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zoom RSS 柴田孝之・落合博光型の“オレ流”営業とF社の?流営業との根本的違い〜営業と会社の話(6 )

<<   作成日時 : 2011/08/14 21:59   >>

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〔第56回〕 柴田孝之(しばた たかゆき)というのは、東大法学部を卒業した弁護士で、東大受験の予備校の講師とLEC東京リーガルマインドでの司法試験受験の講師を経験し、「勉強法学者」を自称しているというオッサンで、『東京大学機械的合格法』『司法試験機械的合格法』(いずれも、日本実業出版社)の著者で、他に『司法試験一発合格の技術』(ダイヤモンド社)などの著書があります。
  落合博光というのは、説明しなくても、誰でも知っているだろうけれども、ロッテ→中日→巨人→日本ハムの選手を経て、今、中日ドラゴンズの監督をやっているオッサンのことです。

  柴田孝之の著書は、私は、『司法試験一発合格の技術』(2002.7.18. ダイヤモンド社)を読み、添付のDVDも視聴しました。 柴田の著書では、『司法試験機械的合格法』(日本実業出版社)の方が、本の題名が気にいったのですが、『司法試験一発合格の技術』の方が後から出版されたもので、同じ課題について述べているものなので、二重に読む必要はないと思って『司法試験機械的合格法』の方は買わなかったし読まなかった。なぜ、この『司法試験一発合格の技術』を買って読んだかというと、もともと、小学生の頃から、弁護士になりたいと思ったことがあった人間で、結局、ならなかったけれども、大学を卒業して、しばらく勤めた会社を退職した後、いっそのこと、大急ぎで司法試験の勉強をして、これからでも、弁護士になってやろうか、と思った時があって、その時に読んだのです。その時、柴田の著書で、『東京大学機械的合格法』(日本実業出版社)という著書があることを知って、その本を取り寄せて読みました。『東京大学機械的合格法』は、その時、今から、東大を受けて行ってやろうと思ったわけではないのですが、柴田は、『司法試験一発合格の秘訣』を、東大などの国立大学を中心とした大学入試との比較において(旧型)司法試験受験を論じるという述べ方をしていたのに対して、『東京大学機械的合格法』は、(旧型)司法試験を中心とした資格試験との比較において、東大などの国立大学を中心とした大学入試を論じるという述べ方をしているものなので、柴田の「勉強法」について、「なかなか」「ふむふむ」「ほほ〜お」と思った者として読んでみたかったので読みました。
  柴田は、『東京大学機械的合格法』の中で、<名門校であっても、進学成績が落ち目の名門校の場合は、進学成績が落ち目になるだけの理由がその学校にある場合が少なくない>といったことを述べていたが、そう言われてみれば、私の卒業した高校なども、それにあてはまるかもしれない・・・というか、もしかすると、私の出身高校のことを言ってんじゃないのか?みたいに思うところがありました。今となっては30年以上前に私が卒業した高校(大阪府立北野高校)は公立高校(大阪府立高校)でしたが、入学する時は、行きたいと思って行った学校でしたが、卒業して、ふと気づくと何十年か経ってしまって、ふりかえってみると、柴田が言うようなところがあったかもしれないという気がしてきました。 一方で、大学などで見た、私立六年制受験校(たとえば、東京都の開成高校など)出身の人を見ると、大学受験時において、大学入試においてある程度以上の成績を取ることができるだけの試験解答能力は身につけたのかもしれないけれども、その割には、高校までに身につけておくべきものが身についていない人が少なくないという印象を受けました。 高校卒業後は大学に進学するか就職するかするわけですから、大学入試について考えないわけにはいかないと思いますが、その一方で、人間の人格形成に影響を与えるのは、小学校から大学までの学校においてはどの時期かということを考えると、大学よりも高校の方が影響は大きいのではないのかと思うのです。 どの大学に合格できるかは大事でないことはないけれども、高校時代にどういう生活をしたかの方がより大事ではないかという気もいたします。 それから考えると、最近、私立高校の進学成績が伸び、公立高校の地盤沈下が定着してきていることについては、はたして、日本全体の将来を考えた時に、大学受験である程度以上の点数を取得できても、高校までに身につけておくべきものを身につけていないのではないかと思われる人を多く卒業させる私立六年制受験校がこれ以上浸透するのはいかがなものか、とも思うのです。しかし、しかし、それでも、やっぱり、柴田の言うことに一理はあるようにも思うのです。実際のところ、今、高校時代を振り返って、最近、進学成績が伸びてきているもともとは「進学校」でも「名門校」でもなかった私立高校に比べて、進学成績が伸びない公立の昔からの「名門校」「進学校」には“企業努力”が足らないのではないのか?!?と思えるところが、現実にあります。
  そして、柴田は『東京大学機械的合格法』において、<実際のところ、高校においても予備校においても、進学指導の能力においても、人間性においても、本当に優れている教員は、極めて少ないのが実情である>といったことを述べていたが、これも、たしかにそうかもしれない・・・と思ったところでした。 そうなんですよ。「先生」とか「あおげば尊し、我が師の恩♪」とかいうから、人格者がやっているのでは?などと思ってしまって、そこからおかしくなるんですよ。 フツーの人間がやっているのです、フツーの人間が。だから、たとえば、建築業界に勤めている人間が、別に特別の人格者であるわけでないのと同じく、高校の先生も予備校の先生も、フツーの人間。別に人格者でもなんでもない。どっちかというと、「せんせい、せんせい」と言ってあげないと機嫌を悪くするような人たちの多い職業なんだから。「せんせい、せんせい」「あんたはえらい、あんたはえらい。」「えらい、えらい、えらい、えらい。」とまで言われると、むしろ、馬鹿にしてるのか?と気づくようならいいのですが、他の業界に比べて気づかない人が多い業界。 実際、自分が高校生であったり、ローニンであったりした時に、不満を感じたり違和感を覚えたりすることはあったのですが、それは、「先生」というものに期待しすぎていたのでしょう。<実際のところ、高校においても予備校においても、進学指導の能力においても、人間性においても、本当に優れている教員は、極めて少ないのが実情である>と柴田の言っている通り。柴田孝之は、私より年下のはずですが、なかなか、いいこと言うじゃないか・・・。ということで、この2冊、『司法試験一発合格の技術』(ダイヤモンド社)と『東京大学機械的合格法』(日本実業出版社)、お勧めいたします。 司法試験を受けるつもりのない人、今さら大学を受けなおそうとは思っていない人も、「垢落とし」のつもりで読まれても悪くないと思います。人間生きていれば、司法試験くらいの難易度の高い資格試験でなくても、もっと難易度の低い試験でも受けることはあるでしょうし、そういう場合にも参考になると思います。
〔「お勧めします」といっても、一円でももらっているわけではない。 くれるなら大喜びでもらうけど・・・。〕
〔司法試験は、とうとう、誰でも、社会人でも受けられる旧型司法試験の制度がなくなり、カネがないと合格できにくい新型司法試験のみになってしまいました。 私が読んだ『司法試験一発合格の秘訣』(ダイヤモンド社)は旧型司法試験に対応したものですが、インターネットで見ると、『司法試験機械的合格法』(日本実業出版社)は、新型司法試験に対応した新版が出版されているようで、又、ダイヤモンド社からは、『司法試験一発合格の技術』の後継版ともいえる『新司法試験一発合格の技術』が出版されているようです。]

  そして、柴田が、この2冊で述べていたことで、何より、「目からウロコ」とでもいうところは、<たとえ、多くの人が読んでいる本でも、自分が読む必要がないと思えば読まなくて良い。たとえ、多くの人が使用したというテキストでも、自分が必要ないと思えば、使用しなくてよい。一発合格を目指そうとするならば、あえて、少数派になる勇気を持つ必要がある。多数と同じことしかできないのでは、並みの成果しか出せない。最高の成績を残そうと思うなら、自分だけの道を歩む勇気を持つ必要がある。>といったことを、この2冊ともで述べていたように思う。 〔 「ように思う」というのは、『東京大学機械的合格法』の方は、買って読んで、その後、捨てた覚えはないのだけれども、どうも、部屋の整理が悪くて、どこかへやってしまったようなのです。 『司法試験一発合格の秘訣』の方は手元にあるのですが、どこに載っていたか調べるのは、ここでは、それほど、重要ではないと思うので調べません。だから、<>の中は原文通りではありませんが、そういうことを述べていたのは確かです。どうしても気になる方は、図書館で見るかして調べてください。〕


  そして、何年か前の日本経済新聞の朝刊のスポーツ欄に、元・西鉄ライオンズの選手で野球解説者の豊田泰光さんが、コラムに述べていたものですが、豊田さんが高校を卒業して、西鉄ライオンズに入団して思ったのは、<プロの一軍の選手というのは、うまくさぼるなあ。>ということだったそうです。 あくまで<「うまく」さぼる>であって、<さぼりまくる>ではありません。 豊田さんが言うには、その当時、まだ戦後すぐで、軍国主義の影響も残っていて、選手に「匍匐前進(ほふくぜんしん)」などをさせるコーチなどもあって、真面目にそれをやったために肘を痛めて引退につながった投手もいたというのです。 一軍の選手は、たとえ、コーチがやれといったことでも、必要ないと自分が判断したものについては、実にうまく手を抜く。 そして、コーチがやれと言わないことでも、自分が必要だと思ったものについては徹底してやる。 二軍の選手はそうではない。 一軍の選手と二軍の選手の違いはどこにあるかというと、コーチがやれと言うことは真面目にやるけれども、コーチがやれと言うことしかしないのが二軍の選手で、コーチがやれと言ったことでも自分が必要ないと思ったものはうまく手を抜き、コーチがやれと言わないものでも自分が必要だと思ったものについては徹底してやるのが一軍の選手で、そこが一軍の選手と二軍の選手との違いであった、と豊田さんは述べていました。
  落合博光は、現役時代、「オレ流」の練習を主張したということで、成績は残したけれども、チームの和を乱すように言われた時もあったと思います。 その落合が中日ドラゴンズの監督になった時、「すべての選手に、『オレ流』を発揮してほしい。」と言ったのを覚えています。 星野仙一が中日の監督をしていた時には、<野球選手にとって体は資本なのだから、食事はきっちりとしたものを取らないといけないので、コンビニ弁当は禁止。>と言ったのに対して、落合は、「そんなことは、各選手が自分で考えて決めるものだ。」と言ったという話も聞きました。
  「王貞治物語」みたいな題名のテレビ番組を、昔、見ました。そこで、高校時代の監督であったかが、王のことを「大変、素直だった。」と述べたのに対して、プロに入ってからのコーチは、逆に「大変、頑固だった」と話していたのを聞きました。ある程度以上、自分の考えができてからは、たとえ、コーチの言う事でも、自分の考えに反するなら採用しなかったということなのでしょうか。
  

  さて、四国にある住宅建築請負業のF社では、営業のやり方を、それぞれの人間が自分の意見を主張するのではなく、言うとおりにやってもらいたいといって、それぞれの人間の創意工夫を否定しているらしい。 その話を聞いて、変なことを言うものだと思いました。

  私が大学を卒業して最初に勤めた木質系の甲社には、『営業知識マニュアル』『営業セールスマニュアル』というものがあって、それは相当に役立ち、効果がでました。 その後、転職した在来木造の乙社には、そういうものがありませんでした。 ひとつには、甲社は、その時点で創立約40年の会社で、乙社は、その時点で創立20年弱の会社であったので、乙社は、まだ、そういうものを作ることができていなかったということもあるかもしれません。乙社に入社してすぐの頃は、甲社にはあった、そういうものがないことに、やりにくさを感じたのですが、乙社にて、仕事をしていくうちに、むしろ、そういう『営業知識マニュアル』『営業セールスマニュアル』といったものはない方が基本ではないのか、と思うようになりました。

  もとより、『営業セールスマニュアル』といっても、それは、その会社の誰かが作ったもの、もしくは、誰かが作ったものを、何人かで検討して修正を加えたものであって、しょせん、どこかの人間が作ったものであるわけです。だから、大学なり短大なり高校なりを卒業したばかりのオニーチャンにとっては役立つかもしれないし、営業の経験のある人でも、「参考にする」のはしても悪いことはないでしょうけれども、それほど絶対視するほどのものでもないはずなのです。

  ミシン・ベッド・百科事典の営業で実績を残したという伊東光雄さんは、『驚異のセールストーク』(1979.11.20. こう書房)において、
≪ 「そんなにたくさんのトークを、それも全部自分で作るなんて!・・・・・」と、うんざりした読者諸兄の顔が目に浮かぶようである。しかし、私に言わせれば「立小便とセールストークの開発は自分でやるしかない」のである。
  どんなに立派なセールストークでも、他人のものを借りたのでは、ましてやセールスマニュアルのまる暗記では、百人百様の客を納得させることなどできるはずがない。
  第一、いかに立派な衣裳をつけても、借り着では肩身が狭かろう。私のは、たとえ粗末な衣裳でも、方言まる出しの泥臭いセールストークでも、自分でつくったものだ。一生懸命、何とか客の心を引きつけようと必死になって使う。熱が入っている。だから、力があるのだと思う。・・・・ ≫と述べています。

  在来木造の乙社にいた時、乙社の研修に参加した入社して比較的年数の浅い人が、研修に参加した際、乙社で通算契約棟数全国1位の人が講師役で来て、「ひととおりのことを覚えたら、後は、営業は自分で考えてやるしかないですね。」と話したというのを聞きました。 私も、その頃、そう思っていました。

  ですから、四国のF社が、「自分のやり方、自分の考え方は持たないで、言うとおりにやってもらいたい」などと言っているというのは、F社には、何か考えがあるのかもしれませんが、私は、その点については、なんだか変なことを言う、という気がするのです。

  元・阪急ブレーブス投手でオリックス・中日などの投手コーチを務めた山田久志氏の『プロ野球 勝負強さの育て方』(1998.3.16. PHP文庫)には、山田投手がシンカーを覚えた時の話が載っています。
≪・・昭和50年、前後期の間に行われた六甲山でのミニキャンプで、私は同室だった足立さんに頭を下げることになる。
「足立さん、ボク、シンカーをマスターしたいんですが・・・・・」
「そんなもん、覚えんでもええ」≫
≪昭和50年の後期、西宮球場の右翼ブルペンで投げていた私に、足立さんが「ヤマ、オレのシンカーの握りはこうや」と教えてくれた。私もそれなりに足立さんのピッチングを見てシンカーの握りを盗んでいた。足立さんが教えてくれた握りは、私が想像していたものと全く同じだった。
  私には足立さんの一言が、天の声にも聞こえた。「ありがとうございます」とも言えなかったほど感激した。
  そして、足立さんがすごいと思ったのは、シンカーの握りはこれしかないという教え方ではなく、「オレはこう握っている。あとは自分なりに考えろ」と言ったことだった。自分の力でシンカーを磨いたからこそ口にできる言葉だったと思う。 ・・・・≫ と述べています。

  自分なりに、こうじゃないか、と考えているから、人のやっていることが理解できる、人の話す内容が理解できるということがあるように思います。 
  乙社にいた後半、最終学校を卒業したばかりの新人を、各地でトップの営業成績を残して営業所長になった人の所につけて学ばせようとすることを乙社はしていましたが、私はそれを見て、ちょっと違うのではないのかな・・・と思ったことがありました。 まったくの新人は、トップの人ではなく、「中くらいの人」につけた方が良いのではないのか、と思ったのです。
  まったくの新人がトップの人について、トップの人のやっていることを見ても、どこがすごいのかおそらくわからないと思うのです。 「トップの人」には、≪いかにして「中くらいの人」から、「トップの人」になることができるか≫を親切で教える人がいるのではないかと思うのですが、そうではなく、新人には、とりあえず、≪いかにして、「中くらいの人」のことができるか≫を学んだ方が良いのではないかと思うのです。そして、そこから先は、基本的には自分で考えてやるものだと思うのです。 まったくの新人で、≪いかにして「中くらいの人」から、「トップの人」になることができるか≫を教えてもらっても、理解できる人は少ないと思います。 そして、「中くらいの人」は、まったくの新人に教えることによって伸びることがあり、そして、「トップの人」につけるのであれば、≪「トップの人」になることができずにいる「中くらいの人」≫をつけた方が、その方が、≪「トップの人」になることができずにいる「中くらいの人」≫であれば、いちいち教えてもらわなくても、「トップの人」を見ているだけでも、あんなことやっているのか、あんなすごいところがあるのか、と気づくことができる場合が少なからずあると思うのです。
画像

↑(左)柴田孝之『司法試験 一発合格の技術』(2002. ダイヤモンド社)
  (中)伊藤光雄『驚異のセールストーク』(1979. こう書房)
  (右)山田久志『プロ野球 勝負強さの育て方』(1989. PHP文庫)
 
  営業の経験のない人の中には、「ひととおりのことを覚えたら、後は、営業は自分で考えてやるしかないですね。」というと、「それはトップの営業の人の考え方ではないのですか」などと言う人がありますが、そうではありません。「ひととおりのことを覚えたら」そこから先は、トップであろうがなかろうが、この認識でいなければいけません。だいたい、トップになるまでは、人の言うとおりにやって、もしも、トップになったら自分の考えを持って・・などと言っていたのでは、永久にトップにはなりませんし、天変地異が起こってトップになるようなことが万一あっても、それまで自分の考えがなかった人間が、いきなり自分の考えを述べようとしても、述べることができるとは考えられません。

  営業について、「自分のやり方、自分の考え方は持たないで、言うとおりにやってもらいたい」などと言う人を見ると、もしかすると、その人には、その人で、何か考えがあるのかもしれませんが、私などは、何か変なこと言うなあ・・・という印象を受けます。 もっと、はっきりと言ってしまえば、言うと怒るかもしれませんが、この人、営業やったことあるのかなあ? という気がいたします。
  「すべての選手に、『オレ流』を発揮してほしい。」という方が、営業の王道であると私は思います。 ≪・・著者は受講生に対しては、「僕についてくるという受講生がいるが、それでは合格しない。正しくは、僕を追い越すつもりで勉強をしなければならない」 と、いつも言うようにしている。≫と柴田孝之は『司法試験一発合格の技術』(2002.ダイヤモンド社)の「後書きに代えて」で述べている。

        (2011.8.14.)


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
おそろしく、ありきたりで、つまらない記事でしたww
法律系より
なるほど
2013/04/13 04:24

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