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zoom RSS 「見込客」は、いつから「客」「お客様」になるのか?――営業と会社のお話(1)

<<   作成日時 : 2011/03/02 01:32   >>

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〔第15回〕 私が大学を卒業して、最初に勤めた木質プレハブの某社で、入社してすぐの新入社員研修の時に、営業部長の話で、「家みたいな、何千万円という値段のものを売るのは大変じゃないか、と思う人もいると思うけれども、確かに、何十円の物をひとつ売るよりも、何千万円の家を一軒売る方が大変だろうけれども、何千万円の家を一軒売った時の利益と同じだけの利益を、何十円の物、たとえば、消しゴムを売って、一軒の家を売った時に得るのと同じだけの利益を取ろうとしたら、いったい、いくつ売らなければならないか、ということを考えてみ。 どっちがやりやすいか。 何十円の物を売って、何千万円の家を売った時に得る利益と同じだけの利益を得ようと思ったら、相当の数を売らないといけないことになるよ。 けっこう大変だと思うよ。 こう考えたら、何千万円の物を売る方が、考えてようによっては、楽かもしれない。」という話がありました。確かに、そう考えれば、何十円の物を売るよりも、一千万円以上はする家を売る方が、楽な面もあるかもしれません。 
   確か、日経新聞に載っていた話だったと思うのですが、この部分についての私の記憶が確かでないのですが、記事に載っていたのは時計のセイコーの服部さんであったような気がするのですが、誰であったか、親が自宅で商売をされていた方が、子供の頃、親が商売をする姿を見て、まず、お客様が来店した時に「ありがとうございます」と言って、買ってもらった時に「ありがとうございます」と言い、帰られる時にまた「ありがとうございます」と言い、わずかのお金をもらうのに、こんなに何回も「ありがとうございます」と言わなければならないものか、と情けない気持ちになった、という話が載っていたのを読んだ覚えがあります。 この点、何十円の物を売る場合に比べて、一千万円以上の物を売る場合は、情けない思いをすることは少ないかもしれません。 しかし、一千万円以上の物を売る場合であっても、営業は奴隷ではなく、お客様は人間であって神様ではないので、この事を理解しておかないと、営業としての実績もあがらないでしょうし、そのお客様の為にもならないでしょう。

   一千万円以上の値段がする家を売る場合と、消しゴムでも何でも、何十円、何百円の物を売る場合とでは、一件あたりの利益が大きい物を少数売るのと、ひとつあたりの利益が小さい物を多く売るのと、どちらが楽か、という違いもありますが、1件あたりの販売価格も利益も大きい住宅のような物を売る場合、特に、住宅でも、建売住宅や中古住宅の販売の場合は売買契約ですが、住宅建築請負業の場合は請負契約であり、最初の引き合いから、契約を経て引き渡しに至るまでの期間が、1年前後はかかり、今回の表題の≪「見込客」は、いつから「客」「お客様」になるか?≫という問題が出てきます。 何十円の物、何百円の物を売っていると、あまり、この問題は意識しないのではないかと思います。何千万円の物を売る仕事をしたからこそ、こういう問題を意識できるようになった、ということで、私は、この点で、この仕事をして良かったと思っています。 但し、たまに、ある程度、この仕事をしてきたと言う割に、わかっていない人を見かけることがあり、不思議な思いをすることあります。

   「客」「お客様」と「見込客」とは、どう違うのか、と言いますと、
「見込客(みこみきゃく)」というのは、「客」「お客様」になる可能性のある人のことを言うのであって、「お客様」そのものではない
ということです。 「見込客」に対しても、「お客様」と口にしたりすることはあるでしょうけれども、それは、敬称として言っているだけです。
   私が大学を卒業して最初に勤めた某社の最初に配属された営業所で、私より前より営業の仕事をしてきた営業社員よりきかせてもらった話ですが、その人が、入社してそれほど経っていなかった時に、所属した営業所の課長から言われたことが、
 ≪「客」とか「お客様」というのは、契約して、たとえ、1万円でも払ってくれた人のことを言うのであって、まだ、契約していない人、契約書に署名・捺印していない人、 契約金を、まだ、支払っていない人というのは、「客」になる可能性のある人であっても、「客」「お客様」ではないのであり、我々にとって大事なのは、契約して契約金を支払ってくれた「お客様」の方であり、契約していない人、契約金を、まだ、支払っていない人は、「見込客」ではあっても、「客」「お客様」とは違うので、この点を間違えて、「見込客」を「客(契約客)」と同じように扱ってはならない≫ 
という話でした。 
   そして、歌手の三波春夫と、「レッツゴー三匹」というお笑いグル―プが、「お客様は神様です」という文句を広めた為に、「お客様は神様だから、お客さまの言う事は、どんなことでもきかなければならないのじゃないか」と誤解する人、「客の立場になれば、どんなことでも言う事をきかせることができるのではないか」と誤解する人もでてくるようなのですが、それは、根本的に間違っているのです。 だいたい、三波春夫にしても「レッツゴー三匹」にしても、住宅建築の営業をやって1棟でも契約をしてもらった経験があるかというと、ないはずなのです。営業の経験のない奴が勝手なこと言うんじゃねえ、バカヤロ―!と言いたいところですが、「レッツゴー三匹」の方は、いつしか、消えていったのか、最近は見かけません。 この「お客様は神様です」という文句はやめてもらいたいですね。 私が大学を卒業して最初に勤めた某社の最初の新入社員研修では、「お客様は神様ではない。お客様は人間です。人間として敬意を払う。」と言われましたが、経験を積んだ今、それは、まったくその通りだと思います。

※ 三波春夫については、
「ウィキペディア――三波春夫」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E6%98%A5%E5%A4%AB
  「レッツゴー三匹」については、
「ウィキペディア――レッツゴー三匹」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%84%E3%82%B4%E3%83%BC%E4%B8%89%E5%8C%B9 
  他参照。

   もっとも、「客」「お客様」とは「契約客」のことを言い、「見込客」とは、「客」「お客様」になる可能性のある人のことではあっても「客」「お客様」ではない、というのは、日本語の定義のしかたの問題でもあります。
   「契約客」のことを「客」「お客様」と定義するならば、「見込客」とは「客」「お客様」になる可能性のある人のことであって、「客」「お客様」ではない、ということになるでしょうけれども、「契約客」と「見込客」「来場客」とを合わせて「客」「お客様」と呼ぶならば、「客」「お客様」の中に「契約客」と「見込客」とがおられるのであって、「見込客」は「契約客」とは違うということにはなっても、「客」「お客様」ではない、という表現にはならないでしょう。
   いずれにせよ、物事の意味としては、
 「契約客」でない「見込客」を「契約客」と同じに扱ってはならない、 「見込客」ではあっても「契約客」でない人には、その点を認識してもらわなければならないし、認識できない人には、営業担当者は、それを理解・認識してもらうようにしなければならず、きっちりと認識してもらうようにするのが営業担当者の仕事である、
ということです。

  ところで、世の中には、自分が≪「見込客」であるかもしれない≫というくらいの立場で、「契約客」「お客様」としての態度を取ろうとする人がおられ、なおかつ、自分は「客」だから「お客様は神様です」というように何でも言う事をきいてもらって良いはずだ、という態度を取りたがる人がおられるのです。 私が営業担当者なら、そういう方には、その認識は間違っていますよ、ということを理解してもらうように努力しますし、もしも、理解してもらうように努力しても、それでもわかってもらえないようであれば、その方は、見込客としても、客質の良い方ではなく、優先するべき見込客ではない、もしくは、完全に「(契約客でないだけでなく)見込客でもない」と判断し、「相手にしない方が良い人」という判断をする可能性もあります。 ところが、営業担当者の中には、そういう対応ができない人がいるのです。 そういう営業担当者には、会社の他の従業員が迷惑しますし、そういう営業に担当された「お客様」は良い家ができるかというと、決してそうではなく、わがままを通せば得するだろうという勘違いをして、結果としては、あまり良い家はできないことが多いように思います。 そういう営業は「客」の為にもならないですね。

  今は昔、京都市で1か月少々、「下宿」に住んだことがあります。 私の祖父母が、兵庫県で、関西学院大学の学生に、あいている部屋に「下宿」してもらっていた時がありましたが、それは、普通の家で、あいている一部屋に住んでもらって、食事も家族と一緒にして、部屋には鍵もかからず、入口も家族と一緒で、風呂もトイレも家族と一緒で、家族のひとりのように生活してもらって、というもので、夏目漱石の小説『こころ』の「先生」が住んだ「下宿」のようなものでしたが、私が京都市で1か月少々住んだ「下宿」はそういうものではなく、家主の家とは、まったく、別に建てられたもので、そこに、何人かが住み、「アパート」と違って入口は一か所ですが、各部屋に鍵もかかるというものでした。 その「下宿」の家主さん(大家さん)のおばあさんから、そのおばあさんの亡くなった主人は商売が大変上手だったという話を聞かせてもらったことがあります。 どのように上手だったかというと、まず、負けさせるのがうまかったというのです。 但し、これは、相手の立場も事情もおかまいなしに、とことん、安くさせるのがうまかったという意味ではありません。 家主のおばあさんが言うには、自分などは、負けてくれるものなら、負けてくれるだけ負けてもらえば、と考えてしまうところを、その主人は、そうは考えなかったというのです。 
「まだ、もうちょっと、負けてくれるんじゃない?」と言っても、「いや、これ以上は負けさせてはいけない。あの人にも、このくらいは儲けさせてあげないといけない。このくらいは、あの人にも利益をあげないといけない。」と言ったりした
というのです。 これは、私が大学を卒業した直後の時期にきかせてもらった話で、それ以来、この話は、私が営業の仕事をする上において、基本方針のひとつになりました。  又、このような方ならば、契約していないし、1円もカネを払っていないのに、「俺はお客様だ」というような態度を取るという事は、最初からないでしょう。   この「下宿」の家主のおばあさんの亡くなった主人なら、商談において、決して言いなりの金額・内容で契約はしてもらえず、「ビジネスなんだから価格の交渉はあたりまえ」と、「値切り交渉」「値引き交渉」は出てくるでしょうけれども、逆に、無茶な要求をされて困るということはなく、通る話かどうか、といったことを常に考えながら商談をされることになると思います。 そして、「お客様は神様」で、契約していないにもかかわらず、「お客様」だから、何でも言う事をきいてくれ、みたいな態度を取るということは、まず、ないでしょう。 契約もしておらず、1万円も払わずに、それでいて、「お客様」なんだから、なんでもい言う事をきいてもらってあたりまえだろう、みたいな態度をとる人というのは、言ってしまえば、アホであって、それは、ビジネスマンとしては三下でしょう。 
   私が、買い手の側として、たとえば、我が家のリフォームを依頼した時などでも、契約前にもかかわらず、「お客様だ」というような態度は取らないようにしたはずですし、契約しても、契約したからやってもらう権利があるのは、その契約の内容の工事であって、「お客様は神様です」から契約と関係のないことでもきいてもらってよいのどという態度は取らないようにしてきたはずです。そして、値引き交渉でも、不十分かもしれないけれども、「どのくらいは値引きを要求して良いか、要求すべきでない範囲はどこからか」といったことを考えながら対応しました。それがビジネスではありませんか。 契約もしていない、契約金も払っていないにもかかわらず、「お客様は神様」みたいな対応を期待する人を見ると、この人は、あまり賢くないなあ・・・と思うとともに、他の従業員に、自分の担当の見込客がそう思われる前に、その見込客に、そういう態度を取らないように働きかけることのできない未熟な営業担当者に担当された人というのは、かわいそうでもある、と思います。


   私が大学卒業して最初に勤めた某社の最初の新入社員研修で、「『お客様は神様です』というように、お客様の言う事は、どんなことでもきかなければならない、ということはないのでしょうか。」と質問した人がいました。 それに対しての、研修を担当していた部長の答は、次の通りでした。
 
   「『お客様の言うことなら、どんなことでもきかなけらばならない』というのは、そりゃ、トルコやあ・・・。」(この場合の、「トルコ」とは、トルコ共和国のことではなく、その当時の名称で「トルコ風呂」、現在の「ソープランド」のことを意味します。) 
「お客様が、『チ○○、なめろお』と言えば、『お客様は神様』だから、『はい〜』とチ○○なめなければならない? トルコやあ〜。それはあ〜あ・・・・。
営業は『トルコ』(ソープランド)じゃない! お客様が『チ○○なめろお』と言っても、なめなくて良い。 営業というのは、もっと、プライドのある仕事だ。」  
(上品な表現ではありませんが、認識として適切な発言であると思います。)
 「それから、
 『お客様は神様』ではない。 お客様は人間。 神様じゃない。」

   大学を卒業して最初に勤めたその会社の研修で、合宿研修を担当した課長が、「きみらの中に、人に頭下げるのが好きだ、という人間、何人いる? ちょとと、手をあげてみ。」と話されたことがありましたが、その時、「営業系(営業・人事・総務・経理等)」として新卒入社した20人少々の中で、「人に頭下げるのが好きだ」という人間は、ひとりもいなかったのです。 「みんな、人に頭下げるのは好きじゃないんだな。 それなら、住宅について勉強しなければいけないな。 ぼくなんかは、営業でも、コンサルタント営業だから、お客様の相談にのって、お客様が良い家を作るためのコンサルタントとして接しているから、そりゃ、お客様はお客様だけれども、だからといって、そんなに頭下げて、ヘコヘコしたりしてないよ。お客様の方でも、僕に対しては、頼りにすることはあっても、そんなヘコヘコするような態度を期待しないよ。 それを、何をきかれても答えることができない、何も知らないというようでは、頭下げるしかなくなるから、頭下げるのが好きじゃないなら、コンサルタントとして、お客様の相談にのれるように、一生懸命、住宅について学ばなければいけないな。」 と言われたのでした。 そして、私も、その方針で努力し、今日まで、その方針できたのです。
   そもそも、
病気になった時に、医者にかかる時、ヘコヘコした医者がいいですか? えらそうにする医者が良いわけではないけれども、ヘコヘコする医者ではなく、きっちりと診察をして治療をしてくれる人がいいですね。  何か、法律問題で、弁護士に相談し、訴訟を担当してもらう、という時、ヘコヘコした弁護士がいいですか? えらそうにする弁護士が良いわけではないけれども、ヘコヘコする弁護士ではなく、きっちりと対応して、勝訴につながる対応をしてくれる弁護士がいいですね。 住宅建築の担当者・住宅建築の会社もそうではありませんか? 
ヘコヘコする人がいいですか? そうではないでしょう。  きっちりと対応して、良い家を作る為に役立ってくれる人が良いのと違いますか?  そうであるならば、「お客様神様です」などとアホなこと言って、神様の言う事は何でもきいてもらえる、お客様がチ○○なめろお、と言えばなめるような担当・会社が良い担当・会社ではなく、きっちりと良い家を作ってくれる会社が良い会社ですね。 それなら、「俺は神だ」というような尊大な態度は取らない方が良いですね。 そして、そういう尊大な態度を改めさせようとしない営業が良い営業ではありませんね。

   私は、大学卒業直後に勤めた木質プレハブの会社の後、在来木造の某社に勤めましたが、私の担当のお客様
(契約客)は人間的にいい人が多い、と工事担当者が喜んでいました。 
  それは、なぜ、そうなったかというと、良好な人間関係を構築していく過程で契約していただくという姿勢を取ってきた為、無茶苦茶して良いわけではないけれども、何かひとつ問題が出ても、きっちりとその問題に対処すれば、理解してもらえるという人間関係ができていたこと。 
  決して、「押さば引け、引かば押せ。」というような態度は取らない、どちらかといえば「押さば押せ、引かば引け」の方で、「無茶な要求をすればきいてもらえる、要求しなければ悪い対応になる」というように考えられることはなく、必死で何でも要求しなくても、最高かどうかはともかく、最終的にはある程度以上のことはやってもらえる、という安心感を持ってもらえている。
  住宅を作るにおいて、「建築会社が作る」のではなく「施主と建築会社が作る」という認識を持ってもらっているので、問題点が出ても、まず、 その問題にどう対処するか一緒に考えようという姿勢になってもらえることが多い。
  この3つが理由であったと思います。もちろん、良いお客様に恵まれたということもありますし、すべての方とすべての時に順調にいったというわけではありませんが、この3つの姿勢は、建築会社にとっても、そして、お施主様の為にも、好ましい姿勢であると思います。 決して、建築会社にとってプラスになるだけではありません。 お施主様の為にもなるものです。 逆がお施主様の為になるわけありませんね。
  そして、この3つの姿勢を取れない営業担当者は、はた迷惑なのです。 そういう営業担当者が売れない方が良いのか、売れた方が良いのか、というと、営業である以上、売れない方が良いわけはないのですが、この3つの姿勢ができていない人が、その状態のままで、数だけ増やされたのでは、はた迷惑であり、そして、在来木造の某社では、 「今の営業のやり方で数だけ増やされたのでははた迷惑だから、この人には、これ以上、契約を増やさないでほしい」と周囲から言われていた人もいた のです。

   私が、今、勤めている会社でも、上に述べた点について、残念ながら理解できていない「見込客」もおられます。私が担当営業であれば理解いただけるようにきっちりとお話ししますし、それでも理解いただけない方の場合は「(契約客でないだけでなく)見込客でもない」と判断してその対応をする可能性がありますが、そういう「見込客」に、その認識は違いますよ、そういう認識では良い家・良い建物はできませんよ、ということを理解してもらうように働きかけることのできない、いわば、営業の初歩がまだ身についていない営業担当者もいるのです。 そういう人に契約は出た方が良いか出ない方が良いかといえば、一般的には、契約は出た方が良いのでしょうけれども、この状態を改善した上で契約数を増やすのであればともかく、この状態をそのままにして数だけ増やされたのでははた迷惑ですね。

 

「見込客」は、いつから「客」「お客様」(「契約客」)になるのか?  
その答えは、―――
「契約書に署名・捺印いただいた上、契約金を入金いただいた時から」
 です。
    

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   これから住宅を建築しようという方が、どこと契約するか、何で決められるかというと、商品・会社・営業担当の3つである、と私が大学卒業直後に勤めた住宅建築請負業の某社の最初の研修で言われたものです。 この3つのうち、営業担当者は、契約後も、良い家・良い建物ができるかに大きく影響します。
   これから住宅を建築しよう・購入しようという方にとって、商品・会社・営業担当者の3つのうち、営業担当者について、考えるための参考として、又、営業の仕事についている方、特に、私よりも年齢も経験も若い方には、仕事をする上での参考として、今回のブログを役立てていただけるなら、大いに幸いです。 もしも、同業他社の営業の方が、このブログを読んで営業力を向上されて、その結果、競合になるような際に、今までよりも強力な営業となられることがあったとしても、同業他社、及び、同業他社の従業員は、ライバル(好敵手、競争相手)ではあっても、エネミー(敵)ではない、と私は考えおり、住宅建築業の業界全般が向上するならば、結構なことであると考え、掲載させていただきます。 又、私が20年かけて身につけたものをひとつやふたつ人に教えても、それを聞いた人が、それですぐに同じところまでたどり着けるとも思えませんし。
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