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zoom RSS 営業の最高の技「他心通」〜『大魔のガロ』とロジャーズ・クライエント中心療法より〜営業と会社の話(3)

<<   作成日時 : 2011/08/05 23:40   >>

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〔第52回〕 『大魔のガロ(たいまのガロ)』とは白土三平(しらと さんぺい)の漫画の名前です。最初、「ガロ」という名前の漫画雑誌に掲載され、漫画雑誌の名前をそのまま主人公の名前にしたと聞いています。もっとも、「ガロ」という雑誌が発行されていた頃は、私は、まだ子どもで、「ガロ」という雑誌そのものは見たことがなく、小学館文庫から発行されていたもので読みました。
   白土三平の漫画というのは、忍者を扱ったものが多いのですが、大変、骨のある内容の漫画であり、又、大変よく調べて書かれており、大人が読んでも読みごたえのあるものが多いと思います。『サスケ』とか『忍者武芸帳〜陰丸伝』を代表作にあげる人があるようですが、私は、『カムイ伝(第一部)』『カムイ外伝 第一部』『カムイ外伝 第二部』『ワタリ』、そして、『大魔のガロ』が好きです。
   作家の遠藤周作氏は、小説『沈黙』(新潮社)を篠田正浩が映画化した映画『沈黙SILECE』を、「いわば、嫁にやった娘がそこの家の家風に染められてしまったようなもので、父親としては、大事に育てた娘がよその家の家風に染められてしまうというのは実に面白くない。小説の映画化などというものは、いわば、そのようなものであり、嫁にやった以上は、父親としては、娘が嫁入り先の家風に染められてしまうのは実に面白くないけれども、しかたがない。しかたがないけれども、あの映画の『沈黙』はあくまでも、映画監督の篠田くんの『沈黙』であって、私の小説の『沈黙』とは別のものであって、私はあんな映画のような話を書いていない。」と述べられていましたが、「ウィキペディア―白土三平」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%9C%9F%E4%B8%89%E5%B9%B3によると、白土三平の場合は、『ワタリ』を映画化した『大忍術ワタリ』の内容が納得いかず、その為に、東映初のカラーテレビ特撮時代劇として作られる予定であった続編を白土三平が拒否し、その代わりに「人畜無害」な漫画家・横山光輝の『仮面の忍者 赤影』が放送されることになったようです。横山光輝の漫画によるテレビは、私なども子どもの頃、『鉄人28号』など喜んで見ていましたが、大人になってまで喜んで見ていたとしたらアホや・・・というものですが、それに対して、白土三平の漫画は『ワタリ』にしても『カムイ伝』『カムイ外伝』にしても、そして、『大魔のガロ(たいまのガロ)』にしても、むしろ、大人受けする漫画・大人向けの漫画であり、むしろ、ある程度、人生を生きてきてこそ理解できる漫画であると思います。
   「大魔のガロ」は、白土三平の漫画に登場する人物では、例えば、『ワタリ』の「名張の四貫目」、『カムイ外伝』の「モモカ(百日)のウツセ」などと同じく、忍者の名前です。どういう技を使う忍者であったかというと、種々ある忍び(忍者)の技の中でも最高の技と言われるもの、「他心通(たしんつう)」を習得した忍び(忍者)であったというのです。
   「他心通(たしんつう)」とは、いったい、どのような技であったかというと、言葉の通り、「他の者の心に通じる」という技、即ち、他の者の心を読み取るという技でした。 「大魔のガロ」を倒そうとして忍びよる者の心の動きを完全に読みとって、相手が殺意を持っているかどうかを読むとともに、相手が次にどのように動き、どのような技を出すかも先に読みとることができるので、ガロを倒そうとして来る者は、誰もがガロに返り討ちにあいます。 「他心通」は、人を倒す時だけに役立つのではなく、ガロに好意を持つ者に対しても、ガロはその気持ちを理解することができるし、子どもを人質に取られて、ガロを倒すように要求され、不本意ながらガロを倒そうとして来た者には、その気持ちまでも読みとります。ガロは人だけではなく、獣や魚の心までも読みとってみせます。まさしく、忍びの技の中でも最高の技です。

※遠藤周作『沈黙』については、たとえば、
「ウィキペディア―沈黙(遠藤周作)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%BB%99_(%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%91%A8%E4%BD%9C) 他参照。
※白土三平については、たとえば、
「ウィキペディア―白土三平」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%9C%9F%E4%B8%89%E5%B9%B3
他参照。


   私は、長く住宅建築請負用の会社で営業の仕事を中心に勤めてきましたが、昔むかしから営業をやろうと思ってきたわけではありません。 小学生の低学年の頃は、パスツールであるとかエジソンであるとか、あるいは、今、話題というのか問題というのかになっているキュリー夫人であるとかいった人たちの話を「ぼくわたしの偉人伝」みたいな本で読んで、そういった自然科学の研究者になりたいと思い、高学年では、裁判官か弁護士になりたいと思って法律の本を読んだりしており、高校を卒業する頃には、心理学や心身医学の研究者になりたいと思ったりしていました。何の因果か商学部に入学してしまい、そういう経緯があったので、カウンセリングのサークルに加入した時期がありました。そこで、扱っていたのが、カール=ロジャーズの「クライエント センタード アプローチ(来談者中心療法)」でした。私は、心理学科や教育学科に行った人間よりも大学入学までに、心理学などについて真剣に考え、そして、学んできていると思っていたので、心理学科や教育学科の人間などより上のレベルのつもりでいましたが、その時に読み、考えたものとしては、佐治守夫・飯長喜一郎編『古典入門 ロジャーズ クライエント中心療法』(1983.1.10.有斐閣新書)、中西信夫・那須光章・古市裕一・佐方哲彦『カウンセリングのすすめ方』(1983.1.10.有斐閣新書)などがあり、卒業して何年か後、最近では、カール=ロジャーズ『クライアント中心療法』(2005.6.17.岩崎学術出版社 ロジャーズ主要著作集)なども読みました。
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 ↑(左) 佐治守夫・飯長喜一郎編『古典入門 ロジャーズ クライエント中心療法』(1983.1.10.有斐閣新書)、
   (右) 中西信夫・那須光章・古市裕一・佐方哲彦『カウンセリングのすすめ方』(1983.1.10.有斐閣新書)
  (中奥)カール=ロジャーズ『クライアント中心療法』(2005.6.17.岩崎学術出版社 ロジャーズ主要著作集)

  カール=ランソム=ロジャーズは1902年にアメリカ合衆国で生まれた心理療法家で、細かい内容は、関心のある方は、それぞれの本をお読みになればよいと思いますが、特色としては、「非指示法」といって、カウンセラーはクライアントに対して、なんら指示しない、そして、「クライエント中心(来談者中心)」であり、決めるのはクライエント(来談者)であるという姿勢があります。 セラピストの求められる条件としては、「受容」と「共感的理解」、そして、3番目の条件として「自己一致(congruence)」があげられています。
  私が、ロジャーズの「クライエント(来談者)中心療法」に魅かれた点としては、
1.ロジャーズの所に来る人は、あくまでも「クライエント(来談者)」であって、「患者」とかではない。
2.体制「精神医学」は、もともと、「患者」「気ちがい」とされてしまった人を、どのように扱って「まともな人間」を守るかという視点でできており、「精神科医」は「患者」を教え指導する立場に勝手に立ってしまっており、自分は「まともな人間」の側であると勝手に決めてしまっており、さらに、宗教の「教祖」のようになろうとすらしているのに対して、ロジャーズは、自分を「エライ人」とはまったく認識しておらず、相手を「患者」とか「気ちがい」とか「病人」とか「異常者」、あるいは、自分よりも劣った人というようには、考えていないところです。
  体制「精神医学」を好きな人には、世の中には「支配するべき人間」と「支配されるべき人間」、「支配するべき人種」と「支配されるべき人種」がいて自分は「エライ人」であり、「支配するべき人間」「支配するべき人種」の人間であるという意識の人が多く、そういう人は体制「精神医学」を受け入れやすいのに対して、私はそういう物の考え方が好きではないので、体制「精神医学」には受け入れがたいものを感じました。 又、ヨーロッパにおいて、体制「精神医学」の反逆児のように誕生した「精神分析学」も、大西洋を渡ってアメリカ合衆国へ行くとともに、体制「精神医学」に飼いならされてしまい、それが、さらに日本に来て、なおさらあやしくなってしまったのが、一時は相当に売れた小此木圭吾のビョーキ本シリーズであったと思いますが、体制「精神医学」と同様の問題点を持っていると思います。
3. そして、決めるのは「クライエント(来談者)」であって、ロジャーズや「セラピスト」は決めない、判断しない、ましてや、命令しない。
4. そして、体制「精神医学」をやっている人たちというのは、自分自身を見つめ直すために哲学や文学の書物を読んで自分のあり方を顧みるということはしないで、自分が勝手に考えている「常識」を常識であると決めつけて判断するのに対して、ロジャーズはそうではない。 ≪1950年代の前半にはロジャーズとヘレンは冬の休暇をカリブ海ですごす習慣ができ、そこで彼は他の分野の心理学の他に、S・キルケゴール、M・ブーバー、J・P・サルトル、A・N・ホワイトヘッドらの著作を学び、自らの哲学的な意味を考えはじめた。・・・・≫(『古典入門 ロジャーズ・クライエント中心療法』)といったところなども、体制「精神医学」とは正反対の態度であるとともに、高校を卒業する頃、「心理学」「心身医学」などと哲学・文学とは一続きのものと考えていた私と同じ認識でもありました。

※体制「精神医学」の問題点については、たとえば、
1.トマス=サズ『「精神医学」という狂気の思想』 (日本語訳の題名は『狂気の思想』 新泉社)
2.トマス=サズ『「精神医学」という神話』 (日本語訳の題名は『精神医学の神話』 岩崎学術出版社)
3.デビッド=クーバー『反精神医学』 (岩崎学術出版社)
4.森山 公夫『現代精神医学解体の論理』 (岩崎学術出版社)
5.高杉 晋吾『頭脳支配〜おそるべき精神医療の実態』 (三一新書) 他参照。

  そういうカール=ロジャーズの「クライエント(来談者)中心療法」の、特に、「非指示」「クライアント(来談者)中心」「受容」といった認識を学んできた人間である私が、卒業後、はたして、営業ができるだろうかといったことを考えた時がありました。 ロジャーズの認識は、「心理療法」であっても、決して、それは、一般、通常の人間の関係と離れたものではなく、一般、通常の人間関係のあり方をつきつめて考えたところが「心理療法」にもなったというものですから、結果として、そういった「心理療法家」にならなかったとしても、そういった認識と縁が切れるようなものではないのです。 営業というのは、自分の会社の商品を売るのが営業ですから、見込客(来談者)の気持ちをすべて「受容」してしまって、そして、「クライアント(来談者)中心」に「非指示」の態度で、「クライアント(来談者)」に自ら決めてもらっていたのでは、その結果として、他社の商品を買うことも「受容」し、他社の商品に気持ちが行きかけても「非指示」の態度をとっていたのでは、それでは営業にならないのではないのか・・・といったことを考えたのです。又、そう考えたから、卒業後、勤めるにしても、もしも、会社というところに勤めたという場合でも、「心理療法」などを学んできた者として、人事や総務では役立つと思ったけれども、営業は向かないと思って、それで、営業にはつきたくないと思ってきたのです。 しかし、営業の仕事につきました。
  そして、営業の仕事について、それまでの営業についての認識は誤解であったと思ったのです。「受容」「来談者中心」「非指示」は営業の姿勢に反しません。 まず、住宅建築の会社で、その会社を訪ねる方というのは、その会社で建築することを多かれ少なかれ考えている方であり、しかし、自分自身の気持ちの整理が十分にはできていない場合が少なくないのです。そういう方の気持ちとおかれている立場を「受容」した上で、あくまでも決めるのはご本人であるという認識をきっちりと持ち、心の整理を援助できるならば、それは、営業として評価されるものであり、それによって、自社に来てもらえることはあっても、「指示」しないからということで他社に行かれてしまうことはないと思います。
  これは、大学卒業後すぐに入社した木質系の某社のその頃の営業の姿勢とも共通していたと思います。「人の気持ちを受容し理解しよう」という姿勢。 そして、ちょっとした表情、しぐさなどから、これはどういう気持ちからなのだろうか・・といったことを理解しようとする。 その結果、相当の範囲で人の気持ちを理解できるようになる。表情・しぐさなどから心を読むといっても、だまくらかそうとかいうことで読むのではなく、他人の気持ちを理解し、どこを心配しているのか、何を不安に感じているのかといったことを理解し受けとめようとする。人の気持ちを推測する場合にも、「読心術」「心理術」といったもののような心を読み取ってだましてやろうとか、気が進まない方向へ無理矢理進ませてやろうとかいうことでは決してなく、「受容」し「クライエント(来談者)」中心」の姿勢・認識で、「非指示」の態度・対応により、はっきりと言葉に出さない部分についても人の気持ちを理解し受容しようとする、という、そういうものこそが営業の王道である。 その会社で最初に配属された営業所の営業課長になっていた人から、「おまえ、この営業所にいる人間は、みんな営業だからな。うっかりしていると、おまえがどう考えているか、うれしいか嫌がっているか、ふさぎこんでいるなら何が原因か。みんな読みとられてしまうからな。だから、営業はこわいぞ。思っていることを読みとられるぞ。」と言われたことがありました。

   そして、その後、別の会社にも勤め、もはや、ベテランの方に入り、「営業とはどういう仕事か」というと、いろいろな面があるでしょうけれども、それでも、ひとつ言えば、「人の気持ちを理解する」ということであると思います。理解するにはどうすれば良いのか、細やかな神経で表情やしぐさを見るということもあるでしょうけれども、それより前の問題として、やはり、「受容」「非指示」「クライアント(来談者)中心」といった認識をきっちりと持てるかどうかが大事であると思います。そして、「自己一致」。
   「自己一致」とは何かというと、えらいかどうか、優秀かどうかと、「自己一致」しているかどうかは違います。「自己一致」とは、実際の自分自身がどうであるかということと、自分自身をどういうものであると自分で思っているかが、一致しているか一致していないかの問題で、一致している状態を「自己一致」、一致していない状態を「自己不一致」と言いますが、実際の生身の人間というのは、完全に「自己一致」している人間というのはあまりいませんし、又、完全に「自己不一致」という人も少ないはずで、大部分の人間はその間にいるのですが、良い成果を出すため、実りのある人生を生きる為には、優秀かどうか偉いかどうかではなく、できるだけ「自己一致」した方向へ向かった方が好ましく、いかにして、「自己一致」した方向へ進むことができるか、というのがカール=ロジャーズの課題であったのです。 カール=ロジャーズを学んだ者が営業の仕事について経験を積み、そして、「人の気持ちを理解し受容する」にはどうすれば良いか、と考えた時、やはり、「自己一致」の方向に進めるかどうかが大事であろうと思うに至りました。


  そして、「大魔のガロ」というのは、もしかして、最大限に「自己一致」を求めた人間で、自分を見つめとおした末に、他人の気持ちを理解できるようになって、そして、敵でも味方でも、他人の気持ちを読みとることができるようになったのではないか・・・といったことを考えたのでした。

  もともと、最初から営業の仕事をしようとしていたわけではなかった人間が営業の道に進んで、ふと気づくと、ずいぶんと経験を積んだもので、そして、その間に、「営業の技」と言われるようなものも、ふと気づくと、相当に身につけましたが、私が身につけた「営業の技」の中で、最大・最高の技は何か、というと、なんといっても、
   「他心通 未完成」です。
「他心通」ではなく「他心通 未完成」というのは、「大魔のガロ」ほどまで行かなくても、十分に習得できたと胸を張って言えるほどには達していないから、だから、「未完成」です。 でも、私は、これが営業の仕事の第一であると思ってきましたが、その後、勤めた会社の人たちなどを見ても、「未完成」どころか、そういう姿勢自体を最初から持っていない、最初からそういうものと認識していない人が少なからずいます。 現在の勤務先に入社してきた人などにもいます。 そういう人を見ると、「他心通」ではなく「他心通 未完成」であってもその差は大きく、その認識さえ身につけていない人との比較で見れば、「他心通 未完成」は、ものすごい技であると自信を持って思えます。ものすごい技ではあるのですが、力でねじ伏せるような力技ではなく、自分自身を見つめなおすことによって人間性を磨き、その結果として、太陽がポカポカと温めて旅人に衣服を脱がすように、自分を信頼してもらえて本音を語ってもらえるようにするという、いわば、「太陽政策」とでも名付けたいような技です。
   「他の者の心に通じる」為に、自分の心を見つめなおし、「自己一致」した状態に進んでいるか、といったことを考えると、その場合、見るのは他人ではなくおのれの心であり、道はまだまだはるかに向こうまで続いていると認識せざるをえません。 
   今は昔、『ナザレのイエス』という映画を有楽町で見ました。イエスを言い負かそうとしてやってきた者が、イエスは何も詭弁を使ったりしているわけでもないのに、イエスの態度に受容され、逆にイエスの弟子になっていったりする、その時のイエスの態度・表情など、この映画はうまく表現されていたと思います。

※映画『ナザレのイエス』については、
「goo映画―解説・あらすじ ナザレのイエス」http://movie.goo.ne.jp/movies/p11230/comment.html 他参照。

   「ナザレのイエス」のように、「大魔のガロ」のように、人の心を受容して理解するという姿勢・認識を十分に持てるかどうか。 それが営業としての第一の姿勢を持てるかどうかであると思います。その道をいくらかは歩んでいるという点で、まったく認識していない人と比べれば、「他心通 未完成」は最大の技と思っていますが、まったく認識していない認識しようという姿勢もないレベルの低いのと比べてもしかたがない。大学を卒業して最初に勤めた会社の最初に配属された営業所の営業課長から「おまえ、この営業所にいる人間は、みんな営業だからな。うっかりしていると、おまえがどう考えているか、うれしいか嫌がっているか、ふさぎこんでいるなら何が原因か。みんな読みとられてしまうからな。だから、営業はこわいぞ。思っていることを読みとられるぞ。」と言われたことがあったのですが、逆に、他人の気持ちを理解しようという姿勢のない人というのを見ると、むしろ、そっちの方が「こわい」ようにも思います。 まったく認識できていない人というのは、私は、営業の仕事につくべきでない人であるか、営業の仕事をするにしても人並みのレベルにたどりつくまでには短くない期間が必要な人であると思います。そういう人にわからせるにはどうすれば良いかというと、わかろうという姿勢がない人にわからせるのは難しいのですが、個人別の営業成績を見て、自分の成績が上がらないということで理由を自分で考えて、それで気づくという場合もあるかもしれません。そういう可能性を考えると、個人としての営業成績が出る営業と個人としての成績が出ない営業では、個人としての成績が出る営業をやった方がそういう人は気づく可能性ができて良いかとも思いますが、今まで勤めてきた会社などで見ても、一族や縁故入社の人などが特別扱いを受けた上で条件の良い場所に配属してもらうなどしてきたような場合は、個人別の営業成績が出ることになっている会社においても気づかない場合があるようですし、日本の会社というのは、そういう点で理想的でない会社は少なくないと思います。 
   私は、人の心を、人の気持ちを受容し理解しようという姿勢を持つことによって、人の思いを考えを知るという姿勢・認識は営業の第一歩であり第一であると絶対の自信を持って思っていますし、そういう姿勢を持てない人は、営業に向かない人か、もしくは、人並みのレベルになるまで時間がかかる人であると思っていますが、もし、そうでなければ、私が考えている営業とは、営業は営業でも異なるような営業をやる人であるということでしょう。


   『大魔のガロ』は名作です。 インターネットで見ると、古本ではあるようですが、新刊で今販売される在庫がないらしいのは残念です。

                 (2011.8.5.)


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