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zoom RSS 「男の気持ちを理解できる女性営業」・「女の気持ちを理解できる男性営業」〜会社と営業の話(24)

<<   作成日時 : 2012/05/24 01:48   >>

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〔第97回〕
   私は、高校生くらいの頃、営業の仕事をするつもりはまったくなかった。というよりも、せっかく、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、営業みたいなものを、なぜ、しなければならないのかと思ったし、又、営業のような仕事をしなくてもいいように、小学校の1年から苦労して努力して学習してきたつもりであった。
   エルマー=G=レターマン『販売は断られた時から始まる(The Sale begins When theCustomers Says "No".)』(松永 芳久 訳  1964.初版 1982.8.5.新装版 ダイヤモンド社)の「18 挑戦に応じよ」に、≪ 成績がよく利発な子供が、セールスマンになりたいという話はあまり耳にしない。 とかく、こうした子供は将来、法律家、医師、教授、あるいは化学者を志望している。 機械はつくりたいと思うが、その販売には当たりたくないと思っている。 数学と統計とを学び、保険会社の保険数理士の資格は得たいと思うが、学校に通って保険勧誘員になる勉強をしようとは夢にも思わない。・・・ ≫ と書かれているが、私自身そう思っていた。
   それが、何の因果か、住宅建築業の営業の仕事についた。 それは、大学卒業後に勤めた、木質系の某社の営業が、知識を蓄えて、顧客の相談に乗るという「コンサルタント営業」というスタイルを取っていたことから、こういう営業ならば、自分にもできるのではないかと思ったということがあるが、「世間で、こういうものが『営業』だと言われているものというのは、たいていが、『神話』である。」と言われて、なるほどと思ったことからでもある。
   レターマンは、『販売は断られた時から始まる』(ダイヤモンド社)で、≪人によっては、なんでも販売できる人がある。まわりにいる人びとを感動させずにはおかないような熱烈な気魄をもって、ある商品の販売に当たっていたかと思うと、つぎにはぜんぜん別の商品の販売に同じように熱意をもって当たれるというような、まれにみる商才のある人がある。どの商品についても、微に入り細にわたって覚えることをまじめに義務としている人である。どの新しい仕事にも惚れ込んで従事出来る人である。
   これに反して、いったんある分野の仕事を選んだうえは、あくまでもその仕事を守り通し、一生の仕事として働くセールスマンもある。あなたが、この前者に属する人物であるか、あるいは後者に属する人物であるかは、ある程度、あなたの人柄、ならびにあなたがセールスマンとなる前の経歴によって決まるものといえよう。≫と述べているが、私の場合、後者のタイプとなった。又、業種・扱う商品により、前者のタイプの人が向く業種・商品と後者のタイプの人の向く業種・商品があって、住宅建築請負業の営業の場合は、後者のタイプの方が向く業種・商品ではないかと私は考える。 
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 ↑ エルマー=G=レターマン『販売は断られた時から始まる』(松永 芳久 訳 1953. 1982.新装 ダイヤモンド社)

   いつであったか、ラジオの野球中継を聞いていた時、誰か忘れたが、解説者が、「この選手は、どこを『守れる』とか、『守れない』とか言うのは、あくまでも、『プロのレベルの守備ができる』かどうかということですよ。『プロのレベルの守備』でなくて良いなら、皆、プロの運動選手ですから、どこでも守れるんですよ。」と話していたことがあったが、私は、住宅建築業の業界で勤めてきて、営業であっても、それなりに図面もかけて当たり前、工事現場もわかって当たり前であって、「プロのレベル」でなくてもよければ、他の職種でもできるのが基本と思ってきたので、この野球解説者の話を聞いて似ていると思った。 が、不思議なことに、他の職種のことが全然わかっていなくて、それで、なぜか、仕事をやっている人がたまにいるので、そういう人というのは、レターマンの言う前者のタイプの人なのかもしれない。

   実際に、営業の仕事をして良かったと思ったことは、いくつもあるけれども、もしも、大学を卒業して、学校の先生か、もしくは、「先生」と言われるような仕事、たとえば、医師とか弁護士とかいうような仕事についていたとすれば、「自分は、間違ったことをしていないのであるから、言い訳も売り込みもする必要はない。」という姿勢で人生を生きたのではないかと思うのだが、営業の仕事についたことから、そうではなく、「間違ったことをしていないのだから、それを説明して理解してもらうようにして、そういう姿勢で仕事をやっているということを売り込むべきだ。」と考えるようになった。 この違いは、相当に大きいように思う。 中に、嘘八百を平気で言える人間が営業だと思っている人がいて、私が勤めた千葉市の会社にもいたが、私はそれが営業ではないと思っている。 
   もうひとつ、営業の仕事というよりも、住宅建築の営業の仕事をやって、良かったと思うことは、家を建てる時に、予算について、余裕のある人というのは、ほとんどなく、予算が小さい方はもとより、予算がある程度以上ある方でも、当初、考えていたものよりも、計画を煮詰めていくとかかりそうだということで、相当に考え、頭を悩ませた上で、決定されることが多く、それを、目の前で見ており、そして、その方が払ってくださったお金の中から、自分の給料が支払われていると思うと、そのお金は、決して、無駄遣いはしてはならないという気持ちになる。 心が荒れる仕事も世の中にはあると思うが、その点、この仕事は、自分の心が洗われるような仕事であると思うようになった。

  そして、自分が営業の仕事をすると、自分が客の側である時に、相手の営業力が見えるようになるということがある。

  今回は、そのうち、「男の気持ちを理解できる女性営業」と「女の気持ちを理解できる男性営業」について、述べたい。
【A】「男の気持ちを理解できる女性営業」
〔1〕ある生命保険の女性営業の話
   在来木造の某社に在籍して、福島県の某営業所にいた時のこと、従業員の誰かが入った保険屋さんだと思うのだが、時々、営業所に出入りしている生命保険屋の女性がいた。 「おっ、なかなかやるな。」と感心して見たことがある。 なにしろ、彼女は、営業所の従業員用出入口に来て、「こんにちわ。」と言った時には、すでに靴を脱いでいるのである。  そして、何だったか、それほど高くないお菓子であったか何かを持ってきて、「これ、おいしいですよ。 食べませんか。」と言って、机の上に置くと、「お茶、あった方がいいですね。」「お茶、どこでしたっけ。」と言って、他所の会社の炊事場をかってにゴゾゴゾやって、「あ、急須、これ使っていいですね。」と言って、他所の会社の急須とお茶っぱでお茶を入れて、湯のみ茶碗にお盆も、そのへんから引きづり出してきて、「はい、どうぞ。」と言って、そこにいる男性営業にひとりずつ、お茶を置いて行くのだ。 それで、「私も、た〜べよっと。」と言って、勝手に他所の会社の椅子に座って食べだすのだが、こちらが営業の仕事をやっていなければ、気づかなかったかもしれないけれども、なにしろ、こちらも営業だから、「ほほ〜お・・・・、なかなかやるなあ〜あ・・・。」と感心して見るのだ。 それで、これと同じことを、もしも、男性がやると、「こら、他所の会社に勝手に入るな。」と言われたり、又、「お茶あった方がいいですね。」とか言い出しても、「いいよ。他所の会社のもの、勝手にさわるな。」と言われたりするところであるが、どうも、男性ばかりの職場であると、女性には、そう言いにくいし、そう思っているうちに、お茶とお菓子をひとりひとりに用意されてしまって、そうなると、帰れとは言えなくなってしまうし、座られてしまって、そのうち、保険の話が出てきたとしても、特に忙しくなければ、相手にするようになって、そのうち・・・・・、生命保険に入ったかというと、私は、すでに生命保険は相当に入っていたので、その人からは入らなかったけれども、なかなかやるではないかと感心して見ていたのだ。 「感心して見ていた」ということは、保険に入らなかったとしても、マイナスの評価ではない。彼女は、いつ、その技を身につけたのかわからないけれども、「ザブトン1枚差し上げたい」→そこにいることには文句は言わないから、お茶飲みながら、お菓子食べながら、保険の話でもしていってください、ということになる。

〔2〕あるヤクルトおねえさんのお話
   木質系の某社にいた時のこと、私は、総合住宅展示場に出展していた営業所に普段いたが、千葉駅前にあった千葉支店に行くことが時々あった。 千葉支店に、ヤクルトの販売に来るおねえさんがいた。 私が子供の頃、ヤクルトの販売の女性は、「ヤクルトおばさん」だったように思ったが、最近は、昔に比べて若い人が多いような気がすると営業所で話したところ、向かいの席のおっさんから、「ちがうの。自分が歳いったから、若く見えるの。」と言われたが、そういう面もあるかもしれないけれども、やっぱり、昔よりも若い人が多いような気がする。 
   それで、木質系某社の千葉支店に出入りしていたヤクルトおねえさんであるが、それぞれの人間の机の横に行って、勧めてまわるらしい。 ある時、私が千葉支店に行った時、私の横にも来て、「○○、どうですか。」と言い、「いいですよ。」と言っても、ひと言断られたくらいでは離れない。 いつまで横にいるかというと、結論として、買うまでなのだ。 それで、どうも、男性の多い職場の男性社員というのは、女性に横につかれると買ってしまうらしい。 というより、彼女は、「女の特権」みたいなものをフルに使っていたのだ。 男につきまとわれたなら、「要らないと言ってるだろうが。向こう行け。うるさいなあ。」と言うところが、どうも、相手が女性だと言えない。 そのうち、女性社員が、「○○さん、買ってあげたらあ。」などと横から言いだして、ふと、気づくと、「あっ。買っちゃった。」となって、「でも、まあ、いいか。」くらいの気持ちで、そのうち、また来て、そして、同じように、「あっ。買っちゃった。」というのを繰り返すようになり、まあ、でも、何十万円も詐欺にあったわけでもなし、自販機で買うよりもヤクルトおねえさんから買う方が、ちょっと高いような気もするけれども、まあ、いいか、みたいな気持ちになって、男性社員の多い会社の男どもは、彼女から相当買っていたようである。 彼女は、その点、上手かったのだと思う。
   それに対して、在来木造の福島県の某営業所にいた時、やはり、ヤクルトの販売に来た女性は、いつも、従業員用の出入口に来て、「ヤクルトですけど、何かありますか。」と言い、最初のうち、それでも、買っていたおじさんがいたけれども、その人が他の営業所に移ると、「ヤクルトですけど、何かありますか。」と入口で言われても、「ないね。」と言われ、「そうですか。また、来ます。」と言って帰り、それが何週間か続くと、そのうち、来なくなった。それでは、だめなんだよ。 女性には、「男に売る女性の営業」というと、「色仕掛け」とかなんかそういうものだろうとを思う人がいるらしいが、別に、そういうものではなく、(このヤクルトの女性も〔1〕の生命保険の女性も「色仕掛け」みたいなことは何もやっていないし、)言っちゃ悪いけれども「おばさん」であっても、男性の多い職場の男性社員は、横にずうっとおられると、「あっ、しまった。買っちゃった。・・・・・まあ、・・・いいか。」みたいな感じで買うことがあり、木質系某社の千葉支店に来ていた人はそれがわかっていて、在来木造の福島県の某営業所に来ていた人は、それがわかっていなかったということだと思う。彼女が今もわかっていないか今はわかっているかはわからない。

〔3〕ハワイのストリートガールのお話
   もう15年ほど前のこと、その時、在籍した在来木造の某社で、成績優秀の営業所の人間は、海外旅行に行かせてもらえるということがあり、私がいた営業所ではハワイに行った。 夕方、ワイキキの道の交差点にいると、「遊び、好き?」と言って話しかけてくる女性があり、信号が変わったので、返事しないでそのまま行くと、「あっ、そっち行くの?」と言ってついてくるのだ。 それで、私は何と言ったかというと、「No,thank you.(ノー、サンキュー)」と英語で言ったのだが、相手は日本人で、かつ、日本語で話しかけてきていたのであり、今、思うと、なんで、日本人相手に英語で話さなきゃならんのかと思ったが、ハワイに行ったら、英語で話さなきゃと思い込んでいたのでそうなったと思う。 それで、私が「ノー、サンキュー」と言うと、「どうして?」と言って、こちらの顔を見るのだ。 「どうして」と言われても、別に、こちらから呼んだわけでもないし、それよりもですねえ、私のホテルの部屋というのは、職場の同僚のオッサンと一緒のツインの部屋でですねえ、部屋にお呼びするわけにもいかないんですよ・・・とまで言うことはないけれども、「どうして?」と言われると、なんだか、断るとかわいそうな気がしてしまうというのは、男というのは、やっぱり、アホなのかもしれないが、彼女の方は、そのあたりの男性の心理を理解して言っていたのかもしれないと思うのだ。 けっこう、「営業力」があったのかもしれない。

〔4〕「営業力」のない女性の話
   逆に、「営業力のない女だなあ〜あ」とあきれた人もいる。 複数例あるが、今回は、「男の気持ちを理解できる女性営業」の話を中心に述べるので、典型的な一例としては、〔第62回〕《男性社員にゴキブリ処理をさせる方法、もしくは、「営業力のある女」と「ない女」〜営業と会社の話(8)》 http://shinkahousinght.at.webry.info/201109/article_2.html (及び、〔第102回〕《ゴキブリ絶叫女は許容すべきか否定すべきかの考察、及、営業に必要な「垢落とし」が可能か不可能かの問題。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201206/article_4.html )で述べた、“逆ウルトラC”をやる縁故入社の女性の話を思いだしていただければと思う。 あれは相当にひどい。  


【B】女の気持ちを理解できる男性営業
〔1〕なぜ、夫の留守中にあがりこんではいけないのか。
   過去を見ると月日の経つのは速いもので、もう20年以上前、木質系某社に入社してすぐの新卒社員研修で、お客様のお宅に訪問して、奥様だけが在宅されている時には、框から中に上がってはいけないと教えられた。 それで、しばらく、律儀にそれを守っていたのだが、中には、旦那が本当に仕事が忙しくて、「うちの奴に話しておいてもらえるかな。俺、後できくから。」と旦那から言われることもあり、それでも上がって話をしてはいけないとなると、永遠に話は前に進まないことがあり、それで、在籍した営業所の課長が言うには、奥さんだけの時に上がってはいけないというのは、旦那に黙って上がってはいけないということで、本当に、旦那が忙しくて時間が取れないから嫁さんに説明しておいてくれと、向こうから言われた上で、あらかじめ、何日の何時に誰と誰がうかがいます、よろしいですかと話しておいて、それで、来てくださいと頼まれて行くのはかまわないのだ、何より、別に、奥さんを襲いに行くのではないのだから、ということであった。
   それで、この問題を女性に話してみると、案外、「別に、そんなこと言わなくてもいいんじゃないの。」と言う女性が少なくない。 「中に上がってもらったとしても、別に旦那の留守中に浮気しようということで上がってもらうわけではなし。」ということだ。「せっかく来てもらったのだから、お茶くらい出してもいいじゃないの。」と。 むしろ、中に上がってもらったとして、それで、何か悪いことをするような人じゃないと思うから「どうぞ」と言うのであって、いいじゃないの、と言う人がけっこういる。 私も、勧められたことはあり、断って上がらなかったけれども、勧められたのは、何も、旦那の留守中に浮気しましょうということではなく、むしろ、旦那の留守中に上がっても、何か悪いことをするような人ではないと信用してもらえていたから、「上がってお茶でも飲んで言ってください。」と言われたのである。
   女性から、旦那の留守中に上がっても、それで何か悪いことをするような人ではないと信頼してもらえて、かつ、実際に、何か悪いことをするようなことはなければ、上がっても良いのかというと、やっぱり、基本的にはよくない。 それは、奥さんがよくても、自分の留守中に、男に上がり込まれると、別に、そこで何かやったわけでなくても、旦那が気分悪いと思うことがあるからだ。 だから、ご主人の留守中、奥様だけが在宅の時には、框から中に上がってはいけないという話は、半分は、旦那の気分の問題なのである。 この点について、営業の経験の浅い人にはわかっていない人がけっこういるように思う。
   かつ、こういった配慮が必要なのは、比較的若い奥様の場合であって、ある程度以上の年齢になった奥様には、こういう気遣いは要らないと思う男性営業がいるのだが、それは根本的に間違っていると思う。 あなたは、もう、歳をいっているのだから、若い女性と同様の配慮はいりませんでしょ、という態度を相手に取るというのは、無茶苦茶失礼なことである。 むしろ、ある程度以上の年齢になった女性にこそ、こういう配慮は必要であると思う。 それがわからない男性の営業がけっこういることを私は知っている。 それがわかっているということは、私は、わかっていない人よりは、その点で悪くないと考えさせてもらってよいと思っている。

〔2〕 なぜ、女性はハイヒールを履きたがるのか。
   「なぜ、女性はハイヒールを履きたがるのか」と「なぜ、女性は振袖などの和服を着たがるのか。」は、共通するところがあると思う。 男性にとっては、不思議に感じるところがある。
   私自身は、10代後半から20代前半くらいまで、女性が「和服」を着るのは、どうも、良いように思えなかった。 家永三郎『日本文化史』(1959.12.17. 岩波新書)には次のように書かれている。
≪  元禄時代には、上下ともに風俗が華美になり、はでな服装が流行した。しかし、都市町人の風俗は、見た目には豪奢であっても、必ずしも服装として合理的な発達をとげたものでないことを、忘れてはならない。畳の上に座る生活が発達し、ことに座りきりとなることの多い都会の生活では、服装もおのずから立ちはたらきに不便な非能率的な形態をとるようになることをまぬかれなかった。 今日の和服の基本形態となっているワンピースの長着とか羽織とかは、この時代に完成したものであるが、その非合理的な性格は、都市町人の生活様式をそのまま踏襲しているためにほかならない。だから、肉体労働に明け暮れる農村では、こんな服装はとうてい役に立たないわけで、耕作農民たちは、近代にいたるまで、筒袖と股引とから成る能率的な服装をやめなかったのである。
   「和服」の不合理が、長い袂、大きな帯をともなう女性の場合にもっとも極端な形をとるのは、前記の事情に加えて、前の時代に述べたような、女性の社会的地位の低さとも関係があった。生産的役割がなく、自主的活動の自由を失って、いわば男性の性欲の対象にすぎない地位に堕した、武士や上級町人層の女性たちは、能率を犠牲にしても、人形的な「女らしさ」を示すにふさわしい不自然な服装を甘受せざるをえなかった。このような特殊な社会的条件のもとで成立した「和服」の特色を、日本古来の服装の伝統であるかのように思ったら、たいへんな考えちがいとされねばならないであろう。 ≫
   ≪能率を犠牲にしても、人形的な「女らしさ」を示すにふさわしい不自然な服装≫が、振袖とかいうもので、「成人式」にそのようなものを、皆よって着て出るというのは、いかがなものかと思った。
   そして、ハイヒールというのは、かつて、中国であった「纏足(てんそく)」のようなものではないのか、と思って、若いころの私は嫌だった。 東京大学学生自治会 戦歿学生手記編集委員会 編『はるかなる山河に――東大戦没学生の手記』(1951.12.15. 東京大学出版会)に、大正10年生まれで文学部国文学科卒業、昭和21年に、シベリヤ、ダイシェット北方の病舎で戦病死した三崎那之助 という人が、
≪ 葱を賣りに行くお婆さんの後からついて舊い街に入ってゆくと何の臭か分からないがぷんと異様な臭がします。そしてそういふ處には未だ中年以上の女の人で纏足をしている人や耳に金の環を通している人を見かけます。耳に通した環は必ずしも悪くありません。 小さいのを一寸垂らしている様は見ていていい感じさへ受けます。 けれども纏足の方はいやなものです。 ヨチヨチと歩いているのを見ると何処がよいのだらうと思ひます。馬鹿に大きい足もみっともないですが、小さい三角の不自然な足はひどく嫌悪の情を起こさせます。
   ・・・・・人が一人一人千差万別ならば顔の天邊から足の爪先迄異なっているのが本当で又一人一人がさういふ風にまとまっている所がよいのですから、足の先だけが皆同じだといふ点ですべての人の個性を滅却しているこの異様な習慣は眞に不愉快なものです。・・・・・≫ と述べています。
   若いころの私は、女性の履くハイヒールという靴が、纏足のような感じがして、いや〜な印象を受けたものでした。
   しかし、共通するところはあると思いますが、ハイヒールと纏足はまったく同じではありません。 纏足は、足を小さくするのですが、ハイヒールの場合は、別に、小さくしようというものではない。 ハイヒールというのは、かかとを上げることで、尻の部分が出るようになって、性的なアピールをすることになり、纏足よりも、むしろ、≪能率を犠牲にしても、人形的な「女らしさ」を示すにふさわしい不自然な服装≫である「和服」に共通するものがあるのではないかとも思えます。
  それで、そういう≪能率を犠牲にしても、人形的な「女らしさ」を示すにふさわしい不自然な服装≫である振袖などの「和服」とかハイヒールというものを、女性は嫌がっているかというと、そうでない人が多いようなのです。 男性から見れば、な〜んでだろ??? と思ったりもするのですが、家永三郎や『はるかなる山河に』の三崎さんなどの感覚はそれはそれとして、「纏足のようなもの」とか「女性差別の結果としてのもの」としてではなく、別に、嫌がらずに、着ている人、履いている人が多いようなのです。
  若い頃の私は、家永三郎の見方や纏足についての『はるかなる山河に』の三崎さんの感じ方はもっともだと思ったので、「和服」やハイヒールの女性に魅力を感じるようなことは罪悪だと思っていたのですが、しかし、一方で、本人が着たい、履きたいと思っているのであれば、無理にそれはだめだと言うものでもないのではないかとも思えるのです。
  それで、まあ、本人の意に反して無理に履かせるとかいうなら良くないとしても、本人が履きたいと思って履くのであれば、いいんじゃない? というより、ハイヒールについては、歩きにくいのではないかと男性から見れば思えるのですが、どうも、履きたいみたいなのです。 だったら、履きたきゃ履けば・・・みたいな感じで、本人が履きたいと思って履いているものを、だめだと言うことないんじゃないか・・・・・・と。
  こういうことを私は考えてきたのですが、な〜んにも考えない男がいるのです。
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↑ (左) 家永 三郎『日本文化史』(1959.12.17. 岩波新書)
   (中) 家永 三郎『日本文化史 第二版』(1982.3.23. 岩波新書)
   (右) 東京大学学生自治会 戦歿学生手記編集委員会『はるかなる山河に―東大戰歿学生の手記』(1951.12.15. 東京大学出版会)

  私が勤務してきた千葉市のSハウジングで、千葉市緑区(最寄駅:JR総武線「土気」)のある分譲地で建物を建てていました。 駅からその分譲地に至る道は、けっこうクルマの通りが多く、「歩道」があることはあるのですが、U字溝の上に金属製のフタをして、そこが「歩道」だと言い張っているという「歩道」でした。 最近、けっこう、あちらこちらに、この種の「歩道」がありますが、「クルマは道、人はミゾ」といった道路のあり方は、本来的ではないように私は思います。
  U字溝の金属製のフタには、目が細かいものと粗いものがありますが、目が細かいものは、けっこう値段がするらしい。、駅からこの緑区の分譲地に至る道の「歩道」では、U字溝のフタは、目が粗い金属製のものとコンクリート製の継ぎ目に大きな穴のあるもの↓ が使用されていました。
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  この分譲地の有利な点・不利な点についての話になった時、私は、「あのU字溝に粗い金属製のフタをした『歩道』では、ハイヒールで歩けないなあ。」と言ったのですが、ある営業の男Kが「歩けるでしょ。」と言うので、私が「ハイヒールでは、かかとが金属製のフタの穴とかコンクリートの蓋の継ぎ目の穴にはまってしまうから歩けないんですよ。」と説明してあげたが、彼は「歩けなきゃ、ハイヒールなんか、履かなきゃいいじゃない。」と非常識なことを言うので、私が「女性の気持ちとして、履きたいんですよ。」と教えてあげたのですが、それでも、彼は「履くことないじゃん。」と言うので、「履きたいんですよ。」と言い、会社にいた女性社員に、「そうですよね。○○さん。」と言うと、「そうです。」と彼女は言ったのです。 私は、住宅という男性と女性が住むものを扱う営業は、男性なら女性について、女性なら男性について理解しないといけない、男性なら、女性は男性と異なる服を着たり靴を履いたりすることがあるが、それは、実質的にどういう違いが出るのかということを理解しないといけないし、それを着たり履いたりする人の気持ちもまた理解しないといけないと思ってやってきたし、それが、住宅にかかわる仕事をする者として当然の心がけであると思ってきたけれども、「履かなきゃいいじゃない」などと非常識なことを胸を張って言う男がいたので、親切すぎるとは思ったけれども、「女性の気持ちとして、履きたいのですよ。」と教えてあげて、なおさら、会社の女性社員の口からもそれを言ってもらったのだけれども、彼はそれでも理解できないようだった。ここまで教えてもらっても理解できないようでは、営業としては、なさけない。 経験者とは言えない。
   それから、目が粗い金属製のフタ(グレーチング)をU字溝の上にかぶせた「歩道」が歩きにくいのは、ハイヒールの女性だけではない。 年寄りは、目が粗い金属製のフタの上は怖がって歩けないのです。 具体的に誰が歩けないかというと、私の母がフタの上は歩けないのです。  これを一番理解できないのは、「前期高齢者」、もしくは、「まだまだ体は元気な年寄り」ではないかと思います。 そういう人は歩けるのです。 私の母も、「前期高齢者」の時は歩いていたのです。 本当は、歩けても、目の粗い金属製のフタの上を歩くと、足の爪先を突っ込んでひねる危険性があり、年寄りは捻挫すると治るまでに時間がかかるのですが、「前期高齢者」はそれでも、歩く人が多いようです。 しかし、おおむね、「後期高齢者」の年齢になると、フタの上は怖がって歩けなくなるのです。私は母と一緒に歩いてきたからわかります。 高齢の親がいても、親と一緒に歩くことがほとんどない人はわからないでしょう。あるいは、子供がいる者は、子供のない人から協力してもらって当たり前と思っている、「家族は子供だけ」みたいな意識の人、子供を大義名分に掲げれば何でも通るみたいな意識の人、子供を大義名分にして自分の我儘を通している人にはわからないでしょう。
   私は、この点では、相当に自信があります。 目の粗い金属製のフタをU字溝にかぶせたようなものを「歩道」だと言い張っているような歩道を、ハイヒールでは歩けないと気づくことができない、教えてもらっても「履かなきゃいいじゃん。」などと胸を張っていうような営業とは格段の差があるという点に、そして、こういったことをきっちりと認識できているのは何十年と精進してきた結果であるということに自信と矜持を持っています。
   このあたりを理解できてプロであり、理解できない人はアマチュアかもしれません。 「なぜ、女性はハイヒールを履きたがるのか。」というのは、実際のところ、よくわからない・・・・が、履きたいのだから、「履きたいのだ」と認識するべきであって、「履かなきゃいいじゃん。」などと考えるべきではないのです・・・・が、わからない男はわからないのだろうな・・・・・・・・。
※「ウィキペディア―グレーチング」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0 を見ると、≪近年[いつ?]、歩道や広場などに設置したグレーチングの網にハイヒールの踵が挟まり折れる苦情が多くなったことから、格子を細かくし、デザイン的な要素を高めるなどの対策品も販売されるようになっている≫と書かれている。  しかし、≪格子を細かくし≫たものは価格が高いため、使用しにくいという問題があるようである。又、≪格子を細かくし≫たものは≪ハイヒールの踵が挟まり折れる≫ことはないとしても、それでも、一部分を横断するならやむをえないとしても、長い距離をこのグレーチングの上を歩くのは、やはり、歩きにくいのではないだろうか。

   「営業」にも、ほとんど男性のみを相手とする営業、ほとんど女性のみを相手とする営業もありますが、住宅は男性と女性の両方を相手とする仕事です。 「男の気持ちを理解できない女性営業」・「女の気持ちを理解できない男性営業」ではだめです。
             (2012.5.24.)
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武田邦彦教授のブログhttp://takedanet.com/ の《(速報)北九州報告・・島田市と併せて》(2012.5.25.)http://takedanet.com/2012/05/post_cffd.html に、福岡県北九州市 と 静岡県島田市 での瓦礫の焼却による放射線量の変化が掲載されていますが、影響は相当に大きいようです。 福島県、及び、東北被災県に、早く、放射性物質を捕捉できる焼却場を設けるべきで、全国どの自治体にせよ、放射性物質を受け入れて放射性物質を補足できる機能のない既存の焼却場で焼却するのはやめるべきです。 (2012.5.27.)
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