慎腹風呂愚

アクセスカウンタ

zoom RSS 柱・筋交いの樹種・寸法、不明の家が売れるか? F社の「朝青龍」「長嶋」型営業〜営業と会社の話(11)

<<   作成日時 : 2011/09/26 21:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

〔第65回〕 住宅建築請負業の営業にとって、住宅・建築(・インテリア・不動産)についての知識は必要か必要でないか? という点についてですが、私が大学を卒業してすぐに勤めた木質系住宅建築請負業の甲社では、「営業にとって、まず、必要なのは、住宅・建築についての知識であり、それを身につけない者が、『営業技術』を身につけようとしてはいけない」と言っていたのに対して、その後に勤め、私としては、通算勤務年数として最も長く勤めた在来木造の乙社では、営業本部長の某氏が「営業に知識なんか、まったく必要ない。」と言っていました。 正反対のことを言う2社に私は勤めたことになります。
  木質系の甲社が都市部中心の会社であったのに対して在来木造の乙社が地方中心の会社であり、木質系の甲社は、高額物件の契約を取ろうとすると、高額物件のお客様というのは社会的地位もあり学歴も高い人が多いので、営業も大卒の方が良いということで、中途採用の場合には営業でも同業他社で実績がある人などの場合は高卒の人も採用していましたが、新卒の場合は、工事管理などの業務では建築系の短大・専門学校卒の人も採用していたものの、営業の場合は、新卒では「大卒しか採用しない会社」ということになっていた(もっと大卒」といっても頭狂大学とか狂徒大学とかではなく、「頂点」でない方の大学が多かったのですが)のに対して、在来木造の乙社の場合、営業本部長が「営業は頭のない人間の方がいいんだ。ぼくなんか学校でてないから気さくで人間味があるんだ。だから、営業は中卒か高卒がいいんだ。ぼくなんか、その典型だ。」と言っており、そういう傾向があったので、「頭のない人間がいい」ということにしてしまった以上、甲社のような「営業とはアドバイザーでありコンサルタントだ。」というスタイルの営業をやろうと思ってもできなかったということもあるでしょう。
  しかし、「守→破→離」ということを木質系の甲社の入社してすぐの研修の時に言われたのですが、営業のやり方というのは、まず、教えられたことを「守る」、次にそれを「破る」、そして、「離れ」て自分自身のスタイルを確立するという意味で、乙社に勤務しているうちに、私も、甲社で教えられたことと乙社で教えられたことの両方を参考にしながら、別に乙社の言う事に逆らうとか無視するとかいうことではないのですが、会社の言う事を尊重しながらも、自分自身のスタイルを確立していったのであり、乙社にいた最後の頃は、私が担当のお客様は私のような営業が乙社の営業であると思われていましたが、それは、乙社の営業本部長が言うような「営業は頭のない人間がいいんだ」などというような変な営業ではなく、そして、私自身は、私のような営業こそ乙社の最もスタンダードな営業であると思うようになっていたのです。何より、私が退職する頃においては、私の方が営業本部長よりも乙社の営業の経験は長く、経験は多かったのですから、営業本部長といえども私よりも経験の少ない人の言うことにわずらわされる必要はなかったのです。
  それで、実際に、住宅建築の営業において、「知識は必要」なのか、「知識なんかいらない」のかというと、結論としていえば、どちらかというのは極論だと私は思います。 木質系の甲社は、「知識を蓄えることが第一に必要」と言っていましたが、売れるかどうかは知識だけで決まるなどとは言っていなかったのです。入社してすぐの研修の時に、「『営業知識』『営業技術』『営業意欲』の3つのうち、3つともあるのが良いけれども、最低2つあれば、なんとか売れる、ひとつでは売れない。」と言われました。何年も営業の仕事をした上で考えて、もっともだと思います。それは、その会社・その商品・客層によっても、多少、差はあるでしょうけれども、基本的には、どの会社においても、これは間違っていないと思います。
  甲社において、まず、知識を身につけるべきだと言われていたのは、ひとつには、営業の技術というのは、身につけようとしても、営業について書かれた本を読むのも悪いことはないでしょうけれども、それはあくまでもヒントであって、実際にやってみなければわからないものが多いということがあると思います。
  「営業は頭のない人間の方がいい」などということはないと思います。「営業は頭のない人間がいい」などというのは、一見、謙遜して言っているようで、実は、むしろ、相手であるお客様をバカにしていると思います。 そして、「中卒の人間の方がきさくだ」というのは、営業本部長が自分で思っていただけのことで、乙社の従業員で営業本部長の某氏のことを「きさくだ」とか思っていた人間はほとんどいなかったのです。「一流大学」卒の人でもきさくな人もいますし、「中卒」でもきさくでない人もいます。もしも、「中卒」できさくな人がいたのならば、それは、その人がきさくであるのであって、「中卒」の人がきさくなのではないと思います。

  今となっては、20年以上前のこと、早稲田セミナーだったかいう司法試験予備校が、司法試験(現在の新・司法試験ではなく、もう、なくなってしまった旧型・司法試験)に合格した人にきいたアンケートというものがありました。 それを書かれた本は捨てた覚えはないのであるはずですが、捜すのがめんどうで、特に正確な引用でなくても、それほどここでの趣旨に問題はないので捜しません。 
  「今年、司法試験に合格した人100人にききました。司法試験に合格しないタイプの人いえば、どういう人だ? 答は6つ。 さて?」とかいう感じのアンケートですが、その中に、
「あまりにも、ストイックな人」というのがあり、そして、「あまりにもアカデミックな人」というのがありました。
  なるほどなあ・・・と思ったのです。大学受験にも共通するかもしれないなあ、とも思いました。 それで、大学入試の際の自分自身にもあてはまるところがあったかもしれないなあ、とも思いました。
  ここで、ミソは、「あまりにも」とついているところです。 ストイックなのも、アカデミックなのも、絶対的に悪いということではないと思うのです。 無茶苦茶自堕落な生活を送ればよいのではありませんし、学問的関心がまったくないのが良いというわけでもないと思います。しかし、特に、「アカデミック」の方は、学問的関心があるということ自体、悪いことではないのですが、学者が研究をおこなう場合とか、あるいは、趣味でお勉強をする場合は悪くありませんが、特定の試験があって、その問題において、ある程度以上の点数をとった者が合格、とれなかった者が不合格という場合、その試験に合格するためという点では、その試験で高得点をとるための勉強と、その学問そのものを深める勉強とが一致しない場合があり、「あまりにもアカデミック」という状態になると、相当にお勉強しているにもかかわらず、試験で高得点をとるためのこと以外に力を注いでしまい、試験の成績は伸びないということになってしまう可能性が考えられるのです。 このあたりについては、『司法試験機械的合格法』の著者・柴田孝之も述べていたと思います。

  それで、住宅建築の営業についても、これと似たところがあります。 基本的には知識はあった方が良いのですが、
(1)お勉強好きの人の場合、知識を蓄えること自体が目的のようになってしまうと、そのお勉強が「売ること」とあまりつながらなくなってしまう危険もある。 
(2)見込客が知りたいと思っている知識を習得すると、さらに、その先の知識を習得したくなって、さらに上のものを学ぶようになり、レベルの高いものを学ぶのは悪いことではないのですが、結果として、自分が学んだものを話したくなって、結果として、見込客が知りたいことを話さず、別に知りたくないことを聞かせようとすることになってしまう
・・・・というケースが考えられます。 そうなってしまっているかな?と思った時には、しばらくは、住宅・建築のお勉強をするのは中止してみるか、もしくは、お勉強は趣味だと認識することにすると良いかもしれないと私は思っています。
  その一方で、何も知らなくて売れるか? というと、売れないと思います。 「司法試験に合格しないタイプの人」としてあげられていたタイプも、「あまりにも」とついていたと思います。 住宅建築の営業において、知識と営業成績は比例するわけでもないと思いますが、知識がゼロではだめです。
  私が乙社を退職する頃、私は、「インテリアコーディネーターでキッチンスペシャリストで2級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者」でした。 乙社でこれらの資格を4つとも持っていたのは私だけです。しかし、営業成績においては、私はある程度以上の成績は残していましたが、これだけの資格を持っていない人で、私よりも優秀な成績を残していた人はいたのです。 
  それなら、これだけの資格を取得するに至る知識・技術は役にたたないのか、というとそうではないと思います。野球とゴルフのたとえをするようになるとオッサンだと、若い頃、思い、仕事に関して、野球とゴルフのたとえは絶対せんぞ、と思ってきたのですが、それでも、あえて、野球のたとえで言います。 1973年、パ・リーグで、南海ホークスが前期優勝し、プレーオフで後期優勝の阪急を破った時は感動しました。 その年、南海は、田淵・山本浩治とともに法政三羽ガラスと言われて入団した富田を巨人に出して、巨人から、それまで、通算でも5勝あげていたかあげていないかの山内新一と勝ち星ゼロの松原(後の福士)とを採ったのですが、南海ファンとしては、若手中心選手の富田を出して、敗戦処理というのか自由契約直前みたいな2人をとって、アホちゃうか・・・と思ったのですが、結果としては、巨人ではまったく活躍していなかった山内・松原の2人とトレードと別に巨人から移籍した相羽の3人が大活躍し、特に、山内新一は、投げては勝ち投げては勝ちで、前半だけで16勝、シーズン通しても20勝、あとひとつ勝っていれば最多勝という成績を残し、あの敗戦処理投手がどうしてこんなになるのか、とびっくりしました。 その後、ある漫画雑誌に掲載されていた『ノムさんと25人の仲間たち』という野村克也がヤクルトスワローズの監督をやっていた時の話を書いた漫画に載っていた話ですが、野村が、肩だか肘だかを壊してしまった荒木大輔を、野球選手を退職後、スナックを経営している山内新一の所に連れていき、その時、「巨人では敗戦処理でしかなかった投手が、あの人のおかげで、20勝を2回もあげることができた」と語る山内に、荒木が「どうして、南海に移って、急に勝てるようになったのですか? 何か新しい変化球でも覚えたのですか?」ときき、山内が、「いや。 130キロ台のプロとしては特に速くもないストレートと、プロとしては特に鋭くもないカーブ。それだけや。」と言い、「それを、ストライクゾーンだけでなくボールのゾーンも使って投げることで、それだけの球しかない投手が20勝を2回もあげることができたんや。」と、若い頃と同じ球威の球を投げることができなくなった荒木に語るという場面がありました。 豪速球を投げられなくても、魔球のような変化球がなくても勝てるんや、ということを荒木に伝えるために野村は荒木を山内のところに連れて行った、という話のようですが、一方で、野村は、「150キロ台の豪速球を投げられるというのはものすごいことなんだ」というようなことも言っていたように思います。 私は、住宅建築の営業においては、「インテリアコーディネーター兼キッチンスペシャリスト兼2級建築施工管理技士兼宅地建物取引主任者」というのは、プロ野球の投手が150キロ台の豪速球を投げることができるようなものだと思っています。それを投げることができれば必ず勝てるというものではない、それを投げることができなければ勝てないというものでもない、しかし、それを投げることができるというのはすごいことであり、それを生かせば、それを投げることができない投手よりもはるかに有利になる可能性がある、という、そういうものだと思っています。それで、乙社で、「150キロ台の豪速球」ともいうべき「インテリアコーディネーター兼キッチンスペシャリスト兼2級建築施工管理技士兼宅地建物取引主任者」をもっと活かして、勝ち星(契約棟数)も、もっと上位の数をあげさせてもらおうか・・・と思うようになった頃にやめてしまったのですが、住宅建築の営業において、知識と営業成績の関係は、プロ野球の投手の150キロ台の豪速球を投げることができるかどうかと勝ち星の関係のようなところがあると思っています。
  しかし、それなら、知識はまったくなくても売れるのか? というと、だめです。 山内新一投手は、「130キロ台のプロとしては特に速くもないストレートと、プロとしては特に鋭くもないカーブ。それだけ」だったかもしれないけれども、あくまで、「プロとしては」特に速くもないストレート、「プロとしては」特に鋭くもないカーブ、であったかもしれませんが、それは投げることができたのです。 木質系の甲社で、「営業技術」と「営業意欲」の2つで「営業知識」がない状態で売れたという人でも、知識はまったくゼロではなかったはずです。 「インテリアコーディネーター兼キッチンスペシャリスト兼2級建築施工管理技士兼宅地建物取引主任者」というのは、150キロ台の豪速球のようなもので、あれば良いし、それを活かせば相当プラスになるものの、それがないと絶対に勝てないというものではありませんが、しかし、少なくとも、投手の位置からバッターの場所のストライクゾーンに投げる能力くらいはないと、あるいは、「130キロ台のプロとしては特に速くもないストレートと、プロとしては特に鋭くもないカーブ」にあたる知識は身につけておかないと、やはり、だめでしょう。
  乙社にいた営業で私より良い営業成績を残していた人で、「ぼく、頭悪いも〜ん」とか言っていた人でも、その「頭、悪いも〜ん」というのは、あくまで、資格試験等の勉強をするとかは得意ではないという意味であって、最低限・基本的なところについて、何も理解してなかったというわけではないのです。

  私が勤務する会社で、提携してFという商品を扱うようになった担当者2人に、「Fって、木造なの?」と質問したところ、「そうじゃないですか。」などと言う。「そうです」ではなく「そうじゃないですか」て、どういうことよ。
  さらに、「Fは、柱は何を使っているの?」ときくと、「さあ、なんでしょう」。
  「柱の寸法は?」ときいても、「さあ」。
  「筋交い(すじかい)の寸法は?」ときいても、「さあ」。
それで、売れるか?  ・・・・・私なら、これでは売れない。
  私は、乙社にいた時、杉山英男『デザイナーのための木構造』(彰国社)や同『地震と木造住宅』(丸善)、今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(鹿島出版会)、西岡常一・小原二郎『法隆寺を支えた木』(NHKブックス)などを何回も繰り返して読んで学び、そして、自社の建築中工事現場や他社の建築中工事現場をのぞいて、理解して、そして、説明もでき、質問にも答えられるようにした。そういうようにして、それで、売れたり売れなかったりするものだと考えている。「柱は何を使うの?」「さあ」で売れるか? 「柱の寸法は?」「さあ」で売れるか? 私なら売れない。

  朝青龍は、最後、残念なやめ方をしてしまったが、相撲が弱かったのではなかったと思う。 「フライデー」には、すでに土俵に倒れている 稀勢の里に膝蹴りをくらわす朝青龍の写真が掲載されたのを見たし、NHKのテレビ中継においても、すでに土俵を割っている稀勢の里に、朝青龍が、さらに、張り手を2発お見舞いするのも見た。解説者の北の富士は、「最後の一発は余計ですが」などと言ったが、一発ではない。二発である。一発と二発の違いは、量の違いではなく質の違いである。一発ならば、攻めていく流れの中で止められなかったと言い訳もできるかもしれないが、二発も止められないということはありえない。一発目もわざとだろうが、言い訳ができる可能性があるものだが、二発目は言い訳できるものではない。 相撲で相手に張り手をくらわせたり、ボクシングで相手にパンチをお見舞いしても、暴行罪や傷害罪に問われないのは、法律上「正当業務行為」とされて違法性が阻却されるからですが、相撲ですでに土俵に倒れている相手や土俵を割っている相手に攻撃したり、ボクシングでダウンした相手への攻撃や、ラウンド終了後の攻撃は「正当業務行為」とはならない。ボクシングでは、「ダウン後の攻撃」は反則として減点の対象となるが、ボクシングなら「反則! 減点1」となるものが相撲ではおかまいなしか・・・と、土俵を割った稀勢の里へ2発も張り手をくらわせた朝青龍と朝青龍にペナルティーを科さない相撲協会にあきれた。琴欧州が八百長で優勝した場所の千秋楽の土俵上で白鵬とにらみあったのも、あきらかに朝青龍は勝負決定後にわざと攻撃している。「とめられなかった」と言い訳しているようだが、あれだけ運動神経の良い朝青龍が、そういうところだけ運動神経が悪くなるのはおかしい。 だいたい、「うつ病のなりかけ」が、なんで、そううまいタイミングでなおるんだよ? 全国のうつ病患者は、朝青龍に治療法をききにいくと良いと思う。 それで、最後、六本木で、深夜、相撲取りでも格闘技の選手でもない人間を殴ってケガをさせたというようなことで、「引退」(事実上、諭旨解雇)になったわけですが、その際、貴乃花親方が言った言葉が、「本場所の最中に、夜中の4時まで飲み歩いて、それで良い相撲がとれるか? 人によって違うのかもしれないけれども、私ならとれない。」であった。 「柱は何を使うの?」「さあ」、「柱の寸法は?」「さあ」で売れるか? 人によって違うのかもしれないけれども、私なら、そんなことでは売れない。 朝青龍は、日頃から、本場所の最中に夜中の4時頃まで飲み歩いても、(相当に八百長があったとしても)勝っていたのだから、それはそれですごいのかもしれない。 F社は、他のやり方をやろうとしないで、F社のやり方で売ってくださいという商品らしく、「柱は何を使うの?」「さあ」、「柱の寸法は?」「さあ」で売る商品らしいが、朝青龍タイプの営業なら、それで売れるのだろうけれども、私は、貴乃花型か朝青龍型かというと、貴乃花型なので、私ならそういう売り方では売れない。

  野村克也がヤクルトスワローズの監督をやっていた時のヤクルトは強かった。それだけではなく、「長嶋みたいや。」「長嶋そっくりや」とか、「長嶋のおかげで優勝できた。長嶋さまさまや。長嶋はほんまにええやっちゃ。わしゃ長嶋大好きや。」といった毒舌が、カシアス=クレイ(モハメド=アリ)の試合前の毒舌のようで、そして、毒舌だけでなく、これもまた、カシアス=クレイ(モハメド=アリ)と同様に、「長嶋が監督やってる限り巨人は大丈夫や」「わしゃ長嶋大好きや」とかなんとか言った上で、実際の試合で、他チームの4番バッターやエースピッチャーを引っこ抜いた巨人を引っこ抜かれた方のチームがこてんぱんにやっつけるのだから、アンチ巨人にはこたえられないものであった。 もっとも、阪神の監督になってからの野村は、口だけになってしまって成績があがらず、ヤクルトの時は、あんなにすばらしい監督だったのに、と南海時代からのファンとしては、悲しく思うことがあった。 
  それで、「長嶋みたいや」というのは、監督としての長嶋はともかく、選手としての長嶋については、100パーセントけなしているわけでもなかったらしい。 総理大臣であった中曽根康弘が長嶋茂雄の所有する家を借りていたという話があったり、長嶋茂雄という人は、保守系の政治家とつながりがあったのか、どうも、成績以上に、別格の存在のようにとりあげられるようなところがあったが、通算成績でもタイトルでも、王の方がはるかに上で、通算本塁打数でも、1位の王、2位の野村の次でもなく、3位の門田、4位の山本浩治の次でもなく、まだまだ下で、「チャンスに強い」と言われたわりには、私が小学生の頃、巨人と他チームとの試合で、巨人のチャンスに3番の王に打順が回ると、相手チームは必ず、王を敬遠で歩かせて長嶋と勝負し、そうすると、長嶋は必ず、内野ゴロのゲッツーを打っていたのであり、それは1回や2回ではなく、毎度のことで、なんで、あんなゲッツー打ちが「チャンスに強い」と言われるのかと不思議に思ったものです。そういうところはあるのですが、そうはいっても、ある程度以上の成績を残した選手であったのは間違いなく、タイトル獲得回数とかも、王と比べてどうか、野村と比べてどうかといったことはさておき、けっこう獲得しており、全体として相当の成績を残した選手であるのは間違いないのです。

  野村克也『ノムダス2 弱者が勝者となるために』(1998. 1.1. 扶桑社)、野村克也・筑紫哲也『功なき者を生かす』(1998.3.5.光文社カッパブックス)の2冊は面白い。 野村は、南海の選手であった時、入団して2年目に解雇を言われ、涙ながらに頼みこんでもう1年置いてもらったところ、その年、レギュラー捕手が怪我をして出場させてもらえるようになったけれども、打率は2割5分くらいしか打てず、2割5分ではまた替えられるかもしれない、どうすれば3割打てるかと考え、100回中25回ヒットを打つのが2割5分の打者で100回中30回ヒットを打つのが3割バッターだとすると、凡退している75回のうち、あと5回ヒットを打てば3割バッターになれる、5本くらいなら工夫すればなんとかなるのではないかと考え、その為には、ピッチャーが投げる前に球種がわかれば打ちやすいのではないか、と考えて観察したところ、たとえば、プロ野球の投手はボールの握りを相手打者に見せないためにグローブの中でボールを握るけれども、フォークボールを投げる時には、ボールを握っている方の手ではなく、グローブをつけている方の手のグローブの開きが少しだけ大きいということに気づいたとか、カーブが苦手だったので、それなら、野球の投手は最低でも3球はストライクを投げないと三振に打ち取ることはできず、3球ともカーブということは少ないから、いっそのこと、カーブは打たないようにして、それ以外の球を打つようにすればどうかと考えたとか、なるほど・・・と思う話が書かれている。 「ウィキペディア―ドン・ブレイザー」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC には、≪(1967年〜69年に南海ホークスで選手として活躍し、野村克也が南海ホークスの監督の時にはヘッドコーチを勤めたブレイザーは)体が小さくメジャーリーガーとしては非力だったため、メジャーで生き残るには頭脳プレーや小技、待球戦法を使った。ブレイザーが南海に来た時、野村克也はしょっちゅう食事に連れ出し、どうしてその体でメジャーで生き残れたのかを聞いたところ、ある日ブレイザーから「君が打者の時にヒットエンドランのサインが出たらどう対処する?」と聞かれ、野村は「フライと空振りはダメ。どうにか打球を転がす」と答えた。ブレイザーは「それだけか? まだあるぞ! 走者がいるという事は必ずセカンドかショートが二塁ベースカバーに入るのだから、セカンドが入れば右中間、ショートが入ったら左中間方向に打球を転がすんだ」とさらりと答え野村を感服させた≫という話が載っている。 落合博光は、巨人から出る時に、ヤクルトと日本ハムが獲得の意志を出した際、野村が監督であったヤクルトを避けて日本ハムに行ったが、野村は落合の理論を高く評価していたようで、落合が解説者としてラジオやテレビのプロ野球中継で言っていたことなどを聞くと、たしかに、野村と似て理論的なところがある。 誰であったか、横浜ベイスターズの投手でストレートとフォークボールしか球種はないけれども、その2つが良く、中継ぎ・救援投手として成果を出しているという投手が登板した時、ラジオのプロ野球中継に解説者として出ていた落合が、「ぼくなんか、こういう投手は大好きですね。 ストレートとフォークボールの2つのどっちかでしょ。プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方をねらったって、そんなもの打てるわけないんだから、どっちかに絞るしかないわけですよ。 どっちかというか、普通、ストレートに絞るんだけど、それで、ねらっていた方じゃない球が来た時には『ごめんなさい』で。そうするしかないでしょ。両方狙ったって絶対打てるわけないんだから。それで、だめだと言われるんなら、俺みたいな人間に打たせるのが間違ってるんだ、と。そう思うしかないでしょ。」と話していた。確かに、野村が落合を評価するだけあって、解説者として話すことも野村と似ている。 なるほど、プロ野球の打者というのは、そういうことを考えて打つのかあ・・・と思うと、プロ野球をテレビで見てもラジオで聞いても、今までよりも面白い。 
  野村からすれば、体力だけではなく、体力とともに、そういうことを考えることができる選手が、成果をだせる選手であるということで、「野球は頭でやるもんや」と言っていたのでしょうけれども、しかし、たま〜に、そういうことを、ぜ〜んぜん、考えない選手がいて、それでも、摩訶不思議なことに、なんか、成果を出す選手がいるといい、それが、長嶋だということらしい。 それで長嶋茂雄という人は、王と比べてどうか、野村と比べてどうかといったことはさておき、ある程度以上の成績を残した選手であるのは間違いないのであり、な〜んも考えないで、なんで打てるの? と不思議に思えるのだけれども、なんか打っていて、「野生の勘」とか「天才型」とか言われていたのでした。

  それで、住宅建築の営業という仕事で、どうすれば間違いなく売れるか? と言われても、そんなの「絶対売れる」などというものはないと思うし、「絶対売れる」などというのはハッタリだと思うけれども、こうすれば売れる可能性が高くなる、こういうことをやってたのでは売れない可能性が高くなる、というものはあるわけで、売れる要素を増やし、売れない要素を減らしていけば、結果として、ある程度以上の期間で見れば、売れる要素が少なく売れない要素が多い営業との比較では多く売れる可能性が高い、ということは言えると思います。 それで、その売れる要素・売れない要素というのが、プロ野球の「 I D野球」のようなもので、それを実行できる営業は成果を出せる可能性が高く、実行できない人は成果をだせないことが多いと考えることができると思います。  但し、と〜きどき、不思議なことに、「長嶋みたいなヤツ」というのがいるのです。 な〜んも考えてない、あるいは、去年○棟売ったというけれども、その営業のやり方を見ていると、そんなもの、いったい、ど〜こで売ってきおったんだろ? という感じの人と出くわすことがあるのです。 そういう人の中には、経営者の一族とか縁故入社とか、あるいは、経営者か営業所長の好みのタイプ、あるいは、経営者か営業所長と経歴が似ているということで、常に条件の良い場所にばかり配属されてきたという人もいます。  営業成績と言うのは、 特に、住宅建築の場合、(営業能力)×(その場所の市場性)=(営業成績) という面があり、(「かける」(×)は比喩ですが、) 営業能力とその場所の市場性の両方で決まるものであって、どちらか片方ではなく、もしも、常に、平均的な営業所よりも5割条件のよい営業所に配属されてきたとすれば、営業能力が2割、人より劣っていても、 0.8×1.5=1.2 で、他人よりも2割優れた営業成績を残せることになります。 そういう人も間違いなくいると思います。 しかし、そういうことも、少しはあるかもしれないけれども、な〜んか、不思議なことに、な〜んも考えてないようで、少なくとも、これだけのことは考えてやらないと成果はでないと思われることを考えていなくて、それでいて、な〜んか、それなりに、契約をとってきているような、な〜んか、「長嶋みたいや」とでも言いたくなるような人が時々いるのです。
  それで、 「柱は何を使うの?」「さあ」で売れるか? 「柱の寸法は?」「さあ」で売れるか? というと、「 I D野球」型の営業を構築してきた私なら、そんなことで売れたらおかしい、という気持ちになるのですが、F社はそのやり方が売れるやり方だと言うそうなので、そう言うからには売れるのでしょう。 野村は、楽天の監督の時にも、「長嶋だったら、そのやり方でも打てるかもしれないけれども、私ならできない。長嶋とか、イチローとか、できる人もいるんでしょう。 できるんだったらいいけれども、できない人の方が多いと思う。」というようなことを、よく言っていたように思います。 「柱は何を使うの?」「さあ」、 「柱の寸法は?」「さあ」で売れる人というのは、長嶋とかイチローとかのような天才なんだと思います。 私は、長嶋・イチロー型ではなく、野村・落合型なので、「柱は何を使うの?」「さあ」、「柱の寸法は?」「さあ」では売れない。  私は乙社にいた時、杉山英男『デザイナーのための木構造』(彰国社)や同『地震と木造住宅』(丸善)、今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(鹿島出版会)などを何回も繰り返して読んで学び、そして、自社の建築中工事現場や他社の建築中工事現場をのぞいて、理解して、そして、説明もでき、質問にも答えられるようにしたし、そういうようにして、それで、売れたり売れなかったりするものだというように認識していた。このやり方は、乙社以外の会社においても、商品の質や会社のイメージによって程度の違いはあっても、たいていの所で通じると思っている。 野村は、小早川とか山崎とかいった選手に、「おまえ、不器用なんと違うか。俺と似ているんじゃないか。」みたいなことをよく言っていたようだが、「不器用」タイプの選手には、野村・落合型の「 I D野球」方式が通じ、「天才」型の選手には必要なく、「長嶋みたい」なやり方でできるのかもしれません。 「柱は何を使うの?」「さあ」、 「柱の寸法は?」「さあ」で売れる人というのは、長嶋型の天才なのでしょうけれども、私には、そのやり方はできないし、野村が「長嶋やイチローのようにできる人もいるのかもしれないけれども、できない人の方が多いと思う」と言ったのと同じく、できない人の方が多いように私は思います。
                (2011.9.26.)


地震と木造住宅
丸善
杉山 英男

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 地震と木造住宅 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



建築用木材の知識 (これだけは知っておきたい)
鹿島出版会
今里 隆

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 建築用木材の知識 (これだけは知っておきたい) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
柱・筋交いの樹種・寸法、不明の家が売れるか? F社の「朝青龍」「長嶋」型営業〜営業と会社の話(11) 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる