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zoom RSS 『国盗り物語』と『淮陰侯列伝』に学ぶ営業と会社の話。「呼ばれてすぐ参上するのは、放下僧ぐらいのもの」

<<   作成日時 : 2013/12/24 03:45   >>

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[第218回]営業と会社の話(54)
  今となっては40年程前、小学校5年から中学校1年くらいにかけて、司馬遼太郎とか山岡宗八とかの「歴史小説」が好きでした。 司馬遼太郎『国盗り物語』(新潮文庫)・『関ヶ原』(新潮社)・『豊臣家の人びと』(中公文庫)、山岡宗八『織田信長』(講談社)・『伊達正宗』(毎日新聞社)、吉川英治『黒田如水』(新潮文庫)などを喜んで読んでいました。 しかし、中学校から高校にかけて、「歴史小説」(歴史上の人物を題材にした小説、お話)ではなく、「歴史」を学ぶにつれ、司馬遼太郎や山岡宗八などの「お話」は、歴史を理解する上に、むしろ妨げになるのではないのかとも思えてきましたし、良い悪いは別として、それはあくまで歴史上の人物を題材にした「お話」であって歴史そのものではないので、歴史を学ぼうと思うなら司馬遼太郎や山岡宗八の本ではなく歴史学者の書物を読むべきだと思うようになりました。 さらに、大学では「経済史」を学び、そもそも、歴史とは何か、歴史とは経済と社会の移り変わりであり、その上において、政治や文化が存在してきたものであると認識して考えるならば、人物を中心に考えるというのは本末転倒であるとも認識しました。 かつて、八切止夫という人が『信長殺し 光秀でない』とか『上杉謙信は女人であった』・『徳川家康は二人いた』といった小説を書き、けっこう受けたけれども、「歴史とは経済と社会の移り変わりである」と認識して考えるならば、上杉謙信が実は女性であったのか男色家であったのかは、あるいは、信長を殺したのが明智光秀か羽柴秀吉かその他の誰かといったことは、経済史の流れからすれば末端的な問題であることも認識しました。 戦前の学校では、「歴史」ではなく「国史」という授業があり、そこでは「天皇を中心とする人物中心の日本史」が教えられ、天皇崇拝の思想が注入されたのですが、司馬遼太郎などの小説というのは、実は、戦前の「天皇を中心とする人物中心の日本史」の流れの上にある「必ずしも天皇を中心としない人物中心の日本史」ではないのか、とも思えるのです。吉川英治『黒田如水』は戦中に発表されたものだけに「お上のために潔く死ね」みたいなところが見られます。「歴史好きのおっさん」とか「歴女(れきじょ)」とかいう人たちは、カール=マルクスやマックス=ウェーバーの手法を学んだ上で、経済と社会の移り変わりをふまえ、その上で政治や人物を見ているかというと、正反対の態度を取っていると思うのです。その人たちは、実際には適切な歴史学と逆の態度を取りながら「歴史好き」だと思ってしまっているのです。
   さらに、佐高 信(まこと)が、司馬遼太郎のことを「無能な経営者をその気にさせる罪つくりな作家」と評していたのを読みましたが、そうかもしれないなあとも思います。 「アホが見る、豚のケツ」という言葉ありますが、「アホが読む、司馬遼太郎の本」とでも言ってやりたくなるようなおっさんがけっこういます。 司馬遼太郎などの本を喜んで読んでいるおっさんで自分をその小説の登場人物に投影して感動している人がいますが、そういうおっさんというのは、自分が織田信長とか徳川家康とか伊達正宗とかになったつもりでいるのですが、もし、その時代に生まれていたとすると、確率的には百姓に生まれている可能性の方が高いのであり、尾張半国の支配者・織田家の息子とか三河の松平家の息子には生まれてない可能性が高いと思うのですが、勝手に信長か家康かなんかになったつもりでいるのです。自分がその時代の百姓であったらとか非人であったらという前提で考えてないのです。だから、そういうおっさんを見ると「アホが見る、豚のケツ」みたいな感じで「アホが読む、司馬遼太郎の本」とでも言いたくなるのです。(言うと怒るから、逆らうとうるさいので言いませんが。) その点、白土三平の『カムイ伝 第一部』は、百姓と非人が最初はいがみあっていたのを、共闘するようになって領主に立ち向かうが、最後には、また、決裂してしまうという地に足がついた話であり、百姓や非人の視点から見た話であり、ええ歳こいて司馬遼太郎や山岡宗八の本を喜んで読んで勝手に殿様になったつもりでいるおっさんよりも白土三平の読者ははるかに教養人だと言えます。 
   しかしそういったことを認識した上で、再度、司馬遼太郎『国盗物語』を読みなおすと、すべてに賛成はできないが、これはこれでおもしろい。無能な支配者こそ罪だ、無能な支配者を倒して善政をおこなおうという俺がどうして蝮なものか、という斎藤道三には「会社の為に滅私奉公」を勧める歴史小説とは異なるところがあります。 NHKの「大河ドラマ」としても、1973年1月から12月に放送されたが、最近の大河ドラマに比べるとよくできている気がします。 自民党の総裁選の時、この『国盗り物語』のテーマソングがテレビで何度も流されたが音楽も悪くない。福田赳夫が「まあ、天のいましめだなあ」と言う場面「黄門さまのひとこと」とともに何度もテレビで見ました。
※NHKドラマ『国盗り物語』のテーマソングは
《国盗り物語のテーマ》http://www.youtube.com/watch?v=CgbVhpXdIAM
《「国盗り物語」オープニングテーマ〜大垣城〜 》http://www.youtube.com/watch?v=pKJf6hXolkA などで聴けます。

  高校の「国語」は「古典」と「現代国語」から、「古典」は「古文」と「漢文」から成っていて、「漢文」は「漢文1」で全般的な漢文を扱い「漢文2」では特定の中国の古典からの抜粋で、私が高校3年の時の「漢文2」では「史記」をやりました。 『史記』の話は面白く、登場人物には魅力的な人間が多いのですが、私は特に漢の三傑のひとり・韓信に魅力を感じました。

  司馬遼太郎『国盗り物語』に次の文章があります。
≪ (土岐)頼芸(よりよし)はよほど(松波)庄九郎(後の斎藤道三)が気にいったらしく翌朝も使いを常在寺へ走らせて、
「わが無聊をながさめよ」
といってきた。
  庄九郎は、
・・・・・・・夜来、風邪をひき、気分がすぐれませんで。
とことわった。
使者は、ほとんど毎日やってくる。
庄九郎は、そのつどことわった。当然のことだ。よばれてすぐ参上するのは、放下僧(ほうかそう)ぐらいのものであろう。 ・・・≫
(司馬遼太郎『国盗り物語 第一巻 斎藤道三(前編)』「西村勘九郎」(1971.文庫版発行。 2004.改版。新潮文庫 )
「放下僧」とは何かというと、《kotobank 放下(ほうか)》http://kotobank.jp/word/%E6%94%BE%E4%B8%8B?dic=sekaidaihyakka には、
≪ 大道芸の一種。室町期から近世にかけて見られた雑芸。放下は禅家から出た用語で,ものごとを放り投げて無我の境に入ることを〈放下す〉といった。室町期には僧形をした放下(家)僧や,烏帽子(えぼし)姿で恋歌を書いた短冊を笹竹に吊り下げ背に負った放下師などが活躍し,弄丸(ろうがん),品玉(しなだま),輪鼓(りゆうご)など,品物を空中に投げ上げて曲取りする散楽(さんがく)系の曲芸や,コキリコなどでリズムをとって物語り歌をうたい歩き,子女の人気を得た。 (「世界大百科事典 第二版の解説」)≫と出ている。

   『史記』の中の『淮陰侯列伝』は、
≪  淮陰侯韓信というのは、淮陰の人である。最初平民であったころは、貧乏で品行が悪かったから、とても選抜されて役人となる見こみはなく、と言って商売をしてくらしをたてることもできず、いつも人のやっかいになり食べさせてもらっていたが、それをいやがるものが多かった。≫
(『史記列伝(三)』小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳 1975.9.16. 岩波文庫)
と始まります。 このあたりの韓信の若い頃は、斎藤道三より、むしろ、織田信長の少年時を思わせるところがあります。
≪  漢王(高祖)が蜀に国入りするとき、韓信は楚(項羽)から逃亡して漢に帰属したが、名を知られないまま、連敖(れんごう)に任命された。
・・・ 
   お上は治粟都尉に任命したが、まだかれを特に認めたのではなかった。韓信はたびたび蕭何(しょうか)と語りあったが、蕭何はかれを高く評価した。南鄭(なんてい)についたとき、将校たちのうち道中で逃亡するもの数十人というありさまだった。蕭何らがたびたびお上に申しあげてくれているが、お上は自分を任用するつもりはなかろうと察した韓信も、このとき、逃亡した。蕭何は韓信が逃亡したと聞くと、お上に申し出る余裕はないから、自身であとを追った。
   ・・・・・蕭何「・・・韓信のような人物は、国家的な人材でありまして、二人とはおりません。王さまが、いつまでも漢中の王でご満足なさいますならば、韓信をお使いになる必要はないでしょう。天下を争うご決意ならば、韓信以外に参画できるものはございません。・・・・」・・・・
   そこで漢王(漢の高祖 劉邦)は韓信を召し出して、すぐに任命しようとした。 蕭何(しょうか) 「王さまは、日ごろから傲慢で礼儀がなさすぎます。 いま大将を任命なさいますのに、子どもを呼びつけるみたいです。これこそ、韓信が立ち去った原因なのです。王さまが、ぜひともかれを親任しようとお望みでしたら、吉日をえらんで身を清められ、高い台をしつらえ、儀式をととのえられますよう。そうしなければだめです」。 漢王は承知した。≫
≪連敖(れんごう) 賓客接待の係。
  治粟都尉(ちぞくとい) 宮中の警戒護衛にあたる下役人。 ≫
と、ここでは、斎藤道三(松波庄九郎)と似た話がでてきます。 『国盗物語』では、血統主義で過去を守るばかりで自分を役立てない朝倉家に絶望して、好きではないとしながらも人材主義の織田信長の所へ行く明智光秀の姿が描かれますが、韓信も似ています。


《1》  在来木造の I 工務店に私は11年余勤務しましたが、営業本部長のA野さんは、どうも、突然、電話をしてきて、「すぐ来てくれないか。」と言いだすことの多い人でした。  それがいいかというと、基本的にはよくないでしょう。 住宅建築請負業の営業は、その日、翌日、翌々日くらいは、午前・午後・夜に何をやるか、お客様とアポイントが入っている場合もあり、社内の人間や業者と打ち合わせをする約束がある場合もありますが、そういったものがなくても、だいたいの予定を組んで動いています。 営業として成果を出すためには、その日、出勤してから、「きょうは何をするべえかなあ〜あ」と考え出すというのは好ましくないのであり、情勢により臨機応変に対応することもあるとしてもだいたいの構想は組んで動いているのであり、予定を組んで動いている者とそうでない者なら予定を組んで動いている者の方が成果が出る可能性が高いと考えてよいはずなのです。というより、何も予定を組まずにどうやって仕事するんですか? だから、特に緊急を要する用事であればしかたがありませんが、そうでなければ、社内でのものは、相手の予定を聞いて、会おうというなら都合がつく時間にするべきなのです。 それを、突然、電話して「今すぐ」と言いだして、来させるというのは、営業本部長として、営業担当者に、計画を立てずに動けと言っているようなものであり、営業本部長のとるべき態度と逆の行為をしていることになります。
    A野さんは、そういう、突然、「今すぐ」と言いだすことの多い人だったのですが、(1)そういう性分の人なのだろう、と思ったのと、(2)その会社ではその人が上役であり、営業本部長なので、しかたがないか、くらいに私は思っていました。 しかし、途中から、これは聞いてはだめだと思うようになりました。 1998年の夏、福島県いわき市の営業所にいた時、電話をしてきて、突然、「ちょっと、これから来れないか」とA野さんが言うので、当時、I 工務店は、いわき市内の2か所の総合住宅展示場に2展示場ずつ、計4展示場出展していたので、同じ総合住宅展示場のもうひとつの建物の方に来店しているのか、それとも、別の総合住宅展示場にある店舗の方に来ているのかで、そちらの店に来てくれないかという話かと思い、「『これから』て、今、いわきに来ておられるのですか。」というと、「いいや。」と言うので、「どちらにおられるのですか。」と言うと、「川口」とおっしゃるのです。 「川口」というのは、埼玉県にある川口市です。 おっさんが大好きな西川口があるところです。それで、「どこまで、来いと言われるのですか。」と言うと、「だから、川口」とA野さんが言うので、「はあ? これからですかあ?」と言いました。いわきから川口付近までは、クルマなら片道3時間くらいでしょうか。電車でも同じくらいではないかと思います。 「これから、川口までですかあ?」と、本気じゃないでしょ、というつもりで言いました。 なにしろ、A野さんは遠州人・浜松人なのです。 I 条工務店の遠州人は、東京に来ると、東京駅から練馬だとか狛江だとかまでタクシーに乗ったりします。 新幹線で浜松から東京までくると、東京駅から東京メトロ東西線の「木場」駅まで行くのに、東京駅から大手町駅までタクシーに乗ろうとしたりします。 冗談じゃなく本気でです。私が I 工務店に入社した1992年から翌年1993年、東京営業所長を兼任していたA野さんは、「平井って、品川の西の方だらあ」「渋谷て、亀戸の東の方だらあ」とそういったことを始終口にしていた人で、笑っちゃいかん、この人はこの会社では上の方の役職の人なんだから笑っちゃいかん、と思いつつ、本人が帰ってからみんなでふきだしもしましたし、こういう人が東京営業所長やってるんだ、だから、この会社は東京圏のことが何にもわかってないんだ、と思ったものでした。 だから、また、距離感覚がおかしいんだろ、と思い、「いわきから川口までは、すぐじゃないですよ。相当ありますよ。」と説明したのですが、それでも、「わかってるら。 来れないか。」と言うのです。
   すぐ来てほしいとA野さんが言う相手というのが何人か社内にあるみたいなのですが、すぐ来てほしいと精神的に頼られているのか、親しく感じてもらえているということなら悪くはないでしょう。 もっとも、営業本部長のA野さんと「仲良し」になった従業員は、しばらくすると消える人が少なくないという説もありました。 ヒラとかその上くらいの従業員で営業本部長のA野さんと「仲良し」になった人には、「自分は営業本部長と懇意だ」と思い込んでしまう人がいるらしいのです。 そして、「営業本部長のイヌ」「営業本部長の“草”」になる人がいたのです。自分は「営業本部長のイヌ」だと思い、社内では営業本部長が後ろだてになってくれる、と思い込んで、同じ営業所の同僚について、あることないことタレこんだりする人とかいるようなのです。 そうすると、営業本部長のA野さんは喜ぶらしいのですが、いつまでも喜んでくれるならまだいいのですが、ある時、突然、そのイヌを煩わしく感じだし、突然、態度が変わるというのです。 となると、「営業本部長のイヌ」は突然、はしごをはずされたようになり、頼りにしていた本部長からうとまれ、同僚からは嫌われ鼻つまみにされ、居場所を失ってやめていく・・というのです。具体的に誰それがそうだ、という話もありました。そういうものにはなりたくありません。 
   それよりも、その日の夜、お客様の家に訪問して打ち合わせをする約束が入っていたので、お客様宅に訪問する約束が入っている旨を話しましたが、「日を変えてもらえばいいら。」とA野さんは言うのです。 住宅屋の営業は「お客様第一」であり、本部長とお客様ならお客様を優先するものではないかと思いますし、先に約束した方を優先するのが基本です。 それでも、「日を変えてもらえばいいらあ」と言うのです。 I 工務店では平日は、その営業所に在籍している営業が交替で当番として、1日、展示場にいるようにしていました。その日は私が当番だったので、「展示場の当番ですから、きょうは無理です」と言い、他の日にしてもらうように話しましたが、「他の営業にかわってもらえばいいら」と言うのです。 「ぼくからかわってもらえと言われたと言えばいいよ」と言うのです。 そこまで言うので、しかたなしに、いったい、どういう緊急の用事があるのかと思って、片道3時間半かけて川口の住宅展示場まで行きました。
   それで、どういう緊急の用事があったかというと、一分一秒を争うような緊急を要する用事なんてありませんでした。 単に、「すぐ来れるらあ」と自分が言えば従業員は福島県から埼玉県までかけつけるものと彼は思っていたようなのです。 なぜ、お客様とのアポイントを断ってまで、展示場の当番を他の営業にかわってもらってまで埼玉県まですぐに来てほしかったかというと、自分が「すぐ来れるらあ」と言えば、口笛ひとつ吹けばイヌが飛んでくるみたいに従業員はかけつけてくると彼は思っていたようで、そうしたかったからすぐに来させようとしたらしいのです。
   要するに私を侮辱していたのです。 口笛を吹けば飛んでくる犬みたいに扱いたかったのです。 それで、気づいたのです。 この人が「すぐ、来れるらあ」と言った時は、お客様とのアポイントが入っていた、展示場の当番だったというそういった事情がなく、すぐ行こうと思えば行ける場合でも、行くべきではない。 「当番かわってもらうようにぼくから言われた、と言えばいいよ」とか言ってきても、この男は人を侮辱しようとして、すぐに飛んで来させようとしているのだから、何を言われたって、それは断固ことわらないといけない、と認識しました。 彼は「ぼくは学校でてないから(最終学歴中卒。 定時制高校中退。)、だから、気さくで人間味があるんだ。」と言い、「そう思うだろ。思うと言えよ。」と言い、私は無理矢理「思います」と言わされたことがありましたが、そういう態度のことを「気さくで人間味がある」と彼は言うのだなと理解しました。彼が「すぐ、来れるらあ」と言うのは、親しみを感じている従業員だからではないのです。馬鹿にしているのです。馬鹿にしているから福島県浜通りから埼玉県川口市まで突然、「今すぐ、来れるらあ」と言うのです。よくわかった。
   司馬遼太郎『国盗物語』で、松波庄九郎(後の斎藤道三)が美濃国の守護大名・土岐氏の弟・土岐頼芸から、すぐ来てほしいと言われても、≪よばれてすぐ参上するのは、放下僧(ほうかそう)ぐらいのものであろう。≫と断ったように、彼が「すぐ来れるらあ」と言ってきた時は特に用事が入っていなくても断るべきだ、と理解しました。 ≪王さまは、日ごろから傲慢で礼儀がなさすぎます。いま大将を任命なさいますのに、子どもを呼びつけるみたいです。これこそ、韓信が立ち去った原因なのです。≫と蕭何(しょうか)が劉邦に諫言したように、A野さんに諫言する従業員がこの会社にはいなかったのでしょう。というより、いるとそういう人は追い出されたのでしょう。 私がこのことに気づき、強く不快感を覚えるとともに、二度とこの手にのってはだめだと認識すると、今度は、私にそう思われたのを理解したのか、来てくれと言って来なくなりました。ということは、それまで、「ちょっと、一回、話したいと思ってな」とか言うので、難しく考えないで会っていた時も、あれも、口笛を吹けば犬が飛んでくるみたいに、従業員は「すぐ来れるらあ」と言えば、福島県浜通りから埼玉県の川口市まで、お客様とのアポイントを取り消して飛んでいくという、そういう来させ方に快感を覚えていたということでしょう。あんまり、いい趣味ではありませんね。 私は、営業本部長様であろうが常務様であろうが、そういう態度をとるやつというのを心の底から軽蔑しました。 ≪よばれてすぐ参上するのは、放下僧(ほうかそう)ぐらいのものであろう。≫と松波庄九郎(斎藤道三)が考えるような、そういう態度を取るような者は、本部長であろうが常務であろうが、というより、営業本部長とか常務とかいった役職についているならそうであればこそ、そういう態度は取るべきではないのです。それを、偏執的にそういう態度をとりたいとりたいと信念もってる男というのは、私が軽蔑するかどうかよりも、その態度・その根性は軽蔑される態度・根性です。


《2》  昔、三波春夫という芸人が「お客様は神様です」と言ったそうで、それをレツゴー三匹というお笑いタレントが真似て、「お客様は神様です」というフレーズが人口に膾炙しました。 その文句に疑問を感じる人もあったようで、いつであったか、書店の棚で『お客様は悪魔です』という題名の本を見たこともあります。 飲食店で無茶苦茶忙しい時、かけずりまわってひっくりかえって痛みで顔をゆがめた時、近くにいたある客が言った文句が「○○はまだか」だったとか。「お客様は悪魔です」と心の底から思った・・といった話を集めた本でした。
※ 三波春夫は営業で実績を残した人ではなく、三波春夫に営業を学ぶ必要はないのですが、インターネットで見ると、三波春夫が「お客様は神さまです」と言った文句は意味を誤解されて広まってしまったとも言われ、三波春夫が言ったのは、芸人の三波春夫がお客さまの前で演ずる時、その芸を神にささげるような気持ちで演じる、というようなそういう意味で言ったのであって、三波春夫自身、お客様は神様だから何でも言う事をきかなければならない、というような意味で言っていないようです。
  1980年代終わりに木質系住宅建築請負業のK住研に入社してすぐの新卒社員研修で、「『お客様は神さまです』という言葉があるように、お客様の言われることなら、何でもきかないといけないでしょうか。」と質問した人がありました。 講師役の部長が言った文句。「そりゃ、トルコやあ。」と。 「お客様が『ち○ぽ なめろお』と言えば、『はい〜い』となめなければならないか? なめなくてよろしい。トルコじゃねえ。営業は。営業というのは、もっとプライドのある仕事だ。」と。 その部長さんはその言いまわしが相当気にいっていたみたいで、「どうだ。よくわかるやろお。きみらにわかりやすいような言い方してやった。」と言われたのでした。 
※「トルコ」というのは、その頃は「トルコ風呂」と言った、今現在の名称で言えば「ソープランド」のことです。トルコ共和国とは関係ありません。
「お客様は神さまではない。 なんでも言う事をきかなければならないなどということはない。 お客様は人間。人間として尊重する。」と言われたのでした。 わかると当たり前のことなのですが、「お客様は神様です」という文句が流行してしまったために、営業って、お客様の言われることなら、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、耐ヘカタキヲ耐ヘ忍ヒカタキヲ忍ヒ、どんなことでも従わないといけないのだろうかと思う人があったようなのです。私もそうだろうかと大学を卒業する頃は思いました。 「トルコじゃねえ」という文句が最適かどうかはさておき、ビジネスにおいては、なんでも言う事をきかないといけないなどと言う事はないし、何でも言う事をきくべきではないと思います。
   それを理屈では、研修で教えてもらったのですが、K住研での1年目においては、見込客から「○日の◇時に来てほしい」と言われると、それを断ったのでは話がつぶれてしまうのではないかと思ったりしたことがありました。 私はクルマの運転免許を取ってからしばらく、原付は運転しても自動車の運転をすることなく、ペーパードライバーの期間が長かったので、K住研に入社して1年目に、松戸市内の自動車学校でペーパードライバーの研修をやっている所に通って練習しました。 しかし、見込客から「○日の◇時に来てほしい」と言われると、先に自動車学校でペーパードライバーの講習の予約を入れていても、お客様の希望を断っては話がつぶれてしまうかと思って、講習の予約の方を何度もキャンセルしました。 「営業補助」として勤務していた女性社員のMさんが、「わたし、帰り道の近くだから、予約とってきてあげます」と言って予約を取って来てくれたのですが、せっかく取ってきてくれた予約を何度も何度もキャンセルしました。今、私がクルマを運転できるのは、「ごめんね」と言っても、「大丈夫。また、わたし、予約とってきてあげますから」と言って何度も予約を取って来てくれたMさんのおかげです。 
   しかし、今から考えるならば、見込客からであれ、契約客からであれ、先にペーパードライバーの講習の予約を入れていたのであれば、正直にその通り話して、別の日時にしていただくようにお願いすればよかったのであり、もしくは、その時間は他のお客様と約束を入れてしまいましたということにして、別の日時にしてもらうように話してもよかったのです。 それが、「お客様は神様」ではなく、お客様は人間であり、何でも言う事をきかないといけないなどということはない、と理屈ではわかっていても、新卒1年目の時の私は、きいてしまっていたのです。   そのあたりは、経験を積んで、少しずつ改善していったのですが、一方において、誠意をもってお客様のために貢献しながらも、他方において、 「当然のことだ。よばれてすぐ参上するのは、放下僧(ほうかそう)ぐらいのものであろう。」と、断るときは断るという姿勢をも持つべきで、それを、一方のみではなく、両立できるようになって一人前になってきたということだと思います。 今となっては20年以上前、K住研に入社1年目は、新卒社員の中では比較的良い方の営業成績でしたが、今から考えると、当たり前のことがわかっていなかったところがありました。


《3》  千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)(建設業)・ビルダーズジャパン(株)(宅地建物取引業)で、ビルダーズジャパン(株)で「取締役」になり、新華ハウジング(有)でも実質、社長の代理だとして動いていたU草A二(30代なかば)が、2011年2月頃、新華ハウジングの建築中の工事現場の写真をホームページに入れたいので、至急、写真を撮ってきてほしいと言いました。 上でも述べたように、私は、その日、翌日、翌々日くらいは、だいたい、何をするか構想をたてて動いていますが、U草が、「至急、お願いします。」と言うので、「至急」と言うからには、3日以内くらいに撮って来てもらいたいということであろうと考え、翌日、翌々日は予定を空けにくかったので、その日に工事現場に行って撮影してきました。
    ところが、撮影してきてものをパソコンに入れても、U草はそれをホームページに公開しないのです。 U草が「至急、お願いします」と言うから、私は、先に入っていた自分の予定を無理をして空けたのです。 U草は、その日、できなかったとしても、翌日か翌々日にはホームページに入れることができるから、「至急、撮って来てください」と私に頼んだはずなのです。 翌日も翌々日もホームページに入れる作業ができないなら、「至急、撮って来てください」と言うのはおかしいのです。
   工事現場の写真というのは「今、こうなっています」と時時刻刻の現場写真を入れて見ていただくという趣旨のものなので、撮影してきてあまり日数が経ってしまえば、その写真の持つ意味は小さくなります。1週間経っても10日経ってもU草はホームページに入れないので、私が「せっかく写真を撮ってきたのですが、ホームページに入れないのですか。」とU草に言うと、U草は「ぼく、忙しいんですよ」と言うのです。 それで、私は「それなら、ホームページの入れ方を教えてもらえませんか。教えてもらえば、私が入れますよ。」と言うと、U草は「教える時間もないんですよ。」と言うのです。 それなら、なぜ、「至急、写真を撮ってきてください」と言うのか、ということです。すぐにホームページに入れて公開したいから、「至急、撮ってきてください」と言ったのではないのか。 撮って来ると、「ぼく、忙しいんです」と言ってそのまま放置して、工事現場はそこより先に進んでしまって、撮ってきた写真は現状と異なるようになって公開できずに無駄にするために、「至急、撮ってきてください」と言ったということか。 「まだ、入れないのですか。」とその後も何度も言いましたが、そのたびに、「ぼく、忙しいんです」とU草は言うのです。 いったい、何に忙しいのでしょうか。 もしも、私がすぐに撮影してきても、忙しくてホームページに入れることができないし、私が入れるから入れ方を教えてくれといっても教える時間もないというのなら、ホームページに入れたいので至急、写真を撮影してきてくださいと頼む理由はなかったはずなのです。
   何週間も経ってもU草は、他のことはやっても、せっかく私が撮影してきた写真をホームページに入れないので、「私のブログに入れて、いいですか。」と言うと、「いいですよ」というので、ブログで公開しました。
それが、
[第6回]《在来木造 構造 工事現場の観察と分析(1) 〜市原市 I 様邸の推移 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_3.html
[第7回]《ツーバイフォー工法の構造現場と考察(1) 〜千葉市・星久喜(ほしぐき)モデルハウス【1】 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_4.html
[第10回]《ツーバイフォー工法の構造現場と考察(2)〜千葉市緑区・W様邸 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_7.html などになりました。
   その方がよかったかもしれません。 撮影した者が説明文も書かず撮影者でない者が文章を入れるととんでもない内容にしてしまう可能性があります。 又、U草は元・建売大工であり、性格ががさつで仕事が荒い。 
(1)ノックダウン家具の机をインターネットで購入した時、U草が組み立てを手伝ったのはいいけれども、全面にボンドをつけろと組立説明書に書かれているところを、ペッペッペエと3か所ほどつけただけでインパクトドライバーで強制的にくっつけてしまった。 
(2)構造現場見学会で展示物をつるすひもをかけるために、梁に釘を仮打ちすると、普通、展示が終わると、くぎ抜きでその釘を抜くのではないかと私などは思うのですが、U草は逆に玄翁(げんのう)で奥まで打ち込んでしまった。抜くより打ち込んだ方が早いという建売大工の発想でしょう。
こいつ、こういう仕事のやり方をしてきたんだな、とわかった。 すべてそういう発想の建売大工男に、「間違いのない家造り 構造編」の解説ができるかというと、結論を言うとできないでしょう。 だから、私が文章にした方が適切なものができる。 
   しかし、それはそれとして、撮影してきてもらってもホームページに公開する時間が取れないのなら、なぜ、「至急、撮影してきてください」と言うのか、という問題は残るのです。
   そして、口のきき方がおかしいのです。 「ぼく、忙しいんです」ではなく、≪すぐホームページに入れて公開したいから至急写真を撮って来てくださいと言って頼んでおきながらすぐホームページに入れない≫、≪すぐにホームページに入れることができないのに「至急、写真を撮って来てください」と頼んで私の予定を変更させて写真を撮りに行かせた≫ ということについて、「すいません」「申し訳ないです」といったひと言がないとおかしいのです。 何を大きな顔と腹して「ぼく、忙しいんです」などとぬけぬけブタブタ言ってるのでしょう。 
   U草は「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」と、むかつく文句を何度も大きな声で口にしていましたが、こういうところで、「すいません」「申し訳ないです」といった言葉をひと言として口にすることができない人間のことを「営業できる」とは言いません。
   U草が、「『ホームページに公開したいので、至急、工事現場の写真を撮って来てください。』と言いますから、その日から3日以内に無理をしてでも撮影してきてください。そうすれば、『ぼく、忙しいんです』と言って、撮って来てもらったものをそのまま何週間も放置しますから。」と正直に話したならば、それは≪よばれてすぐ参上するのは、放下僧(ほうかそう)ぐらいのものであろう。≫という程度を超えており、当然、断るべきであり、私は断ったと思います。U草は、正直に言わずに私を騙したのです。騙したのではなく、結果として不本意な態度を取ってしまったのなら謝ったでしょう。謝らずに「ぼく、忙しんです」などと言うということは、計画的に私を騙したということになります。U草のとった態度は「社内営業」に逆行するもので、あいつはそういうことをする人間だと信頼を失くす態度ですが、U草は逆に「うまく騙して、撮りにいかせてやった、してやったり」とか思っていたのかもしれません。そういうやりくちができるという「営業力」が自分はある、とか思っていたのかもしれません。しかし、私はそんなものを「営業力」だとは思わないですね。そういう態度は取らないのが「営業力」だと思います。あいつの言う事はきかない方がいいぞと思われるこのU草のような態度をとるのが「営業力」ではなく、そういう態度をとらないのが「営業力」です。
   「ホームページに公開したいので、至急、写真を撮って来てください」と人に行って人の予定を変更させて撮影させてきておきながら、自分はそれをそのまま放置するというのは会社人のマナーに反することであり、それを指摘されたなら「ぼく、忙しいんです」ではなく「すいません」と謝るもので、それが社会人のルールです。ルール・マナーを守らず居直る能力が「営業力」ではありません。
   なぜ、U草はそんなことをしたのか。 私をなめていたのでしょう。  U草は株式会社新昭和(http://www.shinshowa.co.jp/ )の取締役のZ間氏には「Z間さんは大事なお客さんですから」と言って、私が担当のN瀬様宅の工事をやる予定になっていた大工を、N瀬さんが工事にくるものと思って自宅で待っているのに、当日突然、Z間氏のアパートの工事に行かせた。千葉市若葉区の某様邸で、依頼されていたものと異なるものがついていると引き渡しの時に言われて、「つけかえます」と返事をした上で何カ月も放置している。 「相当苦情を言われていますよ」と言っても、「大丈夫ですよ。あの人は大丈夫な人ですから。 心配いりません。」と放置する。 U草という男は、一方で「大事なお客さん」として他の現場に入る予定の大工を横取りしてまわす人を指定し、他方で「大丈夫な人」というのを認定して、そういう人にはとことん無茶苦茶して怒らせる。 市原市のY瓦店の社長が「新華ハウジングさんは、いつも、支払い期限の日に支払わない。 何日に払うと約束して仕事をさせたのなら、約束の日には払わないといけない。それができないなら仕事をやめた方がいいよ。」と相当に怒っていたが、U草に「相当、怒っているみたいですよ」と話しても、「大丈夫ですよ。 支払いが遅れてもやってくれる業者ですから。 言わせておけばいいですよ。」と平気でいる。 U草は相手が最後通告のように言っていてもそれがわからないらしい。(社長の長○川も支払い期日に代金を払わない会社の社長が、「働いてばっかりいてもしかたがないから」と言って、従業員に働かせて社長と社長の嫁と子供だけハワイにバカンスにばかり行っている。社長のカネと会社のカネは別だと言い張ったとしても、実質上、小規模のオーナー企業で社長のカネと会社のカネに明確な境界などないのであり、ハワイにバカンスに行くカネがあったら代金払えよ、と普通は言いたくなるのではないか。) そして、私にも、「○○さんは大丈夫な人ですから」「○○さんは言う事をきいてくれる人ですから」と何度も言ったので、「どういうことですか?!? どうして、私が『言う事をきいてくれる人』なんですか?!? 」と抗議したが、それでも、「○○さんは大丈夫な人ですよ。 言うこと聞いてくれる人ですよ。」と頑固に言い続けてきかなかった。U草は私が最後通告のように言ってもそれでも「大丈夫な人ですよ」と平気でいるのです。 この男は、「大事な人」「何でもすぐに従わないといけない人」と「大丈夫な人」「無茶苦茶やってもいい人」「言う事をきいてくれる人」というのを勝手な判断で分けるらしいのです。 かつ、その判断が無茶苦茶なのです。 U草が「大丈夫な人」とか勝手に認定している相手というのは、実際に会ってみると、無茶苦茶怒っているのです。U草はそれが理解できないのです。
      ,ひとに依頼する場合は事実にのっとって依頼するべきです。 事実に沿って依頼するならば、U草は私に依頼する時、「『今すぐホームページに建築現場の写真を公開したいので、至急、撮影してきてください』と言いますから無理にでも予定を空けて3日以内に撮影してきてください。そうすると、ぼくは『ぼく、忙しいんです』と言ってそれを永遠に放置しますから」と言うべきだったのです。そうすれば、アホか、ふざけるな!となったでしょう。それを「今すぐホームページに建築現場の写真を公開したいので、至急、撮影してきてください」と事実に反することを言って私に予定を開けさせて建築現場の写真を急遽取りに行かせたのであり、U草は私を騙したのです。 U草は、千葉市若葉区金親町の入居者の方が、U草がすぐに対処しますと言いながら何カ月も放置していることを相当怒っているのに、「心配しなくていいですよ。あの人は大丈夫な人ですから。」と言い、市原市のY瓦店の社長が「新華ハウジングさんはいつも支払いの約束の日に払わないが、そんなことでは誰も請けなくなるよ。約束した日に払わないなら、そんなことなら仕事やめた方がいいよ」と相当怒っているにもかかわらず、「大丈夫ですよ。 支払いが遅れてもやってくれる業者ですから。 言わせておけばいいですよ。」と平気でいるのと同様に、私を「大丈夫な人じゃないですか。○○さんは」と勝手に決めつけ、事実に反する依頼をして私を騙したことも、「大丈夫ですよ」「平気ですよ」と思っていたのでしょう。「あの人は大丈夫な人ですから。平気ですよ」とひとに話していた可能性も十分あります。 
   そして、私が、「ホームページに公開したいので、至急、撮影してきてください。」とU草が言うから、急遽、予定を無理に空けて、撮影してきたのに、それを「ぼく、忙しいんです」などと言って、そのまま放置しているということに、私は相当怒っているということを理解しないし、強く不快感を持っているという意思表示もしているのですがそれでも理解しないのです。 U草が忙いか否かにかかわらず、私だって暇じゃないのです。U草が「すぐにホームページにアップしたいので、至急、撮影してきてください」と言うので、無理に予定を空けて撮影してきたのであって、暇だから撮影してきたのではないのです。 私はU草のその態度に相当怒っているのです。 ところが、U草は「(そういうことをしても)○○さんは大丈夫な人ですよ」とか勝手に思っているのです。 《1》で述べた I 工務店の営業本部長は、社長の義理の弟だそうで、まがりなりにも営業本部長で常務で、私からすれば上役で、歳も私より上でした。 それに対し、U草は中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)の社長 長○川 S二と長くつきあっていて、新華ハウジングには古くからいる人間ではあるけれども、住宅建築業の業界においては、職歴・学歴・資格のどれで見ても、その3つを総合して見ても、私より下の人で、年齢も私より下の人間なのです。 でも、彼は「大事な人」と認定してへこへこへこへこする相手と、「大丈夫な人」と認定して無茶苦茶する人間とに分ける彼の分類で、私は「大丈夫な人」の方に分類してしまっているのです。 こういうやつというのは、いったいどうすればわからせることができるでしょうか。
   司馬遼太郎『国盗物語』を読むと、あくまで司馬遼太郎の文章を前提として『国盗物語』の登場人物としての織田信長・明智光秀のことですが、プライドの高い明智光秀に対し、織田信長はその能力を評価しながらも、面白くないと見ていたようで、信長が比叡山を焼き打ちにした時も、それを思いとどまるようにしつこく進言する光秀に対し、
≪ 「金柑頭」
信長は、この次元のちがう会話をくりかえしているのが面倒になったのだろう。やにわに光秀の頭の天辺をつかんでふりまわした。
(うっ)
と、光秀は堪えた。
「汝(うぬ)にわからせるのは、これしかない」
・・・・
「百年、汝(うぬ)と話しても結着はつくまい」
・・・・
「阿呆っ」
 信長は光秀の頭をつかんだまま、力まかせにころがした。≫
(司馬遼太郎『国盗り物語 第四巻 織田信長(後編)』「猛炎」 1971.発行。2004.改版 新潮文庫)
この信長のようなことでもしなければ、このアホは理解しないのではないかとも思えるが、そうするわけにもいかない。そのくらいやっても理解しないかもしれない・・・となると、U草は私を勝手に「大丈夫な人」「無茶苦茶やってもいい人」と認定するようだが、そう認定された側としては、U草を「職場でなければ、つきあいたくない人間」と認定せざるをえないことになる。私以外にもU草をそう認定した人はいるのではないか。
  一回、このブタ、ウエスタンラリアートでもくれてこましたろかという感じだが、そうもいかないだろうが、「U草じゃだめだ」と言う言葉を何人もから聞いたところをみると、そういう気持ちにならされている人間は相当いるということだろう。 ウエスタンラリアートの問題点として、ブンタッタ体型の男というのは首が太くて短いので、ウエスタンラりアートは打ち込みにくいという点がある。 スピニングトウホールドをかけるにしても、やっぱり、足も短くて太い。
※「ウエスタンラリアート」を知らない方は
⇒《niconico-【新日DVD】スタン・ハンセン》http://www.nicovideo.jp/watch/sm15096384
他参照。


  桶狭間の戦いの時のこと、今川義元の大軍が東から尾張に迫ってきた時、規模において大きく劣る織田信長の軍が今川軍を撃退するには、今川義元だけを討ちとって今川勢を混乱させて他の兵隊は逃走させるという策しか防ぐ方法はなかった。 ところが、
≪ そのうち右翼隊の敗兵が合流してきた。その敗兵のなかから、前田孫四郎(のちの利家)という二十歳の将校(ものがしら)が、自分の獲った首を高くかかげつつ走り出てきて、
「殿、一番首でござりましたぞ」
と叫んだが、信長は、
「阿呆(あほう)っ」
 そう叫んだだけでそっぽをむいた。・・・≫
(司馬遼太郎『国盗り物語 第三巻 織田信長(前編)』 「風雨」 1971.発行 2004.改版。新潮文庫)
今川義元以外の者の首なんぞとってもしかたがない。 他の者は逃げる者は逃げさせるべきで、義元のみを狙って討ち取り、今川勢を混乱させて逃走させるという方法しかない織田軍において、小物の首をとりましたと報告されても、「阿呆っ」と言うしかなかった、ということだろう。
  [第207回]《やりもせずに他部署の業務をできると言う者、口出す者を認める会社+「子供があるから」は言い訳にならない》http://shinkahousinght.at.webry.info/201310/article_3.html 【3】(3)で述べたことであるが、2010年8月、千葉市中央区鵜の森町の会社の近くの私がポスティングをした家の方から、私が休みの日に、リフォームの問い合わせの電話が入ったが、電話に出たU草は、私に無断で行って、よほど特別変でなければ頼もうという気持ちの方から床の補修工事の契約をとってきた。 私としては、10万円未満のリフォームの仕事をひとつもらっても、取れないより取れた方がいいとしても、それだけで喜べるものではなく、そういった無名・小規模な会社でも比較的頼んでもらえやすい工事をこなすことで地域に浸透していこうという趣旨でやっているのであり、それを、営業担当者を飛ばして話をされたのでは、そこで話が切れてしまうのであり、営業担当者を無視して無断で勝手に行ってきた男から「ぼく、行って契約とってきました」と言われても、それは、いわば、義元以外の小物の首をとって「殿、一番首でござりましたぞ」と言っているようなもので、、「阿呆っ」とまで言わなくてもいいけれども、困ったことをしてくれると思った。 そのあたりを理解できていない男に、「ぼく、営業やったことないですけど、営業できますから」などとヌケヌケと言われたあかつきには、さすがに、「阿呆っ」とでも言ってやりたくなる。 言ってやっても、おそらくその意味を理解できないであろうけれども。
  (2013.12.23.) 

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