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zoom RSS 「堪忍袋」を叩き割る営業、「引かば押せ」の男〜営業と会社の話(5)

<<   作成日時 : 2011/08/10 13:33   >>

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〔第55回〕 かつて、勤務した木質系住宅建築請負業の某社で支店長になっていた人が「人は、堪忍袋(かんにんぶ))という袋をいくつか持っている。 お客様も堪忍袋をいくつか持っている。契約していただくまで、契約いただいてから、その堪忍袋をいくつか割ってしまっても、まだ堪忍袋が残っておれば、なんとかなる。それを全部割ってしまうと収集つかなくなってしまう。だから、もしも、自分が担当した過程で、いくつも堪忍袋を割ってしまったと思ったならば、次の工程を担当する人に、このお客様はすでに堪忍袋を相当に割ってしまっているので、これ以上、割らないように、十分に気をつけてください、と申し送りをするようにしてください。」という話をしていた時がありました。 「堪忍袋」をいくつか持っているというのは、比喩であって、実際に、そういうものを持っているわけではないのですが、そのようなところはあると私も思います。

  同社にいた時には、こういった話が出てくるだけに、同社の営業は、こういった認識を持っている人が多かったのですが、その後、転職した職場においては、こういう認識を持っていない“営業”と出くわすことも出てきました。

  現在の勤務先に入社してくる新人などを見ていても、この相手に対しては、堪忍袋をいくつ割ってしまった、とかいった感覚を持っていない人を見ることがあります。そういう人を見ると、この人は営業は難しいかな・・・と思ってみたりもいたします。

  堪忍袋をいくつ割ったか、という見方とともに、もうひとつ、このくらいまでなら突いても堪忍袋は割れないのではないか、これ以上突くと堪忍袋を割ってしまうのではないか、といった感覚というものを持てる人と持てない人というのがいて、そういう感覚を持てる人というのは、その分、営業として成果が出る要素を持っているということで、そういう感覚を持てない人というのは、その分、営業として成果が出ない要素を持っているということになります。
  田中真澄『なぜ営業マンは人間的魅力が磨かれるのか』(1992.9.10.)という本がPHP研究所から発行されていますが、「営業」という仕事を、人をだますような仕事と解釈するのではなく、堪忍袋をいくつ割ってしまっただろうか、とか、このくらいまでなら突いても堪忍袋は割れないだろうか、これ以上突くと割ってしまうだろうか、といったことを考えるのが「営業」という仕事と解釈するならば、「営業」というのは「人間的魅力が磨かれる」仕事であるといえるでしょうし、こういった感覚は「営業」という仕事においては重要度の高いものであると思います。
  このくらいまでなら突いても堪忍袋は割れないのではないか、これ以上突くと堪忍袋を割ってしまうのではないか、といった感覚をたいていの人間は持っており、私も持っているのですが、どのくらい鋭敏に感じ取ることができるかは同じではなく、そういった感覚をいかに磨けるか、どれだけ磨けているかといったことが問われます。

  しかし、私などにとっては、どれだけ磨けているか、どれだけ鋭敏な感覚を保持できているか、という問題であるのですが、今の勤務先に入社してくる新人などを見ても、どれだけ磨けるか、ではなく、まったくそういった感覚を持ち合わせていない、という人に出会う時があります。

  この相手の堪忍袋をいくつ割ってしまったか、この相手の堪忍袋はこのくらいまでなら突いても割れないのではないか、これ以上突くと堪忍袋を割ってしまうのではないか・・・といった感覚をまったく持っていない、いわば、無神経であるが、それを補ってあまりあるくらいにふてぶてしい、といったタイプの人というのは、営業の経験のないような人からは、一見、「押しが強い」と誤解される時もあるようですが、しかし、この相手の堪忍袋をいくつ割ってしまっただろうか、この相手の堪忍袋はこのくらいまでなら突いても割れないのではないか、これ以上突くと堪忍袋を割ってしまうのではないか・・・といったことを、繊細に、鋭敏に考えて感じ取って、その上で、押すべきところは押し、引くべきところは引くという判断をし、その判断で、ここは強く押すべきだと判断した部分において「押しが強い」のであれば良いのですが、堪忍袋をいくつ割ったか、どのくらいまでなら突いても堪忍袋は割れないか、といったことを考える神経がまったくないというのは、それは、「押しが強い」のではなく、「無神経」というべきです。 

  さいとうたかを の漫画『ゴルゴ13』に、何巻で何というタイトルの話であったか忘れてしまいましたが、臆病で仲間から「ラビット(うさぎ)」というあだ名をつけられた少年が、並はずれて強いゴルゴ13を見かけ、「あなたは、どうしてそんなに強いの?」と尋ねると、「それは、俺がラビットのように臆病だからだ。獰猛な虎は、おそれを感じずに飛びかかるから倒される。もしも、俺がラビットのように臆病でなかったならば、とうに死んでいる。」と語る場面がありました。 
  今は昔、ボクシングのヘビー級チャンピオンで、無茶苦茶強いという感じのフォアマンに、ベトナム戦争への従軍を拒否したことからチャンピオンの資格を剥奪されてブランクがあり、ボクサーとしては高齢になって、ファアマンへの挑戦は無茶ではないかと思われたモハメド=アリ(カシアス=クレイ)が、「ロシアの重戦車戦法」とか「蝶のように舞って蜂のように刺す」と言って、そして、本当に倒して世界チャンピオンに返り咲いたことがありました。「キンシャサの奇跡」と言われたものですが、モハメド=アリは、試合前に口では無茶苦茶言っても、試合ではやみくもに打ちかかるようなことはしていないのです。どこで前にでるべきか、どこで強く打つべきかということを考えてやっており、そうであるからこそ勝てたのです。
  「営業」という仕事も、「ラビットのように臆病である」部分を持ち、その上で、ここは押さないといけないと判断する部分においては押す、どの場面は前にでないか、どの場面は前に出るか、ということを考えて、ここだという場面で押すというようにしないと、長い目で見るならば成果はでない方向につながると私は思います。

※『ゴルゴ13』については、
「ウィキペディア―ゴルゴ13」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413
「ウィキペディア―ゴルゴ13(架空の人物)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413_(%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9)  他参照。
※モハメド=アリがフォアマンを倒してチャンピオンに返り咲いた“キンシャサの軌跡”については、
「YouTube―ジョージ・フォアマンvsモハメド・アリ」http://www.youtube.com/watch?v=kANNhbDt-fQ 参照。


  堪忍袋をいくつ割ってしまったか、このくらいまでなら突いても堪忍袋を割ることはないか、といった感覚と部分的に似たものに、「押さば押せ。引かば引け。」という姿勢・認識があります。
  「押さば押せ。引かば引け。」というのは、私は、高校の1年の時の体育の授業の「剣道」の時に、体育の先生が、剣道について話された言葉でした
  私は、在来木造の某社に在籍して営業の仕事をおこなっていた時に、この「押さば引け。引かば押せ。」という姿勢を身につけました。身につけて、そして、高校の1年の時の体育の剣道の授業の時に聞いた「押さば引け。引かば押せ。」という言葉を思い出したのです。但し、正確には、「あえていえば、『押さば押せ。引かば引け。』」です。
  見込客に対してでも、契約客に対してでも、「押さば引け。引かば押せ。」という姿勢を取る人がいるのです。無理難題でも要求する人に対しては引きまくり、こちらの立場を理解してくれる人、あるいは、多少、人のいい人が相手であれば押しまくる、ということをする人がいるのです。それでは収集がつかなくなります。無理難題を要求すれば何でもきいてくれると思われてしまうと、いくらでも際限なく要求されることになってしまいますし、こちらの立場を理解して、こちらがやりやすいように配慮してくれたり、こちらが対応に困っているのを見て、本来なら良いことではないものでも、いいということにしてくれたりしている人に、この人は譲ってくれる人だからなどと思っていくらでも譲ってもらおうとするならば、早いか遅いかにかかわらず、譲ってもらえなくなりますし、多少、人のいい人だから、この人は何でも言う事をきいてくれるなどと思っていたのでは、これも、早いか遅いかにかかわらず、きいてもらえなくなります。
  たとえ、見込客、契約客が求めるものでも、応じることのできないものは断るしかありませんし、求められなくても、自社で契約してもらった方には、十分に、良い物を提供できるように努力するべきです。相手が押してきたからといって、いくらでも引くわけにはいきません。又、相手が引いてくれたからといって、調子に乗ってはてしなく引いてもらうというわけにもいきません。相手が要求しなくてもやるべきことはやるのです。
  在来木造の某社にいたとき、私は、工事担当者から、「○○さんの担当のお客さんならいい人が多いから大丈夫だ」と言われたことがありましたが、それは、ひとつにはこういう姿勢で接しているので、「相当気をつけて要求しなくてもきっちりとある程度以上のことはやってくれる」、「無理な要求をしたからといってきいてもらえるというものでもない」という認識をお客様が持ってくれているからです。だからといって、逆の対応をしている営業の担当のお客様は大変だからといって、そういう人を優先されても困るのですが。

  これは、通常の人間関係においてもあることだと思います。 今は昔、ある時、「あんた、一見、なんでもきいてくれそうな感じに見えるだろう。それでいて、実際はそういうわけではないだろう。 だから、この相手はなんでもきいてくれそうだと思って、何でも要求する奴がびっくりするんだ。」と言われたことがありました。 そんなふうに見えるのかあ?とこちらがびっくりしたのですが、「押さば押せ。引かば引け。」という認識を通常の人間関係においても持っていて、そして、ルドルフ=フォン=イェーリングが『RECHT(権利=法)のための闘争』(日本語訳では『権利のための闘争』。 岩波文庫他)で述べているように、争うべきか争うべきでないかという時、本当に争わなければならないことを争うことができるために、細かいこと、相手に悪意がないものについては、できるかぎり譲っていくという姿勢で生きていくと、本当に争わなければならないことを争うことができるように細かいことについては譲ってよいという姿勢でいるのを見て、この相手は何でも譲る人間だと勘違いして、譲るわけにいかないものまで要求してくるバカが出てくるらしいのです。私としては、本当に争わないといけないものを争えるように譲っても良いものについては争わないようにしているのを見て、この人は本当に争わないといけないものを争えるように譲っても良いものは譲るようにしている人だと理解してこちらを評価する人なのか、本当に争わないといけないものを争えるように譲っても良いものについて譲るようにしているのを見て、何でも譲る人間だと誤解して何でも要求するようなバカなのか、ということを見ているのであって、そこでバカと見られたならば、そういう扱いになるわけですが、けっこうそういうバカはいるようです。

  ここで述べたような感覚をまったく持てない人には、他の職種は別として、営業は無理だと私は思います。

  譲れるものは争わないようにしておくと、何でも譲ってくれる人間だと勘違いする人間、「押さば引け。引かば押せ。」という姿勢・態度・認識の人間は、会社の経営者にもいるようです。 経営者がそういう態度であるならば、引いてくれるからと思っていくらでも引かせればよいと思っているような経営者であるならば、最初は譲っていた従業員も譲らなくなるか、あるいは、「押さば引け」なら押してやろうという従業員が残って、「押さば押せ。引かば引け。」という従業員はあほくさくなって出ていくかすることになるかもしれません。

                    (2011.8.10.)


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