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zoom RSS 人の気持ちを理解する者と踏みにじる者はどちらが営業に適性があるか、及、なぜ男性は女性に譲るのか

<<   作成日時 : 2013/01/23 10:49   >>

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〔第156回〕営業と会社の話(39)
   営業とは何か? 今となっては20年以上前、木質系住宅建築請負業のK社で、営業の仕事を始め、しばらくした時、この問題について、
ひとつは、知識であり、ある程度以上の知識を持った上での相談能力である、と認識した。 世の中には、「柱と梁(はり)の違いもわからないで、それでも売っている」ような住宅の営業(いくらなんでも、柱と梁の違いくらいはわかっているかもしれないけれども、そういう感じの営業)もいるようであるが、基本的にはそれは違う。学者のような知識が求められているのではないとしても、基本的には、ある程度以上の知識があって対応するものである。
そして、もうひとつは、人の気持ちを理解することである。人の心を理解し、思いやることである、と。
ヤクルトスワローズ他の監督をやった野村克也が「野球は頭でやるもんや」と語っていたが、「住宅営業とは何でやるもの」かというと、これのみとあげることはやさしくないが、あえて言うならば、「住宅に関する知識、及び、それを踏まえた相談能力」と「人の心を理解する能力」が2本柱だと私は思ったし、今も思っている。

  この「人の気持ちを理解すること」「人の心を理解し、思いやること」という方について、今回、述べる。

  どんなに優秀な実績を残した人でも、失敗した時はあると思うし、又、10の成果を出した人と3の成果しか出さなかった人を比較した時、10の成果を出した人はすべての部分について3の成果しか出さなかった人よりも優秀であるわけではなく、ある部分については3の成果しか出さなかった人の方が優秀である場合もある。 ある程度以上の規模、営業社員が全国で1000人前後いる会社において全国1位の成績を残したような人でも、すべてにわたって優秀であるというわけではなく、その他の優れた面を生かして成果をだしているが、ある部分において弱点・欠点を持っているということはある。

   私が在来木造のI社の福島県の某営業所(展示場)に在籍した時、所長をしていたKさんは全国で1000人以上の営業社員がいたI社の営業で全国1位の成績を残したこともある人であった。 Kさんの契約数と私の契約数では、明らかにKさんの契約数の方が多かった。それに従い、契約客が同じ地区の他展示場に来場した時に接客をしたり追客中見込客の接客をしたりする度合いは、私がKさん担当の契約客・見込客を接客してあげる回数とKさんが私の契約客・見込客の接客をする回数では、私がKさんの契約客・見込客を接客する回数の方がはるかに多かった。 しかし、この点については、だからといってそう不平があるわけでもなかった。 ひとつには、なんだかんだ言っても、現実にKさんはそれだけの契約をあげていたのであり、「悔しかったらそれ以上に契約取ってみろ」ということになるということがあったが、それとともに、Kさんが私の担当の顧客、特に契約客を接客してくれた時、その顧客から「Kさんがこんなことを言われました」と話を聞くと、さすがだなあ、さすがに全国一の成績を残したりするだけあるなあ、と思えるような、工夫のある話し方がなされていて感心することがあり、その顧客のために協力してもらえたというだけでなく、私が営業をする上において役立てられるもの学ぶべきものがあったからです。
   しかし、全国一の営業成績を残したこともあるKさんにも欠点はあった。 Kさんが担当の顧客を私が接客したり、又、かつて、Kさんが追客して断念した見込客を私が接客した時に、その顧客から教えられて知り、あのおっさん、そんなことするのか・・・・と思い、「他山の石」として理解するものもありました。
   ある30前後くらいの夫婦の見込客のお宅におじゃました時、「 I 社では、今でも、Kさんが所長さん、やってられるんですか?」ときかれ、「はい、そうですが。」と言ったところ、特に、奥さんから「あんな人が所長になっているなんて、I 社って、よっぽど、人材が不足しているんですね。」と言われたことがあった。 「何かありましたでしょうか。」と言うと、「ちょっと、聞いてくださいよ。おたくの所長のKさんはこんなことされるんですよ。」と言って話されたのが次のような話でした。
   所長のKさんがかつて追客していて断念した見込客を、私が再度、担当させていただいて、お話させていただいていたのですが、かつて、所長のKさんがそのお宅におじゃました時、その御夫婦には小学校に行く前くらいの女の子がありましたが、所長のKさんが、帰り際、その女の子に「今度、来る時、アイスクリーム買ってくるからねえ〜え」と言ったそうです。そう言って帰ったそうです。 そして、次来る時に、アイスクリームを買って来なかった、それを1回ではなく2回も3回もやった・・・という話です。  これを、何だ、それだけのことか、と思う人はその分、営業の能力がない人です。
   大人なら、たとえば、夏場、「今度、来る時、冷えたビールでも買って持ってきますから」とでも言って、次回、持っていかなかったとしても、「なんだ、ビール持ってこないの?」とでも言って、「あ、すいません。忘れちゃいました。」 「なんだよ。持ってくるって、口だけかよ、まったく。」で済むことかと思います。 実際、まだ、契約していない段階、まだその見込客は1円も払っていない段階ですから、契約してすでにいくらか支払ったのなら「○○くらい、サービスで持ってきたらあ〜あ」と言っみても悪くないとしても、アイスクリームを買って持ってきてちょうだいと要求するような立場ではありません。ですから、その御夫婦は、買って持ってきてくださいなどとはひと言も言われていないのです。 「今度、来る時、アイスクリーム買ってくるからねえ〜え」というのは、あくまで、所長のKさんが、Kさんの方から一方的に口にしたことなのです。 問題は、その「今度、来る時、アイスクリーム買ってくるからね〜え」という文句をまだ小学校に行く前くらいの子供に言ったということです。 「うちは、まだ契約したわけでもなく、まだおカネを払っていないのですから、買ってきてもらわなくてもかまいませんし、うちは乞食ではありませんから、買ってもらわなくても欲しければ自分で買いますが、子供に『今度、来る時、アイスクリーム買って持ってくるからね〜え』と言ったのであれば、その次に来る時には本当に買って持ってきてもらいたいのです。その次に買って持ってくるつもりがないのなら、子供に『今度、来る時、アイスクリーム買って持ってくるからね〜え』などと言わないで欲しいのです。 大人に言うならまだいいけれども、子供は『今度、来る時、アイスクリーム買って持ってくるからね〜え』と言われれば、次にKさんが来る時にはアイスクリームを買ってきてくれるものだと思うじゃないですか。子供は覚えていて、Kさんの顔を見ると『アイス、アイス』と言うでしょ。それを『ああ、買って来なかったわあ』で、『今度来るときはアイスクリーム買ってくるからね〜え』と言って、次また『買って来なかったわあ〜あ』では、子供がどう感じると思いますか? Kさんは、どうして、子供にそういうことをするんですか。それを見て、この人には2度と来てもらいたくないと思いました。」と言われたのです。 あのおっさん、そんなことするのか、と思いました。
    こういう問題について、私が子供の頃、同じような経験をしたことがあったかというとありました。 それで、相当にこたえたかというと、無茶苦茶こたえたケースとなんともなかったケースの両方がありました。 先になんともなかったケースについて言いますと、私の父が、朝、会社に出勤する時、家を出る際に、「おみやげ買ってくるからねえ〜え」と言ってでかけるのです。 最初にそれを言われた時、小学校に行く前、ちょうど、Kさんが「今度、来る時、アイスクリーム買ってくるからねえ〜え」と言った子供と同じくらいかそれより小さい頃のことですが、私は、「おみやげ買ってくるからねえ〜え」と言うからには買ってくるんだろう、と思ったのです。それで、夜、父が帰ってきた時、「おみやげは?」ときくと、「ないわあ〜あ」・・・・。 それで、思ったのです。朝、出る時には、おみやげを買って帰ってこようと思っていたけれども、仕事に忙しくしているうちに忘れてしまったか、それとも、仕事が忙しくておみやげを買う時間がなかったのだろう、と。 「24時間戦えますか」「夜討ち朝駆け」「会社のために死んでもはたらく」「撃ちてしやまん」「一億火の玉」「欲しがりません、勝つまでは」「滅私奉公」「鹿取のように働く」「なんとかのかんとかは死んでもラッパを話しませんでしたあ〜あ」「とってちってたあ〜あ」と働くジャパニーズビジネスマンは、朝家を出る時にはおみやげを買って帰ろうと思っていても、「男は仕事が第一」であることから、仕事に夢中になっていると、おみやげを忘れてしまうこともあり、帰りに買おうと思っても店が閉まっていることもあるだろう。私たち家族のために働いてくれている父親に、おみやげを忘れたことを責めるようなことはするべきではない、と思ったのです。そして、翌朝、「おみやげ買ってくるからねえ〜え」と言って父は家を出るのです。 ・・・今度こそは買ってきてくれるだろう・・・と思って、夜になると、「ないわあ〜あ」・・・。 やっぱり、リゲインのように働くジャパニーズビジネスマンとしては、「がんばってばんばって、し〜ごと、がんばってがんばってし〜ごと♪」と働く日本的エコノミックアニマル・日本的ワーカホリックとしては、きょうも、おみやげのことを考える余裕はなかったんだ、私たち家族のために働いてくれているお父さんに、おみやげを忘れたくらいのことを責めるようなことは決してするべきではない、と思いました。 そして、その翌朝、「おみやげ買ってくるからねえ〜え」「買ってきてねえ〜え」・・・で「ないわあ〜あ」、次の日も「ないわあ〜あ」・・・・。その次の日も「おみやげ買ってくるからね〜え」→「ないわ〜あ」 その次の日も・・・。 それを繰り返しているうちに、「おみやげ買ってくるからねえ〜え」と父が言うのは、それはあくまで出かけの挨拶であり、朝、特に早い時刻でなくても「おはよう」と言うのと同じようなもので、買ってくる予定が特にあるわけではないと思うようになったのです。 子供が。小学校に行く前の子供が。それで、これはたいしてこたえなかった。
※リゲイン「24時間戦えますか」については、
「YouTube-リゲイン24 CMメーキング♪ CG無し! 」 http://www.youtube.com/watch?v=-I56OyNhd7E
※「がんばってがんばって、し〜ごと」については、
「ニコニコ動画―グロンサンDX 1990」http://www.nicovideo.jp/watch/sm6733926 参照。
   相当にこたえた方もありました。 1960年代なかばのこと。 父の勤め先の社員旅行に一緒に小豆島に連れて行ってもらったことがありました。小学校の1年の時でした。 帰り、小豆島から大阪の弁天埠頭に向うフェリーボートの中で、私が肩からかけていった水筒に小豆島の旅館で入れてもらったお茶を、父が会社の従業員の人たちに「配給、配給」と言って、飲ませてまわったのです。2泊した小豆島での生活の間、会社の人にボートに乗せてもらったり、一緒に泳いでもらったりして、親切にしてもらったので、その人たちに自分の水筒のお茶を分けるのは決して嫌ではありませんでした。しかし、小学校の1年生が肩にかける水筒ですから本当に小さいものです。会社の従業員の人たちに「配給、配給」と言って飲ませてまわると、すぐになくなるのです。私が、「のど、かわいた。お茶、ほしい。」と言ったときには、「もう、ない」。 なぜ、自分は飲めないお茶を入れた水筒を肩にかけて運ばなければならなかったのでしょう。 子供が肩にかけている水筒のお茶をもらっても悪いことはないと思いますが、その子供が飲む分まで飲んでしまってはいけないと思うのです。 でも、その水筒を肩にかけていた小学校の1年生が飲みたいと思ったときには1滴もなかったのです。 それで、「のど、渇いた。」と言うと、父が「ジューース、買ってやろう」と言って船の売店に連れて行ったのですが、売店は閉まっていました。「弁天埠頭に着いたら買ってやる」というので、がまんすると、弁天埠頭に船が着くと、「バス来てる、弁天町の駅についたら買ってやろう。」と言い、(当時、国鉄、現・JR大阪環状線の)弁天町の駅にバスが着くと、「プラットホームで買ってやろう」と言い、プラットホームに行くと、「電車来た、電車来た。天王寺の駅に着いたら買ってやろう」と言い(大阪環状線は2分か3分おきに電車の来る線ですから、たいてい来ます)、さらに、天王寺(現・JRの大阪環状線・阪和線・関西線の天王寺駅)まで我慢すると、「阪和線の電車来てます。南田辺の駅に着いたら買ってやる。電車、来てます。電車来てます。」と言うのです。その頃、阪和線の南田辺駅から徒歩圏の所に住んでいたのですが、天王寺駅は阪和線のターミナル駅であり、たいてい「電車来ている」のですが、来ていてもすぐに出るわけではありません。 当時、トイレの水道は上水道が来ており、別に、ジュースでなくても、水道の水でもよかったのですが、「もう出る、もう出る。」と言い、そして、やっと、阪和線の南田辺の駅に着きました。もう、ここからは、もう、乗る電車もバスもありません。今度こそ、買ってもらえると思うと、父が何と言ったかというと、「もうすぐ、家です。もうすぐ家」・・・・・。 そして、「ほ〜ら、家ついた〜あ」と。 結局、小豆島から大阪の弁天埠頭に向うフェリーボートの中から、弁天埠頭〜弁天町駅〜天王寺駅〜南田辺駅を経由して自宅まで、「買ってやる、買ってやる」と言い続け、買ってもらえなかったのです。 ジュースでなくてもよかったのです。水道の水でよかったのです。その頃は、今と違って、「ミネラルウォーター」などというものは売っておらず、逆に、水道の水は今よりもおいしかったのではないかと思います。 あのおっさんは、どうして、ああいうことをするのか、と思いました。私が20歳くらいになったとき、父は「あんたには、子供の頃から、よそと違って、欲しい物はどんなものでも、いいものばっかりなんでもなんでも買ってやってやってやってやってきたから。」と言いだしたので、「ウソつけ。」と思いました。 その頃は、「夏場は水はできるだけ飲まない方がいい」という説が通説でしたが、いつの頃からか、逆に、「脱水症状を起こさないように、夏場は水分補給に気をつけるべきだ」という説の方が通説になりました。今の説が正しければ、子供に「弁天町の駅に着いたら」「天王寺の駅に着いたら」ということをしていたのでは、悪くすると、脱水症状で死んでしまうことになるかもしれません。あのおっさんは、いったい、何考えていたのかと今は思います。 「わしが営業課長やっていた時は、それまでにないものすごい営業成績残した。」とおっさんは言っていたのですが、自分が営業の仕事を経験した後においては、その発言は多かれ少なかれマユツバではないかという気がします。 大人に対してでもそうですが、特に子供に対してこんなことするものではないと思います。 その時、本当に苦しかったのですが、それとともに、「買ってやる、買ってやる」と言い続けて、結局、最後まで買ってもらえなかったことについて、このおっさんはいったいどいういう性格しているのか、と思いました。子供に「買ってくる」「買ってやる」と言ったならば、それは買ってあげるべきであり、買う気がなければ、「買ってくる」「買ってやる」と言わないものだ、ということを、頭でよりも、体で理解できている人は、その分、営業能力のある人で、それが認識できていない人はその点については、その分、営業能力のない人だ、と言えると思います。
  小豆島に行った時に、もうひとつ話があります。行く前に、父が「小豆島に行った時、夜、浜辺で花火をしよう。その花火を買ってきなさい。」と言ったのです。それで、私は近所の店で買ってきて用意したのです。買ってくると、小豆島に行った時、浜辺で花火をするのが楽しみで、買ってきた花火を見るだけでもうれしかったのですが、家で買ってきた花火を見ると、父が「花火は小豆島でやる。家ではやらない。」と言うので、見ることができませんでした。いよいよ、小豆島に行き、そして、1日目の夜が来たので、さあ、花火ができると思うと、父が「花火は2日目の夜にやる。1日目にはやらない。」と言うので、そうかと思いました。ところが、2日目、2泊3日の社員旅行では最後の晩、夕食の後、父は会社の人たちと一緒に酒を飲み出し、いつになっても、花火をしに行こうとしません。私はずいぶん我慢したのですが、もう夜も遅くなってきます。これ以上、遅くなっては花火はできなくなると思い、それで、「花火しよう。」「花火しに行こう」と言いましたが父は無視します。しばらくして、再度、「花火しにいこう。」と言うと、その時、高校生であった姉が、私の腕を引っ張って、「ちょっと、あんた、いいかげんにしなさい。いったい、何、考えてるの、あんたは。」と言って怒るのです。なんで、私が起こられなければならないのでしょう。「お酒飲んでいる人が夜の海に行ったら危ないでしょう。いいかんげんにしなさい。あんた。」と怒るのです。小豆島に行って、夜、花火をしようと言いだしたのは父なのです。そして、「1日目の夜には花火はしない、2日目の夜に花火をする」と父が言ったのであり、私が言いだしたのではないのです。それなのに、どうして、私が怒られなければならないのでしょう。父が小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと言うから買ってきて、そして、1日目の夜ではなく2日目の夜に花火をやると言うから1日目はやらないのを納得したのであり、それなのに、2日目の夜、何も言わずに、そのまま無視するので、それで、もしかして、忘れているのではないかと思って「花火しよう」と言ったのに、どうして怒られなければならないのか、と思い、小豆島に行って花火をするから買ってきなさいと言われて用意して、2日目の夜にやると言うからそれまで待ったのに、やってもらえないということとともに、自分は悪くないのに怒られるということがとてもつらかった。 姉としては、弟は父と一緒に遊びに来たつもりでも、会社の社員旅行で来ているので、最後の夜は打ち上げで酒を飲むことになっても社員旅行としては不自然ではなく、相当遅くまで酒を飲んだ人を夜の海辺に連れて行くわけにもいかないと思ったようです。それで、姉は父を従業員の人と一緒に残して、自分が弟を連れて一緒に海辺に花火をしに行こうと思ったようです。 しかし、高校生の姉としては、夜の浜辺に小学生の弟と2人で行くというのは、女として怖いところがあったのではないかと思います。 父の勤め先の会社は化粧品会社でしたが、姉が食事兼宴会場から私を連れて就寝に利用している部屋に戻ると、ひとりの美容部員の女性がなぜか部屋に戻っていました。それで、姉が、「○○さん、一緒に花火しに行きませんか。」と言い、そして、そのおねえさんと一緒に3人で浜辺に行って花火をしました。 私はその美容部員のおねえさんと一緒に花火をしたのがとてもうれしかったので、今でも、その一緒に花火をしてくれた美容部員のおねえさんはどうしているだろうなあと思ったりしますし、百貨店の1階あたりにある化粧品のコーナーなどで美容部員さんを見ると、そのおねえさんのことを思い出します。 父は、どうも、社員旅行の2日目の夜に食事の後、飲み会のようになるということを予測していなかったのだと思います。 それで、2日目の夜に花火をしようと思ったのだと思いますが、2日目の夜になると、「わしゃ、会社で働いてやってやってやってやっとるんじゃ。」ということで、花火など無視するのが当然だと思うようになったのだと思います。 しかし、父親なら、それならそれで、「申し訳ないけれども、花火をしに行けなくなってしまった。ごめんな。必ず、他の機会にやるようにするから、きょうは我慢してくれないか。」と子供に言うべきです。それが言えない人でした。 それ以上に、高校生の姉は、酒を飲んだ人を海辺に連れて行くわけにはいかないと思い、それで、責任を感じて、自分が小学生の弟と2人で花火をしに海辺に行こうかと考えていたのです。父親なら、そちらの方を心配するべきではないのか、高校生の娘に小学生の弟と2人で夜の海辺に行かすことを父親として心配しないのか、と思いますが、「わしゃ働いてやってやってやってやってやっとるんじゃ。」と思っている人としては、「家庭のことは女が考えるものです。」と思っていたのでしょう。 父は「わしは営業課長(だったか営業部長だったか)の時には、他の誰がやったこともないくらいの成績を残した。」と言っていたので、聞いたときにはそうかいなあと思っていたのですが、自分が営業の仕事をある程度やってみると、それは多かれ少なかれマユツバだろうなあと思うようになりました。なぜか。 社員旅行なら最後の夜に酒を飲むくらいはありうるということを考えていなかったのはミスですがしかたがないとしましょう。 2日目の夜に花火をやろうと思っていたができなくなったとした時、家にいた時、「花火は小豆島に行ってやる。家ではやらない。」と言い、近所の子供が家の前で花火をやっていても我慢させ、そして、小豆島に来た1日目の夜には「花火は2日目の夜にやる。1日目の夜はやらない。」と言って1日目の夜にも我慢させた、その子供に、2日目の夜になって、ひと言も何も言わずに無視するという態度は、営業の経験のある人間のやることではないと思うのです。 営業の経験のある人間なら、「ごめんなあ。できなくなってしまったんだ。すまん。わかってくれ。」と子供に言うと思います。それを言えない人から、「過去に例のないくらいの営業成績を残した」と言われても、たぶん、違うと思います。 そして、それだけの営業成績を残した人なら、かつ、会社のある程度の役職につく人なら、子供と一緒に花火をやって遊んでくれた美容部員のおねえさんに「○○さん、うちの子と一緒に花火やって遊んでくれたんだってね。ありがとう。」というひと言を言ってほしかった。それが言えない人に「かつて例がなくくらいのすんばらしい営業成績」とかなんとか言われても、マユにツバをつけたくなります。
   そういうところで、子供に、約束を破ることになってしまったことを、「申し訳ない。どうしようもないんだ。わかってくれ。すまん。」と言える人と言えない人であれば、言える人はその分、営業能力がある人で、言えない人は、その分、営業能力のない人だと思います。 一緒に花火をやって遊んでくれたおねえさんに「○○さん、うちの子と一緒に花火をやって遊んでくれたんだってね。ありがとう。」というひと言を言える人と言えない人では、言える人はその分、営業能力のある人であり、言えない人というのは、その分、営業能力のない人であると思います。 おっさんは、もしかすると、フェリーボートの中で「弁天埠頭についたら」と言い、次に「弁天町の駅についたら」と言い、「プラットホームに・・」「天王寺の駅に・・」「南田辺の駅に・・」と続けて、「もうすぐ家です。もうすぐ家。」とやるのが「営業力」とか「心理学」とか思っていたかもしれません。しかし、私はそういうものを「営業力」と認めたくないし、もし、それを「営業力」と主張する人がいたとしても、あまり素敵な「営業力」ではないと思います。
   在来木造の I 社で、ある国家公務員の東大出のキャリアの方に契約いただき建てていただいたことがありましたが、「色合わせ」の時、相当長くかかり、夜8時前後くらいに終わったと思いますが、終わり頃、連れて来られた子供2人が嫌がりだすと、「◇◇ちゃん、もうちょっと我慢して。」と言い、そして、終わると、「◇◇ちゃん、終わったよ。よく我慢したね。よくがんばったね。」と言われたのを見た時は、この人はさすがだなあ、と思いました。それが言える人と言えない人では、言えない人の方が「営業力がある」のではないと思います。言える人の方があるのだと私は思います。
   在来木造 I 社で所長をやっていたKさんは、何社もの競合になったケースで、他の営業が誰もが思いつかないものを考え提案することで見込客から感心されるようなこともあった人で、私などもそれらを見たり聞いたりして自分のものとして取り入れさせてもらってきました。営業として実績を残した人であるのは間違いないと思いますが、上の話などはあまりいただけない部分でしょう。

   I 社で、福島県某所の営業所にいた時、その地域に配属されていた新卒入社2年目のおにいちゃんYくんが新卒入社1年目の女性と結婚するということで、結婚式の2次会に皆さんできてもらいたいと誘ってくれたことがありました。 その時、私は、30歳を過ぎて、まだ独身でいたので、それは「人には人それぞれの道がある」のであり、「人生いろいろ」であるのですが、ひとの結婚式に行くと、また、所長が「あんたはまだ結婚しないのか。」とでも言いだすだろうと思い、何も、そんなことで、「酒の肴」にされなければならない理由はないと思い、それで、欠席させてもらおうと思いました。但し、来てくださいと言ってくれた新卒入社2年目のぼくちゃんが悪いわけではないので、せっかく誘ってくれた彼の気持ちを害しないようにと思い、「会費」としていた金額と同額の商品券を買ってきて、彼に「お祝い」として渡そうと考えました。 それで、そのYくんのいる営業所に商品券を持って行ったのですが、彼が席をはずしていたので、同じ営業所の人に、彼に渡してもらうように頼んで自分の営業所(同じ総合住宅展示場内の別の建物)に戻りました。 しばらくして、彼は、私を訪ねてきて、「どうも、ありがとうございます。」と言いにきました。 そして、それだけではなく、出席してもらえないのはいたしかたないけれども、もしかして、何か気を悪くさせるようなことをしただろうかとずいぶん彼は考えたようです。その様子を見て、私は、彼は、その時、まだ経験が浅くそれほど契約実績は残していませんでしたが、「この気持ちがあれば彼は売れる」と思いました。 人からお祝いをもらった時、怠ることなくただちに、「どうもありがとうございます。」とお礼を言いにいく。 かつ、出席してもらえないのはいたしかたないとしても、もしかして、何か気を悪くさせるようなことはなかったか、と考えるというそういう姿勢がある人というのは、そういう姿勢のない人よりも、その分だけ、営業として売れる要素がある、その分だけ、営業能力があるということだと思います。

   だめな方の話もあげます。 私が勤めてきた千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社に2011年4月から社長の妻の友人だという女性が縁故入社で入ってきました。 「自分は縁故だ」という意識が強烈であり、特別扱いしてもらう当然の権利があると思っている人でした。 でも、周囲の従業員に迷惑をかけて特別扱いしてもらうために入社するのなら、それなら、最初から、従業員として入社しなくても、カネだけもらえばそれでいいことではないかという気もいたします。 
   住宅建築請負業の営業というのは、契約していただき、建てていただくことが仕事です。 不動産業の営業の場合も、契約していただくのが仕事です。 その過程として、会社の認知度を高める作業に貢献するとかも仕事ですが、契約していただくことが何より仕事です。 ということは、勤務時間内に会社にいればいいというものではないのです。 終業時刻になると帰って良いか悪いかというと、就業時間と労働基準法の視点から考えるなら帰って悪いということはないのです。 しかし、それまで、同社の営業は「基本給+歩合給」で、基本給部分は歩合給なしでは生活できないような低額であったのに対し、縁故のT口さんの場合には、「基本給+歩合給」のシステムの者がある程度以上契約をあげた場合の額の歩合給を基本給に加えた額を入社時から何の実績も残さずに「固定給」として取っていた(盗っていた)のです。 
   それで、朝9時半に出社すると、午後6時に定時に帰社するのが当然、労働基準法と就業時間から考えて当然、と思っているようでしたが、彼女T口さんは、「基本給+歩合給」の者がある程度以上契約してもらった時の額を「固定給」だとして貰っているのです。それだけの「歩合給」をもらおうとすれば、現実には、時間外であってもそれなりに働かないわけにはいかないはずなのです。住宅屋の営業としては。実際問題としては。 ところが、パートさんみたいに、定時に帰るのです。 それも、一緒に仕事をしている人が、まだ、彼女と一緒にやっている業務をやるために残って仕事をしているのに、「すいません。きょうは、○○の用事があるので、申し訳ありませんが、先に帰らせてください。」とでも言うならともかく、「か〜えろっ。」と言って帰るのです。 まず、口のきき方から考えなおさないといけません。 自分が一緒にやっている仕事が残っていて、それをやるために、勤務時間を終了してもまだ仕事をしている人がいるのに、なぜ、自分だけあたりまえのように先に帰ることが許されるのか。 もし、労働基準法と就業規則から帰って悪くないはずだと言うのであれば、残って仕事をしている者もまた帰って良いはずであるが、帰ってしまったのでは業務が成り立たないから残って仕事をしているのです。 それを「か〜えろっ」とは、一度、その口は、ペンチで引き裂いてもらった方が本人のためになるのではありませんでしょうか。
   営業は、誰の努力で契約をあげるのかというと、基本的には自分の努力で契約をあげるものです。 見込客が少なければ、自分の努力でチラシのポスティングをするなりしてみるものです。 ところが、縁故入社の人は事情が違うのです。 縁故入社のT口さんが入社すると、社長のH川さんは何をやりだしたかというと、それまで、ポスティングなどに使用するチラシは輪転機で1色刷りにしたものを使うしかなかったのに、突然、印刷屋に頼んで、カラー刷りのものを大量に印刷するようにしました。 縁故は違うもんだ。 まあ、いいでしょう。もともと、印刷屋が作成するカラー刷りのものと輪転機での1色刷りのものでは効果が違うのだから、印刷屋に頼んでもいいでしょう。 そこからが問題。 昼間、大工仕事をしている人たちに、T口さんのために、夜、時間外に、無賃労働でポスティングをさせるようにしたのです。 なんで、そんなことするのですか? ポスティングは見込客が欲しい営業がするものと違うのですか?  それで、自分のために、昼間、大工仕事をやっている人たちに、夜、時間外に無賃労働でポスティングをやってもらって、その当人の縁故のT口さんはその時間にどうしていたかというと、6時の定時ぴったりに帰っていたのです。  なぜ、毎日毎日ぴったっりに帰ることができるかというと、あらかじめ何十分か前から帰る準備をして、何分か前から帰ろうと待っているからでしょう。 終業時刻まで働いて「さあ、帰ろうか」とすればたいてい何分かはオーバーするのですが、毎日毎日ぴったりに帰ることができているということは、あらかじめ帰る準備をしているからです。(アブノーマルに労働組合が強い会社や役所でそれが通じる職場もあるようですが、一般に終業時刻とはその時刻までは仕事をしているという時刻です。) それで、「子供があるから。」と言うのですが、子供のある人は他にもあるのです。 子供がなくても、子供以外の家族の用事がある人もいるのです。 親がまだ若くて世話する必要がなく、子供はわんさか産む女、産ませる男というのは、なぜ、高齢になって体が不自由なひとの親は見殺しにしてよい、と考えるのでしょう。 なぜ、自分の子供のために、体が不自由なひとの親は殺してしまえという態度をとる権利があるのでしょうか? この人殺し女は、なぜ、ひとの親を殺して、子供を産みまくる権利があるのでしょうか? なぜ、そんな女が「子供手当」などというものを強奪するのを許されなければならないのでしょうか?  
   まず、チラシを相当に多く刷ってしまって、チラシの有効期限、その日までには入れないと意味がなくなってしまうという事態になってしまった時に非営業職の人に協力を求めるというのは、絶対やってはいけないということはありません。 問題は、社長が指示するという点です。 実力もなく、人にやってもらうのが当然みたいに思っているような女のために、社長が非営業職に頼んではいけないのです。 基本的には、頼むのであれば、営業の仕事をしている者が、自分で頼むものなのです。 そして、頼んだ時に協力してもらえるような人間関係をあらかじめ構築するように努力するべきものです。 そういう努力をしたとして努力が常に成功するとは限らないとしても、そういう努力をする人のためなら非営業職の従業員としても協力して悪いことはないかもしれません。 しかし、社長が頼むと、頼んでもらったアホ営業・バカ女はやってもらって当たり前と思ってしまうのです。 これではだめです。 これでは、非営業職が入れたチラシから一時的に反響があっても、長い目で見れば決して良いことはありません。 非営業職に協力してもらおうと思えば協力してもらえるような態度を取らないといけない。協力してあげようという気持ちになってもらおうと努力しないといけない。 そういう努力をする姿勢を奪うように社長が指示したのでは、アホ営業をますますアホにしてしまいます。
   それで。 2011年6月。 不動産のチラシには「有効期限」というものがありますが、チラシの有効期限ぎりぎりにおいて、ま〜だまだ何千枚残っていたのです。 普通の社長なら激怒します。 新華ハウジングの社長のH川さんは「言われなきゃわからない」そうで、知りもしなかったようですが、普通は、社長というものはそうではありません。 ここで「激怒する」というのは、「おそろしい剣幕」とかそういうもののことを言っているのではありません。穏やかな話し方であっても、にこやかな顔つきであっても関係ありません。 その社長が激怒しなくても、激怒する内容であるのは間違いないのです。 それで、私は、2011年4月下旬から、工事管理と総務が仕事となり、営業から完全に離れていたのですが、これでは、(普通の)社長は激怒する(内容)だと思い、少しでも枚数を減らしてあげようと思い、それで、体の不自由な老母が待っていたのですが、無理をして夜11時頃まで、「フィット事業部」のT口さん I 村さんのために近隣にポスティングをしたのです。 ところが。その時間に担当のT口さんが何をしていたかというと、定時にさっさと帰っていたのです。 労働基準法から考えれば帰って悪くないはずだと。「どこが悪いの!」と。 しかし、労働基準法から考えれば、その時、工事部所属の私の終業時刻は午後5時でT口さんより早く、当然、帰って悪くないことになるのですが、その大量に残っているチラシは後1日か2日で紙屑になってしまうのですから、なんとしても、紙屑になる量を減らさないといけません。 担当でなくても、従業員として、とても見ていることができずに、無理をして夜遅くまでチラシのポスティングをしたのですが、担当のT口さんはさっさと定時に帰って家族団欒していたようです。 労働基準法と就業時間からすれば帰って悪くないとしても、その人のために大量に印刷したカラーチラシを紙屑にするのも悪くないと主張するのでしょうか。 「私は子供があるから」と言うようですが、でも、その子供は私が産ませたのと違いますでしょ。 だんなの子供でしょ。 「子供があるんですから」と、なんだか私が産ませたかのように言うのやめてもらえませんか? 人聞きの悪い! だんなの子供でしょ、だんなの子供。その子供のために働けないというなら、その分はだんなになんとかしてもらうものと違うのですか? ひとのだんなになんとかしてもらおうとするのはやめなさい。 それで、そこから契約があがると、無理をして夜遅くまでポスティングをした者にではなく、家族団欒していたT口さんの「固定給」になるのです。もうひとりの担当のI 村さんがどうしていたかというと、なんと!社長のH川さんが右翼団体の集会に連れて行っていたのです。 担当外の者が無賃労働で夜遅くまでポスティングしている時にすごいことするね。 スーパー社長、or、モンスター社長。(こんなことする人間、あんまりないと思うけどね〜え・・・。)(R研究所というこの団体にはまってしまった社長は、一般に、こういうことをやりだす人が多いようです。)それで。 普通、担当でない従業員に自分の仕事を時間外に無賃労働でやってもらったら、「どうも、すいませんでした。」というひと言くらいは言うものではないかと思うのです。 それを言える人が営業であり、言えない人は営業ではないと思うのです。 決して、逆ではないと思いますよ。それを、T口さんは言わないのです。 どうして? エンコだから・・というより、もともとそういう性格の人なのでしょう。 人にはやってもらって当たり前と思っているのでしょう。それで、営業の仕事ができますか? できんでしょう。 できないと思いますよ。 ひとに協力してもらったら「ありがとうございます」、ひとに迷惑をかけたら「すいませんでした」くらい、言うものでしょう。 それを、T口さんは絶対に言わない、絶対に言えない。 どういう育ち方したのかという気になります。 「親の顔を見たい」という言葉がのど元まできているのですが、うかつに言うと「本当に見たいのか、それとも、たとえなのか」とか質問されそうな感じがするのですが、本当に見たいくらい「親の顔が見たい」という気持ちなのですが、見てもしかたがないのです。 それで、結論をいえば、こういう人は何も無理に営業の仕事をしなくてもいいと思います。仕事につくにしても他の職種にした方がいいと思います。 無理です。 「人に世話になったら、『ありがとうございます』と言いなさい」「人に迷惑をかけたら『すいませんでした』と言いなさい」というのは、それは小学校か幼稚園で教えることです。 それができない人は、特に営業の仕事は無理です。 そういう態度で非営業職に協力してもらえると思いますか? 特に建築業界の営業は無理です。 建築業においては、特に、職人には気分よく仕事をしてもらわないといけません。 「私は客なんだから」という意識の施主にはそういうものではないのですよと理解を求め、施主に腹を立てる職人はなだめて機嫌をなおしてもらいするのは、営業の仕事のひとつです。 T口さんにはできないでしょう。 施主にではなくT口さんに職人が腹立てると思います。「ありがとうございます」「すいませんでした」も言えない人は、他の業界に行ってもらった方がいいと思います。
   さらに、2011年7月のこと。 損害保険を扱うには、かつては、「損害保険募集人試験」に合格すれば良かったのですが、この頃には、それだけでなく、「商品専門試験」というもので、「火災」「自動車」「傷害」のいずれかに合格しなければ扱えないようになり、又、更新というものはなく終身有効だったのが、5年ごとの更新制になりました。 私は、この「損害保険募集人試験」の「更新試験」を翌日に控えていた時のことです。 夜、そろそろ、帰らせてもらおうとしたところ、工事部の人が、「チラシのポスティングをしてくれと言われたので来たのですが、どれを入れればいいですか。」と言ってきたのです。 時間外に。 ところが、T口さんは、入れてもらうように社長のH川さんから工事部の人たちに頼んでもらっておきながら、入れてもらうチラシも用意していないのです。 なぜ、用意しないかというと、自分で頼まないからです。 社長から頼んでもらうからです。 他部署の人に協力してもらうように自分で頼んだ人は、協力してもらえるように、きっちりと用意するのですが、T口さんは社長が頼むものだから、やってもらって当たり前と思ってしまい、やってもらうならやってもらえるように、入れてもらうチラシはきっちりと用意しておかないといけないという意識が完全に欠落しているのです。 それで、さっさと定時に帰っているのです。 労働基準法から考えれば、帰っていいはずだ、ということになりますか? 労働基準法から考えるならば、昼間、大工仕事をしている人が、夜、T口さんのために、時間外に、無賃労働で、チラシ入れをしなければならないことはないのです。 労働基準法から考えれば、労働基準法上の労働時間制限をオーバーしており、やってはならないのです。 私が6月に時間外に入れたのも、労働基準法違反の時間外労働です。 どうして、エンコの人は労働基準法を楯に定時に帰り、そうでない従業員はそのしわ寄せに労働基準法違反の無賃労働をさせられるのでしょうか?  どうして? 「それがどこ悪いの。」と思っているようで、また、そう口に出すようですが、悪くないと言うの? 頭冷やした方がいいのじゃない? 冷水摩擦でもした方がいいのじゃない? そう思いませんか? それで、昼間、大工仕事をやっている工事部の人が、「夜、チラシのポスティングをやってくれと言うからやっても、営業の人が先に帰っているし、ポスティングをしようと来ても、入れるチラシも用意していない、というのでは、それではやる気しない。もう、やるの嫌だとみんな言っているよ。」と言いました。誠に誠にもっともなことですが、私は、なんてお人よしだったのでしょう。 T口と I 村、特に、T口のために、工事部の人たちが完全に機嫌を損ねないように、翌日に損害保険募集人更新試験を控えて、早くに帰りたい事情があったにもかかわらず、夜9時過ぎまで、チラシの紙折りをしてなだめたのです。 普通、そうやって助けてもらったのなら、2日後、次に会う日には、まず、「どうも、すいませんでした。」のひと言くらいは言うのが当然ですが、T口は言わないだろうなあと思っていると、やっぱり言いませんでした。 「新人類」というのか「異星人」というのかわかりませんが、こういう人は営業は無理です。 それで、社長のH川さんに、その状況を話したのですが、それでも、理解できないようでした。 それで、この人はだめだと思いました。 
   人に世話になったら「ありがとうございます。」「ありがとうございました。」、迷惑をかければ、「すいませんでした。」とひと言、言わなければいけないし、T口さんのような絶対に言えない人は、営業の職種は無理だと思います。 最終学校を卒業したばかりの20歳前後とでもいうなら、まだ、半分、子供なのだからしかたがないと思って、なんとかわからせてあげようということもありうるとしても、すでに30を超えて子供も持っている人がこれでは、どうしようもないと思います。 「求職市場においては、男性で35歳以上、女性で28歳以上を中高年と言う」と就職支援セミナーの講師の方から聞いたことがありますが、その基準で「中高年」に該当する年齢にすでになった人で、ひとに迷惑をかけた時に「すいません」と言わない言えない、ひとに世話になった時に「ありがとうございます」と言わない言えないひとは、営業の職種は無理です。
   人に世話になれば「ありがとうございます」、人に迷惑をかけた時には「すいませんでした」と言う力・・・と言うと、そんなもの当たり前じゃないか、「営業の能力」と言うほどのものではないじゃないか、と思う人もあるかもしれませんが、上の I 社で、Yくんが私から「お祝い」をもらった時に、すぐにお礼を言いに来て、結婚式の2次会に出席してもらえないのはいたしかたないけれども、何か気を悪くさせるようなことをしただろうかと気を使ったその姿勢と、新華ハウジングのT口さんが、非営業職の人たちに、時間外に無賃労働でT口さんのためにポスティングをしてもらっても、「ありがとうございます」のひと言も言わない、怒りだした工事部の人たちをなだめるために、「工事管理、総務」が職種で終業時刻が早い私が、翌日に資格試験の予定があるのに無理をして夜遅くまでチラシの紙折りをしてなだめても、それに対しても「すいませんでした」も言わない言えない、という態度・姿勢・性格を比較して見た時、そこには大きな差があるということがわかると思います。 なんとか、工事部の人たちが機嫌を悪くしないようにと紙折りをした者に「すいませんでした」も言わない言えないというのは、単に礼を欠いているだけでなく、気を使ってもらった相手の心を土足で踏みにじっているのです。 それがわかっていないのです。 

   それで。 「女性が勘違いするケース」というのがあるらしい、ということをT口さんを見て気づいたのです。
   「男性は女性に甘い」と思い違いしている女性がいます。 この場合の「思い違い」は「思いあがり」でもあります。 
   かつて、木質系K社で同じ営業所に営業補助としていたMさんは怖がりで、何かあるとすぐに「ちょっと、こわそう」と私を呼びにきました。それで、いつしか、Mさんが「ちょっと、こわそう」と言うと私が助けに行くことになったが、Mさんは助けにきてもらうと喜んで会う人間誰にでも「やさしいのよお」と言ってまわってくれるので、そんなに喜んでくれるのなら、「やさしい男性」になっても悪くないかなとも思うようになりました。 でも、そういうものを見て、《「男性は女性に甘い」から女性である以上、その人と同じように何でもやってもらう権利がある。》と勘違いする人がいるらしいのですが、それは違います。 Mさんは、助けにきてくれた相手を裏切らないし、相手の気持ちと立場を考えた上で協力を求めているのであり、そして、協力してもらうばかりではなく自分も相手のために一生懸命協力するのです。だから、助けてもらえるのです。 それを勘違いして、自分も同じようにしてもらえるはずだと思い込む人というのは、いわば、日本の昔話にある正直者のおじいさんが鬼かネズミか舌切雀かに宝物をもらったのを見て自分も貰えるはずだと勝手に勘違いする隣の欲深じいさんか意地悪ばあさんのようなものです。
   T口さんのような女性には、私もそうですが多くの男性が「譲る」と思うのです。但し、譲ってもらったからいいというものではなく、なぜ、「譲る」かというと、「男性は女性と争えない」から、男性が女性と争っても見た目がよくない、評価してもらえないから仕方なしに「譲る」のです。 そのかわり、この人とは関わらない方がいいという判断をしているのです。 かたぎの人間が、やくざ者に、かかわらない方がいいからと譲っているのと同様です。それを、譲ってもらったのだから、今後、もっと譲ってもらっていいだろうなどと思うようなら絶望的なのですが、男性が「譲る」女性というのは、そういう相手です。社内においては、マナーのない人、協調性のない人、であり、社外には、営業としては論外の人、ということになるでしょう。
   人に世話になったら「ありがとうございました」、迷惑をかけたら「すいませんでした」と言う能力というのは、営業の基礎でしょう。 それができなければ、男性は人に言うことをきいてもらえなくなりますが、女性の場合、それでも無理に要求すれば、男性は女性と争えないので、「言うこと」をきいてしまう場合が多い。しかし、そこで「言うこと」を無理にきかせてしまうと、もはや、「関わらない方がいい相手」と相手に思われてしまうことになります。 それでも「言うこと」をきかせようとする人というのは、営業力があるのかないのかというと、ないのです。 
(2013.1.23.) 

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