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zoom RSS 「主婦目線での」「女の発想で」「女性建築士による」を建築屋で 売り にするのは、もうやめませんか?

<<   作成日時 : 2011/11/07 13:48   >>

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〔第74回〕 今回は、気づいている人は気づいているはずのことを指摘します。
  「女性建築士による…」というのは、私が建築業界に入った今から20年少々前までは、なんとか通じていました。
  私の本棚にも、
女性建築技術者の会 著『女性建築士が設計した住まいのプラン集 いきいきさわやか ダイニング・キッチン』(1988.6.20.経済調査会)
MAG建築設計グループ 著『女性建築士が設計した住まいのプラン集 ゆうゆうらくらく 収納スペース』(1988.6.20.経済調査会) 
という本があります。『・・・・ダイニング・キッチン』は11人、『・・・・収納スペース』は3人の女性が著者となっています。 「本棚にある」というのは、1989年に、木質系の住宅建築業の甲社に入社した年に、学習のために買って読んだからあるのですが、その時、なぜ、他の本ではなく、これを買ったかというと、住宅の場合、女性の気持ちを理解した上で進めないと、ダンナが良ければいいだろ、みたいな意識でいては話はまとまらないということを甲社で言われたことと、私などは「戦後民主主義」と言われる時代に育った人間であり、戦前世代の父親などを見ていて、これからの家族というものは、男性と女性の両方が疎外されることなく人生を生きていけるように家庭を建設することを真面目に考えるべきであると思い、特に、ロナルド=レイン『家族の政治学』(みすず書房)などの愛読者として、自分が男性であればこそ、女性の意識というものを考えないといけないと思ったところからです。
  木質系の某社の後で勤めた在来木造の乙社に入ると、乙社では、創業の頃からのメンバーという通算契約棟数2位という男性が、大学卒業したての新人に「決定権者を見ぬく」と教えていたようで、私はそれを聞いて、ちょっと違うんじゃないか、と思ったものです。「決定権者を見抜く」ということは、ダンナが「決定権」を持っていればダンナに気にいられるようにして、ヨメさんが「決定権」を持っていればヨメさん、親が「決定権」を持っていれば親が気にいるようにするということですが、それを言っていたHさんは他の部分で長所のある人で私も教えてもらったものはあるのですが、この部分は違うと私は思いました。Hさんの言う事を「すなおに」信じていた新人がいて、私が「それは違うんじゃないか」と言っても耳を貸さなかったが、「すなお」なのも時により善し悪し・・かな。
  木質系甲社の「セールスマニュアル」に掲載されていた話です。洋風の家を作りたいという方にプランを提出し、三井ホームとの競合であったが、御主人が大変気にいられて、契約したいという話になり、契約書を持参して、御主人が署名と捺印をしようとボールペンを持った、まさにその時、横にいた奥さんが「あ〜あ。これで、もう、私の夢はなくなったのね」と言われたそうです。そのひと言で契約は完全につぶれた。男性の気持ちとして、嫁さんにそういうことを言われるような家を建てるわけにはいかない。もっとも、その御主人は、嫁さんにそう言われるような家を建てるわけにはいかないと思われたようですが、私の父なら、「わしが決めるんじゃ、わしがああ」と言って決めたでしょうけれども。
  そういう時に、「わしが決めるんじゃ、わしがああ」と言うタイプの男性が施主で、「決定権者」であったら、その人にのみ気にいってもらえば良いでしょうか? そうではないと思いますよ。 よく、夫婦共働きで、嫁さんもカネを出す場合は嫁さんの意志を無視してはいけないとか言う人がいますが、別に、誰がカネを出すか出さないかにかかわらず、住宅というものは、そこに住む人間誰もが喜べるものでないといけないと思うし、特定の「決定権者」だけが良いと思って、他の家族が喜べないようなものは、それは「家」でも「住まい」でもないと思います。私が行った大阪府のY予備校の担当の男が、親と本人との間で、親の方にばかり加担して不愉快だったのを覚えていますし、高校の2年の時の担任の教諭が、進路について「あなたは『文系』よ」と勝手に決めつけて、私は「文系」(経済学部・商学部・経営学部等のこと)だけは嫌だと思ってきたし、そういうところへ行きたくないから、そうでない所へ行けるようにと思って、小学校の1年から努力して勉強してきたつもりであったのに、どうして、そういうことを言うのだろう、高校の先生の言う事だから、何か理由があるのだろうか・・と思ったりしたのですが、要するに親の機嫌の方を取ろうとしていたのでしょう。今から思うとむかつきます。私が親なら、そういう態度を取る教師だと、こいつはそういうヤカラか、と半分くらい軽蔑しますが、うちの親はそういう態度をとる教師を喜んだのです。人は誰のために働くかというと、「究極的には」カネを出す人間のために働く、という面があります。Y予備校はそれが露骨だったのです。親がカネを出すのだから、親と子との間では、露骨に親の側に立ったのであり、そして、実際に、「カネ出してるのは親なんだから」と口に出しても言ったのです。Y予備校とその担当者に対して「この野郎」と心の中でずっと思ってきたので、だから、「決定権者を見抜く」などと言う人間を見ると、Y予備校の担当者と同様の浅はかな人間と思えますし、首をもがれても「決定権者を見抜く」などという外道の態度をとるわけにはいきません。住宅屋は住宅を提供して報酬をもらうのが仕事で、「決定権者」だけが気にいるような「家」「住まい」と言えないような建物を建ててカネをもらうというのは、住宅屋の道に反していると思うのです。

  そういった気持から、上の2冊を買って読んだのですが、この本の内容は期待と少し違って、な〜んか変わったことを意図的にやりたがっているようで、「女性建築士による」ものかもしれないけれども、これが女性の入居者にとって喜ばれるものなのだろうか? と少々疑問も感じたのです。
  ひとつには、ハウスメーカーではなく「○○設計事務所」「△△一級建築士事務所」といった所に勤務している人が何人かで作った本であり、そういう所に勤めている人というのは、女性であっても、「建築は爆発だあ〜あ!!!」みたいな変わったものを作るのが「建築家」だという、へんてこりんな《「建築家」病》、もしくは《丹下健三のエピゴーネン病》にかかってしまっている疑いがあり、このビョーキには、男性だけがかかるものではなく、“女性建築士”も、かからないとはいえないらしいことが理由のようでした。
  中原中也の日記に、≪孤独以外に、良い藝術を生む境遇はありはしない。交際の上手な、この澱粉過剰な藝術家さん。≫〔1927.1.17.(月曜)〕(中村稔 編著『中也のうた』1970.9.30.社会思想社 現代教養文庫)という記述があります。 ≪交際の上手な、この澱粉過剰な藝術家さん≫とでも、言ってやりたくなるような、そんな「建築家」が少なくないように思いますし、設計事務所というところにいる人というのは、そういう、わざわざ変わったことをやって目だとう、アピールしようみたいな≪澱粉過剰な≫“建築家さん”になってしまう人が少なくないように思います。
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 ↑ (左)『女性建築士が設計した住まいのプラン集 ゆうゆうらくらく 収納スペース』(1989.経済調査会)
    (右)『女性建築士が設計した住まいのプラン集 いきいきさわやか ダイニング&キッチン』(1989.経済調査会)
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 ↑ ≪女性建築士が「主婦の目で」編集した“住まいのプラン集” ≫というコピーが書かれた折り込み
   (今日においては、もはや、時代遅れの文句だと思います。)
※「〜は爆発だ」については、
ウィキペディア―岡本太郎」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E 他参照。

  それでも、今から20年少々前においては、建築業というのは男性が中心で、「設計」をやる女性はまだ少なかったので、「女性建築士による」という文句が売り物になったし、建築業の会社にも、多少は女性の従事者がいた方がプラスになるということは考えられたと思います。
  しかし、今となっては、女性で建築業界に勤める人は珍しくもなく、女性の建築士も男性同様に掃いて捨てるほどいるわけです。 その状態で、「女性建築士による・・・」「主婦目線での・・・」「女の発想で・・・」というのが売りになるか? というのが問題です。
  先に結論を言ってしまうと、落ち目の政党が、とにかく女でも出しておけば受けるのじゃないか、みたいに女性の候補者を大量に出すような、そんなものだと私は思っています。 社会党が衰退してきた時、「マドンナ旋風」とかいって、女性の候補者を大量にだした時があったと思います。土井たか子が委員長になった時も、日本で初めて女性の委員長ということで、プラスの評価をする人がありましたが、私は、土井さんという人は、その時の社会党においては委員長になっておかしくない人であったとしても、なぜ、土井たか子が選ばれたかという経緯を考えると、客寄せパンダみたいに女性の委員長にすれば受けるだろう、みたいな安易な発想が感じられて、それだけ社会党が空虚な政党になってきてしまっていると感じました。 その後、自民党の小泉政権の時の郵政選挙の時に、女性の「刺客」というのが大量に出て、その時、田中真紀子さんが、「どうして、女ばっかり出すのでしょうねえ。男であれ女であれ、優秀な人が出ればいいのじゃないのですか。 まったく、小泉さんも山拓と一緒で女好きですねえ。」と言っていたのをテレビで見ました。確かに。「男であれ女であれ、優秀な人が出ればいい」のです。それはその通り。 その後、民主党も、女性の候補者を大量に出すような時があったように思いますが、どの政党であれ、女性が出て悪いことはないのですが、女性を売りにするというのは、他に売りにするものがないから、みたいな、そういう印象を受けるケースが少なくないように思います。

  それで、住宅屋において、お客様に「一生懸命さだけが取りえです」などと手紙に書いたりする人があるのですが、これは良いでしょうか? 最終学校を卒業して入社1年目の人が言うのならば悪くないと思います。しかし、3年以上、勤めた人間は、この文句は言うべきではないと思います。 3年も勤めれば、自分はこの点が得意、自分はこの能力が他の人よりあると思う、というものが、ひとつやふたつないとおかしいと思うのです。「一生懸命」やってきたのであれば、何かひとつやふたつ身についているはずなのです。それが「一生懸命さ」しかないというなら、本当に「一生懸命」やってきたのかあ??? ということになると思うのです。  

  それで、女性の「建築士」、女性の「デザイナー」、女性の建築会社担当者というのがどうかですが、良いか悪いかは男性でも女性でも人によるのですが、何より「女性」を売りにする人というのは、3年以上経っても「一生懸命さ」を売りにする人同様だと私は思っています。他に売りにするものないのお???

  しかし、女性の担当者が絶対にだめということでもないのです。 単に、良いか悪いかは人によるでしょうけれども、そうではなく、女性であるから良いというところはあるか、女性であるから良くないというところはあるか、という点を考えると、私は、居酒屋を中心とした外食店をチェーン展開する丙社の建設部にいた時、その両方を見たことがあります。
  丙社では、新規出店の際のプランニングから施工に至るまで、自社の建設部で管理しておこなっていたのですが、その際、2人の女性「デザイナー」が担当した店を見ました。
  片方について、その時、社長の某さんが、「なんだ、これは、まったくだめじゃないか」と怒りまくっていた店があったのですが、そこまで言うかなあと思い、私は、工事完了後の実際の店舗を見に行って、社長がだめだと言ったところを担当の女性「デザイナー」に話してみたのです。 そこには、社長の某さんの決めつけ・軽率な部分がありました。たとえば、店の入口で、靴を下駄箱に入れてあがるのに、女性が履くブーツが入らないじゃないか、と社長の某さんは怒りまくっていたのです。しかし、入るのです。 某さんが入らないと思い込んでいるだけで、入るのです。 なぜか。 ひとつの箱の中間にとりはずすことのできる棚を設けて、普通の男性の革靴などなら棚の上と下に2足入れて、長い靴を入れたい時は、棚を取り外して入れることができるように作られていたのです。そして、棚をはずしても、女性のブーツは入らない・・・と社長の某さんは決めつけて怒りまくっていたのですが、入るのです。女性のブーツは。 なぜかというと、女性が履くブーツというのは、一見、建築現場のオッサンが履く長靴・雨靴と似たように見えますが、違うところもあるのです。 建築現場で履く長靴は、脱いだ状態でも長いままなのですが、女性が履くブーツというのは、脱いだ状態では、真ん中からふたつの折れるのです。だから、下駄箱に履いた状態の長さが高さとしてなくても入るのです。丙社の社長の某さんの良くないところは、この点が良くないと思ったならば、とりあえず、それを担当者に言ってみるべきで、そうすれば、説明するはずなのに、その前に、激怒しまくって騒ぎまくるから、まわりの者も言えなくなってしまって、そして、たとえ、本人が後から気づいても、修正もできなくなってしまうところです。私は、そういうところで、特に考えもせずに騒ぎまくるのではなく、担当した「デザイナー」にとりあえずきいてみたので、それで、ここで述べたようなことを教えてもらったのです。 女性だけのことあるなあ、と思ったのです。 住宅屋・建築屋では、私もそうですが、男性でも、ある程度以上の人間は、女性が男性と違う動作をするか、女性が男性と異なる服装をしたり履物を履いたりするか、男性なら気にしない点で気にするものはないか、ということを勉強します。だから、私は、住まいの打ち合わせでも、ダンナが気づかないことで嫁さんが気づいてほしい点に気づくことができたことが何度もありますし、そういう点に気づいてこそプロだと思っています。しかし、ブーツを脱いだ時に2つに折れるから、下駄箱はその高さで考えれば良いというのは、それは、やっぱり、彼女が女性だから気づいた点であり、男なら気づかない人間が多いだろうなあ・・・と思ったのでした。(実際、丙社の社長は気づかずに怒って騒ぎまくりわめきまくっていたのでした。自分の方が不認識なのに怒って大声でわめきまくり騒ぎまくるというのは、なんとも、みっともない話・・・。それで通じるというのは、社長というのは、なんとも、けっこうなお仕事ですなあ〜あ・・・。)これは一例で、男なら気づかないかもしれないなあ・・と思う箇所が他にもありました。
   しかし、その一方で、2人の女性の「デザイナー」の担当した店舗を見て、別のことを思った点もあったのです。なぜか、女性の担当した店は、「女性が担当した店」「女性的な発想」というのが、はっきりと感じられると思ったのです。そのことが絶対的に悪いとまでいうわけではありません。しかし、丙社の社長が「まったく、うちの店、女性的な店ばっかりになっちゃうじゃないか。」とぼやいていたことがあったのです。 私は、丙社の店を何店か見て、その意味がわかったのです。女性の「デザイナー」が担当した店というのは、なぜか「女性の発想」の店なのです。 それに対して、男性の「デザイナー」が担当の店は「男性的」とか「男性の発想」というのが、特ににじみでている、はっきりと感じられるということはないのです。 どうしてでしょう。ひとつには、「男性的な発想」などというものを売りにしても、そんなもの売りにならないので、「男性的な発想」を売りにしようなどという男はいないのに対して、「女性的な発想」は、少し前まで売りになったということがあるかもしれません。なぜ、売りになったかというと、女性で建築の仕事に従事する人が少なかったから。 しかし、今では、女性の「デザイナー」も「建築士」も珍しくもなくなりましたし、女性の担当者が半数ほども占めるということになったりすると、その「女性的な発想」というのが、逆に、鼻についてくることがでてきたのです。その丙社の「デザイナー」の女性は、「女性的な発想」だけで切り抜けてやろうなどという考えは決してなかったと思います。しかし、それでも、複数の女性の「デザイナー」が担当した店を見ると、男性の「デザイナー」が担当した店は、中性的というのか、特に「男性的」とも感じないのに対して、女性の「デザイナー」が担当した店は、何か「女性的」なものが相当強く感じられたのでした。
   女性が履くブーツについて、女性の「デザイナー」が作成した下駄箱を見て、私は、さすがに女性だなあ、と思ったのですが、基本的には、男性であっても女性の気持ちをある程度以上理解し、「女性的な発想」がある程度以上できてこそプロであり、女性であっても男性の気持ちをある程度以上理解し、「男性的な発想」がある程度以上できてこそプロであると思います。 「ランセル」というフランスのブランドがあり、ランセルのデザイナーは女性だと聞いたことがあって、なるほど、言われてみれば、私が持っているランセルのネクタイにしても、女性のデザインのような気がすると思ったのですが、しかし、ランセルのデザインが良いとして、それは、男性だから女性だからということを表に出してはいないと思い、はっきりと正面に出さないところが良いのではないかとも思ったのです。但し、今、「ウィキペディア―ランセル」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB を見ると、ランセルのデザイナーが女性だとは書かれておらず、私が、見たのか聞いたのかした話はどこで聞いたのかわからなくなってしまったのですが、男性であれ女性であれ、「男性的な発想」「女性的な発想」というものを、あまり、正面から出さない方が良いのではないかということを考えたのです。あえて、いえば、男性が意図的に「女性的な発想」を意識してデザインするとか、女性が意図的に「男性的な発想」を意識してデザインするのは良いけれども、男性が「男性的な発想」、女性が「女性的な発想」を正面から出そうとするのはあまり良くないのではないか、と思ったのです。 そして、意識して押さえないと「男性的な発想」「女性的な発想」を出してしまうということになるという点では、女性の方が男性よりも問題がでやすい傾向があるのではないのか、と思ったのです。

  店舗は、少しおいておきまして、住宅の方ですが、私は、これまで住んできた家について女性がどこに不満を感じるか、女性はどういう点を改善したいと思うかという点について、ずいぶん、いろいろな人に教えてもらってきたと思います。誰に教えてもらったかというと、これまでの家についての不満については、契約者と見込客の奥さんからで、それを改善するためにこうすれば良いと思って作った家が実際にどうであったかという点については、入居者の奥さんから教えてもらってきたのです。 建築屋では、地方に行くと「大工さま」の評価が高く、都市部では「設計」の人間の評価が高いのですが、私は「営業」の仕事をしてきたから、そういう話を聞かせてもらえたのであり、「設計」の人間はそういう話を知りません。「設計」の人間は、先輩の「設計」から聞くか学校の先生から教えてもらうことなら聞きますが、お施主さまから教えてもらおうとはしませんし、お施主様から教えてもらった営業の人間からも聞こうとはしません。だから、一貫して「設計」をやってきた人間はだめなんです。
  それで、契約者や見込客の奥さんとかお施主様の奥さんからどれだけ教えてもらえたか、という点で、男性の担当者と女性の担当者とどちらが多く教えてもらえる傾向があるか、というと、女性の方が多いということはないと思うのです。
  「女の敵は女」・・・・この文句をどこで見たかというと、『ルパン三世』の中で峰不二子が言っていたのです。 そういうものであるのかどうかはよくわかりません。 が、自分以外の女性からどれだけ聞かせてもらえたか、自分以外の女性の言う事を聞く姿勢があったかなかったか、という点において、女性の方が男性より多く聞かせてもらえているとはいえないと思っています。
※もしも、峰不二子を知らない方がおられたら、
「ウィキペディア―峰不二子」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B0%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E5%AD%90 他参照。
  私が住宅建築請負業の業界に入った今より20年少し前の時点では、住宅建築請負業の営業という仕事は男性の仕事でした。「夜討朝駆け」の典型のような仕事ですし、夜、お客様のお宅におじゃまして商談する仕事なので、若い女性がつく仕事ではないと考えられていました。それで、私が入社した甲社では、お客様の奥様の気持ちをどれだけ理解できるかということが、この仕事につく男性にとって重要であると言われており、多くの人間が、その為に様々な努力をしていました。私も、その為に、本も読みましたし、ずいぶん、いろいろなことを考え、やってみました。桜井秀勲(ひでのり)『女がわからないでメシが食えるか―女性市場・女性心理のつかみ方』(1986.6,15、サンマーク出版)は、甲社で最初に配属された営業所の営業課長から推薦されて読みました。人間の心理そのものの理解として、マズロー『人間性の心理学』(産業能率大学出版部)・依田新『青年心理学』(培風館)なども読みましたし、スタンダール『恋愛論』(新潮文庫)も読みました。それが役立ったかどうかはわかりませんが、読むと役だつかと思って読んだのです。“ホスト王”零士の『ホスト王のその気にさせる心理術』(2001.12.25.青春出版社)などというものも読みました(不真面目な内容の本ではありません)。 キッチンスペシャリストの資格を取得しようと考え、取得したのも、キッチンは女性が関心を持つ重要な箇所のひとつであるということからでもありました。乙社に在籍中、休暇には建築やインテリアの見学にヨーロッパに足を運ぶようにしてきたのも、海外に行ったことが一度もないというようなオッサンでは、ヨーロッパ旅行から帰ってきた奥さんの話し相手にもなれないであろうと考え、少なくとも、ロンドン・パリ・ミラノには最低一度ずつは足を運ぶ必要があると思い、お金もないのに無理をしてでも行ってきました。 女性の従業員に意見を聞いたり、家族・親族の女性に意見を聞いたりもしました。そして、どうすれば、お施主様の奥様に信頼してもらえて、本音を語ってもらえるか、ということをずいぶんと考えました。成功しなかったものもあると思います。成功に特につながらないものもあったかもしれませんが、たとえ、そうであっても、そういった努力をしてきた男性よりも、な〜んの努力もしないにもかかわらず、自分が女性であるから女性の気持ちがわかると只管強弁する女性の方が、女性の気持ちを理解できるのでしょうか。男性の中には「俺って、女にもてるよね」とか勝手に思っている人がいたりします。思いたいのであれば、好きに思っていればいいと思いますが、もててももてなくても、それは、営業がお施主様の奥さまから信頼してもらえて本音を語ってもらえるかどうかとは別のものだと思います。 お施主様の奥さまやお母様・お嬢様から信頼してもらえて本音を語ってもらう努力を特にしないで、女性であるからというだけで女性の気持ちがわかると強弁する女性というのは、「俺って、かっこいいよね。俺って、女にもてるよね」とか言って、「そうですね」と言ってあげないとうるさくてかなわない男と同様のアホでしかないのではないかという気さえするのです。 女性の気持ちを理解しよう、女性から本音で話を聞かせてもらえるように・信頼してもらえるように、と涙ぐましい努力をしている男性がいるのに、何の努力もしないで、単に、自分が女性であるからというだけのことで、「主婦目線での」だの「女の発想で」だのと主張する女を見ると、あつかましい奴だという印象を受けます。
※キッチンスペシャリストについては、
「インテリア産業協会―キッチンスペシャリストについて」http://www.interior.or.jp/kitchen/about/ 他参照。
 
  私は、家庭というものは、男性と女性とで成り立っているので、住宅は女性の気持ちも理解した上で作らないといけないものであると思い、理解するための努力というものを相当にしてきたつもりでいます。そういう努力をしないで、単に「女性であるからわかる」と言い張る人間が、女性だからという理由で女性の気持ちがわかるだろうか? というと、もしかして、わかっているつもりになっているだけじゃないのか、と思えるのです。 少なくとも、理解するための努力をしていない女性の方が、理解するための努力をしてきた男性よりもわかるというのはおかしいのではないか、と思うようになったのです。
  
   そして、もうひとつの問題として、役割分担ということがあります。 たとえば、親夫婦と若夫婦とその子供という家庭が二世帯住宅のお家を建てられるという時、私は、もしも、自分がその家族の縁者であったとしたら、どの位置にいるだろうか、どの位置にいるのがふさわしいだろうか、といったことを考えたことがあります。 あくまで、「もしも、そのお宅の縁者だったとすれば」「あえて言えば」ですが、私は、お嫁さんの兄の立場を考えました。若夫婦の夫の方の兄になると、ライバルになってしまいますし・・。  こういう時に、男性は、特に、意識していなくても、お母さんの立場になったりお嫁さんの立場になったりすることはありません。しかし、女性の担当者は、自分がその家の主婦の立場に立ってしまう人がいるらしいということに私は気づいたのです。
   八千代市に本社がある丁社にいた時、「店長」になっていたおばさんが、担当の入居者宅にパンジーの鉢植えを持って行って、「これをそこに置いてちょうだい。そこに置くといいから」と渡したのです。 これは良いでしょうか? ⇒だめです・・・・と私は思います。 だって、それは、建築屋がそこまでするものではないでしょう。 鉢植えでも買おうかしら、ここに置くといいのじゃないかしら・・・、何の花がいいかなあ・・・というのは、その家の人間、特に、その家の女性が考えることであって、その役を取ってしまっては(盗ってしまっては)だめでしょ。 わからないかなあ〜あ・・・・と私は思ったのですが、わからないようでした。 そういう時に、本当に女ごころ音痴なオッサンでも、お母さんやお嫁さんの役を横取りするようなことはやらないのです。 だって、女じゃないもん。 それが、女性の担当者は横取りするようなことをする人がいるのです。実際に。 私はその実物見てるんだから。 峰不二子が言うように「女の敵は女」であるのかどうかはよくわからんけど、実際に、女性の担当者には、お施主様の奥さん・お母さんがやるべき役割を横取りする人が現実にいるというのは事実です。
   そして、「主婦の発想」を売りにする人というのも、どうだかなあ〜あ・・・という気になることが多い。 「主婦の発想」というだけ立派な主婦業やってますか? と言うと、何を姑さんみたいなこと言うのよ・・と言われるかもしれないけれども、実際、「主婦の発想」を売り物にするほどの立派な主婦業やってますか? 炊事・洗濯なんて男性でもやりますよ。主婦業をやっているかいないかということではなく、「主婦の発想」などといって特別に売り物にするほどの「主婦業」をやっていますか?
   上の≪女性建築士が「主婦の目で」編集した“住まいのプラン集” ≫などというコピーを見ると、専業主婦をやってきた人、もしくは、勤めにでることがあっても主婦業中心できた人には思う人もあるかもしれませんね。「主婦業をやるのが嫌だから“建築士”とかいって勤めに出ているくせに、何が『主婦の発想』ですのん?」と。(私の母なら、そう感じると思います。) 主婦業が本業の人の発想を「主婦の発想」と言うのであれば、それに該当しないような人が「主婦の発想」という文句を売り文句にしている場合がけっこうあるのと違いますか。
   「主婦の発想」が貴重なら「夫の発想」だって大事なはずですが、「主婦の発想」を主張する人というのは、「夫の発想」ということは言わないのです。 それっておかしくないですか。 家庭というものは、家族というものは、住まいというものは、「主人」だけが作るものではないけれども、「主婦」だけが作るものでもないのと違いますか?
   そして、上に述べたことと重なりますが、理解するべきは、自分自身の「主婦の発想」ではなく、その家を建てて住むお施主様の奥さんの「主婦の発想」のはずですが、それを理解しようとしないで、自分が女性だから「主婦の発想」を理解できると勝手に決めつけている人って、そういう人に担当してもらいたいですか? 「営業」であれ「設計」であれ、そういう担当者がいいと思いますか? 
   こういうことを考えると、「主婦の発想」というのも、実際にそういう発想があったとすれば、それは悪いものではないと思うけれども、売り物にするものではないと思うのです。

  今も、インターネット上においても、「女性建築士による・・」「主婦目線での・・・」「女の発想で・・・」といったコピーのはいった「広告」が目に入りますが、「女性」「主婦」等を売り物にしない女性であれば、「男性」を売り物にしない男性を否定しないのと同じ意味で否定しませんが、「女性」「主婦」を売り物にする女性というのは、「男性」を売り物にする男などというものが売り物として通じないのと同じ意味で評価できないと私は思いますし、何年か仕事をした人、あるいは、何かをある程度以上学んだ人で、「女性」しか売り物にするものがない人というのは、すでに何年か仕事をしたにもかかわらず「一生懸命さだけが取り柄です」などと言っているような不可解な人間と同様、他に取りえないのお? 他に何も身につけたものないのお? と言いたくなるような人だと思います。 何年か仕事をした人、何かをある程度以上学んだ人でなくても、何年か生きてきた人間は、その人生で身につけた・経験したものが何かあるはずなのです。 「女性」しか売り物にするものがないという人というのは、自分が生きてきた人生についての棚卸ができていない人なのでしょうか。私なら、そう見ますね。

  結論。 「男であれ、女であれ、優秀な人がいいのと違うのですか。」 という、漫才よりもよっぽどおもしろい田中真紀子さんのお話の中の言葉。 これが結論だと思いますよ。 女でも出しておけばいいだろう、みたいな貧困な発想しかできない政党同様の売り文句は、もう通じる時代ではなくなった。
                (2011.11.7.)
★  11月13日に≪福島女子駅伝があり、そこで主催者が「何が起きても責任をとらない」というのに中学生の女の子も含めてサインをさせている≫そうです。中部大学・武田邦彦教授がブログhttp://takedanet.com/ の《緊急 たとえ明日でも!!福島女子駅伝》http://takedanet.com/2011/11/post_9c72.html で述べられていますが、運動競技の開催者は、そこでその競技をおこなって大丈夫かどうかということを、放射能汚染の問題も考えた上で検討すべきです。 ≪駅伝の本質は健やかな成長です。なんで放射線の強いところで走らせるのでしょうか?人の痛みがわからなければ駅伝などやるべきでもありません。≫と武田教授が述べられていますが、その通りです。運動競技の開催者は、運動・スポーツというものは健康増進のためにおこなうというのが第一義だということを再認識すべきです。男性にとっても放射能による被害は軽視できませんが、特に、若い女性には影響があるということくらいは、運動競技の主催者は理解すべきです。
  運動競技の大会に参加を考える人は、放射能汚染が及んでいる場所での参加の影響というものも考えた上で参加してよいかどうかを考えないといけません。
  学校その他の団体のスポーツの「指導者」は福島県東部中部などでのスポ―ツの大会への参加を決して強制してはいけません。放射能による被害は、根性で克服できる性質のものではありません。 (2011.11.13.)

【追記】 〔第75回〕《シックハウス症候群・室内化学汚染・「化学物質過敏症」は、3つ以上の面から取り組まないといけない。》 http://shinkahousinght.at.webry.info/201111/article_2.html において、くん煙殺虫剤などによる室内化学汚染と電子レンジ他による電磁波被害について述べました。室内化学汚染・シックハウス症候群や電磁波被害に関心も持てないような者が、単に女性であるからというだけのことで、「主婦の発想」「母親の発想」などというあつかましいい・ふてぶてしい主張をするのはやめていただきたいと思います。男性であるか女性であるかにかかわらず、室内化学汚染や電磁波被害・放射能被害について関心を持ち、対策を取ろうという姿勢を持てる人間は「母親の発想」を身につけているというべきであり、そういう姿勢を持てない人は、女性であれ母親であれ、「母親の発想」だの「主婦の発想」だのとあつかましいふてぶてしい主張をするのはやめるべきです。 (2011.11.13.)


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