がられてしまう。ほんの一〜ニ秒である。
   「エッ!何か?」
  客の顔にサッと反応が現れる。しかし、言葉は反対におとぼけだ。私の言葉は聞き取れているはずである。(わかってるクセに・・・・・)。
   「奥さん、あんまりボクを見つめないでください」
   「あら、どうして!」
   「奥さんがあんまりいい目をしてるもんで、そんなに見つめられると、吸い込まれそうになるんですよ。いい目ですね。素晴らしい!」
  ちょっとオーバーだが、これくらいでちょうどいい。ここまでほめられて、悪い感情をもつ女性はいないからである。
   「まあ、何を言ってるの、この人は。すごいお世辞ね」
  などと言いながら、口元、目元の嬉しさは隠せない。これでアプローチはすんなり成功である。 ≫
こういうものを読むと、即座にそれをやりたがってしかたがなくなるニヤケ男がいる。 I 条工務店の佐野営業所にいた時、工場から移動してきたWさんなんかはそのタイプだった。 もともとの「地」がニヤケ男だが、それを隠すこともできないだろうなと思った。
    それで。 アンドレ=ジッドの『狭き門』『田園交響楽』であり、ツルゲーネフの『はつ恋』であり、三島由紀夫の『潮騒』『金閣寺』でありを読み、思索してきた者と、そういうものを読んで考えた経験のないニヤケとの差が出るのだ。 ニヤケしかない男というのは、≪「安物のホスト」そのまんま≫になってしまうのだ。 そういう人間に、アンドレ=ジッドの『狭き門』を読みなさい、と言っても読まない。 ツルゲーネフの『はつ恋』を読みなさい、と言っても読まない。 だから、この点で、比較的若い頃に、文学・哲学の書物を読み考えるという作業をおこなってきた者とそうでない者との差ははっきりと出る。
    そして、伊藤光雄氏が自分で≪“神技”に近いと自負している≫と言っているのは、実はここまでのことではないのだ。 ここから後のことなのだ。
≪  が、大切なのはここから先である。私の最高のテクニックはここにある。つまり、ここで私はピタッとほめるのをやめてしまうのである。絶対に二度とほめない。あのびっくり顔をさっと引っ込めて、早くもセールスマンのニコニコ顔に戻す。
   「奥さん、図書月販のホームライブラリーです。買わなくてもいいから、ちょっと話だけ聞いてください・・・・」
  こうすれば、100人中100人が話を聞いてくれる。失敗したことはない。
  女性心理は微妙である。感度の悪いセールスマンは、客がほめられて喜んでいることがわかると、演技の続きをやってしまう。
   「本当にきれいですね」
   「ちょっと横を向いて・・・・・、そう、この角度から見ると一段と美しい!」
   「みんなにそう言われるでしょう」
  冗談ではない。いくら喜んでいる客でも、ここまでべたべたやられると、ゲンナリしてしまう。・・・・・
   「どうでもいいけど、あなた、何しにきたの! 私はこれでも人の妻です。用がないなら帰ってください」
  となって、結局は元の木阿弥、むしろ相手の気持は最初より悪くなっている。
  過ぎたるは及ばざるがごとし。ほめ言葉というのはサラっとしていてこそ、価値があるのだ。お世辞によるアプローチの鉄則である。≫
  伊藤氏が、自分で“神技”に近いと自賛しているのはほめるのがうまいということではなく、これ以上言ったらだめやったらだめというのを見極めてきっちりと引くのを心得ているという方なのだ。 「安物のホスト」営業は伊藤氏が「最初より悪くなっている」と指摘することをやりたがるのだ。 普段の態度を見ているだけでもわかる。
  但し、先の≪私は女性客の手を握り(ここが大事なところだ)、観相を行う。≫≪まず手を握る。これだけでも客の心はほのぼのとしてくる。次に、掌をもみほぐすように、指の先から手首のあたりまでふれてゆく。 「ここは月丘といいまして・・・・・」といった調子である。そしてさらに、今度は左手で客の手を握り、「これが運命線・・・・」などと言いながら、右手でボールペンのシリを掌の線にそって軽く撫でてゆく。 ここまでくれば、もうおわかりのことと思うが、実は私は客の性感帯を刺激しているのである。≫という方の話は、伊藤氏はこれ以上やってはだめというところできっちりと引いているつもりらしいが、人によって基準は違うのかもしれないが、私の基準ではこれはすでに限度を超えている。 もし、私の家にこのようなセールスが来て妻とこのようなことをおこなっていたならば、即座に退出を求め、以後は出入り禁止とさせていただくことになる。(「手相」にかこつけて女の手をいじりたがるエロおやじなんて、別に珍しくないですしね。)
   品のないニヤケた「安物のホスト」営業には、アンドレ=ジッドの『狭き門』でも読ませてやれば、少しはまともになるかとも思うのであるが、読まない。そういう男は。 だから、比較的若い頃にそういう本を読んで考えた経験があるかないかは相当に大事な問題だと思う。 高校2年の時の「倫理社会」の先生が「夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、三木清の『人生論ノート』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『饗宴』、ドストエフスキーの『罪と罰』、アルベル=カミュの『異邦人』、それから、『歎異抄』。 こういうものはぜひとも読んでおいてほしいですねえ。・・」と話されたのはたしかにそうだと思う。本体にアンドレ=ジッドの『狭き門』『田園交響楽』やツルゲーネフ『はつ恋』がある者とそういう本体がない者との差は大きい。 だから、「営業は頭のない人間がいいんだ」などという文句は寝言たわ言である。 


   本で読んだ話ではなく、自分が見せてもらったもので、これはなかなかと思ったものもある。 I 工務店の群馬県のGC の 館林営業所 店長のOさんである。 Oさんは、契約客の奥さまのお誕生日にはバラの花を自腹で贈っていた。 これは気をつけてやらないと、失敗するとマイナスになるものであるが、Oさんは、その点、よく配慮してやっていた。 どういう配慮をしていたかというと、まず、(1)契約いただく時に、御主人と奥さまがともにおられるところでそれをきっちりと話し、私は奥さまのお誕生日にはバラの花をお贈りいたしますよと御主人にことわるのである。 御主人にあらかじめ、奥さまに贈らせていただきますよと話しておいて贈るのであって、だんなに無断で嫁さんに花を贈るのとは違うのだ。 かつ、(2)「私は、子どもが○人あるんですけど、今、◇番目が中学校に行ってまして、これが・・」といった話をそこでして、自分を「パパさんキャラ」として見せるのだ。 その上で「パパさんキャラ」の人がだんなの承諾の上で奥さまの誕生日に奥さまにバラの花を贈るのであり、「安物のホスト」営業とは似ているように見えても本質的に違うのだ。 おっ、なかなか・・と感心したのだが、自分がそれを取り入れるかというと、実際にはけっこう難しいし、私はいくつになっても「パパさんキャラ」でなく、「キャラが違う」ので私はやっていないが、同席して見せてもらい、たいしたものだと思った。同席して目の前で実演して見せてもらっても(1)(2)に気づかない人もいると思うが。

   一条工務店の営業本部長のA野T夫さんは、「女の子は、気を使って機嫌を取って機嫌をとってしてやらないとやめてしまうけれども、その点、男はやめないから何を言ってもいいんだ。」と話したことがあった。 それはおかしい。 女性でも、職場で嫌なことがあっても、生活の為我慢して勤めている人はいる。 機嫌をとって機嫌をとってしてあげないと「や〜めま〜すよお〜お」「や〜めま〜すよお〜お」とか言う元横浜ベイスターズ・ロバート=ローズか元検事総長 根来 元プロ野球コミッショナーみたいな人間は、男でも女でも、さっさと辞めればよろしい。 〔男であれ女であれ、職場で嫌なことがあっても我慢して耐えて働く者には何言ったっていいんだ、ちょっとのことでも「や〜めま〜すよお〜お」「や〜めま〜すよ〜お」と言えば周囲が自分の機嫌をとってくれると考えるアホには気を使って気を使って機嫌をとって機嫌をとってしなければいけない、というA野の思考は根本的におかしい。 〕 I 工務店で福島県いわき市の営業所にいた時のこと。
(1)A野さんが電話をしてきて私が電話を取ると、いきなり「まだ、結婚相手、決まらないのか?」と。自分の知り合いでこういう女性がいるが会ってみる気はないかとでもいうならともかく、そういうことでもないのに大きなお世話である・・が、ここまでは我慢もしよう。 次に彼が何を言ったか。
(2)「男が好きなのか!」 彼はそう言ったのだ。いきなり。
「女の子は機嫌をとって機嫌をとってしなければやめてしまうから気を使って気を使ってしなければいけないんだ。 その点、男は何を言ったっていいんだけれどもな」と、「学校でてないから気さくで人間味がある」と主張するA野さんはそう言ったのだが、「何を言ったっていい」と思っているのは言った側の認識で、言われた側は決して何を言われてもいいとは思っていない。 むしろ、彼が私に言ったことは地獄の底まで忘れはしない。(「セクシュアルハラスメント」は男性に対しても成立する。
辞めると言いながらなかなか辞めなかった元検事総長・根来 元プロ野球コミッショナーについて、ラジオで、板東英ニが「この人、たしか、辞めると言われたはずですけど、まだ、お辞めにならないんですねえ。 この人もかわった人ですねえ」と話していたが、この点について私も板東英ニと同様に思う。さすがは、元・検事総長だけあって、おえらい方はなさることも一般人とは違いますなあ! 「辞める」と言ったからにはさっさと辞めやがれ! 辞める気がないか、もしくは、しばらくしてから辞めるつもりなら、簡単に「辞める」などと口にするんじゃねえ。ボケ茄子う!〕
   A野さんは、私に、「ぼくは学校出てなくて頭がないから、だから、気さくで人間味があるんだ」と言い、そして、「そう思うだろ。 思うだろって。 思わないか。 『思います』と言えよ」と言い、私は、無理矢理、「思います」と言わされてしまったことがあった。  A野は電話をしてきていきなり「男が好きなのか」などと言う無神経男であるが、「ぼくは学校でてなくて頭がないから」という理由で「気さくで人間味があるんだ」と人に認めさせる権利があると思っている人間だった。   中卒の人というのは、そういう無礼で人の心を土足で踏みにじる言動をとっても、それでいて「ぼくは気さくで人間味があるんだ」と強制的に人に認めさせることができるというのは、なんともけっこうな立場である。
   千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)のU草Aニが「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と、実際にできていないにもかかわらず、あつかましくもぬけぬけぶたぶたと何度も大きな顔をして繰り返していたが、U草も、「男が好きなのか」といきなり言う無神経非常識男とともに、せめて、アンドレ=ジッドの『狭き門』でもツルゲーネフの『はつ恋』でも読んでみると、多少なりともマシになるのではないかとも思う。

   営業の仕事において頭がいい悪いというのは、必ずしも「大卒の人間=頭のいい人間」「高卒以下の人間=頭のない人間」というわけでもない。 私が同じ営業所で仕事をした人では、東京営業所にいたHさんなどは、最終学歴は高卒だそうで、何かの試験に合格するような勉強については得意ではないように本人が話していたが、見込客との対応においてどのタイミングで何を出すか出さないかという瞬間的判断力などは相当に頭がいい。その点について彼は決して頭は悪くない。私より優秀・・というより、その点については彼は私の先生で私は彼の弟子である。 I 工務店で決めてくれていいはずなのにどうして決めてくれないのだろうと思う見込客があり、この見込客は私には契約を取れないのだろうか、もし取れるとすると誰だろうと思い、Hさんなら取れるか? 彼ならどうするか?と考えてやってみたら契約してもらえた、ということもあった。 

1. 25年程前、私が入社した頃くらいまでのK住研のように、高学歴の会社役員・医師・弁護士などを客層とする会社が、そういう人を相手にするには営業も大卒の方がいいと判断するのは一理ある。
2. 住宅建築業の営業は、仕事の性質上、住宅・建築・インテリア・不動産について学ぼうという姿勢のない人、学ぶことができない人はこの仕事には適さず、学習する習慣のない人に学習させようとしても難しい。
3. 「営業の仕事はアホはだめ」という場合の「アホ」とは「最終学歴が高卒以下の人」と意味は同じではない。
4.  営業とは「人の心を理解すること」とすれば、「人の心を理解する」学問である文学・哲学・社会学・心理学等を学んできた者とそうでない者では、学んでいない者の方が「営業に向いている」などというおかしな理屈はない。
  実際、中卒を自慢にしている人で、電話してきて、いきなり「男が好きなのか!」などと非常識・無礼・無神経なことを口にする人がいる。その人は自分がどれだけ非常識な、どれだけ無礼な、どれだけ無神経なことを口にしているか自覚できていない。「営業は頭のない人間がいい」などという文句はそういう非常識人間が主張する屁理屈である。
5. 文学・哲学的教養のない者には「安物のホスト」みたいになりたがる男がおり、修正させるのは簡単ではない。
⇒≪彼(岩崎弥太郎)は、友人の福沢諭吉に対し、学識のない俗子弟も学識を持つ学者書生も一長一短あるが、「俗子弟を養うて之に学者の気象を得しむるは難し。学者を慣らして其外面を俗了するは易し」と語っています。≫(森川英正『日本経営史』1981.1.13. 日経文庫)
↑実際に、現実に、これに該当する人がいるのです。

【上】(一)大学受験失敗談  (ニ)三島由紀夫『潮騒』『金閣寺』  (三)ジッド『狭き門』『田園交響楽』『女の学校』『ロベール』『未完の告白』 http://shinkahousinght.at.webry.info/201401/article_10.html
【中】(四)ツルゲーネフ『はつ恋』 (五)ニーチェ『ツァラトゥストラ』 (六)ルソーの教育論 http://shinkahousinght.at.webry.info/201401/article_11.html
 も御覧くださいませ。
    (2014.1.20.) 


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